1950本土防空戦21
―――結局離陸してからずっと忙しかったせいで出撃前に渡された航空弁当は喰いそびれていたな……
厚木の海軍基地に設けられている長大な滑走路に四五式夜戦を滑り込ませながらも、疲労のせいか桑原少佐は脳裏の片隅で無意識の内にそんなことを考えてしまっていた。
おそらく操縦席の片隅に放り投げられていた航空弁当は、与圧されていても容赦なく襲ってくる高高度の冷気にさらされて、もうまともに食えたものではなくなっているはずだった。
分隊長の桑原少佐が操縦する四五式夜戦は、燃料補給のために着陸が許可された厚木基地に最後に着陸する機体だったが、損傷機を含む各機が着陸を終えるまで上空で旋回待機していたものだから、残燃料は乏しくなっていた。
使い果たしたのは燃料だけでは無かった。桑原少佐の機体だけでは無く、大半の四五式夜間戦闘機は機銃弾も撃ち尽くしていた。当然ながら翼下に装備した対空誘導噴進弾を残した機体も無かったが、2発懸架していた両方を戦闘中にまともに投弾出来た機体は少なかった。
長射程の誘導弾の二発目を投弾する前に銃撃戦が始まっていた為に、当たらないのを承知に無理に投弾したものや、高価な誘導弾を投棄してしまった機が多かったのだ。
端的に言って、今回は今後に活かすべき戦訓の多い戦闘だった。個々の局面を切り取ってみれば日本軍に有利な状況もあったのだが、それでも多くの錯誤が発生していたからだ。
伊豆諸島北部上空で最初に戦闘を開始したのは、帝都周辺の各基地から緊急離陸した戦闘機隊だった。本土侵入を阻止するために洋上で敵重爆撃機編隊を迎撃しようとしていたのだ。
誘導弾の一斉発射が行われたのは、その戦闘の最中だった。本土から発進した空軍の五〇式戦闘機と海軍の四四式艦上攻撃機の混成部隊によって統制射撃が行われていたのだ。
硫黄島から離陸して敵重爆撃機を追尾していた夜戦隊にとっては危うい状況だった。この対空誘導弾の統制射撃に遅れれば、戦闘に加入すること自体が難しかったからだ。
鈍重な誘導弾の操作は目視による誘導だったから、敵味方の識別は操作を行う偵察員の技量にかかっていた。とてもではないが、敵味方が入り乱れた混戦状態に撃ち込めるような代物ではなかったのだ。
統制射撃前に混戦状態にあった友軍戦闘機隊は、同士撃ちを避ける為に一時的に離脱していたが、それが可能だったのは一回限りだった。事前に離脱が指示されていなければ戦闘中にそんな判断が出来る訳がないからだ。
実際に四五式夜戦隊の誘導弾発射タイミングは際どいものになっていた。上空からレーダー監視を行っていた空中指揮官機の指示を受けていた夜戦隊は、そのままでは指定された発射地点に辿り着けなかったのだ。
やはりB-36に対して誘導弾を抱えた四五式夜戦では速度差がないものだから、追いつくこと自体が難しかったのだろう。
その時点では、何故そのような杓子定規な事が行われているのかが既に空中指揮官機経由で説明がされていた。日本本土から発進した誘導弾搭載機と着弾時間を揃える事で、友軍機への同士撃ちを避ける為だった。
発射地点、というよりも発射時間はずらせなかった。一時的に離脱するものの、隊列を整えた戦闘機隊は再度突入をはかるからだ。しかも誘導弾を発射した五〇式戦闘機も銃撃戦を開始する予定となっていた。
この型式の誘導弾が実戦に投入されるのは初めての事だった。勿論、多くの部隊で発射試験や訓練は行われているが、実戦でどのような齟齬が生じるかは分からなかった。未知の新技術に過剰な期待をするべきでは無かったのだ。
このままでは後生大事に抱えてきた誘導弾の発射が不可能になることを危惧した桑原少佐は、咄嗟に動力降下で速度を上げていた。発射地点まで最短時間で到達する為だった。
結果的には、この判断が夜戦隊にとっては功を奏する形になっていた。予定よりも高度が低い発射地点に到達した夜戦隊から斜め上方に見える敵重爆撃機に向けて打ち上げられた誘導弾は、後席の偵察員からの視界に双方とも収まっていたからだ。
それだけではなかった。上昇する誘導弾は、一足早く前方から到来して来る空海軍混成部隊からの誘導弾よりも速度が遅かった。水平に加速するよりも上空に打ち上げられる方が重力という余計な力がかかる分不利だったのだ。
最初は、ゆっくりと上昇していく誘導弾を見て自分の判断が失敗したのかと桑原少佐は考えてしまっていたのだが、実際にはこれが後席からの誘導には有利に働いていた。
客観的にいって誘導弾の戦果は防空指揮所などが期待した程ではなかったのではないか。故障や誤操作で敵編隊まで到達出来なかった誘導弾が多かったのだ。
しかも、彼らにしてみれば未知の兵器であったにも関わらず、誘導弾が飛来してくるのを目撃した敵重爆撃機編隊は早々に回避行動を開始していた。あるいは一旦退避する友軍戦闘機隊の動きを不審に思っていたのかもしれないが、この回避行動が前方から放たれた誘導弾の操作を一段と困難にさせていた。
水平かあるいは重力に引かれて加速する誘導弾の最終速度は高かった。着弾時には固体燃料は尽きていたかもしれないが、音速を遥かに越える速度が出ていたのではないか。
命中すれば運動量だけでも大威力を発揮したのだろうが、ここまで超高速となると誘導弾の操作は極端に難しいはずだった。距離が離れれば自機の特定すら難しいのに、僅かな操作の誤りで迷走してしまうだろう。
やはり少数機で特定の目標をじっくりと狙う爆弾の誘導系統を、多数機が入り乱れて戦闘を行う対空戦闘に応用するという初期の設計方針自体が誤っていたと言わざるをえないだろう。
結局、夜戦隊の前方に展開していた混成部隊から投弾された誘導弾の多くは、虚空へと散らばって行った。中には退避中の友軍戦闘機群に危険なほど接近したものもあったようだ。
命中弾は少なかった。命中したのも回避行動中の敵機群にまぐれあたりしたようなものだったのだろう。
だが、夜戦隊からの一撃だけは例外だった。加速が鈍いことが逆に誘導を容易にしていたのだ。しかも、多くの敵重爆撃機からは斜め下方から打ち上げられた誘導弾は死角に入っていたはずだ。
水平方向への回避行動も下方から見れば無意味だった。前方からでは速度の低下を最小限にして大きく動いているように見えていたはずだが、下からでは視野内の移動量は小さかったし、回避方向も一目瞭然だった。
その頃には、一時的に中断していた敵重爆撃機による銃撃が再開されていた。誘導弾が接近している間は離脱していた友軍戦闘機が再突入しようとしていたからだ。
その姿に紛れるようにして、夜戦隊からの誘導弾が次々と敵重爆撃機編隊に突入していた。命中したのは4発中の2発だった。混成飛行隊の戦果からすると都合5割の命中率は驚くべきものと言えるのではないか。
しかも、回避行動中の敵重爆撃機の主翼に命中していた一発は、一撃で片翼を吹き飛ばしていた。飛行中に片翼が消滅したその敵重爆撃機は一瞬で揚力のバランスを失うと、糸の切れた凧のように水平に急速に旋回を開始しながら海面に落下していった。
だが、その頃には再度混戦状態が始まっていた。誘導弾を投弾していた五〇式戦闘機も、猛烈に加速しながら他機種と共に敵重爆撃機編隊に突入を開始していたのだ。
夜戦隊も蚊帳の外ではなかった。桑原少佐は後続機に合図すると、動力降下で得た増速を活かすように、一転して上昇すると機銃の射程に果敢に切り込んでいったからだ。
―――だが、20ミリ機銃ではあのような大型の重爆撃機に致命傷を与えるのは難しい。
それが今回の戦闘で得た桑原少佐の結論だった。相当の大型機である上に、新参もののB-36はどこが弱点かも分からなかった。結果的に敵味方とも無闇やたらと20ミリ機銃を撃ち合ったが、どちらも有効弾は少なかった。
戦闘が高速化しているものだから単純に射撃機会が少なかったようだ。戦闘機隊はともかく、重爆撃機の防御機銃座から見れば高速の戦闘機はすぐに射界から飛び去ってしまうのではないか。
少ない射撃機会を最大限に活かすのであれば、今後は無誘導で低伸する噴進弾や大口径機銃といった携行弾数は少なくとも大威力の火器を整備すべきだった。
桑原少佐が色々と考え込んでいる間に、四五式夜戦は僚機が一足先に並べられていた駐機所にたどり着いていた。元々は四五式夜戦は海軍の夜間戦闘機として開発されていた機材だったから、緊急着陸先に指定された海軍の厚木飛行場でも燃料補給の他に、損傷機の応急処置位は可能だろう。
損害によっては硫黄島の分遣隊ではなく、本隊が駐留する空軍基地に戻して大規模な修理を行わせる事も考慮しなければならなかった。僚機はともかく、分隊長の桑原少佐は厚木に長居をしなければならなそうだった。
整備員が車止めを取り付けたのを確認した桑原少佐は、風防を勢いよく開けると考えていたとおりに冷え切っていた航空弁当の包みを取り出していた。なれない様子で機体に上がっていた整備員の助けを借りながら主翼上の補強された踏み板に足を乗せると、ふと視線を感じていた。
後席の偵察員だった。疲れた様子で偵察員も風防を開けようともがいていた。考えてみると、偵察員は第二次欧州大戦集結後に入隊した若者だったから、大戦開戦前から操縦桿を握っていた自分とは疲労度が違うのかもしれない。
自分が初陣の頃はどうだったのか、十年も前のことを思い出しながら桑原少佐は後席の風防に手を掛けて手伝ってやっていた。
だが、すまなさそうな顔の偵察員から航空弁当の包みをもぎ取るようにして受け取った桑原少佐はふと違和感を感じていた。妙な顔になった桑原少佐の様子に気がついたのか、整備員の助けで這い出るように機外に出ていた偵察員は慌てて包みに手を伸ばしていた。
桑原少佐は不思議そうな顔で自分の冷え切った航空弁当の包みと比べていたが、偵察員は恐縮しきった顔であたふたと自分だけ弁当を食べてしまった事を謝罪していた。
そういえば、何度か敵重爆撃機を追撃して北上する間に偵察員の声が聞こえなくなっていたことがあった。てっきり機材の点検か機上整備を行っていたと思ったのだが、実際には合間を見つけて要領よく弁当を平らげていたらしい。
しかし、桑原少佐はそれを咎める気はなかった。後からすれば敵機と遭遇する危険性が低い間に弁当を広げてしまっても良かったのだが、莫大な燃料を消費しながら高速で巡航していたものだから、操縦員である自分は操縦桿を固定して片手を空ける事も出来なかったのだ。
桑原少佐が疑問に思ったのは弁当の包みが温かった事だった。もう年の瀬が迫っている上に高高度を飛行していた機内は冷え切っていた筈なのに、先程渡されたかのように弁当の包は温かかった。
偵察員の腹で温められた様子もなかったが、桑原少佐が尋ねると偵察員はおずおずと言った。後席近くには電子機材の隙間に熱気が滞留する空間があるらしい。機材の内部で生じた熱を強制排風しているようだが、そこが航空弁当の包みを置くのに丁度良い空間になっているというのだ。
つまり機内に保温器があるようなものだったが、夏場などは逆に急速に痛むのではないか。ところが、今度もおずおずと偵察員が言った。電子機材は熱にも弱いから、高温の場合は冷却器が作動する。夏場はやはりその近くに弁当を置くのに都合の良い空間があるようだ。
兵員よりも保護されている電子兵装に囲まれた偵察員の数少ない既得権と言えるが、新兵の多い彼ら自身はそうは思わなかったようだ。過酷な条件で弁当も食えない操縦員に後ろめたい気持ちを抱いていたために、皆口にはしなかったらしい。
―――操縦員と偵察員の間にあった隔意の原因はこれなのか……
呆れた思いで、桑原少佐は申し訳そうな顔の偵察員の背中を叩きながら言った。
「こんなことがすまないと思うんなら、硫黄島に帰ったら今度偵察員総出で銀蠅でもしてこい。やり方が分からんかったら大原少尉にでも聞いてみろ」
笑いながらそう言いつつも、桑原少佐は各機のペア間を取り持つ為に他の操縦員達や偵察員の間でどんな話をさせるべきかを考えていた。
これまでの誤りを恐るべきではなはい、失敗を活かして戦訓とすればいい。そう考えながら、唖然としている偵察員に背を向けて、桑原少佐は基地司令部へと歩いていった。
四五式夜間戦闘機電光の設定は下記アドレスで公開中です。
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五〇式戦闘機の設定は下記アドレスで公開中です。
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四四式艦上攻撃機流星の設定は下記アドレスで公開中です。
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