1950本土防空戦13
―――これでは朝令暮改を通り越して単なる支離滅裂だ。
四五式夜間戦闘機電光の操縦席で、桑原少佐はうんざりとした顔でそう考えていた。
桑原少佐が四五式夜間戦闘機に乗り込んだのは制式化から間もない時期だったから、既に五年近くも同機を操縦しているのだが、今日の飛行は違和感が拭い去れなかった。
違和感の正体には心当たりが多すぎた。移駐から間もない硫黄島基地からの離陸もそうだったし、夜間戦闘機が離陸するにはまだ日が高かったのもその一つだった。離陸するには楽だったが、これでは着陸するのは真夜中になってしまうのではないか。
尤も司令部が夜間戦闘機隊に何をさせたいのかはよく分からなかった。周囲は明るく滑走路の状態は良かったが、離陸距離はいつもより長かった。今日は重量物を内翼部に抱えていたからだ。
桑原少佐が感じていた違和感の原因の一つは、左右内翼部に積み込まれた対空誘導噴進弾だった。爆弾に噴進弾を括り付けたような対空誘導弾は、後席からの操作で誘導が可能な画期的な兵器という触れ込みだった。
ただし、桑原少佐は何度かの実射試験を除けば対空誘導弾を使用した経験は無かった。夜戦部隊で使用するには不利な点が少なくなかったからだ。夜間戦闘機ばかりを装備した部隊は日本空軍でも少なかったが、運用が難しい上に高価な誘導弾を主兵装に据えた部隊は無いのではないか。
誘導弾の構造は複雑だった。弾頭部分は従来使用されていた噴進弾と変わらないのだが、後端に据えられた動翼を操作することで上下左右に変針させることが可能だった。
後部席に追加された操縦桿の操作は、電波で誘導弾に送られて動翼を稼働させる電動機に伝わるらしい。この構造自体はすでに誘導式の爆弾に使用された実績があるのだが、問題は夜戦での使用という点にあった。端的に言って誘導弾の開発者は夜間戦闘の実際を理解していなかったのではないか。
対空誘導噴進弾は元々複座の艦上攻撃機で運用することを前提に開発が進められていたものらしい。開発時期からすると現行の四四式艦上攻撃機、流星が母機に想定されていたのだろう
四四式艦攻は、艦上攻撃機と言いながらも従来の艦上爆撃機を兼ねる万能攻撃機としてまとめられた機体だった。というよりも大出力エンジンと頑丈な機体の組み合わせが艦上攻撃機に急降下爆撃も可能とさせていたのだろう。
ただし、今では戦術として損耗の多い急降下爆撃が多用される可能性はそもそも低下していた。また同時に従来通りのやり方では航空魚雷の使い道も限られる筈だった。
四四式艦攻は特定の兵装に特化した機体ではなかった。汎用性を高めたといえば聞こえは良いが、実際には大戦中の混沌とした戦況を受けて、機体開発時には主に使用することになる兵装を絞り切れなかったのが原因なのだろう。
そのせいで四四式艦攻は機内から爆弾倉を排除していた。戦闘機の様に研ぎ澄まされた胴体内部には燃料槽や構造材しか配置されておらず、銃兵装を除けば、爆弾も魚雷も搭載される全兵装が胴体下や主翼下に懸架されていた。
そのおかげで四四式艦攻はどの様な兵装にも対応できる万能機としての評価を得ていたのだが、全兵装の懸架は同時に空気抵抗の増大をも招いていた。対艦兵装を満載して攻撃隊を編成した場合、増槽以外の搭載物がない艦上戦闘機との速度差が大きなものとなっていると聞いていた。
同時期に採用されたレシプロエンジン機の四四式艦上戦闘機烈風はともかく、制式時期には殆ど差がないがジェットエンジンを搭載した四六式艦上戦闘機震風と編隊を組むのは難しいのだろう。
爆弾倉のない四四式艦攻の利点が評価され始めたのは制式化からしばらくしてからのことだった。機体が制式化された後に採用された兵装も、大半は特に改造などする事なしに搭載する事ができたのだ。
これが四四式艦攻以前に採用されていた二式艦爆や二式艦攻などであれば、胴体下部の爆弾倉内寸で搭載可能な兵装が限られるか、大型化した兵装を抱えて不格好に爆弾倉扉を開いたままで進撃せざるを得なかったはずだ。
昨今は次々と新技術が開発されていったものだから、航空機に搭載される兵装もどのように進化するのか予想するのは難しかった。あるいは、四四式艦攻は当初からそのような技術開発体系の不透明さに対応しようとしたものだったのかもしれなかった。
対空誘導噴進弾も第二次欧州大戦終結後に新規に開発された体系の兵器だった。ただし、元々は対空用ではなく、対地、対艦兵器である誘導爆弾の技術体系を応用したものだったらしい。
艦攻用の搭載兵器であるにも関わらず対空兵装が開発されたのは、対空誘導弾が専用の操作員が必要となるという運用上の制限があったことに加えて、艦隊にとって重爆撃機の脅威が向上していたからだった。
対空誘導弾を操作するのは、操縦員ではなく同乗する偵察員の仕事だった。端的に言って誘導弾は母機から発進する子機の様なものだった。
誘導弾の操作は母機に加えてもう1機の航空機を操作するようなものだったから、戦闘中に操縦員が同時に2機を操るには難しかった。単座の戦闘機で運用するのは、投下後はひたすらに直進するだけの噴進弾が精一杯だったのだ。
また対空誘導弾の操作には高い技量が必要だった。標的と誘導弾の双方を確認して誘導を行わなければならないからだ。その操縦性の難しさだけが理由とは思えなかったが、誘導弾の機動性はさほど高くはなかった。
当然のことだが、対空誘導弾の初速は発射母機からの投下高度や速度に左右されていた。対空誘導弾の噴進機関はジェットエンジンではなかった。単純な構造で酸化剤を含む固体燃料を使用するもので外来語だとロケットというものらしい。
誘導爆弾の場合は弾体の位置を操作員に示すために電球を灯すものもあるらしいが、対空誘導弾の場合はロケットエンジンから吐き出される火炎流で位置を確認するのは容易だった。
だが、操作員は機体から離れていく誘導弾と標的の双方を視界に入れて命中させるまで視線上で一致させていかなければならなかった。これは対空兵器として不合理な機構だと言えた。
つまり誘導弾は発射母機と標的、誘導弾の3つの系の間に広がる差異を修正しながら飛行しなければならないからだ。しかも誘導系は発射母機からの視界によるものなのだから、誘導弾の軌道は最適なものとはなり得なかった。
対空誘導弾を使用する標的は主に重爆撃機であるとされていたが、実際には鈍重な重爆撃機以外には命中は期し難いということではないか。相手が不動か精々時速数十キロ程度の艦艇が目標の誘導爆弾の技術体系を流用したことで操縦は格段に難しくなっていたのだ。
少なくとも標的も母機も複雑な回避機動を行うことが前提である空対空兵器とすれば、誘導系は誘導弾自体に置くべきだった。そうなれば発射母機の系は無視して誘導弾と標的の系のみを考慮すれば良くなるからだ。
桑原少佐が考えるまでもなく、実際に誘導弾自体に操縦系を委ねるという案自体は既に存在するらしい。自己操縦系を組み込んだ誘導弾そのものは高価になるが、熱源の追尾を行うか誘導弾に簡易なレーダーを組み込むという案だという噂だった。
もしかすると本来はそうした誘導弾の方が開発計画の本命だったのかもしれない。開発期間の短縮、つまり早期に実用化させる為に誘導機構を対艦、対地攻撃用の誘導爆弾から転用した事が現状の不条理を生んでいたのではないかと桑原少佐は考えていた。
裏を返せば、それだけ対艦誘導爆弾を高高度から投下する重爆撃機が脅威となっていたということなのだろう。
対艦誘導爆弾が実戦に投入されたのは、イタリア王国が枢軸勢力を見限って単独講和に走った時のことだった。
密かにイタリア王国内の講和派と通じていた国際連盟軍は、首都ローマをドイツ軍の占領から保護する為に電撃的な上陸作戦を敢行していたのだが、周辺海域を制圧する為に出動していた英国海軍の艦隊はドイツ空軍の誘導爆弾攻撃を受けていた。
それ以前から重爆撃機を使用した高高度からの水平爆撃は一般的な戦術として用いられていた。弾頭を重力に引かれた重量物の徹甲爆弾は、海面落着時には戦艦主砲並の運動量を蓄えているからだ。
実際にローマ沖の英国艦隊は、旧式艦とはいえ大型艦である空母や重巡洋艦を一撃で沈められていた。高高度からの水平爆撃は重装甲の戦艦でも無視できない威力だったのだ。
ただし、水平爆撃がこれまで多用されなかったのは命中精度の低さがあったからだ。高高度から速度を稼ぎつつ落下する爆弾は、落下中に風向きの影響などで照準点からどうしてもずれてしまうのだ。
この外力の影響を完全に観測するのは難しかった。威力を維持する為に高度を上げた投弾機からでは、海面や中間高度の気象条件を正確に把握するのが難しいためだった。投下高度の風向きと強さを正確に観測することが出来たとしても、海面までの広い範囲で条件が一定とは限らないのだ。
しかも、重力に引かれて加速されて最終的には高い速度に達するとはいえ、高高度から投下しても海面まで落着するには時間がかかっていた。だから腕の良い艦長であれば投弾の瞬間を読み切って回避するのは不可能ではないのだ。
こうした命中精度の低さを補うために、重爆撃機が水平爆撃を行う際は、散布界内に目標を囲むように編隊で一斉に投弾する公算爆撃を行うのが常道だった。
ところが、誘導爆弾を使用した場合は、これらの不利点を一掃して高高度からの水平爆撃を現実的な戦術とすることが可能だった。投弾した母機からの操作で後端の操縦翼を操作することで、落下中の外力による影響を補正して標的に誘導することが出来たからだ。
夢物語などではなかった。ローマ沖での戦闘では編隊による公算爆撃ではなく、ドイツ空軍の爆撃機は一機づつが投弾して次々と英国艦を沈めていったのだ。
実際の運用上には問題点もあるらしいが、ドイツ空軍からローマ沖海戦で使用されたものと同型の実物を含む技術体系を接収した日本空軍は、同様の誘導爆弾を一部の部隊で運用していた。
しかも、大戦中のドイツ空軍の記録を精査すると、ソ連軍にもドイツ製誘導爆弾の実機が渡っていることが判明していた。
尤もドイツ空軍が実戦投入する前から日本軍でも海陸軍共同で誘導方式の研究は独自に進められていた。ソ連軍やそれに影響を受けた米軍でも同種兵器が実用化されるには時間の問題だったとも言える。
特に米陸軍航空隊は欧州大戦の戦間期に軍縮条約で破棄された戦艦を用いて、重爆撃機による爆撃試験を行っていた。その際に戦艦が沈んだのは、停止中で応急工作を行う乗員もいなかったからだという声も大きかったが、米軍が水平爆撃の威力に大きな期待をかけていたのは間違いないだろう。
実際何年か前に当時米陸軍航空隊重爆撃機の主力だったB-32を用いた爆撃実験が報道されたことがあったから、誘導爆弾を米軍が実用化していたのは確かだった。
新たな脅威となった重爆撃機は、艦隊にとって意外と厄介な存在だった。これまで対艦攻撃の主力であった艦上攻撃機などと比べると格段に飛行高度が高いからだ。
その代わり単発かせいぜい双発の艦上機と比べると重爆撃機は鈍重なものが多かったから、大遠距離から艦上攻撃機が使用する対空誘導弾が急遽開発されていた。
しかも、海陸軍から兵部省隷下に移された技術開発部で開発されていた対空噴進弾に、実用化されたばかりの誘導爆弾の誘導機器周りを組み合わせる形で急遽兵装体系に加えられた、らしい。
だが、本来艦上攻撃機用の誘導弾を夜間戦闘機である電光にそのまま載せるのは無理がある。それが大戦中盤から夜間戦闘機ばかりに乗り込んでいた桑原少佐の感想だった。
四五式夜間戦闘機電光の設定は下記アドレスで公開中です。
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四四式艦上攻撃機流星の設定は下記アドレスで公開中です。
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四四式艦上戦闘機烈風の設定は下記アドレスで公開中です。
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二式艦上爆撃機彗星の設定は下記アドレスで公開中です。
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二式艦上攻撃機天山の設定は下記アドレスで公開中です。
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