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1950本土防空戦10

 航空総軍は日本空軍の本土に駐留する部隊を統括する組織だったが、そのなかでも防空指揮所は高い権限を有していた。航空総軍隷下にあるものだけではなく、海軍の戦闘機隊も有事の際は指揮下におけるからだ。

 海軍航空隊の基地航空隊主力が空軍に編入された後も、哨戒機部隊の他に母艦航空隊の予備部隊も海軍に残されていたのだが、この予備部隊も戦闘機隊に限り本土防空戦闘の際は防空指揮所の指示に従うことになっていたのだ。



 どちらかといえば、本土駐留部隊の管理部隊という性格が強い航空総軍の中で、防空指揮所とこれを管理する飛行師団の権限が高められていたのは、英国本土航空戦の戦訓が反映されていたためだった。

 先の第二次欧州大戦序盤、フランス本国を陥落させたドイツは、余勢を駆って英本土上陸を狙っていた。その前哨戦として英本土には激しい航空撃滅戦が繰り返されていた。上陸に先立って最大の障害となる英国空軍を無力化するためだ。


 ところが本土駐留部隊の区割りなどの問題から、本土航空戦が開始された当初の英国空軍は戦闘正面となったロンドン周辺に戦力を集中させる事が出来なかった。

 結果的に少数の防空戦闘機部隊だけでドイツ空軍に立ち向かう事を余儀なくされた英国空軍は、レーダーや指揮機能の近代化でこれを迎え撃っていたのだ。


 英国本土航空戦においては、亡命政権軍の搭乗員まで動員した英戦闘機隊の奮戦も無視はできなかったが、何よりも指揮系統の効率化がもたらした影響が大きかった。各地の監視拠点から戦闘機軍団司令部に集められた情報を駆使して、数少ない戦闘機隊を有効活用する体制が構築されていたからだ。

 英国空軍は、本土航空戦において戦略的には遊兵を作り出していたものの、戦術的には徹底して遊兵を作らない事でドイツ空軍の猛攻をしのいでいたとも言えた。



 先の大戦中に陸軍航空隊の組織として編制された航空総軍は、この英国本土航空戦の戦訓を反映されて作られたものだった。総軍司令部内の設備と部隊の双方を意味する防空指揮所は日本全土の防空部隊の統一指揮を行うことが求められていたからだ。

 防空指揮所の中核である作戦室内のハードウェアは当時の英国製のものよりも洗練されたものだったし、何よりも法的に三軍をまたぐ指揮権も確立されていた。

 戦闘正面だけではなく、後詰として日本本土全体に散らばる航空総軍隷下の部隊を移動させる事も出来たし、防空戦闘に限れば海軍航空隊への指示も適法化されていたのだ。


 同時に、防空指揮所の機能は、基本的に24時間いつでも稼働しているのが建前だった。大規模修理でもない限りは指揮所内の作戦室や情報室内の操作員は直交代を行っていたから、要員を一日中任務につかせていたのだ。

 現在は本土駐留の飛行師団が指揮所の運用を行っていたが、いずれは総軍内部に中央防空指揮所の運用に特化した専門部隊を作るべきではないかという議論もあった。

 先日米軍の奇襲攻撃で開戦に至った為に、防空指揮所は全力で稼働していたのだが、これは飛行師団司令部にとってはかなりの負担になっていた。

 しかも操作員だけではなく、24時間稼働するということは防空指揮所の指揮官も交代制とする必要があった。法制上は航空総軍司令官から権限を移譲された師団長が指揮所の指揮官だったが、実際には更に当直将校が権限を移譲されていた。

 当直将校には老練な佐官級将校が充てられていたが、飛行戦隊か飛行団長が精々の階級で日本本土全体の防空指揮を取らなければならないのだから、権限と責任は階級に比して大きかった。



 法的にも本来は当直将校は日本中の戦闘機に命令を下すことが可能だった。当然各部隊に全力での出撃を命じるのも当直将校の判断だけ行えるはずだったから、航空総軍参謀長である荘口中将に当直将校が相談する必要は無かった。

 当直将校の判断があからさまに誤っていると判断されれば、上級司令部である航空総軍司令官が制止することもありうるが、今の所は作戦室内に再現された情報を元にした当直将校の判断は、荘口中将と相違無かった。

 一方的とまでは言えないものの、硫黄島周辺で敵爆撃機の詳細位置を確認できた現状は我に有利であると言えた。空中指揮官機が敵編隊の位置を正確に把握し続けられるのであれば、本土から出撃した戦闘機隊も余裕を持って理想的な迎撃体制を構築できるのではないか。

 何か当直将校には迷いがあるとしか思えなかったが、荘口中将にはにわかにその理由が分からなかった。



 だが、実際には荘口中将と当直将校では全力出撃という言葉自体に差異が生じていた。要領を得ないといった顔の荘口中将に失望した様子も見せずに、当直将校は諭すような口調で言った。

「総軍参謀長は、この状況をどう判断されますか。状況からすると、敵機が硫黄島を襲撃する可能性はなくなったと思われますが……」

 地図盤に視線を向けながら荘口中将も頷いていた。南方の宇津帆島周辺で最初に発見された時点では敵編隊の詳細は不明だった。北上する敵機はB-36と思われるという視認情報が伝えられた程度だった。

 狭義の日本本土としては最南端と言われる同島は辺境も辺境だったから、守備隊といっても監視哨程度の機能しかなかったはずだった。


 敵編隊が発見された時点では、防空指揮所は敵機の攻撃目標が硫黄島か小笠原諸島である可能性もありうると判断していた。

 宇津帆島からの報告では北上しているというだけで詳細な方角は不明だったし、そもそも敵編隊が欺瞞針路をとっている可能性もあるから、この時点では正確な目標を確認する事など不可能だったのだ。


 警報を受けた硫黄島や父島では蜂の巣を突いたような騒ぎになっていたのだろう。現地では対空戦闘の準備をしつつも稼働機の離陸が相次いでいた様子が地図盤からでも伺えた。

 その一方で迎撃に向かう戦闘機隊の姿は少なかった。元々現地の守備部隊はさほど多くはない。開戦を受けて守備隊の増派が検討され始めていた所だったが、間に合ったのは若干の監視部隊だけだった。

 だから離陸した機体の多くは、実際には哨戒機や輸送機などの空中退避する機ばかりだった。


 硫黄島や父島が空襲を受ける可能性が考えられたのは、南方の小笠原諸島が日本本土の中核を防衛する外郭陣地としても機能していたからだ。

 要塞化がどの程度進行しているかを米国が正確に把握していたかどうかは分からないが、日本本土から南方のトラック諸島などに向かう航空機の中継点として機能していることは少なくとも以前から確認していた筈だった。



 その後硫黄島から離陸した空中指揮官機のレーダー観測によってようやく敵機編隊の正確な針路や概略の機数が確認されていた。

 敵編隊は中高度を保ったまま北上を続けていた。宇津帆島周辺海域から硫黄島に向かう針路よりも東に偏っていた敵編隊は、硫黄島の目視圏内どころか地上配置レーダーの観測でも発見が難しそうな間隔を保ったまま、本州中央部に向けて北上を続けていた。

 公開された情報によればB-36の航続距離は長大なものだったから、現在の針路が欺瞞であるという可能性は残されていた。最接近時は小笠原諸島にもう少し近づくはずだが、それでも針路はずれていた。


 この時点で硫黄島や小笠原諸島が目標となることはなさそうだった。仮に欺瞞針路をとって本州側からそれらの島嶼部を襲うとしても、既に変針しているはずだった。

 そうなると、敵機の目標は本州の何処かということになるだろう。B-36の航続距離ならば、本州を爆撃してグアムに帰還するのは容易ではないか。



 だが、荘口中将がそう自分の推測を伝えると、当直将校は眉をしかめていた。

「しかし……米軍はこの少数機でどこを爆撃するとお考えですか」

 そういいながら当直将校は態勢表示盤に視線を向けていた。

「空中指揮官機からのレーダー観測情報によれば、敵編隊は50機程度と報告されています。

 空中指揮官機に搭載された新型レーダーの試験結果は自分も確認しましたが、同機の現在位置と敵編隊との距離や角度を考慮すると、十分な分解能を有していると判断します。つまり、この50機という数値は概ね正しいものと判断できます。

 しかし、50機という数値は本格的な爆撃作戦に投入するには少数であるとは思われませんか。地勢的に脆弱な硫黄島や父島を叩くならばともかく、防備の充実した我が本土中核に突入させるにはあまりに過小と言えます。

 本来であれば、100機単位の大規模編隊を組んで自衛火力を強化し、更に波状攻撃を加える事で我が方の防衛体制を飽和させるのが先の大戦の戦訓からも常道であると考えます。

 これを鑑みると現在の敵編隊規模では徒に損害を増すだけではないでしょうか。これが通常の攻撃であれば、ですが」


 当直将校が最後に言ったことが妙に気になったが、その前に荘口中将は当直将校の判断が防御側からの視線に偏り過ぎている気がしていた。

 防空指揮所の指揮官としては当然とも言えるが、今の当直将校は確か先の大戦では日本帝国が正式に対独参戦する前から英本土に観戦武官扱いで渡っていた士官の一人だった筈だ。

 英国本土航空戦の頃から戦闘機軍団の司令部、つまりこの防空指揮所に相当する部署に連絡将校として勤務していたと聞いていたのだ。


 一方で荘口中将の飛行分科は爆撃だった。大戦中の主力爆撃機となった一式重爆撃機に関しては、制式採用前から大戦終盤の高高度爆撃に対応した四型まで実際に乗り込んでいた数少ない上級将校だった。

 だから、当直将校とは異なり、荘口中将にとっての大戦は戦隊長や飛行団長として率先して重爆撃機編隊を率いる立場ばかりだった。その経験から、超重爆撃機の運用の難しさは理解していた。



「敵機はB-36と思われるということだったな。新鋭の同機に関しては不明な点も少なくないが、我が試作超重爆撃機に匹敵する巨人機なのは確かだ。機体規模が大きく、搭載機材も充実していれば当然取得時の価格も高価だろう。米軍といえども平時から数を揃えるのは難しいのではないかな。

 それにグアム島の基地化状況は我が軍でも確認している。その規模からすれば、超重爆撃機50機を同時に出撃させるという状況は能力的に順当という気がする。

 B-36はこれまでに例をみないほどの大型機だから、一回の出撃で使用する消耗品の定数はかなりの量になるはずだ。グアム島に集積された物資量は分からないが、出撃前に燃料や弾薬を搭載して待機させておくだけでも相当な負担がかかるのではないかな。

 開戦前に整備員を増員したとしても、機材やそもそも駐機所の整備から計画的に増備を図っていなければ出撃機数を劇的に増やすのは不可能だ。第一、グアム島の規模からすると滑走路の適地自体が少ないのではないか。

 確かに50機という数字は少ないが、グアムからB-36を出撃させる限りこの数は妥当なものだろう。攻撃目標に関しても、本格的な爆撃前の威力偵察とすればおかしくないと思われるが……」


 だが、当直将校は考え込んでいる様子だったが、納得した色はなかった。

「確かにB-36の出撃数は基地の規模からすると妥当なのかもしれません。しかし、米軍が保有する大型爆撃機はB-36だけではありません。旧式化したB-32や最近確認されたあの全翼爆撃機、B-35などはなぜ同時に飛来してこないのでしょうか」

「それは……B-36以外はグアムから本州を爆撃するには能力不足と考えているのではないか……」

 そう言いながらも荘口中将も違和感を覚え始めていた。


「仮に能力に劣るためにB-36の全行程に随伴出来なかったとしても、前哨陣地……この場合は宇津帆島や硫黄島といった離島に陽動を兼ねた爆撃を行うことは可能だったはずです。

 もしその様な爆撃が事前にあれば、硫黄島を基地とする空中指揮官機もここまで詳細に情報を送ってこれるほどの余裕は出来なかったのではないですか。

 先の大戦で参謀長が参加されたプロエスティ油田への爆撃作戦においても、油田地帯までは航続距離に余裕のない九七式重爆などが針路上のクレタ島などに陽動を掛けていたはずですが……」


 荘口中将は困惑していた。確かに当直将校が挙げた米軍の爆撃機はB-36に比べれば機体規模は小さいが、そもそもグアム島の基地能力が限界であれば機体が小さくとも同時に出撃させることは不可能だ。

 だが、それと同時に中将は理由を説明出来ない違和感が拡大するのを感じていた。

一式重爆撃機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/1hb.html

一式重爆撃機二型の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/1hbb.html

一式重爆撃機四型の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/1hbc.html

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