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1950グアム島沖遭遇戦20

 統合参謀部の会議室に集められた出席者達は、皆深刻な顔を浮かべたまま俯いていた。日本帝国の国防方針が定められると言ってもおかしくない会議室内に聞こえていたのは、会議前に配られた資料をめくる音とあちらこちらで上がる男達のうめき声だけだった。


 統合参謀部の作戦参謀である小野田大佐も、自分では気が付かないうちに声を上げていたかもしれなかった。米国との戦争は唐突に始まっていたのだが、その初撃で生じた損害は余りに大きいものだったからだ。

 トラック諸島で撃破された艦艇のリストは恐ろしく長かった。小野田大佐は元々陸軍砲兵科の人間だから海軍の艦艇には疎かったのだが、そんな大佐でも名前を覚えている海軍主力艦の名前が何隻も記載されていた。



 関係者なら誰でも頭を抱えたくなる程の大損害に、統合参謀部に提出する資料をまとめた側の連合艦隊司令部要員も顔を青ざめさせていたが、流石に艦隊司令長官の栗田大将は背を伸ばして端座して腕組みをしたまま瞑目していた。

 小野田大佐は密かに禅僧のような態度を示している栗田大将に同情心を抱いていた。宣戦布告と同時の奇襲攻撃とはいえ、これほどの大損害を出した連合艦隊司令長官の責任は重大だった。


 これから栗田大将が降格などの人事を受けるかどうかは分からないが、少なくとも連合艦隊司令長官を解任されて閑職に回される程度の処断は下されるだろう。

 過去に連合艦隊司令長官を経験したものは軍令部総長か海相となるか、あるいは退役するものばかりだったから、前例のない司令長官職からの降格人事を受けた場合は実質的に退役を余儀なくされるのではないか。

 尤も軍内の責任問題となれば小野田大佐達もどうなるか分からなかった。少なくとも統合参謀部の作戦参謀だった大佐も米国による奇襲攻撃の兆候を見抜けなかったからだ。



 概ね配られた資料を出席者が確認し終えたことを確認したのか、上座に座った統合参謀部総長である大賀大将が最初に口を開いていた。

「この損害報告に間違いはないのだね」

 いつも冷静な大賀大将には珍しく、どこか期待をする様な声だったが、視線を向けられた連合艦隊の参謀は沈痛な面持ちで頷いていた。


「残念ですが、トラック諸島に在泊していた艦隊、諸部隊とはすでに連絡が取れません。仮に報告に記載されている艦が沈んでいなかったとしても、行動可能な状態にあるとは思えません。

 トラック根拠地隊からの最後の連絡は米軍部隊の接近を告げるものでしたから、もしもそれらが無事であっても今頃は……米国経由の情報ではありますが、フランスの通信社が出した新聞記事は概ね正確ではないかと連合艦隊司令部でも判断しております」

 大賀大将も強張った顔で連合艦隊参謀に頷いていたが、小野田大佐も暗然たる思いで聞いていた。日本海軍は開戦初日に保有する戦艦の3割を喪失したということになるからだ。



 米軍による開戦奇襲攻撃が行われたのは、日本海軍が第二次欧州大戦中に艦隊の拠点として整備していたトラック諸島だった。環礁にいくつかの島が浮かぶトラック諸島は、艦隊根拠地として好条件が揃っていた。

 太平洋に浮かぶ巨大な環礁は外洋が荒天でも内部に穏やかな海面を作り出していたし、古来より先住民が居住していた島の中には、大型機の離着陸が可能な寸法の長大な滑走路を建設出来る程の面積を有していたものもあった。


 ただし、実際には戦時中に手が加えられたトラック根拠地の整備は限定的なものだった。近隣のグアム島を要塞化する米軍への抑止力として最低限度機能すれば良いというのが日本海軍の方針だったからだ。

 環礁内部に設定された艦隊泊地は、ほとんど人の手が加えられていないし、いくつかの島内には定泊艦艇の乗員休息用を兼ねた居住区画こそ整備されていたものの、大規模な司令部機能などは備わっていなかった。

 トラック根拠地隊には島の高地に建設された大型通信塔を備える通信隊が配属されていたが、実際には入港した艦隊への支援が目的だったらしい。停泊中の艦艇の長距離通信を肩代わりする為なのだろう。


 航空関係も、滑走路は整備されていたが、敵襲による被害を局限するための掩体壕などは殆ど設営されていなかった。

 大規模な増援を受け入れる用地は確保されていたというが、有事の際には戦略的な機動力を備えた設営隊を投入して防護施設などを拡張する予定で、平時は単に空き地が広がっているだけだったようだ。

 つまりトラック根拠地の戦力はあくまで機動力を有する艦隊の支援機能でしかなかったのだ。



 トラック諸島の基地化が限定的だったのは、予算と重要性を鑑みてというのが表向きの理由になっていたが、実際には先の大戦において主戦場となった地中海戦線に資材と要員が集中的に投入されていたからだろう。

 大戦中に急速に機械化された陸海軍の工兵部隊は、北アフリカからイタリア半島を上陸して前線部隊と行動を共にしていたし、トラック諸島に配備が予定されていたという戦艦でも本格的な修理を行える大型の浮揚式船渠も、実際には就役したものから次々と欧州に送られていた。


 大戦中は、欧州に出動しなかった旧式戦艦群が半恒久的にトラック諸島に駐留していたが、それらの旧式戦艦は開戦直後から多くの乗員を損耗の激しい遣欧艦隊に転属させられていた。

 熟練乗員の代わりに海兵団の教育を終えたばかりの新兵ばかりを受け取った旧式戦艦は、大戦中は練習艦として運用されていたようなものだった。トラック諸島への配備も実際には本土とトラック諸島を往復する演習航海を兼ねていたのだろう。

 小野田大佐も戦時中は欧州戦線に従軍していたから当時の本土に残された部隊の状況は詳しくは知らないのだが、旧式戦艦群やトラック諸島の根拠地が補助的な任務しか与えられていなかったのは確かだった。



 そのようなトラック諸島に久方ぶりに大規模な艦隊が停泊していたのは、大戦終結後も長らく実施することができなかった連合艦隊を挙げた大規模な艦隊対抗演習が行われる予定だったからだ。

 トラック諸島に先発した旧式戦艦群とその護衛部隊を仮想敵として、本土から出撃した主力艦隊が交戦するという大演習の筋書は、本来日本海軍で長らく研究されていた対米戦を想定したものだった。

 つまりトラック諸島に停泊していた艦隊は、ミッドウェー島やグアム島から日本本土に向けて侵攻する米艦隊を模していたのだ。


 しかもこの大演習は、戦前行われていた同様の演習が純粋に戦技研究や艦隊規模の練度向上を目的としていたのに比べると、非軍事的な事情も関係していた。演習の内容には日本海軍で余剰となった旧式艦を売却する相手国への宣伝も含まれていたのだ。

 トラック諸島に招待された何人かの大使館付き武官や外務省職員に加えて一部外国報道陣まで在島していたことからも、戦前の海軍の秘密主義からすると考えがたいことにかなりの情報公開が行われる予定となっていた。



 尤も、トラック諸島に集結していた艦艇の数は多いものの実際には停泊していたのは旧式艦ばかりだった。先の欧州大戦が集結した後に就役していたような本当に日本海軍が性能を秘匿したい新鋭艦はいずれも本土に残されていた。

 トラック諸島から出撃する艦艇に便乗が許可された外国報道陣の目に新鋭艦の姿が撮影されたとしても、これまで公開されていた遠景写真程度に留まるはずだった。

 ―――つまり日本海軍からはまだ反撃の手段が消え去ったわけではない、か……

 小野田大佐は資料から視線を外しながらそう考えていたのだが、大部分の出席者は喪失した艦艇の数に意識が押し流されている様な気がしていた。


 会議室のどこかから間延びしたような声が上がっていたのはそんな時だった。

「しかし、トラック諸島に停泊していた艦隊を一挙に葬り去る程の大規模な攻撃が本当に行われたのでしょうか。それともこの新聞記事に記載された新型爆弾というのは例の欧州大戦で使用された誘導爆弾なのですかね。

 それ以前にそれほど大規模な攻撃隊を事前に感知し得なかったのですか」



 要領を得ない表情を浮かべて次々と疑問を呈していたのは外務省から派遣されてきた職員だったが、なんとなく会議室には戸惑った雰囲気が漂っていた。

 陸海軍がそれぞれ有する軍令機関の寄り合い所帯でしかなかった以前の大本営とは異なり、総理大臣の指揮下で陸海軍に新参者の空軍を加えた日本軍全体の軍令を統括する統合参謀部では軍人以外の勤務者も多かった。

 統合参謀部総長が座長となる会議であっても、専門性の高い他省庁の人間を参考人や一時的な説明者扱いで会議参加者として受け入れる事が増えており、この会議室内にも陸海空軍の軍衣ではなく背広を着た男女がいた。


 この処置は、もはや軍人だけで遂行することが不可能となった総力戦形態の戦争遂行には大きな助けとなっていたが、その一方で会議中において軍人、軍属であれば当然備えているだろう共通認識の無いものが的外れな発言をするという問題も抱えていた。

 しかも、厄介なことに外務省の人間が言った問いに真摯に答えようとすれば、機密に指定されている内容に触れる必要があった。



 あるいは、外務省の職員は対米開戦という事態が発生したことで自分達に降りかかる責任を回避したかっただけなのかもしれない。開戦に至るまでの外交の失敗を、準軍事的な不意打ちを受けたこと、つまり索敵の失敗に矮小化しようというのだ。

 姑息な手段と言えるが実際に大きな損害を受けた軍関係者が真正面から反論するのは難しかった。


 ところが、会議の出席者達がお互いの顔色を伺う雰囲気を気にする様子もなく、企画院の長谷が手を挙げて発言していた。

「公開されている米国株式市場の統計情報から判断すれば、企画院としては開戦の兆候を事前に確認できなかったというほかありません。

 元々米国の経済は政府による統制が難しいのですが、航空機や重車両などの軍需産業に事前に資本が集中している形跡は見られませんでした。つまり経済的には米国には開戦の意思が見られないということです」



 長谷の淡々とした口調に、参謀の誰かが苛立った声を上げていた。

「小官には経済の事は分からないが、現実的に米軍は帝国に宣戦布告しているではないか。企画院は現実ではなく経済情報だけを見ているのではないか」

 参謀の口調は強かったが、長谷は顔色一つ変えなかった。

「誤解があるようですが、経済的な兆候と政府の意志は必ずしも一致しません。長期的な損耗を考慮して軍需品を備蓄し、戦時生産を決意した場合において事前に経済的な影響が確認されるからです」


 小野田大佐は首を傾げながらいった。

「つまり、米国は我が方を手持ちの戦力と平時に事前集積されていた物資だけで叩き切れると判断して開戦を決意していたということなのか……」

 違和感を覚えていたから小野田大佐の言葉は歯切れが悪かった。二度に渡る大戦で中立を保っていた米国には事前集積された、というよりも過去の戦争で使用されずに保管されていた弾薬などの在庫は数が少ないはずだったからだ。

 だが、確かに長谷は小野田大佐の方を見てうなずいていた。

「その判断に同意します。企画院でも同様の結論に達しました」


 無表情ながら自信が有りそうに言い切った長谷に続いて、統合参謀部で情報を取り扱う2部の分析官である水野少佐が言った。

「そういう意味では、軍事的に米国は開戦意図を徹底して秘匿していた節があります。米軍内部でも相当上級の司令部でもないと開戦時期などは知らされていなかったのかもしれません。

 最近になって米陸軍は騒擾状態にあるフィリピンの治安を安定させるためとして3個師団の動員を公表していましたが、実際にはそれぞれの師団はフィリピン防衛の強化、我が方のトラック諸島侵攻、そしてハワイの占拠という全く異なる任務と場所を与えられているようです。

 しかし、3個師団の全将兵、ざっと見ても3万名以上の人間の口をふさぐことなど到底不可能です。実際に下級士官以下には我々に公開されていたのと同様の情報しか与えられていなかったと考えるべきでしょう」


 小野田大佐は暗然たる表情を崩せなかった。結局の所、米国に戦略的な奇襲を受けた事実は覆せないのは明らかだったからだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 要するに史実の連合艦隊半個~一個分近くが吹き飛んだってことですよね。そら真っ青になりますわな...
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