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1950本土防空戦19

 第二次欧州大戦中盤に制式化された四四式艦攻が、三座であった従来の艦攻とは異なり艦爆を踏襲した複座機として設計が進められていたのは、軽量化と小型化を図る為だった。

 優れた機体設計と装備機材の性能によって、従来の艦攻よりも乗員が減らされても対地、対艦攻撃能力においては特に支障となるような問題とはならなかったのだが、実戦における艦攻の任務は攻撃機としてのそれだけではなかった。



 空母航空戦隊が大規模な攻撃隊を編成する場合、通常は多座の艦上攻撃機が全軍の指揮官機として運用されていた。機体の操作自体で忙しくなる操縦員ではなく偵察員を航法や部隊の指揮管制に専念させる為だ。

 それに攻撃隊の残存率を大きく左右させる護衛の艦戦は単座機のために航法能力に限界があったから、長距離飛行時には航法能力に優れた先導機の存在は欠かせなかった。


 それに加えて艦攻は、艦隊の目となる索敵機として運用される事も少なくなかった。

 四四式艦攻の制式化当時、既に専門の四三式艦上偵察機彩雲が実用化されていたのだが、同機はエンジン直径に等しい所まで胴体径を絞ってまで高速化を果たした特殊機だった。

 同機の高速性能には定評があったが、搭載量が少ない為に大戦中盤には既に索敵用の機材として常用化されていた機外装備式の電探を装備するには難しかった。

 最高速度に比例するように巡航速度も高いから、攻撃隊の先導役を担うには不利な点が少なくなかった。無理に四三式艦上偵察機を他機と共に行動させたとしても、不利な速度域の常用で燃料消費量ばかりが増大することになるだろう。

 陸軍の一〇〇式司令部偵察機の様に、高速で敵陣を単機強行偵察する、それが四三式艦上偵察機の正しい、そして唯一の使い方だったのだ。



 四三式艦上偵察機とは異なり搭載量の上では機外装備式の電探を楽々装備できたものの、哨戒機としての四四式艦攻にも別の理由から限界があった。複座配置では機上で行える作業そのものに制限があったのだ。

 高性能の電探で長距離から敵機を察知できたとしても、それをどこかに伝達しなければ何の意味もなかった。ところが偵察員一人ですべての操作を行わなければならない四四式艦攻では電探情報を収集出来てもこれを管理するには限界があったのだ。


 これが従来の艦攻のように三座機であれば、2名の偵察員を電探の操作と情報の管理に役割分担させて効率化を図ることも可能だった。

 最近では上空の電探哨戒機が得た電子情報を電波の形で母艦に送信して、情報の分析評価を専門の乗員を乗せられるほど余裕のある母艦に任せるといった手法もあったが、攻撃隊に随伴して遠距離に進出するような場合は、どうしても全ての情報を機上で完結させる必要があった、

 結局は、四四式艦攻の部隊配備によって複座の二式艦爆は旧式化して退役していったものの、索敵や先導機として運用する万能機としての二式艦攻は若干数が各航空母艦に配置できるように残さざるを得なかった。



 その結果として現在の空母航空隊は運用機種に関して支離滅裂な状態にあった。

 任務の多様化がその一因とはいえ、艦戦が3機種、艦攻が2機種、艦上偵察機と艦上哨戒機に加えて、昨今は大出力エンジンの搭載で無視出来ない能力を獲得していた回転翼機までもが狭い飛行甲板上にひしめき合っていたからだ。


 噂によれば、海軍上層部もこうした状況を危惧しているという話だった。四四式艦攻で果たせなかった多座機の統一を計画しているというが、下士官搭乗員でしかない垣花飛行兵曹長の耳には噂しか入って来なかった。

 むしろ海軍は四四式艦戦の改良を計画しているという噂もあった。より大出力となるレシプロエンジンとジェットエンジンの間の子を搭載するのだと言う話だったが、やはり詳細は分からなかった。

 この噂が事実だとすれば、海軍は旧式空母や海防空母も未だに一定の戦力として考慮しているということになるのかもしれなかった。おそらく四四式艦戦の性能向上はこうした補助空母に搭載するためのものだったからだ。



 この多様化した航空隊を反映させたように、海軍航空隊発祥の地でもある横須賀周辺の航空基地は拡張を続けていた。

 大戦中は前線で消耗する乗員の補充を行う為に、各地で海陸軍問わず訓練飛行隊の開設が続けられていたし、戦時中には機動運用の為に純粋な航空部隊と基地隊を切り離す空地分離やこれに伴う予備空母航空隊の編制といった制度上の変更も多かった。

 これに加えて大戦直後には陸攻隊など基地航空隊の少なくない数が空軍に編入されるという事態まで発生していたものだから、ここ十年ほどは横須賀航空隊の変化は大きかったはずだ。


 変化は組織上のものだけではなかった。物理的にも追浜に設置されていた狭義の横須賀飛行場が手狭になってきたことから、三浦半島の南部に大規模な土地買収を行って第二、第三飛行場が相次いで着工されていたのだ。

 この新しい飛行場は、大した面積ではない三浦半島内に設けられていたから、航空機ならば離陸してすぐにでも到達出来る距離にあった。互いの間隔は10キロ程度でしか無いから、感覚としては艦隊を組んだ複数の航空母艦の飛行甲板に近いかもしれない。

 だが、航空母艦とは決定的に異なる条件があった。航空隊や飛行隊といった単位よりも、各飛行場の使い分けは機種毎に決まっていたからだ。



 管制機能などの追加施設は貧弱だったものの、後から作られた飛行場ほど戦時中の建設だったにも関わらず滑走路自体は高規格で建設されていた。高速化、大型化する一方の新型機に対応していく為だ。

 海軍航空隊の黎明期に建設された追浜の飛行場は、すでに新型機には対応しきれなくなっていた。海軍関係者用の住宅地や海軍施設が周辺に広がって次々と建設されていることも見逃せないが、滑走路長が着陸距離の長いジェットエンジン機には足りなくなっていたのだ。

 それに第二、第三飛行場はどちらも周辺に地形上の障害がなかった。

 どちらの飛行場も追浜の様に時間をかけて横風用に複数の滑走路を設けることまでは出来なかったが、海上交通量の多い東京湾とは反対側にある三浦半島西岸に接していたから、将来的にも埋立工事で拡張することは不可能ではないのではないか。


 垣花飛曹長達は航空戦隊を構成する空母から降ろされたばかりだったが、もとの母艦に関わりなく、四四式艦攻や二式艦攻、艦上哨戒機といった従来型のレシプロエンジンを搭載した機種ばかりが滑走路の短い追浜に収容されていた。

 残りのジェットエンジン機は第二、第三飛行場に収容されているようだが、母艦が横須賀に寄港する前に発艦していったものだから、追浜に降りた垣花飛曹長には他の飛行場の細かなところまでは分からなかった。


 微妙に降り立った飛行場間に距離がある上に運用機種が異なるものだから、飛行隊同士の連帯感は悪かった。同じ艦に乗込めば否応なく顔を見合わせる他機種に乗り込む搭乗員達がいないからだ。

 その代わりに僚艦に乗艦していた同機種の乗員とは地上では頻繁に顔を見合わせることになるのだから違和感ばかりが大きくなった。

 直線距離なら第二、第三飛行場は目と鼻の先なのだが、鉄道は途中までしか無いし、三浦半島でも軍用地の多い横須賀地域より先は工業化も進んでいなかったから道路整備はもっぱら観光地向けのものだったから直接飛行場に赴くとすると交通の便は悪かった。


 尤も海軍もいつまでも各基地の滑走路分散を許容するつもりではないらしい。下士官兵の違和感は兎も角、全ての滑走路に目を向けなければならないために頻繁に移動を強いられる飛行長や航空隊司令など航空隊幹部への負担も大きいからだ。

 噂によれば、戦時中に内陸部の大和市に作られた基地を拡充して空母航空隊をまとめて収容する計画があるらしい。今となっては本格的な航空基地として運用するのは難しくなっていた追浜は閉鎖されるか、回転翼機や練習機といった2線級の機体に限って運用する事になるのではないか。



 だが垣花飛曹長にとっては噂は噂に過ぎなかった。少なくとも今は、横須賀から展開する予備空母航空隊は、戦力の逐次投入という不利な形で有力な敵重爆隊との迎撃戦闘に赴こうとしていたからだ。


 海軍航空隊の中でも空母航空隊は複数の予備隊を保有していた。ただし、この場合の予備とは旧式艦や余剰となった艦艇を編入する予備艦指定などとは意味が異なっていた。

 陸上配置の予備空母航空隊は、正規空母に搭載されている航空隊の文字通りの予備であるとともに、平時から頻繁に陸上と艦上の配置を入れ替えられて練度を維持していたからだ。


 空母航空隊のみがこのような特異な配置となったのは、第二次欧州大戦における敵航空部隊との熾烈な航空戦と、それが生み出した損害の大きさにあった。

 地中海におけるドイツ空軍の執拗な攻撃によって生じた空母航空隊の損害は大きかった。守勢に回ってもなおドイツ空軍の戦闘機隊は規模も練度も高いレベルを保っていたのだ。

 しかし、マルタ島沖で空母龍驤と赤城を沈められた日本海軍は、前後して艦隊防空体制の強化を急速に進めていた。

 従来から進められていた防空巡洋艦の増勢や駆逐艦の対空火力強化といった装備の充実に加えて、艦隊主力から敵地方向に前進配置される哨戒艦や戦闘機隊による陣容の変更も加えられていた。



 防空体制の強化が図られたためか、大戦後半は航空母艦に大規模な損害が生じることはなかったのだが、航空隊の損耗は大きかった。ドイツ空軍に撃墜破された機体も少なくなかったが、前線の激しい航空戦の連続で自然と摩耗して短時間で用廃となる機体もあった程だ。

 その結果として奇妙なことが起こっていた。空母自体は航空燃料や弾薬などの消耗品を補給さえすれば戦列に復帰できるのに、航空隊の消耗によって長期間無力化されてしまっていたのだ。


 予備航空隊制度は、こうした母艦と航空隊に生じていた損耗の乖離にも対応するために設けられていた。つまり戦闘中の空母航空隊が消耗した場合、補給の為に一時的に母艦が後退した機会を捉えて陸上の部隊と交代させるのだ。

 立場が入れ替わって予備航空隊となった部隊は、今度は装備と人員の補充を受けて前線後方で戦力を回復させるのだ。


 そのような使い方をされるものだから、実際には予備航空隊といっても空母航空隊と同等の練度と規模を維持する必要があった。陸上の基地を根拠地とする哨戒機部隊などとは異なり、いつ空母に派遣されるか分からないからだ。

 大戦中は、予備航空隊といえども戦力評価が高ければ前線の航空基地に派遣されることもあったし、平時においても定期的に空母航空隊と入れ替えて運用されていた。

 勿論、予備航空隊といえども空母への着艦技術を維持する必要があるから、練習空母となった天城はいつでも引っ張りだこだった。古株の乗員などは、練習航空隊の擬着艦訓練に予備航空隊の訓練まで加わって、戦時中より航海手当が多いくらいだと言う程だったらしい。



 陸に上がったばかりの垣花飛曹長達も同様だった。既に先日までの母艦にはこれまで予備航空隊に指定されていた部隊が乗り込んでいたから、今度は自分達が予備航空隊となっていたのだ。

 本来は訓練ばかりではなく、垣花飛曹長達の航空隊は海軍の大演習に参加する予定だった。演習終盤に空母機動部隊が仮想敵役のトラック諸島を襲撃することになっていたが、それに先んじてトラック諸島に展開して陸上に展開する仮想敵航空部隊となる筈だったのだ。


 だが、垣花飛曹長達が移動する前にトラック諸島は壊滅していた。開戦初日で生じた損害は、飛曹長には些か現実味のないものであり、下手をすれば自分たちも巻き込まれていたという実感はまだ無かった。

四四式艦上攻撃機流星の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/b7n.html

二式艦上攻撃機天山の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/b6n.html

一〇〇式司令部偵察機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/100sr2.html

二式艦上爆撃機彗星の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/d4y.html

四四式艦上戦闘機烈風の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/a7m1.html

天城型空母の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cvamagi.html

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