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1950本土防空戦7

 生粋の航空将校として入隊してから陸軍における航空行政を統括する航空本部の勤務が長かった荘口中将は、日本国内の各航空機製造会社とも深い関係を築いていた。

 海軍空技廠のような独自の航空機製造部門を持たない陸軍航空隊では各民間企業の行政指導も行っていたから、陸軍の航空行政には純粋な技術者というよりも技術官僚という立場のものが多かったのだ。


 そのせいか空軍内では荘口中将を中島飛行機の回し者と陰口を叩くものが少なくなかったのだが、これには空軍内部における旧陸海軍出身者の勢力争いも関わっていた。

 旧海軍航空隊出身の中には、荘口中将が推し進めていた試製超重爆撃機の開発計画を疑問視するものが多かった。航空技術開発に関して強引な政治力を発揮することも少なくない中島飛行機への反感が荘口中将に向かっている状態だったのだ。

 面倒なことに荘口中将に向かって正面から反論するものはいなかった。正規の立場では荘口中将も実験機の開発に口を挟めないものだから、異論も正面から唱えるわけには行かなかったのだろう。



 確かに荘口中将は、陸軍時代には一式重爆撃機など中島飛行機製航空機の採用に関与していた事が多かった。個人的に親しくしている中島飛行機の社員もいないわけではない。

 だが、それと中島飛行機が提案してきた超重爆撃機開発計画の推進は別の話だった。むしろ荘口中将が疑問視していたのは現在の空軍が勧めている双発高速爆撃機を主力とする装備体系そのものだったのだ。


 公の場で荘口中将が空軍の基本方針に異を唱えることはなかった。現在の陸海軍部隊の寄り合い所帯にすぎない空軍内では、航空総軍参謀長の立場で私論を唱えるには影響が大きすぎたからだ。

 それに、現状の双発高速爆撃機の性能そのものに不満があるわけではなかった。確かにジェット化したことで現在の空軍の主力爆撃機である四五式は戦闘機並の高速性能と所要の搭載量を有していた。

 その上で大戦中に格段に進化していた機載レーダーや逆探知装置などの電子兵装を標準で搭載する余裕も有していたから、機体の生存性という意味では従来の双発爆撃機を遥かに上回っているといってもおかしくはないだろう。

 少なくとも、空軍が求める敵飛行場や敵艦隊への強襲という任務に投入するには、現状における最適解と言えるのではないか。

 ただし、この優位がいつまでも継続するとは限らなかった。



 荘口中将は双発高速爆撃機偏重という空軍内の傾向に対して、十年以上前の一時期に流行した戦闘機無用論と同質の危うさを感じていた。

 当時は、従来の戦闘機よりも優速となる全金属製の高速爆撃機が出現したところだったのだが、一部の指揮官は高速性能と防御火力を併せ持った高速爆撃機のみで任務を遂行可能と豪語していたのだ。

 だが、現実は単に技術革新が防御戦闘に使用する戦闘機よりも、攻勢用の爆撃機に先に適用されていたというだけの話だった。

 スペイン内戦や先の大戦勃発に前後して行われたいくつかの戦闘では、金属製爆撃機を撃墜しうる大口径の機銃と、爆撃機よりも優速を与える大出力エンジンを併せ持った近代的な戦闘機による迎撃を受けて、どこの国でも護衛を付けない高速爆撃機隊は大きな損害を生じていたのだ。


 荘口中将にはその歴史が繰り返されているように思われていた。四五式爆撃機の後に就役したジェット・エンジンを当初から搭載して就役した戦闘機は四五式より優速であったからだ。

 既に四五式には後継となる日英共同開発の高速爆撃機が就役間近だったが、いずれは更に高速のジェット・エンジン搭載戦闘機が出現するのではないか。単純に考えて仮に同型エンジンで同程度の機体規模であっても、爆弾を積まないだけ純粋な戦闘機の方が有利となるのは必然だからだ。

 双発高速爆撃機への偏重は些細な切欠であっさりと崩壊する可能性が否定できない。それが荘口中将が全く傾向の異なる超重爆撃機の開発を継続させていた理由だった。



 ただし、反対者の予想とは違って、荘口中将は高速爆撃機に偏りすぎた現行の空軍装備体系への保険として超重爆撃機の開発を認めていただけだった。中島飛行機が強引に推し進めていた超重爆撃機計画の方針そのものには必ずしも同調していたわけではなかった。

 厄介なことに中島飛行機の創設者である中島代議士が富嶽と名付けた超重爆撃機開発計画が目指しているものは、古典的な戦略爆撃機であると言えた。この機体が目指したのは、将来における対米戦勃発に備えて北米を直接爆撃できる長距離爆撃機というものだったからだ。


 開発計画の当初に超重爆撃機の諸元として考えられていた数値はいずれも破天荒なものだった。米国まで往復、あるいは友邦英国まで単独飛行可能な航続距離というだけでも正気の沙汰とは思えなかった。

 幸いな事といって良いかは分からないが、中島代議士の思惑とは異なり、この機体の提案がなされてからしばらくは、中島飛行機の大型機設計、製造の担当部門は超重爆撃機に関わっている余裕などはなかった。先の大戦中は一式重爆撃機の量産や改良作業が相次いでいたからだ。

 一式重爆撃機の制式化直後には既に中島代議士が周囲に広め始めていたこの開発計画は、代議士の思惑とは異なり中島飛行機の社内でまともに作業が始められたのは実質的には終戦後の事だった。



 しかし、その頃になると長駆敵国に侵入して後方の生産拠点や人口密集地である都市部を爆撃する事で敵国市民の戦意を直接挫くという古典的な戦略爆撃の効果に関して、航空関係者の間では否定的な声が上がるようになっていた。

 かつてイタリアのドゥーエ将軍が唱えた戦略爆撃の意味が無いというよりも、地上の敵機を何機残骸にしたか、敵艦何隻を撃沈したかという効果が比較的分かりやすい航空撃滅戦や対艦攻撃と比べると、戦略爆撃はその効果を定量的に判断する基準を設ける事自体が難しかったのだ。


 それに、戦略爆撃は対象国内における宣伝工作や産業構造の変更で実質的な戦果が大きく上下するということも分かっていた。

 先の大戦終盤で対独講和がなされた際に、国際連盟側は講和条件の一つにドイツ国内の徹底的な戦禍の調査を含めていた。大戦中に行われたドイツ国内への戦略爆撃に関して、実際にはどのような、あるいはどの箇所への爆撃が効果があったのかを爆撃を受けたドイツ側からの情報で分析する為だった。


 日本では企画院が担当したこの時の調査は、最後はドイツ占領下にあった西欧諸国やヴィシーフランス領まで範囲を広げた大々的な調査計画になっていた。

 この調査結果は意外なものだった。従来は製造工場を分散させることで柔軟性を得た為に爆撃効果が薄いと思われていた戦車などの兵器産業への爆撃は、実際にはそれなり以上に混乱を招いていた。

 当然といえば当然だった。どんなに生産を分散させたところで、他に代替の効かない特定の部品を製造する箇所が失われれば、首無しの戦闘機や砲のない戦車ばかりが工場に並ぶことになるし、分散によって各部品の移動という手間が加わるから鉄道網への負担はむしろ増加していたのだ。

 要は産業構造への打撃を加える際には、発電所か変電所、操車場か鉄道結節点といった交通やエネルギー網の結節点や特殊な重要部品を生産している敵国の弱点となりうる箇所を分析調査して集中的に打撃を加えるのが効果的であると分析結果は物語っていたのだ。



 だが、産業構造の詳細な分析となるとこれはもう空軍の職務からは離れているのではないか。平時から敵国の経済、産業の分析を行うのは純粋な軍隊の任務からは逸脱しているだろう。

 この手の分析調査を行うには空軍や統合参謀部といった生粋の軍令機関ではなく、企画院の様な調査機関に委託するか、彼らの分析結果を軍が参照する形が自然となるはずだった。

 少なくとも戦略爆撃の中でも目標を定めることに特化した組織がなければ分析は不可能だったが、生え抜きの陸海軍軍人では経済や産業に疎くて分析官を務めるのは無理があるのではないか。


 結局、空軍単体では戦略爆撃を実施することは難しいという風潮が出来てしまっていた。その名の通り、軍隊だけでは無く戦略爆撃とは国家戦略の一環として行われるべきものというのが第二次欧州大戦後の認識だった。

 あまり部内では口に出しては言われなかったが、他所の組織から口出しを出されずに空軍が自らの装備だけで遂行できる上に、戦略爆撃よりももっと戦果がわかりやすい航空撃滅戦や対艦攻撃を主任務とする方向に流れていくのも当然だった。


 第一、産業構造の中核となる箇所といっても、仮想敵となるソ連や米国の国家中枢はドイツと違ってはるか彼方にあるのだから、日本空軍が独自に戦略爆撃を実施するのは難しかった。

 戦略爆撃で敵国の産業を叩いてもその効果が前線に現れるには時間がかかるのだから、短期戦であれば目前の敵戦力を叩いて直接的な打撃を与えたほうが有利ではないかとも考えられていたのだ。



 戦略爆撃のもう一つの対象となる敵国市民への直接攻撃となると、更に効果はあやふやなものだった。宣伝一つで僅かな損害が逆に敵国の士気を高める事にも繋がってしまうからだ。

 都市部への爆撃で一般市民が死亡したとしても、これを人的資源の損失と捉える一方で「悪逆なる敵国の卑怯な攻撃で市民が犠牲となった」とでも宣伝すれば逆に市民の間に爆撃機への敵愾心を煽る事もできるのだ。

 この点では宣伝省という巨大な宣伝組織を備えたドイツは卓越した能力を持っていたが、日本でもこの種の世論操作の経験があった。


 第二次欧州大戦勃発直後は、英国に義勇兵や観戦武官を派遣しつつも表向き日本帝国は中立の立場だった。

 ソ連に対する防波堤としてドイツを利用していた経緯から日本国内には親独派勢力も少なくなかったからだが、この時点で参戦を密かに決意していた日本政府は息の掛かった報道機関を利用してドイツの非道を事更に大きく報道させていた。

 欧州を追われてマダガスカル島に強制移住させられるユダヤ人の悲惨な姿や、英国本土の爆撃被害が連日の様に紙面をにぎわかせていたのだ。

 財産を没収されて惨めな姿で客船に詰め込まれる老人達や、ドイツ空軍の爆撃で死んだ子供を抱えて泣き崩れる母親の写真は、嘘ではなかったが事実の一片を切り取ったものに過ぎなかった。

 この時期、ドイツ空軍の爆撃対象は、幻に終わった英国上陸作戦の障害となる英国空軍に集中しており、市民が被害にあっていたのは誤爆の類で数は少ないはずだった。

 それに逆に英国がドイツに行った爆撃の惨禍は決して戦時中は報道されることは無かった。国際連盟側もドイツも、国内向け報道は自国の正義を訴え、国民の士気を鼓舞するものばかりだったからだ。



 ―――もしも戦略爆撃が日本空軍で再び日の目を浴びることがあるとすれば、有無を言わさず都市を丸ごと破壊出来る新兵器でも出現するか、敵国の妨害を無視して狙い澄ました一点を確実に破壊出来る忍者の様な機体が出現した時だろう。

 ふと湧いて出た妄想のような考えを振り払う様に荘口中将は首を振っていた。

 航空総軍司令官は出張中だったから、総軍司令部の最上級者は参謀長の荘口中将だった。防空指揮所の一段高くなった総軍司令部用のスペースで、荘口中将は威儀を正していた。


 少なくとも今の所は戦略爆撃は日本空軍の中で優先順位は低かったのだが、本来は戦略爆撃のために設計された超重爆撃機をどのようにして空軍内部で維持するのか、荘口中将が悩んだ末に達した結論が派生機の採用による機体の延命という手段だった。

 姑息とも言える派生機計画の一つが空中指揮官機だったのだが、今の所は空中に浮かんだ監視レーダーは無事に目標を捉えていた。防空指揮所前面の態勢表示盤には、はるか南方の硫黄島付近を北上する敵機の姿が表示されていた。

一式重爆撃機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/1hb.html

四五式爆撃機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/45lb.html

五二式重爆撃機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/52hb.html

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