1950グアム島沖遭遇戦16
開戦劈頭にトラック諸島に陸軍航空隊の手で投下された新兵器で駐留していた日本艦隊は壊滅した。バーク少将がそんな話を聞いたのは、サンディエゴの太平洋艦隊司令部を出発する直前のことだった。
ラドフォード大将率いる太平洋艦隊の司令部機能は開戦前から密かにミッドウェー島に移されていたのだが、サンディエゴにある太平洋艦隊司令部に勤務する膨大な数の将兵や軍属の全員が同島への移動対象となっているわけではなかった。
開戦前から各級司令部の防諜体制は強化されていたのだが、サンディエゴの司令部施設からミッドウェー島に司令長官達が移動した事実を欺瞞させる為に、ミッドウェー島から海底ケーブルを通じて送られてくるラドフォード大将発の無線連絡などはサンディエゴの施設から継続して行われていた。
そうした作業を行う司令部付通信隊の分遣隊に加えて、サンディエゴには兵站や人事など艦隊支援機能の大半が残されていた。
通信隊分遣隊は開戦に伴う司令部機能強化の為に残留していた機材と人員の大半がバーク少将と共にミッドウェー島に移動していたのだが、まだ太平洋艦隊司令部の後方支援機能を担う少なくない部分はサンディエゴに残されていた。
面積が限られるミッドウェー島には大所帯の兵站部隊などを受け入れる程の余裕は無かったし、そもそも本土各地から物資を調達して前線に送り込む兵站部隊の上級司令部がミッドウェー島に進出する必要性は薄かった。
そうしたサンディエゴに残留する諸々の後方支援部隊の調整を太平洋艦隊参謀長のバーク少将が残留して行っていたのだが、その残務が終わる前に開戦の日を迎えていたのだ。
開戦初撃において、陸軍航空隊が日本海軍が有力な艦隊を駐留させているトラック諸島を空襲するという情報は、太平洋艦隊司令部に対しては開戦直前になって伝えられていた。
以前からアジア艦隊司令長官であるキャラハン大将には内々に伝えられていたというが、ルーズベルト大統領時代には大統領府にも勤務していたキャラハン大将は独自の情報網を持っているらしく、アジア艦隊よりも遥かに大規模な戦力を指揮するラドフォード大将よりも政治的な権限は強かった。
以前から情報を独占する傾向のあるアジア艦隊からそれでも連絡があったのは、太平洋艦隊から抽出されてアジア艦隊に配属されたアイオワ級戦艦を中核とした派遣艦隊が、陸軍航空隊を援護する為にグアム島から出撃していたためだった。
この艦隊が派遣された目的は、本来はトラック諸島周辺海域で行われるという日本海軍の大演習を監視する為だったのだが、実際には派遣直前になって海軍作戦本部からの直命によって大幅に増強された上でアジア艦隊の指揮下に移されていた。
この艦隊が太平洋艦隊の頭ごなしに転用されたのは、開戦と同時に攻撃を行う陸軍航空隊の重爆撃機隊がトラック諸島から離脱する際に航空戦力で援護を行う為だった。
開戦初撃は戦略的な奇襲攻撃となるから、進撃途上まで単なるフェリー移動を装う重爆撃機隊にはあからさまに陸軍の戦闘機隊を随伴させることが出来なかったのだが、同時に派遣艦隊はトラック諸島空襲の直後に同島に進攻する海兵師団の護衛も兼ねていた。
だが、ラドフォード大将始め太平洋艦隊司令部ではこの作戦に不安を覚えていた。トラック諸島は、第二次欧州大戦中に日本海軍の手で要塞化が進められたから、海兵師団による攻勢は大きな損害を被るのではないか。
場合によっては上陸の失敗による撤退を援護するために、太平洋艦隊から送られた部隊が開戦早々に戦力を喪失する可能性も指摘されていた。
トラック諸島に設けられた日本軍の防御施設がどの程度のものなのかは分からないが、艦隊泊地の規模だけでも相当なものになる筈だった。それが開戦奇襲攻撃で行われる一回の爆撃で無力化出来るのか、そもそも司令部要員の多くはその時点から疑っていたのだ。
仮に自分達の根拠地であるミッドウェー島周辺に友軍艦隊が停泊していたとしても、たった一度の空襲ではうち漏らしは相当な数になるはずという声も大きかった。
不意打ちで日本軍の戦闘機を含む敵防空部隊の妨害が無かったとしても、頑丈極まりない戦艦を重爆撃機で撃沈するには、高高度から重力の助けを帯びて着弾時の運動エネルギーを稼ぐ水平爆撃を行うしかないが、無誘導の爆弾では不動の相手でも高高度からの投弾では命中率は低かったのだ。
照準の困難さに加えて高高度からの水平爆撃では落下中に生じる風向きや温度による僅かな誤差が大きくなるから、通常は対艦攻撃に重爆撃機を投入する際は、大編隊で一斉に投弾することで着弾点の散布界に敵艦を包み込む公算爆撃が行われていた。
最近では母機から誘導を行う事で飛躍的に命中率を上げる誘導爆弾も実用化されており、陸軍航空隊の重爆撃機部隊を主力とする航空要塞論の根拠の一因として対艦攻撃の主力とされているようだが、航行中の戦艦を撃沈した実績は諸外国まで目を広げてもまだ無かった。
日本海軍艦艇の大部分はトラック諸島の泊地で停泊中と思われるが、いくら誘導爆弾の命中率が高いといっても1隻残らず無力化するのは難しいのではないか。
海兵師団を援護するために太平洋艦隊から抽出された艦隊に含まれる大型水上戦闘艦はアイオワ級戦艦ケンタッキーとアラスカ級大型巡洋艦プエルトリコという各級1隻に過ぎなかったから、日本海軍の戦艦が1隻でも残存していれば大きな脅威となるはずだった。
アラスカ級大型巡洋艦は場合によっては旧式戦艦とも互角に戦えるという声もあったが、実際には砲力に劣る大型巡洋艦は排水量は同等でも正面からでは戦艦には対抗できない、バーク少将はそう考えていた。
観戦武官としてソ連軍に派遣されていたバーク少将は、バルト海で発生した戦闘でアラスカ級大型巡洋艦とほぼ同等の構成であるクロンシュタット級重巡洋艦が日本海軍の磐城型戦艦に敗北した光景をその目で見ていたからだ。
増強後も派遣艦隊の構成は中途半端なものだった。戦艦、大型巡洋艦を除くと空母と航空巡洋艦も1隻ずつが配属されており、これに軽巡洋艦4隻と6隻の駆逐艦が護衛戦力として随伴する形になっていた。
むしろ軽巡洋艦を中核とする哨戒艦隊でしかなかったものに大型艦が後から追加されたようなものだったから、護衛艦艇が不足気味ではないかと太平洋艦隊司令部では危ぶむ声もあった。
陸軍の同級部隊よりは比較的軽装備の海兵隊であっても、開戦に伴ってあちらこちらから部隊をかき集めて再編成された海兵師団の輸送は、20隻もの1万トン級貨客船が投入された大規模船団で行われていたからだ。
実際には、艦上戦闘機を集中的に搭載していたエセックス級航空母艦タイコンデロガとアーカム級航空巡洋艦ラクーンによる上陸船団の上空援護が派遣艦隊の主な任務内容となっていたのだろうが、太平洋艦隊司令部は作戦行動中の詳細までは知らされていなかった。
このような変則的な艦隊編成となったのは勿論ラドフォード大将の意思によるものではなかった。巡洋艦程度ならばともかく、大型巡洋艦や航空母艦以上の大型艦に関しては、防諜体制の一環として対外的に目立つ行動を避けて平時状態を保つようにと海軍作戦本部を通して大統領府から厳命されていたのだ。
派遣艦隊の大型艦が戦隊を解いて1隻ずつ送り込まれているのも、言ってみればラドフォード大将や参謀達によるささやかな抵抗によるものだった。普段行動を共にしている僚艦がサンディエゴなどの母港に停泊したままであれば、その行動を欺瞞できると考えられたからだ。
最近の米国内における海陸軍に関係する防諜体制は徹底していた。特に大規模な部隊の移動はその意図を徹底的に秘匿する体制が取られていたから、開戦時期の欺瞞は米政府にとって必須と考えられていたらしい。
一万人以上の将兵を有する陸軍師団の移動は流石に外部に隠すことは出来ないが、それでもハワイに投入されていた第25歩兵師団などは過激な独立派が跋扈するフィリピンの治安維持と目的を偽っていた。
これまで最大でも連隊単位で各地に駐留していた海兵隊にとって悲願となる大規模編成となる海兵師団が投入されたのも、陸軍の大規模動員という印象を薄めたかったからではないか。
しかし、防諜体制を強化するのは良いが、それが戦力を出し惜しみする結果に繋がっているのでは本末転倒と言わざるを得なかった。バーク少将の見る限り、米軍内部では日本軍を過小評価する傾向があったのだ。
米海軍内では欧州列強からの植民地支配を自らの力で脱することのできなかったアジア人は思想の点でも大きく劣るし、日本人は列強の勢力争いの間にあって運良く植民地化を免れただけという声が大きかった。
ロシア帝国に勝利した日露戦争においても、本拠地から遠く離れたロシア人達に不利な戦場で戦ったためと考えられるし、現在の日本軍が有する近代装備も、旧大陸の戦争に兵士を送り込んだために他の列強から技術を提供されたからこそ手に入れたのではないか。
要するに技術的、思想的に優れた自分達と正面から戦う力は、白人に劣った黄色人種にあるとは思えないというのが、一般的な米軍兵士の常識だったのだ。
だが、ソ連軍に観戦武官として派遣された時に日本軍との戦闘を経験していたバーク少将は、日本人が戦場で発揮した蛮勇を覚えていた。米軍からすると彼らの装備や思想には不条理と思われる部分も少なくないのだが、戦闘能力において日本軍は侮れない存在だった。
当初の戦争計画通り、対日戦においては開戦当初から太平洋艦隊の戦力を少なくともミッドウェー島まで前進させるべきというのがバーク少将の持論だった。
それにミッドウェー以西に進軍する際も一貫して太平洋艦隊が統一した指揮をとるべきだった。平時におけるアジア圏へのプレゼンスを想定していた政治的な性格の強いアジア艦隊と比べて、太平洋艦隊は有事を想定した機動性と作戦立案能力を高められた実戦的な組織だったからだ。
太平洋艦隊司令部の要員はバーク少将の意見に概ね賛同するものが多かったが、ラドフォード大将などは単にアジア艦隊から戦争の主導権を取り戻したいというのが理由だったのではないか。
それに太平洋艦隊を率いるラドフォード大将よりも大統領府に独自のラインを持つキャラハン大将の方が席次が上だったから、開戦初期の作戦は大統領府や海軍作戦本部から直接アジア艦隊に指示が下っており、太平洋艦隊は間接的に状況を知るのみだった。
バーク少将は、ミッドウェー島に到着した後もなお陸軍航空隊の戦果を危ぶんでいた。実際には残存する日本海軍艦艇の逆襲で小規模な派遣艦隊のみならず、輸送船団にも壊滅的な損害が出るかもしれないのだ。
実際に派遣艦隊の旗艦であるケンタッキーからは、日本艦隊と遭遇戦となって艦隊に大損害が生じていた事が報告されていた。
タイコンデロガとプエルトリコが撃沈されたというが、損害を与えた日本艦隊も撤退した為に、残存する航空巡洋艦ラクーン航空隊で船団援護を継続するという報告を最期に再びケンタッキーは無線封止に入っていた。
だが、バーク少将が陸軍航空隊が報告した戦果に不審を抱いているのに気がついているのか、ウィロビー長官は刷られたばかりに見える新聞を卓上から手にとってバーク少将に差し出していた。
反射的に受け取ったバーク少将は、フランス語の見出しに目を白黒させていた。そこにはトラック諸島が壊滅した事実が記されていたからだった。
クロンシュタット級重巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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