1950グアム島沖遭遇戦17
日本海軍が根拠地として整備していたトラック諸島には、意外なことに少なくない数の民間人が開戦時に滞在していた。
一万人とも言われる先住民族や、日本海軍の軍属や軍人相手の商売人などの日本人を除いたとしても、日本軍に招待された各国報道関係者がトラック諸島を訪れていたらしいのだ。
考えてみればおかしなことでは無かった。フィリピンの独立派を煽り立てていた日本人は、米国を威圧する為にグアム島の目の前にあるトラック諸島で行う海軍の大演習を通告していたのだが、これを内外に宣伝する為には友好国による報道は不可欠だった。
ところが現実は日本人の意図とは全く逆の形で推移していた。威容を見せつける筈だった彼らの艦隊は、中立国報道陣の目の前で壊滅していたからだ。
日本人に招待された報道の中には、遠くフランスから訪れたものもいたようだった。アジア圏にあった植民地には独立されたものの、フランスは未だに太平洋に多大な権益を有していたから、同国にとっても日本海軍の演習には無関心ではいられなかったのだろう。
ウィロビー長官がバーク少将に差し出した報道記事は、トラック諸島に滞在していたフランス人記者が書いたものだった。それによれば、陸軍航空隊の重爆撃機隊が開戦と同時に投下したたった2発の新型爆弾で、実際にトラック諸島に在泊していた日本軍艦隊は壊滅的な打撃を被ったらしい。
しかも、巨大な雲と霧を生み出したという新型爆弾の威力は極めて大きく、洋上の艦隊だけではなくトラック諸島全域が押し寄せた爆風と熱線によって何らかの被害を被っており、上陸した海兵隊は散発的な抵抗を受けたもののトラック諸島全島の制圧は早々に完了したらしい。
読み慣れないフランス語から単語を拾い集めると、トラック諸島の状況は陸軍航空隊が望んだ通りのものであるらしい。バーク少将が大意を掴んだのを見計らったのかウィロビー長官が言った。
「黄色人種は猜疑心が強いらしいというから、自分達の艦隊が消滅したと聞いても信じないかと思ってね。中立国のフランスが記事を送れなくて難儀しているというから海兵師団の通信隊経由でハワイにあるフランス語新聞社に送ってやったのだよ」
ウィロビー長官の声を聞きながら、バーク少将は実際には因果関係が逆だと考えていた。おそらくは、陸軍航空隊は最初から中立国の目の前で日本海軍を叩き潰すことで米国の力を見せつけようとしていたのだろう。
バーク少将に渡された新聞は元々ハワイで刊行されているローカル紙らしい。ハワイ王国に入り込んだ勢力は英日が大半だったが、近隣の海外領土から短期訪問したものも含めれば在住するフランス語話者はそれなりの数があった。
新聞社としての規模は小さいが、記事は充実していた。ハワイ在住の記者は少ないが、近隣のフランス海外領土や本国から送られてくる記事も多く、実際にはフランス本国の通信社とも連帯関係にあるからだろう。
トラック諸島に派遣された記者も予め太平洋地域の通信社を経由してフランス本土に記事を送信するつもりだったのではないか。
米国の手で運ばれて発行されたフランス語の新聞は効果的な宣伝になるかもしれないが、それよりもバーク少将は最後に記載されていた記者の署名が気にかかっていた。おそらくはフランスで最も有名であろう軍人のそれと同じだったからだ。
―――もしかすると、単にこの記者のペンネームなのだろうか……
眉をひそめたまま紙面を見つめているバーク少将の手から新聞を取り上げると、ウィロビー長官は卓上に戻していた。
「元々、この新聞は客人に見せるつもりのものだったのだがね。早刷りを特例で貰ってきたんだ」
そう言うとウィロビー長官は、扉を叩く音に振り返っていた。
「時間通り、だな。バーク少将も同席してもらうぞ。上手くすれば労働力が欲しいという君の希望も叶うかもしれんからな」
ウィロビー長官自ら扉を開けて迎え入れたのは、杖をついた一人の老人だった。バーク少将よりも老人は二回りほどは年上に見えたが、飾り気のない分厚い眼鏡の向こうに見え隠れする眼光は鋭く、只者とは思えなかった。
むしろ、ホノルル港から軍政本部に移動する途中で見た他のハワイ人同様に南国らしい鮮やかな色合をした半袖の衣装は、細身の老人の体つきから浮いて見えていた。
その老人が持ち込んだ杖は節々が折れ曲がった素材そのままといった風に見えたが、使い込まれてはいるものの室内を歩く際の様子からすると頑丈でよく見れば職人の手が加えられているもののようだった。
老人は小柄ではあったものの、手にした杖同様に労苦の分だけ刻まれた年輪にも見える深い皺が刻まれた厳しい顔立ちは、二人にも負けないほどの古兵のようにも見えていた。
ただし、老人の肌は病的なほど白かった。整えられた白髪と肌の色が見分けがつかないほどだ。老人が白人種であるのは確かだが、この島の国民となることを選んだ白人達は、いずれも環境のせいか赤く日焼けした肌のものばかりだったから、老人の肌には違和感があった。
老人は顔だけでなく袖から出された腕も白く、ハワイ住民の多くをしめる農民ではなく、室内の執務が長かった事を想像させていた。
もっとも南国のハワイ人とは思えない白い肌だけを見ると病人のようだったのだが、杖を付きながらも機敏な動きと鋭い眼光が老人から病身の印象を拭い去って活動的に見せていた。
老人を先に客席に座らせたウィロビー長官は、口をへの字にした老人とは対象的ににこやかな表情を浮かべていた。
「よくおいで下さいましたな、ミスターロリフォード。我々は閣下を歓迎致します。ご紹介しましょう、こちらは太平洋艦隊司令部のバーク少将です。
少将、こちらはハワイで財務担当を長年務め上げられていたミスターロリフォードだ」
困惑した顔で一礼しながらも、バーク少将は老人の置かれた立場に気がついていた。
―――この老人は残留米国系市民なのか……
ハワイ王国はクーデター未遂事件の後に二重国籍者の追放を決定していた。母国の国籍を残したままハワイ王国の国民として登録することで、実質的には母国の為に働くことを禁じたのだ。
ハワイ人となることを喜んで選んだ日系人などとは異なり、大半の米国系市民は本土に帰国していたのだが、極少数のものはハワイから財産を動かせなかったのか米国籍を捨ててハワイ人と同化する道を選んでいた。
それどころか残留米国系市民は、ハワイ人となることを選択した際にハワイを捨てて帰国する同胞から安価に入植地などを買い叩いて肥え太っていたというのだ。
老人の険しい眼光も当然かも知れなかった。クーデターを起こされたハワイ先住民はもちろん、米国からも残留米国系市民は裏切り者と言う目で長年見られていたからだ。
だが、ハワイ先住民には複雑な会計帳簿や計算書類などの統計データを整理して国家規模の財政を管理する能力を持つものはいなかったのだろう。
それまで下手に中途半端な近代化を進めていたものだから、クーデターに関与した米国系市民であっても現地の財務処理に長けた人材を切り捨てるわけには行かなかったのではないか。
老人の年頃からすると、例のクーデター未遂事件に直接関与していた可能性もあった。それでもこのハワイに残ろうとしたのだから余程の理由があったのだろう。
バーク少将は老人の正体がわかったことで冷ややかな視線になっていたが、当の老人は口をへの字に曲げたまま少将を一瞥することも無く愛想よくしゃべるウィロビー長官の顔を無言で見つめていた。
ウィロビー長官は、にこやかな笑みでスタッフが運んできたコーヒーを老人に差し出しながらいった。
「本国から運んできた本場ブラジル産のコーヒーです。さて本題に入る前に一言申し上げるが、是非とも米政府を代表してミスターに謝罪したい。半世紀前にあなた方が起こした義挙を見逃して然るべき助けを送らなかったのは、明らかに当時の大統領府による誤りでした。
しかし、ご安心頂きたい。この戦争が終われば、今度こそ米国社会は暖かく皆さんを合衆国の一員として迎え入れるでしょう。長年耐え忍んでこられたあなた方の受難は終わり復活の時を迎えるのです。
ここハワイが米国の国内となれば、遠く離れたフィリピンとは比較にならない勢いで全米から投資が殺到してあなた方が根を下ろしたハワイ経済界は未曾有の発展を遂げることでしょう。勿論ミスターの資産と権威は子孫まで残されるでしょうな」
入室してからずっと押し黙っていた老人は、歓迎する姿勢を示したかったのか両手を広げたウィロビー長官が一瞬口を閉じたタイミングを捕らえて、脇に置かれた杖から離した片手を上げていた。
「生憎だが老人には時間がない。だから、君達の御託を長々と聞く気はない。儂が聞きたいのは唯一つだ。陛下はご無事か」
言葉は短く、大声では無かったが、不思議と通る声だった。これまで老人は大勢の官僚を指揮下において来たのだろう。僅か30万人の小国とはいえ一国の財政を賄ってきた男の迫力は、大部隊の指揮官を経験した二人の軍人をたじろがせる程のものだった。
バーク少将は、この期に及んで無力な国王の安否を優先する老人の態度に眉をひそめたが、ウィロビー長官はあくまで予想していたのか些か鼻白みながらも用意していた答えを言った。
「無論ハワイ国王も家族も無事に我が軍に保護されていますよ……いずれは彼らも神の元で平等な一人の市民として米国に迎え入れられますが、我々は彼らの財産や立場には興味はありませんのでね」
バーク少将は、その辺りが落としどころかと考えながら二人の顔を交互に見ていた。ハワイを米国に併合するにしても先住民の反乱を防ごうとすればある程度は元国王の生活の面倒でも見てやらねばならないのだろう。実際には手厚い年金でも配布することになるのではないか。
老人はすぐに反論しようとしたようだが、それよりも早くウィロビー長官が続けていた。
「国王の安否を気遣われるのであれば、是非ともミスターには軍政本部の顧問について頂きたいのです。我々は決してハワイの人々を傷つけるつもりはありませんが、相互理解にはハワイに通じたミスターの知識が必要不可欠なのです……
正直にお話しましょう。我々はこの戦争を戦い抜くにあたってハワイ人の力を必要としていますが、それは勝利に必要な絶対条件ではありません。我が米軍には既に神の力を現代に蘇らせた全く概念の異なる新兵器を有しているからです」
そう言うとウィロビー長官は小道具として用意していた例の新聞を老人の前に差し出していた。
「もはや日本人の軍隊など恐れるにたりません。我々は日本人が太平洋支配の前哨地としていたトラック諸島諸共奴らの艦隊を殲滅しました。トラック諸島で沈んだ戦艦は5隻以上となりますが、主力艦をここまで一方的に殲滅した戦闘は史上初の出来事となるでしょうな。
我々の手にはこの新兵器がまだ残されています。新兵器の神の力をどこで発揮させるか、その決定権を持つのは米国大統領ただ一人なのです」
言外にハワイで使用することもありうるとウィロビー長官は示唆したかったのだろうが、老人にその脅しが効いたかどうかは分からなかった。
表情には出さなかったが、バーク少将はおそらくウィロビー長官が言うほどには余裕はないと推測していた。
トラック諸島で日本艦隊を吹き飛ばした原子核兵器は開戦直後に限定的な情報が公開されるまで少将のような実働部隊の幹部にさえ知らされていなかった。
そんな秘密兵器の開発には多大な費用が投入されていたはずだったが、軍内にも秘匿されていた兵器開発が余裕のある体制だったとは思えなかった。おそらく投下されたのも実験段階か初期生産体制のものだったのだろうから、製造コストも莫大なのではないか。
トラック諸島に投下されたもので手持ちを全て使い果たしていたとしてもバーク少将は驚かなかっただろうが、財政の専門家である老人も米国経済を分析していればある程度の事情は把握できているかもしれなかった。
だが、老人の答えはバーク少将には意外なものだった。老人はウィロビー長官が指し示した卓上の新聞を手に取ったが、開いたのは別の頁だった。
「君達は日本軍の艦隊を撃破したというが、同じ日に君達も日本人に戦艦を沈められているのではないかね」
バーク少将は唖然として老人の顔を見つめていた。