1950本土防空戦18
垣花飛行兵曹長が操縦する四四式艦上攻撃機流星は、三浦半島の入り組んだ海岸線から勢いよく海上に飛び出していた。
追浜の飛行場を離陸してから高度を上げつつあった四四式艦攻が上げるセントーラスエンジンの重々しい音は、それによって少しばかり変化したような気がしていた。
三浦半島を縦断するように南下していた四四式艦攻の翼下には横須賀第二、第三飛行場の姿があったはずだが、艦攻隊に先行して離陸したはずの戦闘機隊は既に見えなかった。
戦闘機隊は垣花兵曹長と同じ航空隊に所属する部隊なのだが、航空総軍からの要請によって緊急出撃した航空隊は、隷下の飛行隊ごとの進撃を決心していた。
四四式艦攻の操縦席内は騒音で満ちていた。太い胴体の先端に配置されたセントーラスエンジンの中では、スリーブバルブを有する18基ものシリンダーが順序よく発火しながら複雑な構造のクランク軸を高速で回転させていた。
傍目には尾部から盛大な排気流を噴出するジェットエンジンの方がレシプロエンジンよりも騒音が激しいとおもうのだが、実際には操縦席内に限れば事情は違うようだ。
垣花兵曹長はまだジェット機の操縦経験はないが、練習機仕様の四六式艦上戦闘機に試乗した分隊士の井手大尉によれば、騒音源が主に排気流として機体後方に流されるせいか、機内はレシプロエンジン機よりも静からしい。
―――あるいは操縦席の眼の前でエンジンが稼働するせいなのだろうか……
エンジン音に耳を傾けていた垣花兵曹長はそう考えながら視線をエンジンよりもさらに前に戻していた。
四四式艦攻が制式化されたのは先の欧州大戦終盤のことだったが、その頃に採用された日本海陸軍の一線級の機体では、レシプロエンジンといえどもエンジン排気を積極的に利用する設計を採用していた。
流体力学のことはよく知らないが、高速で各シリンダーから排出される排気の流れを後方に噴出させる事で、熱気が籠もるエンジンカウリング内空気の排出や胴体周辺で生じる乱流を吹き飛ばして整流させるという効果を狙っていたのだ。
ジェットエンジンのような単純な推力としての利用ではなかったが、レシプロエンジンといえども排気の流れまで余す事なく使い切る事で機体性能の向上に努めていたのだが、それにも限界があった。というよりもそのような小手先の改善で向上する性能はたかが知れているとも言えた。
そもそもレシプロエンジンの限界は推進源となるプロペラで発生していた。エンジンの大出力化にプロペラ推進という既存の技術が対応できなかったとも言える。
既にプロペラの回転数は限界に達しており、回転数を抑えて面積を増大するのも難しかった。前方視界を考慮すればむやみと枚数も増やせないし、地上高からプロペラ径を拡大することも出来なかったからだ。
だが、そうしたレシプロエンジンの限界を、ジェットエンジンは軽々と飛び越えていた。高速性能を改善するためだったジェットエンジンは最初に戦闘機に搭載されていたが、エンジン出力の向上は日進月歩で進んでいるらしい。
なんでも四六式艦戦に搭載されていたエンジンでも、中核はそのままで補機類などの改善をしただけでエンジン出力の抜本的な改善が見られたというから、技術者達の血の滲むような思いでレシプロエンジンが成し遂げてきた無理のある多気筒化などと比べると改善は容易なのかもしれない。
おそらくは、四四式艦攻の後継機もジェットエンジン搭載機になっていくのだろう。あるいは、搭載量の大きい艦戦に爆撃照準器をつけて戦闘爆撃機として運用される可能性もあった。
爆弾倉を廃して自衛火器以外の搭載兵装をすべて機外に搭載する四四式艦攻の姿を見たものが複座型戦闘機と揶揄するのも無理はないから、実際に次世代機では戦闘機と攻撃機の境目がなくなっていくかもしれないのだ。
尤も海軍航空隊、更には空母搭載の航空隊の中でもまだレシプロエンジン機は残っていた。むしろ、現状ではジェット化されているのは艦上戦闘機のみなのだ。
奇妙な事に、艦上戦闘機としては初めてジェット化した四六式艦戦の後継として三菱が送り出した四九式艦戦が制式化しているにも関わらず、未だに四六式艦戦どころか、四四式艦攻と同時期に採用された四四式艦戦烈風までもが戦列に留まっていたのだ。
このように奇妙な事態が発生したのは、大戦終結による軍備縮小傾向が続いており安易に新型機の生産が進まなかった事に加えて、ジェットエンジン搭載機の性能がいずれも一長一短があったからでもあった。
日本軍初のジェットエンジン搭載機として空軍との共有機となった四六式艦戦は、元々は従来機から一新された機体形状で高速化を狙ったレシプロエンジン搭載の実験機として開発されていたものだった。
艦上戦闘機として採用される前には更に離着陸性能に関する改修が施されていたが、それでも着陸速度の高さや、これまでとは異なる機体形状による操縦特性の違いといった問題は少なくなかった。
その為に最近になって当初からジェット艦上戦闘機として開発された四九式が採用されていたのだが、この機体も別の意味で問題を抱えていた。
諸元上のエンジン出力は同等だったが、四六式艦戦と四九式艦戦が搭載しているエンジンは同じものではなかった。
元々、四六式艦戦などに搭載されたエンジンは第二次欧州大戦中に日本に疎開してきた英国人技術者との共同開発品だったらしいが、四九式艦戦搭載のものは純国産エンジンという触れ込みだった。
疎開してきた英国人技術者が研究していたのは、フロントファンと呼ばれるエンジン前方に本体より一回り大きい羽根車を追加する型式だった。これによりエンジン本体への空気流入や、排気流の最適化が出来る、らしい。
しかもフロントファンを装備したジェットエンジンは燃費が比較的良好という特徴があった。四六式艦戦の航続距離は四四式艦攻よりも短かったが、それでも同世代のジェット機よりは良好という話だった。
ただし、フロントファンはジェットエンジン本体よりも突出した分だけ直径が大きくなり、エンジンによる空気抵抗が大きくなるという欠点もあった。それでも元々は大口径のレシプロエンジンを搭載する計画だった為に、四六式艦戦の機体構造には意外な程違和感なく収まっていたのだろう。
そこで、新たに設計された四九式艦戦では、フロントファンが存在しない純粋なジェットエンジンを搭載して可能な限りの前面投影面積、つまり空気抵抗源の削減を狙っていた。
胴体内部はこの細身のエンジンを収める区画しか存在しないと言ってよく、尾翼も胴体上部から伸びるブームによって支えられていた。操縦席は胴体上部に収まっていたが、操縦席の風防も小型化されてまるでエンジンに跨っているような印象さえあった。
ブーム式の尾翼もあって、四九式艦戦は諸元上の寸法以上に小兵に見えていた。最近の艦上機らしく主翼も大胆に折り込まれるから、狭い空母格納庫内の取り回しもしやすかった。
可能な限り小型化した機体と純ジェットエンジンの組み合わせは、高い速度性能や上昇速度に繋がってはいたのだが、同時に同機にはこのような設計方針によって無視出来ない欠点が生じていた。
胴体内部がほぼエンジンで占められるために機内の燃料搭載量が少なく、しかも比較的燃費の悪い純ジェットエンジンが積み込まれていたことから航続距離が著しく四六式に劣る上に、小型化した機体構造では爆弾などを機外に懸架する箇所も少なかった。
純粋な対地攻撃能力はともかくとして、攻撃隊を編成するには大容量の増槽も必要だったし、大戦終盤から多用される様になっていた対空噴進弾の搭載量も限られていた。四九式を艦上戦闘機ではなく艦上迎撃機だと揶揄する声もあったが、それは必ずしも根拠のない事ではなかったのだ。
結局、着艦速度も高い四九式艦戦は、斜め飛行甲板や高性能の油圧式射出機が備えられた改大鳳型とも呼ばれる瑞鳳型や、これに準じて近代化改装を受けた大型空母への少数配備にとどまっていた。
四四式艦戦、烈風が空母航空隊に残されているのは、ある意味でももっと切実な理由があったからだ。四九式艦戦はもちろんだったが、四六式艦戦であってもジェット艦戦は大鳳型以前の空母では飛行甲板長などから運用するのが難しかったのだ。
現在の連合艦隊は、主力となる正規空母からなる航空戦隊と直掩の護衛艦となる防空巡洋艦、駆逐戦隊を一纏めとして第2艦隊を編制していたが、第4航空戦隊を構成する翔鶴型空母は、大鳳型よりもひと足早く斜め飛行甲板の追加などの近代化改装を受けていた。
航空母艦の所要量を確保するためには、第2艦隊の正規空母の中でも最古参となる翔鶴型を当分は一線級の戦力として維持する必要があるとされていたのだが、欧州大戦中盤で期待の新鋭空母として就役した翔鶴型でさえ高速のジェット艦戦を運用するには相応の改装工事が必要だったのだ。
翔鶴型以前の正規空母は、そもそも第2艦隊に配属されなかったことからもわかるように、既に一線級の戦力とはみなされていなかった。改装を受けても所要の能力を確保できないのはわかり切っていたからだ。
現在では中型空母でしかない蒼龍型は、旧式空母にかわって戦艦部隊の第1艦隊に配属されて索敵や対潜哨戒任務に就いていたし、未成の巡洋戦艦から改装された天城型は大戦中に赤城が撃沈されて戦隊を組むには支障が出ていた事もあって増加した航空部隊の支援を行うための練習空母に転用されていた。
しかも海軍が保有している空母は正規空母だけではなかった。高性能の商船を徴用して改装する予定だった特設航空母艦は大半が解体されるか再改装されていたが、それよりも簡易に戦時標準規格船から改設計されていた船団護衛用の海防空母がまだ大量に残されていたのだ。
大戦後に残存する大半が予備艦に指定された海防空母は、速力が低い貨物船を原型としているから限定的な能力しか持たないが、航空艤装だけは当時の最新鋭艦である大鳳型に準ずるものが施されていた。
そのために搭載機数の減少などに目を瞑れば、未だに大戦終盤の一線級機を運用することも不可能ではなかったのだが、それでも高速のジェット艦戦を運用するのは難しかった。
四四式艦戦が対戦闘機戦闘における劣位を覚悟しながらも航空隊に残されているのは、こうした補助的な空母に暫定的ながらも対空戦闘能力を残すためだったが、同時に同機が有する汎用性の高さも無視できなかった。
大出力エンジンを比較的小柄な機体に搭載した四四式艦戦の余剰出力は大きく、実質的な艦爆代理の戦闘爆撃機としても特に改造を施すことなく運用することが可能だったのだ。
汎用性の欠如という意味では、垣花飛曹長が操縦している四四式艦攻も人の事は言えない存在だった。本来艦攻と艦爆を統合する筈だった画期的な性能の四四式艦攻は、複座という配置のせいで完全には上位互換機とはなれなかったからだ。
四四式艦攻は、爆弾倉さえも切り捨てて、設計が進んでいた当時現実的に手に入る中では最も大出力のエンジンを搭載した傑作機だった。その搭載量は大きく、それは二式艦攻では胴体中央部に懸架するしかない航空魚雷を両翼に懸架出来る事でも明らかだった。
単純に言えば打撃力では従来機の倍を発揮できるということになるのだが、ジェット艦戦同様に汎用性という意味では些か問題を抱えているのも事実だった。
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