1950本土防空戦20
ふと後席の偵察員席に動きがあった。無線機を素早く操作した分隊士の井手大尉が平坦な口調で言った。
「先発した戦闘機隊からだ。八丈島と御蔵島間で戦闘を開始したらしい……同行する電探機も戦闘の様子を探知した。距離約百キロ、といったところか……」
操縦席の垣花飛曹長は無言で眉をしかめていた。三浦半島を抜け出した四四式艦攻隊は、外装式電探を抱えた二式艦攻を随伴していたが同じ航空隊に所属する戦闘機隊は、空軍機と共に真っ先に迎撃戦闘に投入されていた。
しかも百キロという距離は爆装した四四式艦攻の速度でも20分もあれば踏破できる程度でしかなかった。
―――結局、我々が本土上空侵入を阻止する最後の手立てとなってしまったというところか……
垣花飛曹長はそう考えながら素早く脳裏に周辺の地形を思い描いていた。現在八丈島を越えたあたりということは、四四式艦攻隊が敵重爆撃機編隊と接敵するのは三宅島の当たりになるのではないか。
すでに伊豆半島と房総半島の南端、大島を結んだ線に近く、内陸部に侵入されたも同然と考えるべきかもしれない。
―――だが、先発した海空軍の戦闘機隊は何故そこまで苦戦しているのだろうか……
垣花飛曹長は僅かに首を傾げていた。確かに50機の重爆撃機は脅威となる存在だった。B-36は卓越した高高度飛行能力と航続距離を兼ね備えているらしいとも聞いていたからだ。
しかし、離陸が遅れた四四式艦攻隊とは異なり、防空司令部から真っ先に出撃を命じられた戦闘機隊は、時間的に余裕をもってB-36の予想飛行高度に達していたはずだった。
しかも、公開された飛行中のB-36の写真を見る限りでは、同機の防御機銃は確認出来なかった。写真を撮影したのは米軍自身だったから写真に写っていない範囲や、加工によって写真では見えない位置に機銃座が存在する可能性はあるが、その程度で隠せるとすれば防御機銃の数は貧弱なものである筈だった。
垣花飛曹長の疑問が解消されたのは、それからしばらくしてからの事だった。予想通り三宅島に接近する頃になると視線方向に花火のような閃光が見えてきていたのだ。
間違いなくそれは戦闘の痕跡だった。まだ明るい昼間だったが、角度が良かったせいか曳光弾の軌跡が明瞭に確認できたのだ。
だが、遠くから見る限りでは曳光弾が残した光跡は虚空に消えるか、海面へと落下していくものばかりで、目標に命中して途中で断ち切られた軌跡の数は少なそうだった。
どうやら、戦闘の様相は敵重爆撃機編隊と我が海陸軍の戦闘機隊が入り乱れて混戦状態になっているようだったが、唖然としながら垣花飛曹長はB-36の姿を見つめていた。B-36の自衛火力は飛曹長の予想と大きく違っていた。B-36の全身から途切れる事なく機銃弾が放たれていたのだ。
胴体の複数箇所から次々と襲撃する戦闘機に向けて機銃が火を放っていた。公開された写真は欺瞞されたものか、あるいは試作機段階の非武装機を撮影したものだったのではないか。
とてもではないが、以前垣花飛曹長が見た写真の流麗な機体形状からこれだけの砲火が放たれるとは思えなかった。
その一方で、B-36の飛行高度は思ったより高くなかった。あるいは本土上空に向けて上昇を開始する前に戦闘機隊と交戦が始まってしまったのかもしれない。追浜から離陸してゆっくりと上昇を続けていた四四式艦攻とそれほど高度差はなさそうだった。
既に双方に損害が出ているようだった。次第に煙を吐きながらゆっくりと高度を落とす重爆撃機と、そうして編隊から脱落した損傷機に群がる戦闘機の姿が見えてきていたのだが、同時に戦闘機のものらしい機影が白煙を残しながら真っ逆さまに海面に向かっていく姿も見えていた。
どちらが有利かは一見するとわからなかった。戦闘に投入された機数だけみれば海空軍の緊急出撃可能だった戦闘機隊をかき集めた日本軍のほうが有利なのは間違いないが、敵編隊から脱落した損傷機に無秩序に群がる友軍機も多かったから、肝心の敵編隊への手当は不十分である様にも見えていた。
眉をしかめながら垣花飛曹長が戦闘の様子を観察していると、後席から再び声がしていた。井手大尉は高倍率の双眼鏡で直接敵機を確認していたらしい。
「あれは引き込み式の機銃座だな。数は多いが、あまり大口径の機銃ではなさそうだ……おそらくは我が方の戦闘機が装備する20ミリ機銃と同程度だろう。思ったよりも米国の航空技術は高くないのかもしれないな……」
何かを聞き間違えたのかと思って垣花飛曹長は妙な顔になって振り返りかけていた。飛曹長が見る限りB-36は恐るべき機体としか思えなかった。しかも充実した防御機銃座まで隠し持っていたのだ。
だが、操縦席からの気配を察したのか、井手大尉は淡々とした口調のまま続けた。
「確かに搭載機銃の数は多いが、我が陸軍の一式重爆も大戦最後の頃に投入された型式では20ミリ機銃で統一した防御機銃を装備していた。引き込み式の機銃に関しても、以前陸軍の重爆で装備されたが、その実績は芳しいものではなかったはずだ。
引き込み式の機銃座は確かに巡航時の空気抵抗を削減出来るが、最も高速を発揮したい戦闘時には空気抵抗源となる機銃座が突き出される事になるから肝心の使用時には不利となる。
それで陸軍は引き込み式ではなく、常に外部に突き出された機銃座自体の形状設計を空気抵抗や振動を最大限抑える方針に転換していたはずだ。
それに公開された写真からすると、巡航時には機銃座の痕跡すら見当たらないということは、B-36はかなり凝った機銃座の格納方法をとっているのではないかな。
緻密な機構を詰め込んだ設計は、それだけ故障の原因も抱え込んでいると言えるが、それを実現させた技術力はともかくとして、米軍の発想は端的に言って10年は遅れていると言えそうだ」
井手大尉は自信有りげに言ったが、今現実に機銃弾を浴びている搭乗員達の立場からすれば悠長な気がしていた。
垣花飛曹長からすれば、設計思想がどうであろうと、目前のB-36は大火力を容赦なく周囲に振りまく恐るべき怪物だった。友軍の戦闘機隊に加勢してさっさと大事に抱えてきた誘導弾を放つべきではないか。
機銃弾を装填するだけで良かった戦闘機隊に比べて四四式艦攻隊の出撃が遅れたのは、魚雷並みの繊細な兵器である対空誘導噴進弾を装備していたからだ。この長距離誘導兵器があるからこそ、戦闘機ではない四四式艦攻までが対空戦闘に駆り出されてきたのだ。
だが四四式艦攻とB-36では諸元上の最高速度にさほどの差は無かったはずだ。B-36には高度に関わりなく機能する排気過給機も備わっているはずだから、高高度における飛行能力低下も最低限に抑えられているはずだ。
B-36が速度と高度を上げれば四四式艦攻は無力化されるから、攻撃の機会は前方からの一撃しかないはずだった。一度の航過ですべてを叩きつけるのだが、この攻撃に失敗しても再度の攻撃は不可能なのだ。
だが、後席に座る井手大尉の反応は鈍かった。電波を使用して目視で噴進弾を誘導するのに適した一列横隊への陣形移行を編隊各機に指示したものの、それ以降は飛行隊に待機を命じていた。待機と言ってもその場で旋回するわけには行かないから、刻一刻と無為に敵編隊に接近していくだけなのだ。
苛立たしげに振り返った垣花飛曹長の目にふと光るものが入っていた。どうやら本土の方向から飛来する機体があるらしい。
―――増援、か……
垣花飛曹長の訝しげな視線を追った井手大尉は、喜色を浮かべながら無線機を取り上げていた。
「これより誘導弾の統制射撃を行う。空軍機は我に追随せよ」
符丁に続けて井手大尉がそう言う間に後方から接近していた機影が明らかになっていた。先の大戦中に就役したままの姿である四四式艦攻と比べると、流麗な機体形状と大きな空気取入口は未来から飛び出てきたような形状に見えていた。
増援の機体は空軍でも最新鋭の五〇式戦闘機であるようだが、その胴体下部には四四式艦攻と同じく大型の対空誘導噴進弾を抱えていた。五〇式戦闘機は大出力のジェットエンジンを装備しているから、充実した電子兵装と複座配置を戦闘機に加えることが出来ている、という話だった。
高速で接近していた五〇式戦闘機も、四四式艦攻に接近する頃には速度を緩めて編隊を崩していた。エンジン出力の大きさを誇示するように、四四式艦攻の編隊よりも上空に遷移しつつあったが、それはむしろ高度を稼いで速度を殺すような軌道だった。
それを確認した井手大尉は素早く視線を前に戻すと、短く発射とだけ言った。反射的に垣花飛曹長が兵装投下スイッチを入れると、直後に四四式艦攻の機体が浮かび上がりそうになるのを感じていた。胴体に懸架していた誘導弾が投下されていたのだ。
投弾された対空誘導噴進弾は、しばらく自由落下をしていた。物理法則に従って誘導弾は、母機と同じ初速を与えられていた。母機の方は、誘導弾分の重量が唐突に無くなったことで機体が浮かび上がろうとしていた。
四四式艦攻が常用している爆弾や魚雷であれば、投弾直後に機体を上昇させるのは対空砲火に対する命中率が上がる危険な行為となるのだが、反射的に操縦槓を抑えていた垣花飛曹長はゆっくりと機体を上昇させていた。
長射程の誘導弾を投下した位置は敵重爆撃機の防御機銃からすれば射程外となる上に、四四式艦攻よりも空気抵抗の少ない細身の誘導弾が機体直下にある場合は、不意に誘導弾が高速の流れに煽られて母機と接触する可能性もあったからだ。
機首をやや上げた四四式艦攻の操縦席からは、投下された誘導弾はしばし死角に入っていたのだが、しばらくすると機体下部から白煙をたなびかせた誘導弾の弾体が勢いよく突き上がるようにして四四式艦攻を追い抜いていた。
誘導弾の加速は大きかった。胴体には余計な操縦席などの突出物がないし、燃焼に必要な酸化剤を含んだ個体の火薬式噴進だから空気取入口もなく、空気抵抗は低く抑えられていた。
新鋭のジェット戦闘機ですら追いつけない速度で加速していく誘導弾は四四式艦攻から放たれたものだけではなかった。上空に遷移していた五〇式戦闘機からも同時に機数と同じだけの誘導弾が投弾されていたのだ。
同時に、後方の司令部経由で井手大尉の発射命令を伝えられたのか、敵重爆撃機との混戦状態だった友軍戦闘機の多くが一斉に離脱を開始していた。誘導弾は目視による誘導で敵重爆撃機に向かうから、付近を飛行するのは危険極まりないのだろう。
それだけ新兵器である対空誘導噴進弾には期待がかけられていたということになるのだろうが、発射直後から垣花飛曹長は苦い目で白煙を引きながら飛翔する誘導弾の群れを観察していた。飛曹長の予想以上に誘導弾の稼働率が低そうだったからだ。
固体燃料への着火に失敗したのか虚しく海面に落下していくものや、他の個体と比べると明らかに赤黒く不完全燃焼している様子のものも多かったのだ。
しかも問題は誘導弾自体の品質や整備だけではなかった。誘導弾の中でも明後日の方向に向かって行くものが少なくなかった。燃焼ではなく誘導系に故障が生じている可能性もあるが、単に母機で誘導を行っている偵察員の誤操作かもしれなかった。
四四式艦攻から彼方の敵重爆撃機に向かっていく誘導弾を見る限りでは、自機から放たれた個体がどれなのか、識別するのが難しかったからだ。僅かでも目を話すと、操縦している偵察員も自機を見失ってしまうのではないか。
次々と敵重爆撃機に向かう針路から外れていく誘導弾の白煙が作る軌跡を見つめていた垣花飛曹長は、ふと異様な光景を目にしていた。視線方向の南方から急に上空に向けて急上昇する白煙の群れが発生していたのだ。
数は少なかったが、そこにも誘導弾の母機がいたらしい。
―――あんなところにまで五〇式戦闘機が移動していたのだろうか……
垣花飛曹長は、首を傾げながらのその白煙の先にあるのだろう誘導弾の行き先を見つめていた。既に敵重爆撃機は高速で接近する誘導弾を発見したのか、算を乱して回避行動を始めていたが、その誘導弾は命中するような気がしていた。
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