1950グアム島沖遭遇戦18
日本海軍の戦闘能力は決してあなどれない。
かつてソ連海軍に観戦武官として派遣されていた時の経験から導き出されたバーク少将のそのような予想は開戦直後に最悪の形で証明されてしまっていた。太平洋艦隊から抽出されてアジア艦隊に配属された派遣艦隊が、日本海軍と交戦した上で大きな損害を被っていたからだ。
ただし、少なくともバーク少将がハワイに出張する直前までは、太平洋艦隊司令部でも派遣艦隊の詳細な現状は分からなかった。
アジア艦隊はある程度状況を把握しているものと思われたが、アジア艦隊が将旗を掲げるルソン島からトラック諸島との距離は、ミッドウェー島からのそれと大して変わらなかった。
勿論、単に距離の大小が情報の確度を左右するわけではなかったが、アジア艦隊が現地部隊の詳細を把握しているとは思えなかった。管轄海域が広大な割にはアジア艦隊は予算不足などから通信隊の体制も貧弱だったからだ。
尤も最悪撃沈された大型艦艇があったとしても、派遣艦隊には未だに任務を実行する能力は残されていた。航行に大きな支障が出るほどの損害が生じていたのであればトラック諸島を占領する海兵隊を乗船させた船団の援護など継続不可能だからだ。
フランス語で記載された新聞の記事でも海兵隊の上陸前にトラック諸島が大口径砲の射撃を受けたというから、少なくともアイオワ級戦艦ケンタッキーは主砲を発射できる状態にはあるようだった。
だが、貴賓室の高級ソファに腰を下ろした老人は、入室して初めて鋭い視線をバーク少将に向けながら言った。
「提督、君達の艦隊は日本海軍の艦隊と交戦したそうだが、端的に言ってこの戦闘で米艦隊は敗北したと言っても良いのではないかな。戦艦2隻を中核とする艦隊が同規模の日本艦隊と交戦したとのことだが、戦闘に参加した日米の戦艦の中で沈んだのは米艦1隻だけというではないか。
君達は日本海軍をトラック諸島で殲滅したというが、開戦と同時に日本軍根拠地を襲撃したのは洋上での戦闘を避けたためなのかね。そのような状況で日本軍恐れるに足らず、とは言えないだろう」
バーク少将は苛立ちが顔に出るのを隠す事ができなかった。老人の罵倒は無理解に過ぎた。派遣艦隊が苦戦したのは、政治的な足枷があったからだ。
だが、太平洋艦隊とアジア艦隊、それに大統領府や海軍作戦本部の内情を暴露するに等しい政治的な事情を部外者である老人に話すわけにはいかなかった。ウィロビー長官は老人を軍政本部の協力者に仕立て上げようとしていたが、米国とハワイは建前上まだ戦争状態にあるからだ。
老人の言葉を受けてウィロビー長官は一瞬押し黙っていたが、すぐに冷ややかな視線でバーク少将を一瞥すると、わざとらしい笑みを浮かべたまま言った。
「失礼だがミスターは事実誤認をしているらしいですな。ミスターの言うグアム沖の戦闘では確かに日本軍の戦艦2隻が確認されましたが、我が方が投入した戦艦は1隻のみです。沈んだとされるのは大型の巡洋艦に過ぎませんよ」
ウィロビー長官は嘘は言っていないが、必ずしもその内容が正確とは言えない。バーク少将はしかめっ面をしたままそう考えていた。おそらく長官自身も自分の欺瞞には気がついているはずだった。
アラスカ級大型巡洋艦は、そもそもドイツ海軍のドイッチュラント級装甲艦やそれに対抗したダンケルク級戦艦などの小型戦艦を仮想敵としたものだったからだ。
本来であれば米海軍ではこのクラスの大型巡洋艦は戦艦に準ずる戦力として期待されていたのだが、バルト海での戦闘でクロンシュタット級重巡洋艦が敗北したように実際には戦艦には対抗するのが難しく、逆に格下の巡洋艦相手には過剰という中途半端なものになってしまっていた。
派遣艦隊が日本海軍の戦艦相手にアラスカ級を充てたのも準戦艦としてその戦力に期待したからなのだろうが、現実は過酷だった。
―――結局は今回の戦闘でも政治的な要求で振り回されたという事か。
バーク少将はそう考えていた。結局アラスカ級大型巡洋艦を6隻も建造するくらいなら、アイオワ級戦艦を1隻か2隻建造したほうがましだったのではないか。
実際海軍の上層部もそう考えたからこそ戦闘能力に限界のあるアラスカ級から、排水量では同級となる艦体に16インチ砲を搭載したコネチカット級戦艦の建造に切り替えていたのだろう。
「なるほど、確かに局所的な戦場での優勢を実現して日本軍は我が方の艦隊を打ち破りました。しかし、戦略的には彼らは何一つなし得ずに日本本土に撤退した模様です。実際にはこの戦闘は精々が引き分けといったところではないですかな。
先程も申し上げた通り、この戦闘は我が方の戦艦は1隻、日本人は2隻の戦艦を投入しました。だが、傷ついて撤退したこの2隻の戦艦を加えたところで、トラック諸島で多くの戦艦を失った日本人に残された戦艦は10隻程度です。これに対して我が軍が保有する戦艦は30隻を越えます。
いいですかな、ミスター。我が軍は東海岸に十分な戦力を残したままで太平洋に日本軍残存戦力に倍する戦艦を回航する事ができるのですよ。今後2対1の不利な状況に追い込まれるのは米国ではなく日本人の方です。
ああ……それで思い出しました。ハワイに発つ前にワシントンで大統領や海軍作戦部長と話し合ったのですが、戦力に余裕が出来た場合は戦艦を何隻か東海岸から抽出してハワイ防衛艦隊を編成してはどうかということになりました。おそらく、今頃はパナマを出港してこちらに向かっていることでしょうな。
ハワイ防衛艦隊に編入される戦艦はいずれも旧式艦ですが、対艦、対地攻撃の火力は絶大なものがありますぞ。目の前で我が戦艦の威容を見ればハワイの皆さんも落ち着かれるのではないですかな」
ウィロビー長官の顔には笑みが張り付いていたが、その目は冷ややかに老人に向けられていた。前線後方のハワイに戦艦を配備するのは露骨なハワイへの威嚇だったからだ。
バーク少将の方はこの場で初めて聞いたハワイ防衛艦隊の存在に内心頭を抱えていた。どう考えてもこの艦隊の後方支援は太平洋艦隊が行うしかないからだ。しかも指揮系統はホノルルの軍政本部が一枚噛む面倒なものになることも確実だった。
ウィロビー長官の思いつきではないとすれば、ハワイ防衛艦隊の構想はあくまでも政治的な大統領案件だからだ。
老人の方はウィロビー長官の説明が終わっても押し黙って考え込むようにしてまぶたを閉じていたのだが、長官はとどめを刺すように続けた。
「如何ですかなミスター。先程の軍政本部顧問の件、ミスターにお引き受け頂ければきっとハワイの人々に益があると思うのですがね」
だが、バーク少将が苛立ちを覚えるほど、その後も老人は長く目をつぶっていた。それはウィロビー長官も同じだったのか、口にしたコーヒーカップを長官が卓上においた音が絨毯でも吸収しきれずにやけに室内に響いていた。
本当に寝ているのかと疑う二人の前で、ゆっくりと目を薄く開いた老人は苦々しい表情で言った。
「君達の顧問を引き受けるのであれば条件が2つある。1つは君たちが進めている日系人官僚の拘束を解くことだ」
ウィロビー長官は唖然とした顔で老人の顔を見つめていた。
ハワイ占領計画において事前に編成されていた憲兵隊が早くもホノルルに展開していた。各師団付きの軍内部における規律統制や軍内犯罪捜査を行う通常の憲兵ではなく、占領地における治安維持能力を強化するために独立編制となった大規模な憲兵隊が全米から抽出された兵力で編成されていたのだ。
その独立憲兵隊は事前に用意されていた逮捕者リストに従ってハワイ王国の官僚グループの一部を逮捕していたのだが、逮捕時の騒動が老人の耳にも既に入っていたのだろう。
だが、バーク少将は老人の言葉にあきれていた。老人には自分達が誰と戦っているのか分からないのではないかと考えていたからだ。米軍統治下のハワイで治安を維持するとなれば、真っ先に敵性外国人となる日本人を隔離しなければならないのは当然のことではないか。
しかも現地ハワイの情勢を知り尽くしている官僚となれば、内部から破壊工作を行う可能性は高いはずだった。高級官僚が自ら手を下すことはなくとも、普段そうしているように現地統治機構の末端を手先として動かせばいいのだ。
軍政本部としては、既存のハワイ統治機能を最大限利用するにしても、潜在的な脅威である日本人官僚を追い出さなければ現地人の統制など安心できなかったのだ。
ところが、ウィロビー長官の脅しなど最初から聞こえていなかったかのように、鋭い視線を保ったまま老人は続けた。
「ホノルル周辺の米軍憲兵隊の動きからすると、君達は日系人官僚を全員拘束するつもりではないかね」
老人の問いに、バーク少将はウィロビー長官の顔色を伺っていた。憲兵隊は陸軍の所属ではあるが、実際には軍政本部の指揮下にあるだろうからだ。
だが、ウィロビー長官は曖昧な顔でうなずいただけだった。何れにせよ言質を与えるような言葉は出せないのだろうが、老人の方も明確な答えを最初から期待していたわけではなさそうだった。
「この国の官僚にどれだけ日系人が含まれているのか、君達は知らないのかね。財務部だけではなく、この国ではもはや高度な経験と知識を持った移民系の官僚抜きで政府機関を動かすことは不可能なのだ。
それともこの軍政本部に配置された米国人だけでこの国の統治が可能だと君達は考えているのかね。今の米国軍がどのような体制にあるのか儂は知るような立場にはないが、軍人だけでいきなりハワイ全領土を統治するだけの人材を用意できるとは思えんな」
老人の勢いにウィロビー長官は辟易とした様子で首を降っていた。
「我々は、国際的に認められた米国の領土であるフィリピンの過激派を不当に支援している日本人と戦争をしているのですがね。ミスターにはそのあたりのことを理解してほしいものですな。英仏系移民はともかく、日本人を統治機構に残すことは考えられません。
そもそもこのハワイは、本来ミスターらの義挙が起きた際に米領となっていたはずの土地です。それが正しい方向に戻るのであれば、我々米国人の官僚を本土からいくらでも派遣しますぞ」
「どうも君達は我が国の状況を正しく理解していないようだな。ハワイ王国は二重国籍を長く禁じている。儂は日系人と言ったのであって、日本人とは一言も言っておらんぞ」
老人の冷ややかな視線に気圧される様に、ウィロビー長官はもごもごとそれなら検討しましょうとだけ言った。老人がそもそも長官の言葉の後半には全く触れていないことには二人共気が付かなかった。
実際に日本人を釈放するかどうかはともかく、気を取り直す様にウィロビー長官は老人にもう一つの条件を促していた。
「君達が不当に拘束している陛下にお会いしたい。君達に協力するにしても陛下に申し上げねばならぬ。たとえそれがハワイ人民の安全の為であったとしてもな……」
ウィロビー長官は困惑した表情を浮かべていたが、すぐに諦めたような顔で頷いていた。
「まぁよろしいでしょう。ミスターが国王と面会出来るよう取り計らっておきましょう」
ウィロビー長官は半ば諦めたような顔になっていた。既に老人は精神的に米国人ではなくなっていた。ここにいるのは白いハワイ人に過ぎなかったのだ。
ハワイの白人社会に強い影響力をもつ老人を本格的に取り込むことが出来ないならば、あとは如何に老人の過去の立場を使ってハワイ人を戦争に協力させられるかどうかだけが問題だった。
ウィロビー長官の思惑を察したバーク少将も、軍政本部を後にしてからはそれきり老人のことはしばらく忘れていた。少将にとって老人は文字通りの過去の人だった。
クロンシュタット級重巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cakronstadt.html
コネチカット級戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbconnecticut.html