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1950本土防空戦5

 日本本土の防空体制には穴がある。そんな言葉が囁かれ始めていたのはここ最近のことではなかった。むしろ航空機黎明期の頃、航空母艦という艦種が出現した頃には既にあった古い問題だと言えた。

 それがここ最近まで海陸軍で放置されていたのは、他に使い道のない防御部隊よりも汎用性の高い攻勢用の部隊整備を優先していたという理由も無視できなかったが、実際には地形上の問題という点が根本的な原因だったからだ。



 千島列島から台湾に広がる日本帝国の狭義における本土は、概ね北東から南西をつなぐ一線に広がっていた。現在の情勢からは考え難いが、例えば南中国、中華民国方面から帝都東京に向けて飛来する敵機が存在した場合、九州から本州の西半分の上空を通過する必要があった。

 やはり考え難いが千島列島側から侵入した敵機があったとしても北海道と本州の東半分が広がっていた。大陸方向には日本海が広がっていたが、日本帝国と一蓮托生のシベリア―ロシア帝国や満州共和国を無視して飛来する敵機が存在するとは思えなかった。


 これは単に距離だけが問題となるというわけではなかった。敵機が飛来する日本本土には数々の既存軍事施設が存在していた。本格的な防空部隊でなくとも迎撃戦闘に転用可能な戦闘機部隊も少なくないし、旧式化した備砲しか持たない古びた要塞施設であっても哨戒部隊の拠点としては使用可能だった。

 実際に、日本本土に展開する陸軍から移管された長距離捜索用の対空レーダーは要塞地帯に増設されたものが多かった。それにこの地域には人口密集地も多いから人の目を逃れて密かに飛来するのは難しかった。

 つまり早期に敵機を発見できることから守備側は余裕を持って防衛線を構築することが出来るということになる。高高度から侵入を図ったとしても、戦闘機隊を予め予想高度まで上昇させて待機させることも可能だった。



 ところが、本州から東方に広がる太平洋方面は手薄な状態で開放されていた。監視能力を強化しようにも、哨戒部隊の拠点となる地域そのものが存在していなかったのだ。


 帝都近くには防空拠点が複数存在していたが、特に筑波山には陸軍時代から長距離対空捜索レーダーが設置されて主に太平洋方面を監視していた。空軍に移管してからもレーダーは逐次新型機への換装が行われていたから、捜索可能な範囲は広かった。

 筑波山にレーダーが設置されたのは、大海に浮かぶ島嶼部の様に、平坦な関東平野の中で筑波山系が比較的高所にあったからだ。しかも筑波山は東京からも比較的近く、霞ヶ浦や水戸飛行場など周辺の基地との連絡も容易だった。

 単にレーダーを高所に上げるのであれば、遥かに高い富士山の山頂に設置すれば良いようなものだったが、裾野が広い富士山の山頂まで重量物を移動すること自体が一大事業となってしまうし、自然環境もより過酷だった。それで妥協策として筑波山が選ばれたらしい。


 このようにレーダーが高所に設けられたのは、レーダーにせよ目視観測にせよ、原理的に水平線の向こう側は見えないという単純な理由からだった。高高度を接近してくる敵機であっても、見かけ上水平線の向こうにあればレーダーでも探知は出来ないのだ。

 長距離砲戦に対応するために段々と積み重ねられていった戦艦艦橋の様に、見かけ上の水平線を遠くに押しやるためレーダーも高所にあげられていったのだが、その点で太平洋方面は監視体制の構築は格段に不利な条件が多かった。



 筑波山のレーダーはあくまで関東北部を警戒するためのものであり、日本本土に展開する航空部隊を管轄する航空総軍の指揮下には、他にも多くのレーダー基地からの情報が流入していた。

 レーダーで得られた情報は、航空総軍司令部に設けられている防空指揮所に集約されていたが、近距離にあるレーダー情報であれば指揮所内に集約するのは容易だった。

 極論すれば、レーダーが実際に設置されている箇所に必要なのは空中線だけだった。レーダーの表示面と空中線を繋ぐ電線を延長して、表示面だけを防空指揮所に設置してしまえばいいのだ。


 だが、これが太平洋上の離島となるとレーダー基地の維持管理は極端に難しくなる。海底に電線を敷設するのは一苦労だし、無線連絡も距離があると確実性に欠けるから双方に大規模な無線施設が必要だった。

 それ以前に単にモールス信号を打つくらいなら楽なものだが、高度なレーダー情報全てを無線で送信するには情報量が多すぎるから内容が複雑になりすぎて冗長性が欠けていた。



 それに単純に言っても離島に機械化された監視拠点を設けるのは難しかった。レーダーや無線施設を常時稼働させるには高出力の発電設備から整備する必要があったからだ

 本州の目の前にあるような島やある程度以上の人口がある大規模な島ならばともかく、離島の中には軍が根拠地を置いて初めて電化された島も少なくなかった。


 しかも、そこまで苦労してもレーダー覆域には空白地帯が少なくなかった。離島では高所などたかが知れているから、島の周辺しか探知範囲は広がらなかったからだ。

 全天候で安定した監視が可能というレーダーならではの利点は無視できないが、マリアナ諸島から硫黄島や父島といったレーダーが設置された小笠原諸島を伝って島の上を北上したとしても、島嶼間には空白の空域が広がっていた。



 尤もこの様な問題が有りながらもこれまで太平洋方面の監視能力強化がおざなりなものになっていたのは、現実的な脅威がさしあたっては存在しなかったからでもあった。

 例えば高速の空母部隊が太平洋方面から進出して攻撃隊を放った場合、帝都が奇襲攻撃で空襲される危険性は無視できなかった。水上機母艦しか存在しない頃から脅威そのものは存在していたのだ。

 既存艦載機の性能からして、攻撃隊を放った空母は航続距離の長い陸上機の攻撃範囲から逃れるのは容易ではないが、母艦の安全を無視すれば空襲自体は演習でも可能であることが証明されていた。


 だが、これは大型の正規空母複数を航空戦隊に束ねて打撃力を高めた日本海軍の場合だった。

 これが大戦中の英空母であれば搭載機の性能は十分でも搭載機数が心もとなかったし、仮想敵の米海軍も空母は戦艦群や巡洋艦配備の偵察艦隊に少数で随伴して防空力を提供するのが主任務だったから、空母単独で攻勢任務に使用される可能性は低いと見積もられていたのだ。



 こうした状況が変化し始めたのは10年ほど前のことだった。倒産した航空会社を通じて米国製の重爆撃機を入手した日本陸軍は、これを参考にして一式重爆撃機を制式化していた。

 当時の米国陸軍航空隊は安価な双発爆撃機B-18などを主力としていたのだが、裏を返せば一式重爆撃機と同程度の性能を有する重爆撃機を製造する能力が米国には存在していたということでもあった。

 実際に40年代半ばに就役したB-32などは、マリアナ諸島から直接日本本土を爆撃可能な性能を有しており、最近になって就役したB-36などは更に性能が向上していた。


 高高度を飛来してくる重爆撃機を満足な体制で迎撃するには、余裕を持って警報を出す必要があった。昨今は過給器の性能向上やジェット化によって爆撃機隊の飛行高度が上がっていたから、迎撃機はそれ以上の高度に上昇して待機しなければならなかったのだ。

 しかもマリアナ諸島から日本本土まで長駆侵攻したとしても、B-36ならば十分に迂回針路を取れる程には航続距離に余裕があるはずだった。つまりただでさえ空白域の広い太平洋島嶼部の哨戒拠点は機能しない可能性も高かったのだ。


 侵攻する重爆撃機隊を早期に発見する為には、機動力を有する弾性的な運用が可能な哨戒網の構築が必要だった。レーダーが設置された島嶼部は物理的に動かせないのだから、迂回は容易と考えられていた。

 公開されている日本周辺の島嶼部付近の地形図を分析するだけでも、電子戦闘に熟知した専門家であれば予めレーダー基地の設置された箇所を推測することは可能ではないか。



 当初、地上設置レーダーを補うための太平洋方面の前進哨戒任務には、海軍が艦隊の防空戦闘能力を向上させるために改装していた電探哨戒艦を借用するのが最適ではないかと空軍内部では考えられていた。

 哨戒艦の原型となっていたのは艦隊型の駆逐艦だった。建造当初は通常の駆逐艦だったらしいが、改装工事では兵装を削減するかわりに防空巡洋艦に搭載されているものと同型の対空捜索レーダーと、場合によっては戦闘機隊などを管制する能力を持つ中央指揮所を設けていた。

 空母機動部隊に配属された哨戒艦は、敵機の予想襲来方向に艦隊主力から単艦で進出してレーダーを用いた索敵哨戒と前方展開する戦闘機隊の誘導、管制を行うのだ。


 この哨戒艦の能力は、本土防空を任務の一つとして任された空軍にとっても魅力的だった。防空巡洋艦並みの捜索能力は、陸上に設置された既存レーダー基地と遜色ないものと考えられるからだ。

 しかも原型が駆逐艦であるから速力も高く、母港から割り当てられた哨区への進出や哨区の変更も容易な上に、自衛火力まで備えていた。

 艦隊型駆逐艦と比べると哨戒艦改装の際に対艦兵装は削減されているらしいが、そもそも駆逐艦主砲は陸軍火砲体系からすると大口径の野戦高射砲を上回る能力を有しているから、高射砲と対空機関銃陣地に防護されたレーダー基地と捉えれば防御面でも充実しているといって良かった。


 空軍内では一時期は海軍と共有の形にして哨戒艦の建造支援を申し入れる事も検討していた。レーダーの取得価格分位は建造費を負担してやっても良いという声があったのだ。

 この時は、複数の哨戒艦を建造して平時は空軍指揮下で太平洋側の哨区を担当させ、有事の際は海軍で艦隊防空に従事させれば使いまわしは効くのではないかという論調だった。

 勿論有事の際には空軍でも哨戒能力を強化することも必要になるから、全艦を艦隊防空に専有されるのは困るのだが、実際に建造さえしてしまえば有事の際も何やかんやと理由をつけて空軍の指揮下に置き続ける詐欺じみた事は可能だろう。



 だが、空軍のこうした都合の良い思惑を察したのかどうかは分からないが、海軍側の反応は鈍かった。海軍から移籍した情報関係者などを通じて詳しく調査した結果、海軍内部では哨戒艦の運用でいくつかの問題点が上げられていた事が分かっていた。

 確かに防空指揮中枢としての哨戒艦の能力は高かったが、任務の性質上艦隊から突出せざるを得ないという弱点もあった。哨戒艦の原型は駆逐艦だから単艦での残存性にはどうしても限界があったのだ。

 また任務の性質上どうしてもレーダー発振を停止するわけには行かないから、電波的には単艦行動でもその痕跡は明らかとなってしまうという問題もあった。


 しかも、哨戒艦の建造費用は高かった。

 哨戒艦の原型となったのは、島風型駆逐艦だった。同型艦を持たずに1隻のみが建造されていた島風は、本来であれば雷撃戦に特化した次期主力艦隊型駆逐艦の実験艦とも言えるものだったのだが、雷撃という戦術自体が疑問視された際に改装対象にされていたのだ。

 純粋な艦隊型駆逐艦である陽炎型や護衛駆逐艦として建造されていた松型などよりも大型であったために哨戒艦の改装対象となっていたらしいが、結局は戦訓を受けて海軍では哨戒機能に特化した艦を追加建造するよりも太刀風型や橘型といった次世代型の駆逐艦の哨戒機能を強化する方針を取っていた。

 つまり喪失した際に替えの効かない1隻だけ特別に強化された哨戒艦に頼るよりも、汎用性が高い大型駆逐艦を大量投入することでリスクを低減するというのが海軍の手法だったのだが、これは広範囲の哨戒網を構築するという空軍の方針を迷走させる原因ともなっていった。

一式重爆撃機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/1hb.html

太刀風型艦隊駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ddtatikaze.html

橘型駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ddtachibana.html

島風型駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ddsimakaze.html

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