1950本土防空戦9
空中指揮官機の胴体下部に設けられた覆いの中に収めた捜索用レーダーは、同機の為に専用に改良されたものだった。
原型となった超重爆撃機が大柄なものだったから、四五式爆撃機などに搭載するために設計されたものを原型としつつも、もっと余裕のある電源や空中線を使用することが出来たからだ。
この捜索用レーダーは、理想的な環境では概ね設計時に予想された性能を発揮できていたものの、死角も多かった。
爆弾倉部分に本体を収めたレーダーは、空中線は胴体に半埋め込み式で搭載されていた。地上との間隔を保つための措置だったが、そのせいでレーダー表示面には胴体部分が占める上方の広い角度が死角となって現れていた。
空中指揮官機の高度が十分に高い場合や、目標が離れている間は胴体上部の死角が問題となることはないが、接近した場合はその限りでは無かった。
空中指揮官機の開発計画は海軍から移籍していた篠岡大佐を指揮官とする実験航空隊に任せていたのだが、大佐が率いる開発陣は早くも発展形を提案してきていた。
空軍への移籍対象となっていたということは篠岡大佐は基地航空隊に所属していたのだろうが、元々戦時中は対潜機材などの開発を行う技術試験部隊に所属してきた時期が長かったらしい。
その実績を買って航空総軍付きになっていた篠岡大佐を空中指揮官機の開発主任に推薦していたのだが、現行の空軍装備体系から外れる大型機の維持という荘口中将の消極的な方針とは異なり、篠岡大佐率いる実験航空隊はある意味で予想以上の成果を上げていた。
実験航空隊は空中指揮官機自体の性能試験、評価にとどまらずに、その運用実績や試験結果から次の改造機計画を隊内で立案していたのだ。
勿論基本計画とは言え篠岡大佐達だけで改造後の機体形状を含む素案を作成したとは思えなかった。製作会社である中島飛行機から出向している軍属の技師達も篠岡大佐達の熱意に当てられて労苦を惜しまずに協力しているのではないか。
篠岡大佐達が提案していた案は、現行の空中指揮官機のように胴体下部に設けられた爆弾倉扉の部分に空中線を埋め込むのではなく、機体上部に空中線を収容した覆いを設けようというのだ。
しかもこの空中線覆い自体を回転させることで、全周哨戒時の死角を最小限に抑えられるというのがこの案の最大の特徴だったのだが、普段は実験航空隊が分隊を派遣している硫黄島に籠もっている篠岡大佐からその素案を聞かされた荘口中将は、首を傾げていた。
篠岡大佐の案を単純に見る限りでは、ボストンⅢを母体としたタービンライトMk.2の形状に先祖返りしたような形状になるのではないか。ただし、機体の規模も搭載されるレーダーの出力も、旧座の改造機だったタービンライトMk.2とは段違いだった。
だが、余裕のある機体容積を利用して爆弾倉内部に電源本体を収容するにしても、覆い自体を回転させる電動機もかなりの重量となるはずだった。疑問点はそれだけではなかった。幾ら樹脂製の覆いに包まれているからといって、機体上部にさらされる空中線はかなりの空気抵抗になる気がしていたのだ。
しかも事前に空気抵抗の影響を見積もるのは難しかった。日本本土には大型の高速風洞も存在していたが、これだけの規模の大型機となると模型と実機の寸法や表面仕上による粘性力の誤差も無視できないのではないか。
探照灯を撤去した後もタービンライトMk.2と九七式重爆撃機三型の間には無視できない速度差が生じていたし、高射砲を搭載した一式重襲撃機と流麗な機体形状を保っていた一式重爆撃機との間にも飛行特性にかなりの差があった。
いくら図体の大きい爆撃機であっても空気抵抗の有無はかなりの速度差となって現れるのではないか。
実験航空隊の飛行試験結果からすると、空中指揮官機はただでさえ出力不足の傾向があった。空中哨戒という任務上、巡航時は一定高度、一定速度を保つ為に多少の空気抵抗は大きな問題とはなっていないようだが、離陸時や哨戒高度への上昇においては操縦員からもたつくという感触を得ているようだ。
そもそも原型機である試作超重爆撃機の時点で、搭載エンジンの力量不足という評価が囁かれていた。
中島飛行機でライセンス生産しているセントーラスエンジンは、製造国英国だけではなく国際連盟側諸国全体を見渡してみても大出力のエンジンだったのだが、これを6基装備してもなお出力が機体の格に釣り合っていないというのだ。
量産型が採用されれば中島飛行機では同エンジンを減速機を介して連結させた双子エンジンに換装することも計画していたというが、荘口中将には二千馬力を軽く越えるエンジンを連結させる減速機の設計開発が容易に進むとは到底思えなかった。
制式に採用する気があまりなかったせいか、原型機に関して最大搭載量での性能評価に関して軍内部でうるさくは言われなかったが、空中指揮官機が空気抵抗を増大させれば問題は大きくなるのではないか。
荘口中将はその点を篠岡大佐に質したのだが、大佐はむしろ不思議そうな顔でいった。既にエンジン出力を増大させた改良型が中島飛行機で製造されているのだからここから先の改造機は当然改良型を原型とすればよいのではないか。
それを聞いて荘口中将は苦々しい表情になっていた。実験航空隊には正式に情報は回していなかったのだが、人の口に戸は立てられなかったようだ。中島飛行機社内ではそれなりに知られていたようだから、実験航空隊に出向した社員から情報が流れたのかもしれない。
超重爆撃機に対する日本空軍の感触がさほどよろしくないことを察した中島飛行機、というよりもその社主である中島代議士は、荘口中将達が進めていた派生型の試験採用と並行して、日本空軍の試験結果も反映した抜本的な改善案を織り込んだ改良機の試作を進めていた。
ただし、その売り込み先は日本空軍ではなかった。戦時中から付き合いが深かった英ホーカー・シドレーグループを抱き込んで英国空軍の次期主力爆撃機計画に応募していたのだ。
建前上はホーカー・シドレーグループとの共同開発機と言うことになっていたが、実際には英国空軍の担当者達も純粋な中島飛行機製であることは分かっていたはずだった。
一応は制式化されればホーカー・シドレーグループで製造されることになるのだろうが、競合試作機と比較する為に英国に送られた機体は、英国本土のホーカー・シドレーの工場では最終整備と点検を受けただけで、実際には完全に中島飛行機が群馬の工場で製造したものだった。
尤も、基本的な構造は試製超重爆撃機と変わらないものの、革新的な他社の競合試作機と争うためか変更点は少なくなかった。射撃管制レーダーと連動した機銃座は英国空軍の仕様に適用させるために減少していたのだが、逆探や爆撃用の対地レーダーなどの電子兵装は強化されていた。
最大の変更点は主翼にあった。出力と速度の向上を目指してセントーラスエンジンをジェット・エンジンに換装すると共に最新の航空技術を反映して後退翼形状としていたのだ。
中島飛行機では後退翼とジェット・エンジンの大出力化によって最終的には亜音速での飛行までが可能と見積もっていた。
当初の試製超重爆撃機とは機体性能を一新させた改良型は日本空軍でも注目されていた。
開発製造時に日本空軍の予算が少なからず投入された機体を改良して英国空軍に提案するという手段に関しては、一介の製造業者にあるまじき行為であると激昂するものは多かったが、中島代議士は英国との太いパイプを駆使して国内政治的には問題を沈静化していた。
第一、四五式爆撃機の後継機には英国製の機体を三菱で改設計したものが導入される予定なのだから、その逆に日本製爆撃機が海を渡って英国で導入されても問題はないと中島代議士は主張していた。
荘口中将は、むしろ中島飛行機製の超重爆撃機が投入されたことで国内でも注目されている英国空軍の競合試作自体が、日本空軍内の装備体系に風穴をあけるかもしれないと考えていた。
例の超重爆撃機は日本空軍内では破天荒な物と考えられていたのだが、英国空軍では他社の競合試作機と比べると技術的革新性が見られない保守的な機体であるという思いもよらない評価を受けていたからだ。
当然の様に全機が完全ジェット化された競合試作機達は、高速性能の為かこれまでにない特異な翼面形状を取るものばかりだった。
それらの機体情報は、どれも似たような形状に収斂されていたレシプロエンジン戦闘機の中に唐突にエンテ翼面形状のジェット機である四六式戦闘機が出現したときの驚愕にも類似していた。
まるで巨大な蛾のような分厚い無尾翼機を見たあとでは、後退翼のジェット機であるとはいえ一式重爆撃機などの中島飛行機製従来機の面影を残した超重爆撃機が革新的とは言えないのも理解できる話だった。
もしかすると、今回の空中指揮官機の活躍は英国空軍への売り込みを加速させる実績となるかもしれなかった。
理由は良くはわからないが、最近では英国空軍では従来考えていたよりも重量級の機体を求め始めていると言うし、革新的な技術を惜しみなく投入した事で実用化が遅れている他社競合試作機の繋ぎ役としてもホーカー・シドレーの機体を採用するという噂があったからだ。
保守的な機体という評価とは言え、現行の英国空軍主力爆撃機ランカスターⅣは戦時中に活躍したランカスターの発展形でしか無いから、競合機よりも大柄で多用途に使えるとなれば大きな利点となる可能性はあった。
―――それに、英国空軍の採用実績があれば、案外あっさりと試製超重爆撃機は舶来物を有り難がる日本空軍でも制式化されるかもしれない。
硫黄島周辺で急速に精度を上げつつある情報地図盤を見ながら荘口中将がそう考えていると、ふと強い視線を感じていた。
中将に視線を向けていたのは作戦室中2階に設けられた総軍司令部用の空間から1段下がった位置にある飛行師団司令部にいた当直将校だった。
防空指揮所作戦室内では総軍司令部用の部屋が一番見晴らしの良い高所に陣取っているが、本来の防空指揮所の指揮官は飛行師団長であり、また師団長の代理人である当直将校だった。
防空指揮所の機能は、日本本土各地に分散した哨所などから上がってくる情報の集約と総軍司令部の権限を一部譲渡された形の戦闘機隊の指揮にあった。各情報を元に作戦室で判断された指令を、隣接する情報室や警報室内に勤務する電話員を通じて各地の部隊に伝えるのだ。
総軍司令部は、言ってみればより上位の判断材料として指揮所に集まった情報を利用する為に専用空間を設けていたのだが、基本的には直接の戦闘指揮は行わなかった。
防空指揮所の指揮官である当直将校は、先程まで忙しく部下達と討議していたようだったが、視線を荘口中将に向けたまま指揮卓に設けられていた電話機を取り上げていた。
同時に鳴り出した中2階の電話機を荘口中将は反射的に取り上げていた。
一段高くなっているとはいえ、当直将校のいる指揮卓と総軍司令部のある中2階の間は直接会話ができない距離ではないのだが、作戦室の中は各地につながる電話機や各種の機械類が奏でる騒音があったから直通電話が態々設けられていた。
直通電話を通した当直将校の声はどこか抑えた調子だった。近くの参謀達はともかく、兵たちには聞かせたくない話なのかもしれない。だが、荘口中将は当直将校の声に首を傾げただけだった。
「この状況は、全戦力を投入する必要があると小官は考えます」
当直将校の真剣な顔と電話越しのくぐもった声が同じ人物なのか、不思議と荘口中将は違和感を覚えていた。
四五式爆撃機の設定は下記アドレスで公開中です。
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九七式重爆撃機の設定は下記アドレスで公開中です。
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ボストン爆撃機(タービンライト仕様)の設定は下記アドレスで公開中です。
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四六式戦闘機震電/震風の設定は下記アドレスで公開中です。
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五二式重爆撃機の設定は下記アドレスで公開中です。
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