1950本土防空戦8
機載レーダーを索敵に活用するのは陸軍よりも海軍が先行していた。隠蔽された陣地などを除けば不動の目標ばかりの陸軍とは違って、海軍の場合は広大な海域を自在に機動する敵艦自体を発見しなければならないからではないか。
理由はどうであれ、先の大戦中盤には早くも海軍は魚雷型の外装式電探を艦上攻撃機や艦上爆撃機に搭載して艦隊前方の空中警戒に使用していたし、浮上した敵潜水艦を探知する対潜レーダーも磁気探知機などと共に重要な対潜機材として活用されていた。
陸軍機も勿論機載レーダーは逐次搭載されていったのだが、荘口中将が空中指揮官機を発想した切欠は先行する海軍機ではなく、英国空軍で運用されていたタービンライト仕様という特殊用途機が元になっていた。
大戦中盤に限定的に実戦投入されたタービンライトは奇妙な機体だった。重爆撃機を原型とするタービンライト仕様機単体では役に立たず、単座か複座の軽快な戦闘機の支援を目的とした機体だったからだ。
当時、既に捜索用機載レーダーは限定的ながら実用化されて視界の効かない夜戦などに投入されていたのだが、初期のレーダーは大柄で電力消費量も大きいものだから重爆撃機を改造した夜間戦闘機以外には搭載できなかった。
このとき英国空軍で夜間戦闘機に改造された中には、日本陸軍の規定では重爆撃機となるものの英国空軍では軽快な対地攻撃機に分類されていた九七式重爆撃機の英国仕様機も含まれていた。
航空撃滅戦に投入されるために自衛火力と防御力を高められた九七式重爆撃機は、英国空軍の基準だと爆弾搭載量が少なすぎて本格的な爆撃機ではなく地上襲撃機などに使用されていたからだ。
だが、英国空軍ではボストンと呼称されていた九七式重爆撃機改造のものを含めて、爆撃機改造の夜間戦闘機は捜索レーダーによって敵機を発見はすることまでは出来るものの、敵機の撃墜には失敗することが多かった。
いくら高速機とは言っても機動性に劣る双発他座機では機動性が低く、相手が鈍重な大型機でないと中々に射撃機会が得られなかったのだ。
この様な状況で英国空軍の担当者が思いついたのがタービンライト仕様だった。捜索用のレーダーと光量の大きい探照灯を搭載した重爆撃機が敵機の捜索と照空に専念して、探照灯で浮かび上がった敵機をタービンライト使用機と組になった単座戦闘機が攻撃するというのだ。
このタービンライト仕様に改造された九七式重爆撃機改めボストンは、丸みを帯びた機首の爆撃手席を切り落として、そこにカバーがかけられた探照灯と歯の長いノコギリの様な八木アンテナを無造作に括り付けた異様な姿に改造されていた。
このタービンライト仕様は幾度か夜間戦闘に投入されたものの、その戦果は芳しいものではなかった。敵機の照空までは上手く行ったとしても、探照灯に照らし出された敵機はすぐに回避を始めようとするし、その間にタイミングを合わせて単座戦闘機が会敵するのも難しかったらしい。
照空を開始したタービンライト仕様のボストンは、敵機の存在を明らかにすると共に自機の位置も暴露していたのだが、機首に固定された探照灯で特定の機体を照らし出す場合は自在な回避や欺瞞機動を取ることも難しかったようだ。
それ以前に敵機の回避行動に追尾して探照灯をあわせ続ける事自体が難しかったという話もあった。結局タービンライト仕様機でも射撃と同様に敵機を照準し続ける動作が必要だったのだ。
タービンライト仕様が実戦で想定していた程うまく行かなかった時点でこの構想自体を諦めれば良さそうなものだったが、英国空軍の担当者は止せばいいのにさらなる改良機を考案していた。
探照灯の機動性に問題があると判断した英国空軍は、日本陸軍では九七式重爆撃機三型に相当する当時最新鋭のボストンⅢを改造母機に選んで初期型とは異なるタービンライト仕様を考案していた。
今度の仕様は少なくとも下方から見れば異様な箇所は無かった。機首も原型通りの流線型だったし、探照灯は使用しないときは完全に機内に収容されて隠蔽されていたからだ。
ところが、一型以上に空気抵抗の少ない流線型でまとめられていた九七式重爆撃機三型ほぼそのままの仕様だったボストンⅢの上部には、タービンライトでは指向性の強い八木アンテナが回転軸前後に突き出したレーダーの空中線が、何の工夫もなく突き出されていた。
この空中線は捜索用レーダーのものだったが、機内には更に探照灯までが搭載されていたものだから胴体後部はレーダー本体や探照灯に加えてこれを稼働させる電源を詰め込んだことでひどく狭苦しくなっていたようだ。
探照灯は胴体側面の、原型機であれば乗降用扉が設けられている箇所に設置されていたのだが、これは初期のタービンライトと違って機体中心軸に対して前後と上下の2軸で可動が可能だった。
このタービンライトMk.2は、機体方向に関わりなく自由度を持つ探照灯で敵機を照らし出すことが可能であり、捜索レーダーが可動式なのも機体側面の敵機を確認し続けることを狙ったものであったのだ。
タービンライトMk.2は、まず回転式の捜索レーダーを用いて敵機を補足すると、敵機側面に遷移を図っていた。そしてタイミングを見計らって側面から敵機に向けて探照灯を照射するというのだ。
探照灯もレーダーも機体の進行方向とは関わりなくある程度の自由度を持って操作できるから、意表をついた行動が可能、な筈だった。
しかし、Mk.1に続いて実戦投入されたタービンライトMk.2の戦果は英国空軍の期待を裏切るものだった。Mk.1仕様機よりもはましだが、程度問題に過ぎないというのが概ねタービンライト航空隊隊員達の一致した見解だった。
この結果も当然といえば当然だったかもしれない。探照灯は所詮人力での操作だったから、側面を飛行する敵機を照空し続けるのは難しかったのだ。
少なくとも当時の技術力ではレーダーと探照灯を連動させて機動させるのは難しかったし、そんなことが可能なら最初から探照灯など積まずに自力で銃砲を備えていたはずだ。
期待外れに終わったタービンライト仕様の飛行隊が解隊され始めたのはタービンライトMk.2が実戦に投入されてからすぐのことだった。Mk.1からMk.2まで継続して装備していた部隊でも実運用は最長で2年程度だったのではないか。
不要となったタービンライトMk.1はその時点で原型となったボストンⅠが旧式化していたこともあって、そのまま用廃機とされるか、雑用機に転用される機体が多かった。
意外なことにボストンⅢから改造されたMk.2仕様機の中にはさらに用途を変更されたものもあった。マルタ島沖の戦闘では敵艦隊を上空から照射して艦隊戦を支援したという海戦史上稀な例もあったのだが、多くの機体は特徴的だった探照灯を撤去していた。
タービンライト仕様の特徴だった探照灯を撤去した機体は、捜索用レーダーのみを備えて夜戦の支援を行っていた。上空で敵機の発見と増強された無線による誘導に任務を絞って運用されていたのだ。
大戦終盤になると、電子技術の進化で軽快な単座や複座の戦闘機でも射撃用レーダーを備えた機体が増えていたのだが、分解能と精度が高い代わりに射撃用レーダーは探知範囲が短く狭かった。
だから、捜索レーダーを備えたタービンライトMk.2は、捜索用レーダーで早期に敵機を発見した後は、射撃用レーダーの探知範囲に敵機を捉えるまでの友軍機の誘導に専念していたのだ。
結局は地上の捜索レーダーの代わりを務めていたようなものだったが、これを応用すれば洋上深く前進して対空戦闘を指揮することも可能ではないか。応急的に使用されたタービンライトMk.2の実績から荘口中将は空中指揮官機の仕様を思いついていたのだ。
陸軍機にせよ海軍機にせよ捜索レーダーを備えた多くの機体には共通した運用上の欠点があった。レーダーの空中線が固定されているものだから、機体前方の限定された範囲の走査しか出来なかったのだ。
海軍では外装レーダー装備機が攻撃隊に随伴して早期見張りを行う程度なら十分と当時は考えられていたのだが、予想外の方向から待ち伏せを受ける危険は否定できなかった。
だからといって空中線が固定されたレーダーで広い範囲を走査しようとすれば、無理のある機動を連続して行わなければならなかった。空中線の向きを変えるために頻繁に蛇行飛行を余儀なくされるから、長距離飛行時には搭乗員の疲労が増す上に実質的な飛行距離も増大した。
瞬間的な燃料消費量が増大するだけならまだいいが、外装式のレーダーを懸架した場合は機種によっては増槽を懸架する余裕がなかった。結果的に攻撃隊に編入した場合は他の編隊機よりも早期に帰投を余儀なくされた例も多かったようだ。
そもそも雷爆装した機体は、目標に向けて後生大事に懸架してきた兵装を放った後は復路では身軽になるから燃料消費も抑えられるのだが、貴重なレーダーを投棄する訳にはいかないから、魚雷や爆弾より軽量でも空気抵抗は等しい外装式レーダーを抱えた機体は最初から燃料面では不利だったのだ。
攻撃隊に参加するのではなく、特定の空域で旋回行動を続ければ全周走査が可能だったが、周囲を確認し終わるには旋回分の時間がかかるから相当探知距離が長くなければ高速機に対する即応性が欠けていると言わざるを得ないだろう。
ただでさえ、最近ではレーダー探知を避ける為に電波妨害の実施やレーダー覆域以下の低空飛行が常態化していたから、飛行形態によらないレーダー走査が可能な機体にはそれだけで価値があるはずだった。
だが、レーダー捜索機に特化していたタービンライトMk.2の運用実績から全周旋回可能なように機外に突出したレーダーの空中線は大きな空気抵抗となる事も分かっていた。
機体上部に無造作に突き出された巨大な空中線自体が抵抗となるのは当然だったが、厄介なことに指向性の高い空中線を回転させると空気抵抗が回転角度によって大きく変化してしまうのだ。
その時行っている機動にもよるが、旋回角度によっては空中線後方の気流が乱れてしまうのか尾翼が振動して機体の操縦が困難になることも多かったらしい。
その為にタービンライトMk.2よりも格段に大出力で大型の捜索レーダーを搭載する空中指揮官機では、爆弾倉区画をくり抜いて詰め込まれたレーダーの空中線は樹脂製の巨大なカバーで覆われていた。
昨今急速に発達しつつある樹脂技術を持ってしても、空中線全体を覆う巨大なものを製作するのは難しく改造費用が嵩む結果を招いていたが、空気抵抗の削減効果は大きいとされていた。
尤も現状の空中指揮官機の形態が最適解であるとは開発陣は考えていなかった。不要となった爆弾倉をレーダー収容区画としたせいで、巨大な樹脂製覆いを主翼の下に抱える形状となっていたが、これによる不利点も多かったからだ。
試製超重爆の片翼3基備えられたエンジンのうち、最も内側のエンジンナセルには胴体に設けられた主脚とバランスを取るための補助輪が格納されていたのだが、そのせいで空中線の寸法は樹脂製覆いを含めて内翼部の内側に抑えられていたのだ。
搭載されたレーダー空中線の寸法は補助輪間に収まるものだったが、将来的に大型化した場合はその限りではなかった。
しかも、そこまで気を使ったところで、主脚を出してもレーダーと地上との余裕は極短かったから、地上走行や離着陸時に機首が上がった際などにレーダーが損傷した例は多かったのだ。
しかも、この配置は肝心のレーダーの性能にも影響を及ぼしてもいた。空中指揮官機は現状の試作機一機しか存在していないが、次の試作機はレーダー配置から見直す必要がありそうだった。
九七式重爆撃機の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/97hb.html
ボストン爆撃機(タービンライト仕様)の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/97tr.html




