1950グアム島沖遭遇戦15
太平洋を舞台とした対日戦争を想定して米軍上層部で立案されていた戦争計画では開戦初期に占領する計画が立てられていたものの、ハワイ王国の現状を正確に把握している米海軍の軍人はいなかった。
半世紀前にハワイ王国に入植していた跳ね上がり者の米国人によって行われていたクーデター未遂事件によって、米軍艦艇はハワイ王国への入港を以後禁止されていたからだった。
先進国に対して行うものとは思えないハワイ王国の横暴な措置には当然のことながら歴代の米国政権も強く抗議していたものの、英日仏などの支援を受けたハワイ王国の態度は強硬なものだった。
ハワイへの米国の経済的影響力を排除してそれに取って代わりたいという彼らの意図は米国には明らかだったのだが、ハワイ王国の要人は直近のクーデター未遂事件に目を奪われて彼らの思惑に気が付かなかったのだろう。
クーデター未遂事件が発生していた時に、ホノルル港湾部の米国が使用権を与えられていたエリアに在泊していた巡洋艦の艦長が密かにクーデター派と通じてこれに介入しようとしていたのだが、当時の米国政権自体は悪化するスペイン関係に集中する為などの理由でハワイ併合には慎重な姿勢を示していた。
クーデター派に肩入れしていた艦長個人の意思を米国全体のそれと同一視するのは、近代化が進まずに個人と集団の区別が曖昧なハワイ人の遅れた思想故なのではないか。
何れにせよ、ハワイ王国は期限付きであったホノルル港の独占利用権を一方的に制限した上で軍艦の入港を阻止すると宣言していた。その後も商船の入港は受け入れていたのだが、ハワイ王国と米国西海岸を結ぶ航路は、多くの船主にとって旨味のない航路と判断されていた。
ハワイ王国は、非道にもクーデター未遂事件後に米国との二重国籍を保持していた入植者を追い出していたのだが、それまで経済面で大きな影響力を及ぼしていた米国系市民がいなくなればハワイ王国の経済が大きく衰退するのは明らかだった。
つまりハワイ人達は自分達のちっぽけなプライドを保つ為に、近代化による経済成長という恩寵を拒否するという暴挙に出ていたのだ。
英日仏に独占されるようになってくるだろうハワイ王国との貿易が商売にならない事を察した米国籍の船会社は、関税の増大もあって多くがハワイ航路の定期便を廃止していた。
米領フィリピンと本土を結ぶ長距離航路の中間補給点という機能は無視できないが、やはりクーデター未遂事件後に増大した入港料を嫌って多くの米国籍船はハワイ王国ではなく米政府が管理するミッドウェー島への寄港を増やしており、結果的に海軍への負担増大を招いていた。
米海軍が占領したホノルル港は、米軍に資料が残されていたクーデター未遂事件当時と比べると意外なほど近代化はされていたのだが、港湾部の規模は小さかった。設備は新しいのに桟橋などの数が少なすぎるのだ。
それに桟橋や付随施設の規格が米国のものとは違うから、実際に運用すれば米国籍船の艤装品とは適合しないもの出てくるかもしれなかった。
ホノルル港でこれなのだから、他島の港湾部はより貧弱であることが予想されていた。ハワイ王国の主要産業であるサトウキビなどは一旦オアフ島に集積されて加工されてからホノルル港から輸出されていくはずだからだ。
他島にあるのは国内航路用の沿岸航行船しか接岸出来ないような小規模港ばかりなのではないか。
ハワイ王国を対日戦の後方支援拠点として機能するように整備するには、人員を集中的に配置して早急に港湾部の大規模な拡張を図る必要があった。少将は手早く数値をまとめながらそう考えていた。
ハワイ王国への出張において、バーク少将が調査内容を報告する相手はラドフォード大将だけではなかった。占領前から早々と組織が立ち上げられていたハワイ王国領を統治する軍政本部に報告して、現地人から徴用した労働者を港湾部の工事に投入するように依頼しなければならないのだ。
ところが、ホノルル港でつかまえた陸軍の汎用車両で乗り込んだ軍政本部の中で、バーク少将の要請はウィロビー民生長官代理ににべもなく断られていた。
占領下のハワイ王国において実質上の政府として機能するために、軍政本部は高い権限を持たされていた。実質的には軍政本部の機能は欧州列強が植民地を支配した際に現地に置かれた副王に近いものなのではないか。
米政府は、この軍政本部を率いる指揮官として当座はマッカーサー大統領の腹心の部下であるウィロビー民生長官を充てていた。
後ほど正式な人事が発令されるまでは長官代理ということになるが、おそらくは国務省から派遣されてくるであろう正規の民生長官よりも、組織を立ち上げる中では大統領の特命で任命された長官代理の方が権限は強いだろう。
ウィーロビー民生長官にはハワイ王国の統治にあたる国務省などから選抜されたスタッフに加えて占領軍への指揮権も与えられていたからだ。
ウィロビー長官は、マッカーサー大統領が現役の陸軍軍人であった頃から仕えていた幕僚であり、大統領が選挙に打って出る際に自身も中将で退役して選挙スタッフとして加わったという深い関係にあった。
それに加えてウィロビー長官は強硬な反共主義者という噂も流れていた。マッカーサー政権がソ連との外交で距離を取っていたのも、大統領補佐官として側近となっていた長官の思惑が強かったのではないかという噂もあった。
そのウィーロビー長官は占領軍となる第25歩兵師団司令部と共にハワイ王国に乗り込んでいた。そして早くも長官率いる軍政本部は、ホノルル市街地のなかで戦火を逃れていた英国資本の高級ホテルに本部を設けていた。
その中でも最上級の部屋となる貴賓室が長官室に充てられていたのだが、慌ただしく運び込まれた書類などがハワイに着いたばかりの軍政本部勤務となる国務省スタッフの手で梱包を解かれているのに対して、いち早く長官席の背後となる壁にはウィロビー長官代理とマッカーサー大統領の写真が飾られていた。
高級絵画でも飾られていそうな立派な額縁に入れられた大判写真に写っている二人は軍服姿であり、しかもマッカーサー大統領は元帥の格好であったから二人が退役した際に記念として撮影されたものではないか。
飾られた写真は、大統領と個人的に親しい関係にあるということを誇示したいというウィロビー長官の思惑が透けて見えるようだった。写真から目をそらすと、バーク少将は険しい表情で長官の顔を見つめていた。
貴賓室の重厚な木机に持たれかかりながら書類を確認していたウィロビー長官は困ったような顔を浮かべていたが、バーク少将を見つめる目は冷ややかな光を帯びていた。
「少将の報告は確認させてもらった。長期戦を考慮すればハワイの港湾部を整備することの重要性は私も理解しているつもりだ。民生長官の立場で言わせてもらえれば、オアフ島以外の主要港湾部もいずれは最低でも1万トン級貨物船を接岸出来る程度の能力は必要だろう。
だが、今すぐには第25歩兵師団付きの工兵隊は港湾部には回せない。いや、師団付隊だけではない。本土から移動中の機械化工兵大隊も最低限の補修作業を除けば緊急工事が完了する迄はホノルル港拡張工事には回せない」
バーク少将は、一度大きなため息をついていた。この状況下でハワイの入口となる港湾部の機能を整備すること以上に優先すべき工事が存在するとは思えなかったのだ。
占領したハワイ王国に所属する島嶼はミッドウェー島と比べれば格段に大きく、短時間の整備でミッドウェー島を越える規模の後方拠点として機能するはずだった。
だが、それを質すとウィロビー長官は不思議そうな顔でいった。
「どうも少将はこの戦争の戦況を正しく理解していないようだ。私は長期戦を考慮すれば、と言ったんだ。太平洋艦隊が想定していた当初の戦争計画は、日本軍によるフィリピン侵攻によって開始されるものではなかったのかね」
意外な言葉にバーク少将は咄嗟に反論しようとしていた。実際にはウィロビー長官が考えているように単一の想定だけではなく、多くの想定状況でハワイの占領は計画に含まれていたからだ。
だが、険しい表情を崩さないバーク少将から気まずそうに視線をそらすと、ウィロビー長官は軍政本部を短時間で機能させるために大勢のスタッフでごった返す執務室から少将を促して隣の応接室に移っていた。
バーク少将を先に入らせてからウィロビー長官が扉を閉めると、貴賓室に敷かれた分厚い絨毯に音が吸収されるのか、嘘のように室外の喧騒が遮断されていた。
だが、贅を尽くした室内の調度品にバーク少将は居心地の悪さを感じていた。
―――こんな陸のホテルなどよりも、やはり駆逐艦の狭苦しい士官食堂の方が自分には合っているのではないか。
そんなバーク少将の感傷に気がついた様子もなく、ソファに腰を下ろしたウィロビー長官は、立ったままの少将にいった。
「既に戦況は海軍の初期想定から大きくずれ出している筈だな。想定されていたどんな状況でも、侵攻の尖兵となる日本人の戦艦を開戦劈頭に半減させるというものは無かったのではないかね。
念の為に言っておくが、私は少将や海軍作戦本部を現在の事態を想定していなかったとして批判するつもりは無いよ。私自身も現役時代にワシントンで戦争計画の改正作業に関わっていたこともあったが、当時は日本人の戦艦を吹き飛ばした核兵器の存在は誰も知らなかったからね。
だが、現実に日本海軍の大戦力を緒戦に航空攻撃で撃滅し得たというこのような事態においては、開戦前の古い想定計画に拘ることなく、占領計画も現実に合わせて柔軟に変更すべきというのがホワイトハウスの意向なのだよ」
得意そうなウィロビー長官の言葉を聞いてもまだバーク少将は首を傾げ続けていた。占領計画の修正とは言うものの、戦争の継続にはやはり港湾機能の拡張は不可欠ではないか。
もしかすると陸軍軍人出身のウィロビー長官には船舶輸送の困難さが伝わっていなかったのかもしれない。そう考えるとバーク少将は理論的に反論しようとしたのだが、それよりも早く長官は卓上に広げられていたオアフ島の地図をなぞりながら続けた。
「まずは機械化された工兵部隊を集中投入してこのホノルル近くに滑走路を設定する。B-36級の大型機による連続離着陸を考慮すれば最低でも3000メートル級の滑走路と相応の面積の駐機場が必要だが、陸軍航空隊は事前の航空偵察で予め基地建設予定地を選定してくれていた。
予定地の実地調査だけは現地で行うしか無かったが、既に航空隊の要員がホノルル近くの予定地を確認して基本的な地質は問題なさそうだとの報告を受けている。
勿論だが、急速造成すべきは滑走路だけでは無い。本土から前線に向かう大型機の中継拠点と考えるなら、最低でも燃料の供給機能は不可欠だ。幸い港湾部の近くにあるから、基地とタンカー用桟橋間をパイプラインで結ぶ必要もあるだろう。
そういう意味では少将の言うとおり港湾部の機能強化も図られるということかな」
そこで一旦口を閉じると、ウィロビー長官はバーク少将に視線を合わせ、どことなく芝居じみた様子で手を広げながら続けた。
「理解したかね。君達船乗りではなく、ましてや私の様な地に這いつくばる事しか知らない歩兵でもなく、この戦争は航空機によって行う。大統領はそう決断されたのだよ。
妙なものだな、あのカーチス元大統領が言った航空要塞防衛論、核兵器という手段を得た今になってあれが正しいかどうかカーチスを破った大統領の手によって実戦で試されるのだよ」
バーク少将は、眉をしかめたまま無言でウィーロビー長官の言葉を聞いていた。