1950本土防空戦17
硫黄島基地の駐機所の隅に設けられていた搭乗員待機所の機能は充実していた。平時においてはこの基地は南方に向かう航空機の中継点として運用されていたから、給油と点検整備中に長時間の飛行作業で疲労した搭乗員を休息させるためだったのかもしれない。
ただし、基地中枢との連絡性は悪かった。待機所に設けられていた電話は取ってつけたような位置にあったし、広大な上に増設や統合の結果、複雑な配置になっていた硫黄島基地の司令部施設とは距離があったからだ。
桑原少佐達と一緒に隊付の輸送機で派遣されてきた整備小隊に所属する整備員の一人が、怪訝そうな顔を浮かべながらもその待機所に鳴り響いた電話機を恐る恐る取っていた。
受話器を取り上げた整備員は、同じ電話でついさっきまで桑原少佐が基地司令部に抗議するように電話していたのを聞いていた。しかも、最後の方は喧嘩腰になりながら乱暴に通話を打ち切っていたのだ。
待機所に在室していた整備員が聞いていたのは桑原少佐の声だけだったが、その調子だけで司令部とどんな会話をしていたのかは十分に想像できていたはずだった。
おそらく整備員は、基地司令部が居候の桑原少佐に怒り心頭になって叱責するつもりで電話をかけ直して来たのだと考えていたのだろう。
受話器を取り上げた整備員を視界に入れて振り返りながら桑原少佐は眉をしかめていた。実際には先程までの電話の相手だった基地司令部付の参謀は、明らかに少佐との通話を切り上げたがっていた。特に夜戦隊に害意を抱いている様子はなく、逆に関心も抱いていなかったのだ。
それ以前に、基地司令部に今更桑原少佐を叱責するような余裕があるとも思えなかった。一転して硫黄島に帰還してくる空中退避した機体の受け入れ用意で混乱する様子が電話の背後で聞こえていたのだ。
案の定、最初から腰が引けていた整備員は、すぐに怪訝そうな顔に変わっていた。周囲の隊員達からの刺すような視線にも気がついた様子がなく、受話器を持ったままで整備員は首を傾げながら周囲に向けて言った。
夜戦隊に出撃命令が下った、そう整備員がいうと、聞き耳を立てていた隊員たちは一瞬顔を見合わせてから、喜色を浮かべていた。昼間とはいえ、ようやく四五式夜戦の能力を見せる機会がやってきたのだ。
だが、今にも飛び出しそうだった隊員達に冷水を浴びせかける様に、電話機を繋いだままにしていた整備員は、おそらく電話の先から聞こえてきた言葉をそのまま続けていた。
ただし、出撃する機体は全機対空誘導噴進弾を定数まで装備のこと。それを聞くなり隊員達の顔から一斉に喜色が失せていた。中には整備員に食ってかかる勢いのものもいたが、大半は怪訝そうな顔を浮かべただけだった。
整備員の口を通しては理解が進まなかった。電話先の相手との間に余計な壁があるような気がしていたのだ。苛立ちを覚えた桑原少佐は、乱暴に整備員から受話器を奪い取っていた。
だが、結局詳細は分からなかった。電話の相手は先程と同じ参謀だった。つまり桑原少佐が電話を切ってからわずか数秒で夜戦隊への指示が180度変わった事になる。
ところが参謀の方にはそのような意識はなかった。言葉は流暢だったが、それは単に自分の考えで喋っていないからだ。おそらくは手元の通信用紙か何かに書かれていることを読み上げているだけなのだろう。
これでは単なる電話番だった。それくらいなら高級将校の参謀ではなく、半分素人の女子通信隊員でも使ったほうがまだ聞き取りやすい分ましだった。桑原少佐からしてみれば、おそらくは上級司令部、本土の防空指揮所から伝えられた内容を又聞きしているだけだからだ。
電話の相手には下手に権限があるものだから、桑原少佐が口を挟むことも出来なかった。そして全ての内容を話し終えた参謀は、予想通り以上が航空総軍防空指揮所から夜戦隊への命令だと言って電話を切っていた。
呆然として受話器を戻しながら、桑原少佐はふと考えていた。
―――そういえば、質問はあるかとも、質疑に答える時間も無かったな。
電話相手の参謀もこれ以上のことは分からないのだろう。うんざりとしながらそう決めつけると、桑原少佐は隊員達に眉をしかめながら向き直って言った。
「聞いたとおりだ。四五式夜戦に対空誘導噴進弾を装備して硫黄島基地を出撃、以後は先に離陸した空中指揮官機の指揮下に入る。整備隊は誘導弾の定数を確認しろ」
整備小隊長以下は、慌てて普段は懸架すること自体が少ない誘導噴進弾の確認に走っていた。輸送機で持ち込んだ弾薬などの消耗品の中に対空誘導噴進弾も含まれていたはずだが、それを探すところから始めなければならないのだ。
損耗がないから部隊の在庫は減ってはいないが、定期的な検査整備を除けば点検確認もしていないものだから、機体に懸架するまでには時間が掛かりそうだった。
待機所に残された搭乗員達は複雑な表情を浮かべていた。今すぐにでも出撃できると考えていたのが途端にお預けを食らった犬のようになっていた。
基地司令部からの命令に従う限りは、対空誘導噴進弾の搭載は必須だったが、弾頭の定数からすると待機中の全機に誘導噴進弾を積み込むのは出来そうもなかった。裏を返せば硫黄島で待機を強いられる機体も出てくるのではないか。
だが、桑原少佐は思案顔で搭乗員達の顔を見回しながら言った。
「整備隊による誘導噴進弾搭載が完了次第全機で出撃する」
顔を見合わせた他の搭乗員を代表するように、桑原少佐の列機を務める大原少尉が戸惑った顔のままで言った。
「しかし分隊長、先程の話では司令部の命令にどんな意味があるのかはわかりませんが、対空誘導噴進弾搭載機のみで出撃という内容では有りませんでしたか……硫黄島に持ち込んだ誘導弾の数は全機に詰め込めるほど無かったはずですが……」
「おそらく時間的にもすべての誘導弾の点検を終えて出撃するのは難しいだろう。だから、誘導弾を搭載しない機体は、いつも通りの機銃装備として誘導弾搭載機の護衛機として出撃することにする。別にこの程度のことで後方の司令部にお伺いを立てることもあるまい。
それ以前に、基地司令部の位置からでは滑走時に誘導弾を搭載しているかどうかは距離があって分からんはずだ。離陸してしまえばどうとでもなるだろう」
搭乗員の多くはそれで納得した様子だったが、付き合いの長い大原少尉は、意外と無計画で行き当たりばったり行動に出る桑原少佐の悪い癖が出たのではないかと疑っている様子で続けていた。
「基地司令部はそれで誤魔化せたとしても、この命令自体に対する疑問は残ります。
例の誘導弾を懸架した状態では、四五式夜戦の巡航速度は低下します。さらに点検と搭載作業で離陸までの時間もかかりますから、硫黄島から離陸する頃には高速で巡航しているであろうB-36を追尾するのは難しくなっているのではないでしょうか」
「そのあたりは俺にも分からんな。多分、基地司令部もあまり理解できていないのだろう。我々は、出撃したあとは例の空中指揮官機の指揮下に入るというから、夜戦隊の使い道を決めるのも連中の仕事なのだろう。
あるいは、後詰めをさせられるのかもしれんな。結局、夜戦隊は昼間の格闘戦には向いていないから……誘導弾の搭載は少しでも遠距離から攻撃できるからというだけかもしれんな」
「それでも、ここでくさっているよりもはましですか……」
どことなく自嘲的な笑みを浮かべた夜戦隊の搭乗員達は、数少ない整備員を手伝うために三々五々と待機所を出ていった。
すべての用意を終えて夜戦隊が硫黄島を連続して離陸出来た時には既に際どいタイミングになっていた。搭乗員も混じった整備員総出で1個小隊分の誘導弾を搭載し終えた頃には、空中退避した機体の着陸が迫っていたからだ。
案の定、硫黄島に持ち込んだ機材をまとめて詰め込んでいた木箱の底から掻き出した誘導弾は、点検しても通電確認出来ない個体がいくつか含まれていた。もう少し懸架作業の手間が悪ければ、哨戒機の着陸に巻き込まれて離陸が大きく遅れてしまうところだった。
半ば硫黄島基地の管制を脅す様にして、航空総軍からの命令を盾に夜戦隊の離陸を優先させると、硫黄島上空で待機を強いられている哨戒機を尻目に次々と四五式夜戦は滑走路を走り去っていった。
ただし、締まらない事に何機かはそそくさと離陸すると、身を隠すように暫く低空飛行を続けていた。下手に基地付近で上昇をかけると翼下に誘導弾を懸架していない事に気が付かれてしまうからだ。
こうなると皮肉な事に、夜戦隊の動向に硫黄島基地要員の大半が無関心だった事が幸いだったとも言えた。それでも、離陸した機内の中で桑原少佐は心の中で整備小隊長に頭を下げていた。
誘導弾の整備を急遽押し付けられたことだけではない。仮に誘導弾を搭載していない四五式夜戦が同時出撃した事に気が付かれてしまった場合は、真っ先に駐機場に残された中では最先任の士官である整備小隊長が詰問されるだろうからだ。
硫黄島基地から十分に距離をとってから、夜戦隊は徐々に上昇を開始していた。
現在のB-36がとっている高度は不明だが、公開されていた情報を分析する範囲では、戦闘機の迎撃を高高度、高速で振り切るという方針の機体らしいから、日本本土に接近して迎撃機と会敵する可能性が高い状況では、飛行高度はかなり高くとっていると思われたからだ。
B-36をまともに迎撃しようと思えば高度一万メートル近くまで上昇しなければ上を取られてしまうのではないか
だが、桑原少佐達が重い誘導弾を抱えながら上昇を開始してすぐに明瞭な声が聞こえていた。こちらの符丁を呼んだ後に、空中指揮官機の符丁を告げていた。
思わず桑原少佐は、胴体側面に視線を向けていた。そこには四五式夜戦に標準搭載されている敵味方識別装置の空中線が存在していたからだ。
英国製と同規格の敵味方識別装置は、今や夜間戦闘機には必須の電子兵装だった。装置は主に送信機と応答機の2つで構成されていた。友軍から発振された質問波と呼ばれる特定の波長の電波を受信すると、機内の装置本体で加工された情報を発振するのだ。
敵味方識別装置から発振される電波情報は固有のものだから、これにより敵味方の識別が可能となり、錯綜する夜間戦闘で発生しがちな同士討ちを避ける事ができる優れものだった。
なんでも英国で発明された当初は友軍の捜索レーダーの波長を強く返すだけのものだったらしいが、波長の異なる多種のレーダーが次々と実用化された事で敵味方識別専用の装置に収斂されていったらしい。
四五式夜戦に搭載された敵味方識別装置は、原型機から改良された日本製のものだったが、発振される電波の波長等の情報は英露満など友好国軍とも共通化されていた。
当然だが空中指揮官機にも同様の装置が搭載されているはずだった。実験機段階らしい同機のことは桑原少佐にもよく分からないことが多かったが、その名の通りの指揮能力があるのであれば、当然ながら敵味方識別装置は最新のものが搭載されているのではないか。
あるいは複数系統の送受信が可能な大型機を積んでいるという可能性もあった。
いずれにせよ離陸直後から空中指揮官機は夜戦隊の詳細を把握してるはずだった。案の定、桑原少佐の耳には夜戦隊が発射可能な誘導弾の数を尋ねる不審そうな声が聞こえていた。
おそらく空中指揮官機では、予想外に多くの数の四五式夜戦が離陸してきたことも正確に把握しているのだろう。
いくらなんでも、戦局に関わってきそうなここで適当な数を言うわけにはいかなかった。桑原少佐は意を決すると、正直に誘導弾を実際に懸架している小隊分の数を言った。
最初の声が不審そうな声音で何かを続けようとしたが、すぐに相手が変わっていた。ただし通信機自体は変わっていなかった。おそらくは、空中指揮官機内の別の人間に変わっていたのだろう。
しかも無線に変わったのは上級者だった。そうでなければ無線連絡への割り込みなど出来ないはずだ。
どこか聞いたことがあるような声は、含み笑いをしつつも事務的な内容で夜戦隊に細かな巡航高度と正確な針路を指示していた。どうやら空中指揮官機の管制に従っていれば最適な軌道で敵編隊を追撃出来るようだった。
だが、桑原少佐は首を傾げながら四五式夜戦の操縦桿を傾けていた。どこかで会ったような気がする声の相手もそうだったが、針路はともかく指示された高度は意外なほど低かった。
―――攻撃寸前までは巡航高度でいけと言うことだろうか……この指揮官は夜戦の上昇速度を把握しているのだろうか……
首をかしげたままの桑原少佐を乗せて、ゆっくりと四五式夜戦は針路を変えていった。
四五式夜間戦闘機電光の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/45nf.html
五二式重爆撃機の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/52hb.html