1950本土防空戦12
ドイツ軍が先の大戦に投入したような初期のジェットエンジンは、本来はレシプロエンジンと比べると繊細な扱いが必要なものだった。その原理上、従来のレシプロエンジン機のような乱暴な扱いは出来なかったのだ。
無理な機動をすればエンジンへの空気流入が途絶えて簡単に燃焼が停止してしまうし、空気吸込量が多いから地上走行中にエンジン内にごみを吸い込む可能性も高かった。
だが、これまで各国の航空部隊が野戦時に展開していた飛行場はただの野原という場合も多かった。工兵隊が設営した基地であっても、単に離着陸の邪魔になる木々を伐採して整地しただけといった簡易なものも少なくなかった。滑走路も転圧してあればいい方だろう。
独ソ戦の戦場となったソ連西部は泥濘地や穀倉地帯が広がっていたから、野戦飛行場の適地を探すのも一苦労だったのではないか。それにドイツ軍の工兵が優秀であっても急進撃するソ連軍に追われる様に設営していたのでは、飛行場の規格は貧弱極まりないものだったのだろう。
対米戦が勃発した際に、主力となる対艦攻撃部隊を南洋諸島に急速展開するという作戦計画を海軍航空隊から引き継いだ日本空軍にとっても、ドイツ軍の戦訓は無視できなかった。
南洋庁の協力を得て、海軍航空隊時代から南洋諸島各島の航空基地建設予定地は念入りに調査されていたから、泥濘のウクライナ平原に設けられたドイツ空軍の野戦飛行場に比べれば遥かに条件は良かったが、それでもジェット・エンジンの地上での脆弱性からすれば程度問題に過ぎなかった。
理想を言えば、高速のジェット機、特に爆撃機のような大型の機体を満足な稼働率で運用しようとすれば、整地、転圧後にコンクリート舗装された永久構造が必要だった。
しかも、エンジンへの異物吸い込みを避ける為には、滑走路だけではなく機体が地上走行する誘導路や駐機場までコンクリート舗装する必要があったのだが、これまではよほど条件の良い本土の基地でもない限りそこまで高規格の設備を整えた基地は無かった。
単に滑走路をコンクリート舗装するだけなら設営隊に機材を追加すれば、施工自体は難しくなかった。元々機械化された昨今の設営部隊は戦闘部隊ではないにも関わらず重量級の装備を数多く保有していたから、舗装工事用の機材が加わったくらいでは部隊自体を輸送する手間暇は大して変わらなかったのだ。
既に内地の本格的な航空基地の中にはジェット化に当たって全面的にコンクリート舗装されたものも珍しくなかった。追加の舗装工事も軍内の設営隊の手で工事は行われていたから、一部の設営隊にはその能力が既に備わっていた。
ただし、その改良工事によって基地はある意味で脆弱性が高まってしまっていた。これまでの整地後に転圧されていただけの滑走路に対して、コンクリート舗装された場合は、爆撃を受けた際には格段に修復までの工数が増大していたからだ。
爆撃跡を埋め戻す前には広範囲に散らばったコンクリート片を除去しなければならないし、最終的にコンクリート舗装まで修復しても重量物が連続して移動する離着陸時に必要な強度に達するまでは乾燥期間も必要だった。
そもそも内地ならばともかく、離島の場合は大量のコンクリートを含めてすべての物資を船便で送らなければならないから、機材だけではなく現地で調達すること出来ない資材まで含めると遠隔地ほど輸送部隊の負担はこれまでよりも格段に増大するのではないか。
一時期は日本空軍内ではテニアン島の事前基地化も議論されていた。予め内地の基地並みに設備の揃った航空基地を開設してしまおうとしていたのだが、実際にはトラック諸島以外の南洋諸島に本格的に設営隊が投入された航空基地が建設されることはなかった。
南洋諸島どころか、本土の航空基地自体がジェット化に伴う統廃合が進められており、空軍に所属する設営隊は大半が本土の工事に投入されていたからだった。
日本空軍誕生後に閉鎖されたり、滑走路が廃止、あるいは回転翼機や練習機などの二線級部隊に用途が限定された基地は少なくなかった。工業用地などとして払い下げの対象となったり、人口密集地でなければ射爆場や陸軍の演習場などに転用された基地もあったのだ。
表向きは大戦終結による過剰設備の整理ということになっていた。航空基地の数が平時には過剰であったのは事実だったが、実際には単に空軍発足に前後して採用された高速機を運用するには、戦前から運用されていた基地の多くは規格が貧弱だったからだ。
その証拠に統廃合の結果として残された基地のうち、主力となるジェット機を運用する箇所は滑走路などが拡張されており、一部では周辺の土地を買収して逆に基地面積の拡大までされていたのだ。
航空基地の適地となる平坦な地形に乏しい父島の基地も閉鎖対象の候補となっていた。現在の飛行場は滑走距離の長い新鋭機の離発着には適さない上に、地勢上拡張は大規模で困難な土木工事を行わない限り難しいからだ。
それに最小の工数で滑走路が設定できるような広大な平坦地が離島にあったとしても、とうの昔に居住地か耕作地に使用されているだろう。
逆に人口に乏しい硫黄島は分散していた滑走路を統合する形で高規格化がなされており、おそらく近い将来は父島の航空基地機能も硫黄島に集約されることになるだろう。
だが、こうした軍拡の一環とも言える航空基地機能の強化は軍内の設営隊ばかりではなく輸送部隊に掛かる負荷も大きかった。結果的に外地の基地化はおざなりなものになっていたのだ。
尤も、外地の防備強化が等閑に付されていたのは航空機関係だけではなかった。むしろ日本軍全体が大戦終結後の再編成の中で、航空部隊の急速展開という方針が有名無実化した上で南洋諸島の防衛をどう行うのか、その点を真剣に議論している余裕をなくしていたのだと言えた。
本土駐留の航空総軍司令部からは外征部隊の動向は正確には分からなかったが、海軍は大戦中に基地化が進んでいたトラック諸島の防衛に重きを置いていた。トラック諸島の防備さえ固めておけば、南洋諸島の防衛も自ずと可能となると考えていたようだ。
南洋諸島に隣接する米国の拠点は、米本土とフィリピンを結ぶ航路上にあるミッドウェーとグアムに集中していた。そのために開戦前の想定では対米戦が勃発すれば、まずはグアムをめぐる戦闘が開始されると考えられていた。
グアム島に陣取る米軍から見た場合、日本本土やその間に広がるマリアナ諸島、小笠原諸島に攻め込もうとする場合、後背に位置するトラック諸島を最初に制圧する必要があった。
裏を返せば、トラック諸島さえ無事であればテニアン島の基地化や南洋諸島からの邦人を退避させる時間的な余裕も出来るのではないかと日本軍は考えていたのだ。
開戦初撃でトラック諸島が戦艦群と共に壊滅した事でこうした日本軍の思惑は崩れていた。トラック諸島を占領した米軍が返す刀で南洋諸島は敢え無く占領下に置かれるのではないか、茫然自失の中で日本軍内部ではそうした予想が大半を占めるようになっていた。
ところが、トラック諸島占領後は米軍の動きは鈍かった。東太平洋ではハワイ王国を占領して盤石の後方支援体制を整えているものと思われたのだが、フィリピンから南洋諸島に至る西太平洋では開戦の勢いは乏しかった。
勿論、現状では日本軍が即座に反抗に出るのは難しかった。当分は受け身の態勢で戦力を温存しつつ、大戦後に予備役となっていた将兵や装備に動員をかけていくしかないのではないか。
マリアナ諸島など南洋諸島からの邦人退避も実質的に南洋庁に委ねられていた。当初は、邦人も現地で玉砕するしかないと悲観的な見方も多かったのだが、米軍が一向に侵攻してこないのを見て大胆な脱出計画を実施するものも出ていた。
普段から少数の南洋庁職員程度しかいない離島の中では、寄港中だった遠洋漁船に数少ない邦人や脱出を望む現地人協力者を詰め込めるだけ詰め込んで、行く宛もなく北方に船出していたものもあるらしい。
そんな悲喜劇的な脱出行はともかく、開戦以後の意外な程鈍い米軍の動きは最近になって議論の的になっていたのだが、防空指揮所の当直将校はあっさりと自分の推測を言った。
「そもそも米軍は、時間をかけてサイパンや硫黄島を攻略する必要性を感じていないのではないでしょうか。言い換えれば、グアム島以外の拠点はこの戦争において必要ないと考えていると思われます」
そう言われても、荘口中将は即座には首肯しかねていた。防備が固められた硫黄島はともかく、サイパンやテニアンは単に米軍が両島が無防備な状態におかれていることにまだ気がついていないだけではないか。
それに使用できる拠点がグアム島だけでは米軍の攻撃隊は規模を拡大できなかった。いつまでも僅か50機規模の攻撃隊で米軍が満足するとは思えなかったのだ。
グアム島から日本本土中核までの距離は往復で5000キロにも達する。長距離爆撃に特化した大型爆撃機ならば往復の爆撃行に投入できるが、護衛戦闘機の随伴は難しいだろう。
それに長距離爆撃中に不調をきたした機体の不時着地や航法支援用地としても、中間点となる小笠原諸島に拠点があれば作戦の遂行は確実に容易になるのだ。
だが、当直将校は荘口中将の疑問に自信有りげな様子で言った。
「逆に、米軍は50機の編隊で十分だと考えているとは考えられませんか」
まるで謎掛けだった。これまでの情報からB-36の爆弾搭載量は30トン程度と考えられていた。つまり50機編隊で1500トンという膨大な量になるのだが、先の大戦では英国空軍が一夜で1000機もの爆撃機を投入してドイツの大都市一つを破壊し尽くしてもなお戦争は終わらなかったのだ。
帝都が空襲を受ければ軍上層部にかかる圧力は相当なものになるだろうが、むしろ国民が激昂して報復を叫びだす可能性も高いのではないか。
荘口中将は要領を得ない顔を浮かべていたが、当直将校は辛抱強く続けた。
「米軍は例の……トラック諸島に投下されたという新型爆弾を本格運用するつもりではないでしょうか。トラック諸島では僅か10機程の編隊が新型爆弾で艦隊を殲滅したと聞きます。
通常爆弾の場合は、50機の超重爆撃機が全機投弾に施工しても都市一つを吹き飛ばして終わりですが、新型爆弾であればトラック諸島の先例からして10機編隊五個で一つずつの大都市を吹き飛ばせます。
しかも迎撃対象が分散されますから、本土付近で迎撃体制を整えつつある我が戦闘機隊も効率の悪い戦闘を強いられることになります。おそらく現状では仮にここから五個編隊に分散されれば全編隊に手当を充実させるのは難しいでしょう。
……参謀長は、仮に日本の5都市……例えば東京、大阪、京都、名古屋、神戸、この全てに新型爆弾を落とされた場合も戦争を継続する意思を維持できると思いますか。何なら、東京のかわりに横浜を潰して降伏を呼びかけられた場合、これに抗し切れるでしょうか……」
唖然とした表情を浮かべながらも荘口中将は先程自分自身で考えていたことを思い出していた。
―――もしも一撃で都市を破壊しうる程大威力の兵器があれば、直接敵国本土を狙う戦略爆撃は成立しうる。
その表情から自分の判断は通じたことを察した当直将校は、力強くうなずきながらいった。
「もはや敵重爆撃機は一機も我が本土に侵入させてはいけません。我々は、全軍を持ってこれに対処すべきです。各軍港の艦艇による対空火力や対空兵装を有する艦上攻撃機も全て投入出来るように参謀長から統合参謀部への連絡をお願い致します」
荘口中将も苦々しい表情で頷いていた。確かにこれは航空総軍の立場で図らなければならない事態だった。