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1950本土防空戦6

 要求の差異から海軍との哨戒艦共有化という虫のいい案が流れた後、空軍内部では太平洋における哨戒能力の強化を巡って論争が巻き起こっていた。海上にレーダー哨戒網を構築するという大枠は決まっていたものの、その手段となると方針が定まらずに百家争鳴の感があったのだ。



 この時点でも駆逐艦を原型とする哨戒艦改装の構想はまだ生きていた。海軍との共有化は諦めるものの、空軍で独自に哨戒艦を建造するという案があったのだ。

 勿論これは新規に建造するのではなく、海軍で余剰となっていた初期建造の松型駆逐艦から大部分の兵装を撤去して哨戒艦に準じた捜索レーダーを搭載するというものだったが、これは早々に廃案となっていた。


 艦艇として最小限の寸法とはいえ、いくらなんでも空軍が駆逐艦を運用するのは無理があった。駆逐艦は軍艦ではないから制度上の問題が出る可能性は低いものの空軍将兵だけで哨戒艦の運用を行うのは難しかった。

 実艦の運用は海軍に委託するという案もあったが、大戦後の動員解除に忙殺されていた海軍の反応は冷ややかなものだった。直接の戦力とならないそんな胡乱げな艦に訓練された乗員を提供する余裕は海軍にはなかったからだ。



 それに、松型駆逐艦の初期型を改装すること自体にも難があった。船団護衛部隊に編入された後期建造艦や、艦隊型駆逐艦の能力を持たされた橘型などの高級仕様とは違って、松型駆逐艦の初期建造艦は構造上の余裕が無かったからだ。

 第二次欧州大戦開戦前に海軍艦政本部が計画していた松型駆逐艦は、高価な艦隊型駆逐艦を投入するまででもない任務に投入する量産型の駆逐艦という位置づけだった。

 特に初期建造艦は、量産性を念頭にして新規技術を投入することで、駆逐艦という形態でどれだけ安価に仕上げられるのかという実験艦だったといっても過言ではなかった。


 勿論工数を抑えながらも駆逐艦として運用できる最低限の能力は維持されていたのだが、当時の艦隊型駆逐艦と比べても簡素化された居住性などは質素に慣れていた艦隊の駆逐艦乗員でさえ否定的に見られていた。

 日本海軍の艦艇として必要な基準も満たしていない箇所もあるというから、平時であれば艦隊に編入されることもなかったのではないか。

 予想通りというべきか、長距離護衛艦として運用されることが多かった後期建造艦では、過酷な環境の海域を長時間航行することなどを考慮して乗員一人あたりの居住区画の面積や通風機能などが改善されていた。

 だから所得価格は低くとも松型駆逐艦の初期建造艦を改装したとしても、母港から哨区との往復程度ならばともかく、長期間の哨戒行動は難しいのではないか。

 一度あたりの哨戒期間を短縮すると今度は哨戒艦の必要数の増大を招く上に、改装案を検討してみると一千トン級の松型駆逐艦では艦形が小さ過ぎて大型レーダーが搭載出来なさそうな事もあって駆逐艦改装案は実現性が低かった。



 駆逐艦改装案が不利となってくると、正規の艦艇を改装するのが難しいのであれば多数の特設艦を投入して哨戒線を構築すればよいのではないか、そのような意見も出てきていた。

 正規の艦艇ではなく、外洋型の大型漁船を徴用して最低限の監視機能をもたせた特設哨戒艇とすれば、短時間で多数を確保する事が出来そうだったのだ。

 しかも偶然にも同時期に成立していた漁船の登録検査を行う漁船法によって、特設哨戒艇として使用できそうな大型漁船の数や性能は事前に確認されていた。


 第二次欧州大戦中は、漁船の建造を行っていた中小造船所の多くもブロック建造の請負などの形で戦時標準規格船の建造に従事していたのだが、終戦後はその反動で食料確保に酷使されていた漁船の更新需要が大量に発生していた。

 だが、漁船団の刷新が全国で一斉に行われたものだから、中には久々の船舶建造を捌き切れずに粗製乱造に等しい状態になってしまっている新造船や、不要となった老朽船の不法投棄も頻発していたというのが適切な行政の管理を行う漁船法施行の理由だった。


 いずれにせよ新造船の登録や旧式船の廃棄確認などが行われていた結果、規制の対象である大型漁船に関しては数や性能の把握が容易になっていた。だから管轄外の空軍から照会を受けて困惑していた逓信省からの報告内容は概ね満足するものだったのだ。

 しかも今後も新造船の建造は続くはずだから、戦時標準規格船のように予め特設艦艇への改装工事を想定した設計を織り込んだ形で新造大型漁船の規格化も可能ではないかと思われていたのだ。



 ところが、特設哨戒艇の性能に関して相談された海軍艦政本部の担当者は、逓信省職員と同様に困惑した顔になっていた。精々が百トン程度の大型漁船に搭載できる程度のレーダーで何ができるのだ。艦政本部員はレーダーに関しては門外漢ながらもそう言っていたのだ。

 その場で示された特設哨戒艇の概要は、空軍が考えていたものよりも貧弱なものだった。船型が小さいものだから搭載できる対空捜索レーダーも目視観測の補佐程度にしか使えないものだったし、それでも大型漁船に搭載できる程度の貧弱な電源では稼働が不安定となる可能性があった。


 さらに、捜索レーダーの探知距離から逆算すると、日本本土の太平洋沖に長大な哨戒線を構築しようとした場合は少なくとも数百隻単位の特設哨戒艇が必要という試算が出た時点でこの案は放棄された。

 性能に劣るレーダーの操作だけで、交代要員を含めれば千人程度の要員の育成が必要となると言われれば、特設哨戒艇案は空軍だけで維持出来る規模ではなかったからだ。



 むしろ、この時に艦政本部の部員が逆に提案してきた案の方が遥かに魅力的なものだった。どうせ特設艦艇にレーダーを積むのであれば、性能の劣る漁船ではなく既存の戦時標準規格船を使えばよいのではないか、部員は事も無げにそう提案していたのだ。


 欧州大戦の終結により、欧州とアジアを往復する護送船団に投入されていた戦時標準規格船の多くは、平時における日本の船舶保有見積もりからすると余剰となっていた。

 戦時中に就役した船の運用を任されていた日本の船会社の中には残存した戦時標準規格船の運航を終戦後も継続していたところもあったが、それらの多くは大戦終盤に就役を始めた三型貨物船だった。

 荷役効率を向上させるために貨物倉を前方に集約させた戦時標準規格船三型は重量物などの輸送効率が高く、今では特定の貨物輸送に特化した改装を受けた船も多いらしい。


 三型が日本国内で使用され続けていた一方で、貨物倉を前後に振り分けた在来の三島型船貨物船である二型はその多くが船会社から返納されて予備船扱いとなっていた。油槽船や重量物運搬船などの特殊な派生型はともかく、汎用貨物船は余剰となって保管されている数が多かったようだ。

 戦時標準規格船の中では汎用貨物船仕様の二型が最も建造数が多かった。予め通商破壊戦で発生するであろう損失を考慮したためだったのだが、次第に強化されていった対潜部隊によってドイツ潜水艦隊の行動が抑え込まれていった大戦中盤以降は、過剰とも言える数が建造されていたのだ。

 大戦を生き延びた戦時標準規格船の中には、再整備の上で戦火で商船団を喪失した欧州諸国やアジアの新独立国などに売却されていったものも少なくなかったが、それでもまだかなりの数が予備船となっていたのだ。



 艦政本部の部員はそうして余剰となっている戦時標準規格船を転用すればレーダー哨戒艦を安価に得られるのではないかと言っていた。

 余剰となっていた戦時標準規格船はただ同然で取得出来るはずだった。しかも、一万トン級の汎用貨物船は巡洋艦程度の船体規模を持っていたから、船倉区画を改造すれば、駆逐艦改造の哨戒艦が搭載していたものと同様の大型レーダーを搭載するのも難しくなかった。

 レーダー要員を含めれば乗員は100名程度にはなるはずだったが、特設哨戒艇案などと比べると格段に捜索範囲が広いから、船舶の必要数は少なくてすむはずだし、乗員数は同程度でも駆逐艦の乗組員と違って商船の乗組員でも運航に携わるものはそのまま転用出来た。


 しかも船倉区画が丸々余剰となるものだから、居住区画の増設も容易だった。単にレーダー要員などの追加乗員分に充てるのではなく、船体中央部の船橋区画と連結して居住区画を増設できれば、一人あたりの空間も増して長期間の航行でも疲労を抑えることが出来るのではないか。

 駆逐艦改造の哨戒艦よりも哨区との往復などにかかる時間は伸びるが、糧食などの消耗品搭載量は汎用貨物船を原型としたほうが大幅に増やせるから、哨戒行動が可能な期間が伸びて効率も上がるはずだった。


 一方で汎用貨物船で使用する電力はたかが知れているから、原型船そのままではレーダーの駆動に必要な発電量には到底足りずに増設が必要だった。

 尤も大戦序盤に日本海軍が徴用の上で改装した特設巡洋艦の中には発電機の増設を行ったものもあったから、その際の詳細図面を転用すれば短期間で戦時標準規格船に発電機を増設するのは難しくなかった。



 実は、非公式な艦政本部からの提案から始まった戦時標準規格船改造の哨戒艦は、後に統合参謀部の判断で空海軍の共同運用という形で正式に採用されており、それどころか既に実験的な改装を受けた艦が就役していた。

 だが、所要の改造を行ったレーダー哨戒艦は初期想定通りの性能を発揮していたものの、この戦局には何ら寄与していなかった。捜索レーダーの公試を兼ねて陸上配置レーダーの手薄な三陸沖に展開していたものだから、グアム島から太平洋上を北上する敵機群を捕捉しうる範囲にいなかったのだ。


 レーダー哨戒艦の計画が持ち上がった当初から囁かれていた不安、つまりは原型が鈍足な汎用貨物船であるために迅速な哨区の移動が難しいという欠点が突かれた形だった。

 しかも開戦直後に南方に移動させようとする動きもあったのだが、太平洋側のレーダー哨戒艦は海軍との共同運用とするという取り決めがあった為に両軍間の調整に手間取って未だに三陸沖を虚しく遊弋しているだけだったのだ。


 ―――本土防衛戦闘に関しては、個々の戦闘はともかく、やはり指揮権は空軍に統合すべきなのかもしれない……

 航空総軍の司令部内に設けられた半地下式の防空指揮所に駆けつけた荘口中将は、作戦室中央前面に配置された情報地図盤や態勢表示盤で状況を確認しながらそう考えていた。

 本来であれば防空戦闘における縦深を確保するために建造されていたはずのレーダー哨戒艦は、その数が計画の定数に到底揃っていないこともあって、特定の一点に警戒範囲を提供することしか出来ておらず、防空体制に有機的に組み込むには難がある状態であったのだ。



 能力の割に実戦において活用されていない感のあるレーダー哨戒艦に対して、空軍どころか航空総軍内部でも白眼視するものも少なくなかった空中指揮官機は詳細な敵編隊の情報を送り続けていた。

 航空総軍参謀長という立場で空中指揮官機の開発計画を推し進めていた荘口中将にとっては、不謹慎ながら安堵すべき事態であるとも言えた。


 理想を言えば空中哨戒中に敵編隊を探知できればよかったのだが、宇津帆島守備隊からの通告を受けて急遽出撃した空中指揮官機は、離陸直後から敵編隊を探知していた。

 試製超重爆撃機を原型とする空中指揮官機は、本来の機能は空中で友軍機の指揮をとることではなく、実際にはレーダー哨戒艦の機能を航空機で実現したものであると言えた。

 実験機扱いで数が少ないためにレーダー哨戒艦と同様に日本本土全域に哨戒網を構築するには至っていないが、今回の戦訓を受けて正式に部隊編成が行われれば、将来の防空戦闘において有力な機材となるのではないか。


 ただし、荘口中将がレーダー搭載空中指揮官機の開発計画を推し進めていたのはレーダー哨戒網のためだけではなかった。現在の空軍が掲げる整備方針に大型機開発の芽を残すことが中将が個人的に考えていた本来の目的だったのだ。

松型駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ddmatu.html

橘型駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ddtachibana.html

戦時標準規格船二型の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/senji2.html

戦時標準規格船三型の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/senji3.html

五二式重爆撃機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/52hb.html

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