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1950グアム島沖遭遇戦22

 陸軍参謀本部と海軍軍令部を束ねる統合参謀部に続いて、陸軍省と海軍省を統合する新たな軍政機関が設立されていた。その名称としては明治時代に設けられていた兵部省という名前が復活していたのだが、その権限と規模が及ぶ範囲は明治期の比では無かった。

 日本帝国に存在する三軍の軍政機関を束ねた兵部省が設立されたということは、これまでの陸軍大臣、海軍大臣に代わって巨大な省庁を管轄する大臣の選出が必要となったということでもあったのだが、当然のことながら初代兵部大臣には陸海軍に加えて空軍も納得しうる重鎮級の軍政治家が求められていた。



 省庁統合前に就任していた陸軍大臣か海軍大臣のどちらを初代兵部大臣に選出しても陸海軍の勢力争いが激化するという予想があったことから、いっそしがらみが強い現役の軍人に近いものではない政治家から選べば良いのではないかという意見も軍内からは出ていた。

 そのような意見を出してきたのは、主に新設された空軍に移籍した航空将校達だったのだが、彼らの一部は、初代兵部大臣として元総理大臣である山本を推していた。

 確かに前総理ともなれば政党政治家であっても重鎮であることは確かだったから、初代兵部大臣としての重みは十分に備わっていた。

 それに山本は養父から引き継いだ地盤である長岡の選挙区の他に、自らも傷痍軍人である為か遺族年金の改正などに関わっていたことから退役軍人会にも根強い人気があった。


 ただし、山本の起用には昨今無視出来ない諸外国との外交関係に悪影響を及ぼす可能性があった。参戦時に内閣を率いていた山本は、第一次欧州大戦におけるユトランド沖海戦でドイツ海軍から受けた傷で傷痍軍人として除隊を余儀なくされたためなのか、対独強硬派として知られていた。

 対独講和時に山本が下野したのは、開戦内閣の総理大臣であったことだけが理由ではなく、山本自身が宿敵とも言えるドイツとの中途半端な妥協に難色を示していていたからではないかという憶測をたくましくするものも少なくなかったのだ。



 空軍を独立させた航空将校の思惑は、兵部大臣の選出という点では必ずしも統一されてはいなかった。海軍航空隊から移籍していたものが主に山本を推していたのに対して、人数で言えば大部分を占める陸軍航空隊出身者は中島飛行機の創始者にして大物代議士である中島を推していたからだ。

 海軍機関学校出身の中島は、山本と同じく予備役編入された退役軍人だったが、負傷除隊であった山本とは異なり、黎明期から航空機の戦力価値に注目して民間航空機製造業者を立ち上げるために自ら除隊を願い出たという異例の経歴の持ち主だった。


 だが、海軍からの除隊を巡っては円満なものではなかったらしく、海軍機関学校出身者が立ち上げたにも関わらず、中島飛行機の中でも特に初期に制式化された軍用機は陸軍機の方が多く、それが陸軍関係者と中島飛行機との根強い関係に繋がっており、空軍に移設された機体も中島飛行機製の機体が多かった。

 現行の主力戦闘機である四六式戦闘機震電は元々九州飛行機と海軍空技廠との共同開発機だったが、陸軍航空隊から空軍に移籍された陸上運用機の製造は中島飛行機が担当していたし、紆余曲折の末次期主力戦闘機として制式化されたばかりの五〇式戦闘機も中島製だった。


 尤も中島飛行機という日本の二大航空製造業者に成長した会社を率いる立場でもある中島は、航空撃滅戦や対艦攻撃を主任務とする軽快な高速双発爆撃機を主力攻撃機に据えている空軍の装備体系とは異なり、一式重爆撃機の後継となるであろう大型爆撃機の採用を目論んでいた。

 2度に渡る欧州大戦の結果として再編成されつつある世界情勢の中で日本を大国化させるには、いち早く民間航空を制するしかなく、それには大型機製造技術の維持発展が必要不可欠との大義名分の元、中島は空軍が求める双発機よりも遥かに大型の六発機の採用を求めていた。

 特に第二次欧州大戦後に脳溢血で入院した後に奇跡的に回復してからは、さらに神懸かったかのように大型機の製造に邁進しているという話だったから、その中島が兵部大臣となれば、空軍の装備体系が一代議士によって私物化されてしまうのではないかという懸念があった。



 どのみち山本はともかく、中島は海軍関係者からの消極的な反対もあって兵部大臣を務めるのは難しかったはずだったが、他に政党政治家で軍務に精通した上に三軍に適切な対応が取れる人材がいるはずもなく、大臣選出は難航していた。

 最終的に白羽の矢が立ったのは、政党政治家ではなく初代統合参謀部総長として現役時代に辣腕を振るった永田大将だった。陸軍軍人であったが、過去師団削減を伴う軍縮に関わっていたことから陸軍内部での人気はそれほどなかったのだが、統合参謀部を立ち上げた手腕は無視できなかったのだ。

 それに、永田大将は航空行政に関与していた中島以上に現在の省庁内で主流派である統制派官僚と気脈を通じていたから、政府、官僚からの広範な支持を受けていた。


 初代兵部大臣として永田退役大将を就任させるのに最大の障害となったのは、長年の激務で軍人生活に半ば嫌気が差していた上に老人の域に達して公の舞台から去ろうとしていた大将自身を説得することだった。

 現役定限年齢を過ぎて退役となって、ようやく家族と過ごす時間が取れるようになったと安堵していた大将に再び公務についてもらうように説得するには相応の時間が必要だったからだ。

 むしろ、そのように退役後に権勢を振るおうとせずにあっさりと公の場を退いた政治的野心の無さが、山本や中島のように老いてもなお脂ぎった政治家に辟易していた軍関係者から初代兵部大臣就任を熱望された理由だったのだろう。



 統合参謀部総長を務めていた永田退役大将が初代兵部大臣に就任したことは副次的な効果も生み出していた。統合参謀部と兵部省に集約された後も軍政が軍令よりも優位にあるという不文律が出来たことだ。

 情報面でも兵部大臣は統合参謀部総長と同程度の権限を有していた。むしろ他省庁からの情報を考慮すれば純粋な軍人である統合参謀部総長よりも情報源は広範なのではないか。


 永田大臣は、書記が記載していた会議の議事録を手早くめくりながら、連れてきた男に振り返って頷いていた。

「博士、例の資料を皆に配ってくれ。原子核兵器開発に関する情報を開示する……安心しろ、大賀君、総理から会議参加者に関しての情報公開許可はもらってきた。大体、米国が投入したものを後生大事に秘密にしておくことはあるまい」

 博士と呼ばれた男が書類鞄から取り出した資料は、写真が多用されたものだったが、書類をめくり出した出席者からは会議の初頭とは別種の困惑を含んだ声が上がっていた。


 会議の出席者達は米軍が投入したという新兵器に関する情報が記載されているものと予想して書類を開いていたのだが、実際に紙面に記載されていたのは医療記録と思われるものだった。

 用途を考えれば当然だったが、書類には記載者の感情が抜け落ちた事実のみを淡々と記述した文章が連なっていた。しかも医療関係の専門用語が多く、門外漢の小野田大佐では文章そのものの意味からして理解できない部分も少なくなかった。

 患者個人の情報は抜け落ちていた。要所に差し込まれる写真からすると成人男性であるようだが、詳細は不明だった。写真そのものは奇妙なほど鮮明なのだが、患部の拡大写真であったり、体全体が重度の火傷痕で覆われていたからだ。

 ―――火災にあった患者の記録、なのか……


 声を上げることはなかったが、小野田大佐も首を傾げていた。患者の全体写真からすると、裂傷などの痕はなかったし、あからさまに四肢などが欠損している箇所も見られなかった。

 例えば小野田大佐の専門である火砲の炸裂によって生じた傷であれば、火傷だけではなく飛来する弾片などによって銃撃されたような傷が発生するはずだった。


 だが、ふと違和感を覚えて小野田大佐は資料の頁を戻していた。最初に掲載されていたのは事故後の現場とだけ書かれていた写真だった。何かの作業を行う工具や機材が置かれた何の変哲もない部屋だった。

 実験施設のようにも見えるが、事故とやらのせいなのか乱雑に物が散乱しているものの、室内に火災や大きな破損の跡は見られなかった。そうだとするとこの書類には矛盾が生じていた。一体この患者は何の熱源で火傷を負ったのか、それが分からなかったのだ。


 疑問や博士を問い詰める声が上がる中で、小野田大佐は素早く残りの書類を確認していた。

 奇妙な点は他にもあった。写真を含む医療記録は常識的に時間経過にそって記述されていると考えるべきなのだが、やはりそうなると経過に矛盾が生じていた。

 大規模な手術を受けて、火傷の痕が写真で鮮明にわかるほど回復していたはずの患者が、ある頁から容態が悪化していく様子が見られたのだ。資料の最後の方では、爛れ落ちたまま皮膚が新たに形成されずに黒ずみかけた肉がむき出しとなっていくという正視に耐えない惨たらしい写真が掲載されていた。



 確かに医療は砲兵科士官の小野田大佐にとって門外漢の分野ではあるが、陸軍士官として最低限の応急措置程度を行う程度の心得はあった。その原理原則からすれば、この患者の治療記録には不可解な点が多かった。

 小野田大佐が眉をひそめたまま資料を見返していると、同じように資料の中身に面食らっていたのか呆けたような声が会議室の何処かから上がっていた。

「もしかしてこれは人体実験の記録なのか……」


 惨たらしい写真を見せられたせいで、そのような言葉が出てきたのかもしれなかった。あまり大きな声ではなかったし、会議室の中はざわめきがあったが、その声はやけに室内に響いていた。

 途端にざわめきが消えて室内が静まり返ったために周囲から注目された発言者は気まずそうな表情で視線を下げていたが、最も強く反応したのは永田大臣が連れてきた男だった。

 資料を配り終えた後は下座で待機していた男は、先程の発言者に鋭い視線を向けていた。鋭さは変わらないが、これまでと違って明確な殺意さえうかがえるものだったが、永田大臣が発言を促すと霧散していた。それでも男の顔からは苛立たしげなものは消えなかった。


「諸君、故あって彼の名前は明かさないし、知っていてもこの部屋の外で口外することは許さない」

 永田大臣はそう言って室内を見回していた。小野田大佐が左右を見渡すと何人かの顔が訳知り顔になっていたから、博士と呼ばれた男と面識があるものもいるのだろう。

 その博士は永田大臣から促されると、まだ苛立たしげな顔を崩すことなく言った。


「最初に申し上げておきますが、配った資料に記載された患者は我々の同僚であり、高度な訓練を受けた研究者でもありました。我々の中には旧敵国……ドイツ人も含まれていますが、彼らも例外なく研究者であり、使い捨ての人材ではありません……

 皆さんに配った資料はあくまでも放射線被爆を受けた患者のサンプルと考えていただきたい」


 博士の言葉に出席者の多くは顔を見合わせていたが、永田大臣はぼそりと呟くようにいきなり小野田大佐を呼んだ。

「作戦参謀、君達はトラック諸島の救援作戦を既に起案しているのではないか」

 周囲からの視線が集中した小野田大佐は困惑しながらも頷いていた。尤も奪還作戦は素案以前のものでしかなかった。そもそも統合参謀部は現地に派遣する部隊の詳細な作戦を立案する部署ではなかったから、あくまでも戦争全体の中の方針として起案したものでしか無かった。

 大体、中立国の新聞報道を信じるのであれば師団級の戦力によって占領されたトラック諸島を奪還出来るような戦力は周辺海域には存在していなかった。有力な根拠地であったトラック諸島を失った今、太平洋に点在する委任統治領に駐留する部隊は極少数の守備隊でしかなかったのだ。

 最終的にトラック諸島を奪還するにしても戦局を見極める必要があるだろう。



 だが、博士の反論はそうした事情を一顧だにしない峻烈なものだった。

「無駄です。現地や周囲の部隊からの連絡やフランス経由の報道を分析する限り、トラック諸島に駐留していた将兵は核兵器の直撃で戦死していなかったとしても多くは急性被爆で無力化されていますよ。命が惜しければ、当分の間爆心地には接近しないほうが良いでしょう」

 唖然として小野田大佐は反論しようとしたが、ふと視線を卓上の資料に向けていた。脳裏には資料に記載されている無惨な患者の姿が焼き付いていた。

四六式戦闘機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/46f.html

五〇式戦闘機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/50af.html

四五式爆撃機天河の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/45lb.html

一式重爆撃機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/1hbc.html

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