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1942東京―ローマ4

 統合参謀部建屋内の会議室の一面には地中海沿岸を範囲とする巨大な地図が貼りだされていた。

 瀬島参謀は、地中海南岸を指揮棒で指しながら言った。

「現在、ドイツアフリカ軍団を主力とする在アフリカ枢軸軍は、陣地を構築して積極的な行動を避けております。国際連盟軍も我が軍を始めとするアジア諸国軍の戦力移送を優先しておりますので、現地では大規模な攻勢を控えて小競り合いが続いている状況です。

 北アフリカの国際連盟軍は、北アフリカ移送後はイギリス第八軍指揮官であるモントゴメリー中将の指揮下に入ることになっています。モントゴメリー中将は枢軸軍が積極的な行動を避けたとしても、当分はこちらから攻勢に転移するつもりはないようです。つまり戦力が充実するまで反攻作戦を実施する予定はないとのことです。

 第八軍指揮官となるまでのモントゴメリー中将は、これまで軍中枢の経験もなく我が軍でもあまり知られておりませんでしたが、どうやら慎重な性格であることは間違いないようです」


「枢軸国海軍が守勢に回ったとのことですが、陸軍も同じくリビア国境か、更に後方に下がって守備を固めるという可能性はないのでしょうか。このまま我が方と現在の前線の位置で睨み合ったままでは、北アフリカの枢軸軍策源地から前線までの補給線は長大なものとなってしまうのではないですか。

 我々がマルタ島を堅守し、アフリカ沿岸の制海権が我が方に傾いた今では、空母部隊による海上からの攻撃にも対処しなければいけないのですから、補給線を維持するだけで戦力を消耗し尽くしてしまうのではないでしょうか。

 ドイツは東部戦線においてスターリングラードを巡って消耗戦を強いられていると聞きます。そのような状況では地中海で攻勢に出るほどの戦力を準備できるとは思えませんが……」

 村松少佐は怪訝そうな声をあげていた。陸戦には詳しくないが、枢軸軍が前線に展開する戦力からすれば、膨大な補給物資が必要となるのは一目瞭然だった。


 しかも、国際連盟軍のほうが、日本本土を含むアジア諸国からの物資が海上輸送されてくるアレクサンドリアという比較的近距離の都市を策源地としているのに対して、枢軸軍は制海権が国際連盟軍側に傾いているために、比較的前線から近距離にあるトブルク港はほとんど使用することができなかった。

 無理をしてトブルクまで輸送船を回航しても、国際連盟軍の艦艇や航空機の脅威を受けるからだ。防空戦闘機の行動範囲内にある沿岸地帯でも、油断することは出来なかった。日本陸軍の複座戦闘機などの長距離戦闘、爆撃機などが神出鬼没に攻撃してくることも少なくなかったからだ。


 だから、彼らの補給線は前線から千キロ近くも離れたトリポリから延々と陸路を輸送するルートにほとんど依存していた。陸上輸送には多くの大型車輌が使用されているようだったが、当然だが前線まで物資を輸送する間にその輸送車輌自体も燃料油を莫大に消費していた。

 もちろん、陸路を輸送するルートの安全も必ずしも確保されているわけではないから、海上輸送に比べれば移送中の損耗率は少ないものの、程度問題に過ぎなかった。

 これでは積極的な行動を避けても、前線に部隊を貼り付けているだけで消耗戦を強いられているかのようだった。



 だが、瀬島参謀は僅かに首を振ってからいった。

「枢軸軍の補給線に対して、マルタ島駐留の部隊が与える圧力は確かに少なくありません。今後、マルタ島へのさらなる補給、補充によって英国空軍駐留部隊の戦力が回復すれば枢軸海軍は全力でもって輸送船団護衛に回らざるを得なくなるかもしれません。

 マルタ島沖海戦に続いて、英国軍によってジブラルタルが奪還されたため、地中海海域に枢軸軍は大規模な増援を送り込むことは不可能となりましたから。

 ですが、北アフリカの枢軸軍勢力にとってマルタ島からの圧力は、無視できないものではあっても、致命的なものとは言えないかと思われます。現に、昨年度マルタ島駐留部隊の規模が最大であった時も、枢軸軍補給線に対して大きな損害を与え続けていたはずですが、その間も独アフリカ軍団は攻勢を取り続けていました。

 むしろ、枢軸軍がここしばらく積極的な行動を控えて守勢に回っているのは、補給物資を蓄積して大規模な攻勢に備えているからではないかと考えられます。

 彼らの狙いは間違いなくアレクサンドリア、つまりはエジプトの支配にあるでしょう。当然エジプトが枢軸軍の手に落ちれば、再び地中海の制海権は枢軸側に傾いてしまうでしょう」


 遣欧艦隊司令部要員は、つまらなそうな顔をしていた。村松少佐も眉をしかめていた。

 あれだけの激戦となり、敵味方双方の艦隊に甚大な損害を与えたマルタ島の攻防戦も、地中海戦線の戦局を一変させる決戦とはなりえなかったからだ。


 だが、遣欧艦隊の要員が何かを言う前に、面白そうな声が上がった。

「つまり統合参謀部では、次はアレクサンドリア前面で何か事が起こると考えているということか」

 慌てて村松少佐が振り返ると、海軍第二陸戦師団を率いる伊原少将が顔を上げたところだった。



 海軍第二陸戦師団は、日本本土各地の鎮守府などに所属する常設の特別陸戦隊から戦力を抽出して新たに編成された部隊だった。陸軍と共同作戦をとるために師団と呼称してはいるが、その規模は陸軍の一般師団よりも小さく、旅団級の兵力だと言えた。

 ただし、ほぼ同じ経緯でシベリア出兵後に編成され、シベリア=ロシア帝国に駐留する常設部隊である第一陸戦師団からも部隊は引きぬかれているから、国境地帯での紛争での実戦経験を豊富に持つ老練な将兵も少なくなかった。

 司令部幕僚の多くも第一陸戦師団から横滑りして配属されていた。


 もともと常設されて、鎮守府などの陸上に固定配置されている海軍陸戦隊の数はさほど多くないから、特別陸戦隊を複数束ねた師団級部隊を統率できる大規模な司令部に必要な要員や陸戦に熟練した将官級指揮官の数は限られていた。

 早急に司令部を編成するためには、日本海軍で唯一師団級の部隊として常設されている第一陸戦師団から人員を引き抜くのがもっとも手っ取り早かったのだ。


 師団を率いる伊原少将自身もシベリア駐留の陸戦隊勤務が長かった。しかも、第一次欧州大戦から艦隊勤務や中央の省部などへの勤務は少なく、陸戦隊勤務で将官にまで昇進した特異な経歴の持ち主であるらしい。

 シベリアへの長期間の駐留勤務は政治的な事情によるものだという噂もあったが、村松少佐も詳しい話は知らなかった。

 ただ、伊原少将が卓越した陸戦隊指揮官だという話は聞いていた。

 シベリアーロシア帝国とソビエト連邦との事実上の国境線であるバイカル湖南岸で幾度も発生した紛争では、自ら部隊を率いて戦ったこともあるらしかった。


 そのような経歴の伊原少将としては、自分が率いる第二陸戦師団が投入される可能性の高いアレクサンドリア前面での戦闘が気になるのではないのか。

 だが、海軍陸戦隊が早い時期に帝国陸軍や英陸軍などと並んで戦線正面に投入される可能性は低かった。アフリカへの戦力移送はいまだ途上であったし、第二陸戦師団が退役艦から取り外された旧式砲などを転用した重砲などの重装備を有しているとはいえ、陸軍師団などと比べると比較的軽装で、大小の艦艇を駆使した戦略機動性を活かして、敵軍腹背への上陸戦などに投入される予備兵力とされるのではないのか、そう考えられていた。



 地中海に派遣されたなかで、上陸戦闘に特化した部隊は、海軍第二陸戦師団だけではなかった。広島を編成地とする陸軍第五師団も同様に上陸戦闘部隊に指定されて、揚陸訓練の実施や資材の手当を受けていた。

 第五師団が特に上陸専門部隊に指定されたのは、第五師団司令部や、基幹部隊である歩兵第11連隊などが駐屯する広島市中心地からほど近い宇品港に、陸軍の船舶輸送を担当する船舶司令部が置かれていたからだ。

 実際に、第五師団の一部は、船舶司令部が直轄する宇品を母港とする特殊船で北アフリカまで輸送されていた。

 陸軍の特殊船は、海岸に乗り上げる上陸用の船艇である大発などを、船内に設けられた全通式の格納庫に収容し、揚陸沿岸近くで船尾の泛水装置を用いて急速に発進させることができる文字通りの特殊な構造である上陸船艇母艦だった。

 すでに航空機運用能力を高めた発展型など幾つかの型式の特殊船が建造されていた他、航空母艦型の特殊船は、同規格船が海軍陸戦隊でも使用されるために特殊輸送艦として海軍でも採用されていた。



 世界的に見ても有数の揚陸部隊である日本陸軍第五師団と日本海軍陸戦師団、その片方を率いる伊原少将に、瀬島少佐は頷きながら言った。

「統合参謀部では、アレクサンドリアから百キロほど西側に現在存在する国際連盟軍、枢軸軍との前線が次の戦場になると判断しております」

 海軍参謀が瀬島少佐の後を継いで言った。

「以上のような状況から、当分の間は遣欧艦隊にはアレクサンドリア近郊での陸戦支援、及び敵補給線に対しての洋上からの妨害を最優先として実行していただきます。

 もちろん、敵主力艦隊がマルタ島、あるいは北アフリカ沿岸に侵攻した際にはこの限りではありません」


「すると対地攻撃が主となるのか……」

 遣欧艦隊航空参謀がつまらなそうな顔でいった。

 海軍航空隊、特に精鋭ぞろいとして知られる母艦航空隊の搭乗員の中には、対艦攻撃こそが主任務と考えて、対地攻撃などを据物斬りと軽視するものが少なくなかった。

「それはもともとわかっていたことではないのか。確かに我軍の航空母艦は、敵艦隊に随伴する敵空母を先制攻撃で撃破するのが主任務ではあったが、地中海にはすでに敵空母は存在しないのだ。であれば艦隊航空部隊は、防空と対地攻撃を主眼として運用する。それはすでに規程の方針ではないのか。

 航空参謀はそのことを徹底させてほしい」

 大賀中将は苦い顔をしながら、航空参謀に向かってぴしゃりといった。 司令長官から叱責を受けた航空参謀は、慌てて頭を下げていた。



 ちらりとその様子に目を向けてから、海軍参謀が続けた。

「司令長官の仰るとおり、今後北アフリカの遣欧艦隊主力の任務は対地攻撃が主任務となります。またマルタ島での損害を受け、軍令部では増援としてお手元の資料に記載の諸隊を遣欧艦隊に新たに配属します」

 大半の遣欧艦隊司令部要員の目が卓上の資料へと向かっていた。


 新たに遣欧艦隊に配属された部隊は少なくなかった。しかも、所属する艦艇や航空機の大半はここ数年の内に就役した最新鋭のものばかりだった。

 例えば、龍驤と赤城が撃沈され、戦力がほぼ半減された空母戦力を増強するために、第五航空戦隊が配属されることになっていたが、この戦隊を編成する翔鶴型は昨年末に就役したばかりの日本海軍で最新の艦隊型航空母艦だった。

 翔鶴型二隻の直衛として共に航空戦隊を編制する第三五駆逐隊に所属する駆逐艦も、就役が始まったばかりの秋月型が含まれていた。


 秋月型は、これまで建造された日本海軍の艦隊型駆逐艦が対艦攻撃力を重視して平射砲の12.7サンチ砲を装備していたのに対して、新型の六五口径10サンチ高角砲を主砲としているのが特徴だった。

 長10サンチ砲と呼称されるこの砲は、高角砲ではあるものの、長砲身砲であるため高初速で射程も長いために、平射砲としても有用だった。発射速度も高かったから、投射弾量で言えば従来の12.7サンチ砲よりも優っているのではないか。

 さらに、対空能力を極限まで高めるために、電探と連動した高射装置を主砲の射撃管制に用いていた。この電探連動方式の射撃指揮装置は対空射撃の他、対水上射撃にも使用することが可能であるから、夜間や濃霧などの視界不良状態での戦闘においても活躍が期待されていた。



 この電探連動の高射装置と長砲身高角砲の組み合わせを備えたのは秋月型駆逐艦だけではなかった。就役したばかりの米代型防空巡洋艦二隻で編成された戦隊が新たに配属されることとなっていた。米代型巡洋艦は、対空砲を多数装備する対空巡洋艦として設計された艦だった。

 すでに地中海で活動中の空母部隊には、直衛艦として米代型以前に建造された防空巡洋艦である石狩型二隻が配属されていた。


 石狩型は、英国海軍のダイドー級などと同じく、防空任務に特化した防空巡洋艦として就役した最初の世代の艦だった。

 ダイドー級巡洋艦が主砲を高角砲よりも大口径とし、平射砲としての性能も兼ね備えさせようとした結果、高角砲としては発射速度や砲塔旋回速度が遅く、中途半端な存在となってしまった13.3サンチ砲とし、また対艦攻撃力を保持するために雷装を有しているのに対して、石狩型は防空艦としての機能を重視して、兵装を高角砲として開発された長10サンチ砲と対空機銃のみと割り切っているのが特徴だった。



 画期的な防空任務用軽巡洋艦として就役した石狩型だったが、部内ではその評価は分かれていた。平射時の管制もかねる複数の高射装置と長10サンチ砲の組み合わせは、地中海での戦闘でドイツ空軍の攻撃から脆弱な空母を幾度も救っていたが、雷装が無いため防空任務以外に転用することが出来ず、またより艦型が小さく雷装も有する秋月型駆逐艦が続々と就役し始めたことから、相対的にその価値は下がり始めていた。


 元々、石狩型の建造計画は、旧式化した5500トン級軽巡洋艦の改装計画から始まっており、新規の建造が認められてからも、軍縮条約の制限から概ねその艦型は球磨型以降の5500トン級軽巡洋艦に近いものだった。

 だから、艦型の小ささから舷側に大重量の兵装を配置するのが難しく、主兵装である長10サンチ砲塔は艦首尾線に並べられた6基12門に限られていた。


 雷装や大出力の機関のおかげで高額になっていることを割引いても、排水量がより小さく、比較すれば建造コストの低い秋月型が4基8門の長10サンチ砲を装備しているのと比べて石狩型の評価が下がるのも無理はなかった。

 それに正規の軍艦扱いである巡洋艦に対して、複数の艦を束ねる駆逐隊で軍艦扱いとなり所轄長である駆逐隊司令が配される駆逐艦部隊のほうが、臨時編成の艦隊への配備や転属などが制度上容易であったため柔軟性があったのも確かだった。



 米代型は、就役後のこれらの石狩型の戦訓を踏まえて建造された第二世代目の防空巡洋艦だった。中途半端であった石狩型の教訓から、米代型ではタイプシップをより大型の最上型軽巡洋艦としていた。

 最上型は、高初速の15.5サンチ三連装砲を五基そなえた軍縮条約の巡洋艦規程ぎりぎりの大型軽巡洋艦だった。その最上型に準ずる艦体の米代型は、余裕を持って配置された捜索、射撃指揮用の電探に加えて石狩型の倍になる12基もの連装長10サンチ砲塔を装備した大型防空巡洋艦だった。



 さらに、増援部隊の中には、米代型をも上回る防空能力を発揮するであろう二隻の新鋭戦艦も含まれていた。

 しかし、マルタ島沖海戦で活躍した磐城型戦艦を上回る最新鋭戦艦の名を見る遣欧艦隊司令部要員の目はどことなく冷ややかだった。

石狩型防空巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/clisikari.html

米代型防空巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/clyonesiro.html

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