1950グアム島沖遭遇戦14
宣戦布告を行った直後に太平洋艦隊がハワイ王国占領に投入した戦力は、太平洋の孤島であるミッドウェー島から出撃したことを考慮すれば決して少ないものではなかった。
派遣艦隊の中核となる大型艦は以前からミッドウェー島に駐留していたボルチモア級重巡洋艦2隻だけだったが、同級は海軍軍縮条約が無効となった後に建造が開始された有力な戦闘艦だった。
条約制限という軛から逃れたことで前世紀の戦艦並みの排水量を与えられたボルチモア級重巡洋艦は、強力な8インチ砲とそれに耐えうる装甲を併せ持つバランスの取れた巡洋艦だった。
ボルチモア級重巡洋艦の能力は言ってみれば小さな戦艦のようなものだから、単純な戦力差なら僅か1隻しかない軽巡洋艦を旗艦としつつこれに率いられる駆逐艦数隻程度でしかないハワイ王国海軍を圧倒していたはずだった。
勿論ハワイ進攻作戦に投入されたのは海軍だけではなかった。国内外にフィリピンに向かって海上輸送中と公表されていた部隊が、マッカーサー大統領の宣戦布告と同時にミッドウェー島周辺海域で針路を変えてハワイ王国に襲いかかっていたのだ。
最後にインディアンの大規模蜂起が発生してから久しい北米大陸は、英国の手先であるカナダという潜在的な脅威を抱えていたものの概ね平穏な状態が続いており、米陸軍が有する陸上部隊は平時編制は小規模なものに抑えられていた。
その平時編制の陸上部隊の規模からすると陸軍はかなりの兵力をハワイ諸島に投入していた。
ミッドウェーから派遣された艦隊の援護を受けてハワイ王国に向かった輸送船団は、最近になって連邦正規軍に編入されたばかりである3個州兵連隊を中核に新編された第25歩兵師団を乗船させていたのだ。
対して海上戦力以上にハワイ王国が保有する陸軍は貧弱なものだった。人口比率からすれば大規模な兵力を抱えているいう分析もあったが、全軍かき集めても1個旅団程度の戦力がハワイ王国の各島に分散配置されているに過ぎなかった。
しかもハワイ王国の海上戦力を早々に撃破した米海軍の派遣艦隊は、ハワイ王国の政治的中枢であるオアフ島周辺海域を海上封鎖して島外からの兵力投入を阻止していた。
外部との連絡を断ったオアフ島に対して、第25歩兵師団は主力の歩兵連隊を集中投入してハワイ王国の首都であるホノルルを一挙に攻略していた。
これまで米陸軍には本格的な上陸戦の経験はなかったが、海兵隊による中南米諸国に対する政治介入が行われた時と同様に、圧倒的な海軍力とミッドウェー島から飛来した航空戦力で威圧しつつ、ホノルル港に商船を徴用した兵員輸送船を次々と接岸させていたのだ。
その後に発生していたハワイ王国軍との戦闘は散発的なものだった。既に海軍主力が壊滅していたことを知らされたハワイ人達の士気が著しく低下していたからだろう。
陸上戦闘では防御側が有利である為に、攻撃側は3倍の兵力を投入してようやく互角になると言われていたが、オアフ島に投入された米陸軍の戦力はハワイ人の3倍は越えていたから、浮足立ったハワイ軍が対抗できる相手ではなかっただろう。
それに外洋からの進攻を考慮していなかったのか、ホノルルの市街地は海上からの支援が届きやすい沿岸部に大部分が含まれていた。ハワイ王国の国王が住まうイオラニ宮殿や政府機関の制圧も短時間のうちに終了し、政府や王室の要人達も大半は米陸軍の手で捕らえられていた。
ハワイ占領作戦は実質的に終了したようなものだった。既に事態は占領後の治安維持や、オアフ島以外に点在しているハワイ軍残党の掃討といった段階に入っていたのだ。
ただし、バーク少将の知る限りでは米陸軍の作戦行動は当初の計画通りには進まなかったようだ。
大規模な上陸戦闘の経験がこれまで無かったせいなのか、ホノルル港に突入した兵員輸送船から将兵を下船させるには時間がかかっており、投入された第25歩兵師団主力は実際には逐次投入されていったようだった。
むしろイオラニ宮殿への突入は後続部隊との連携を半ば無視した先発部隊の独断に近いものだったらしい。結果的には早期に王族の捕縛を行う事に成功したわけだが、第25歩兵師団に生じていた損害の大半はイオラニ宮殿の制圧時に発生していたようだった。
流石にハワイ王国軍も宮殿を防衛するために奮戦したのだろうが、最後には火力と練度に勝る米陸軍に圧倒されていたのだろう。
だが、バーグ少将の懸念は別のところにあった。少将の視線はホノルル港の中でハワイ王国海軍が使用していたエリアに向かっていたのだが、入港した米海軍の艦艇や飛行艇などで視界は大半が隠されていたものの、そこにはハワイ王国海軍の旗艦であった軽巡洋艦カイミロアが横たわっているはずだった。
比喩などではなかった。元英国海軍のダイドー級軽巡洋艦スキュラを前身とするカイロミアはハワイ王国でも最大の艦艇だったのだが、今では船体を横倒しにさせてドック内で残骸と化していたのだ。
ホノルル市街の制圧が始まった当初、ハワイ王国軍の残党が立て籠もっていた軍港エリアは距離を保った包囲にとどまっており、米陸軍による直接的な制圧は後回しにされていた。
ホノルル港に逐次上陸する兵力は宮殿や政府施設の制圧を優先していた。第25歩兵師団の司令部にはハワイ王国政治中枢の無力化が最優先の作戦目標として与えられていたからだ。
おそらく陸軍上層部は現地人主力の軍隊など国王さえ捕らえてしまえば手を上げるだろうと考えていたのだろうが、国王は宮殿を制圧されて捕らえられる直前にラジオ放送を行っていた。
ハワイ王国全島に向かって放送されていたラジオ放送の中身は、大半が新たな皇太子の任命という声明だったらしいが、現地語の部分が多く傍受した米軍には内容はよく分からなかった。
国王やその家族に関しては捕縛対象であったことから憲兵などに情報は渡っていたが、王族の数は多く米軍内部では皇太子として名前を呼び上げられたものは個人名では殆ど知られていない人物だった。
新皇太子が国王の縁戚であるのは確かなようだが、政治的な立場などは不明だった。
あるいは、放送は国王個人の考えによるものではなくハワイ王国軍に向けた何らかの暗号か符丁だったのかもしれない。放送直後からハワイ王国軍の抵抗が変化し始めていたからだ。
米軍による進攻は戦略的な奇襲となっていたから、放送が行われるまでのハワイ王国軍は混乱した様子で場当たり的に対処しているようだったのだが、放送後にはいくつかの部隊は陣地を放棄して組織的な撤退を開始していた。
第25歩兵師団は抵抗の薄くなった地域に戦力を集中して一挙にホノルル市街を占領していたのだが、やはり最終的に撤退していたものの軍港に立て籠もっていた部隊は何を思ったのか撤退前にドック入りして身動きが取れなかった軽巡洋艦カイミロアを自らの手で破壊していたのだ。
破壊は徹底したものだった。しかも、巧妙な事に頑丈な軽巡洋艦の船体は直接的には殆ど手を付けていなかった。そのせいで包囲していた第25歩兵師団はドック底で行われていた爆破作業に最後まで気が付かなったようだった。
使用されたのはおそらくドック入りの際に艦内の弾薬庫から下ろされていた主砲弾の装薬だったのだろう。米海軍であれば整備中は陸上の弾薬庫に保管されていたのだろうが、ハワイ王国軍ではドック内の施設に保管する杜撰な管理を行っていたのではないか。
ドック近くにいた陸軍将兵の証言によると、最初に装薬が起爆したのはドック底に隠されたカイミロア船底近くだったらしい。
重装備の陸揚げが遅延していた師団砲兵が戦闘に加入したのかと爆発音を聞きつけた将兵の間からは歓声が上がったのだが、包囲部隊から上構先端だけが見えていたカイミロアの船体が爆発後に次第に傾ぎ始めてからは困惑の声になっていたようだ。
そして更に大規模な爆破がドック入口近くで発生していた。
規模は小さいもののホノルル港に隣接するドックは近代的な構造をしていた。おそらくは英国人の技術者が指導して造り上げられたものだったのだろう。ハワイ人が近代的なドックを独自に建造できるとは思えなかった。
今では残骸と土砂の流入で確認する事はできないが、ドック底は要所にコンクリートが流し込まれた頑丈な石造りのものであり、ドック入り口には注排水ポンプを備えた扉船が配置されてドックを閉鎖していた。
これまでの調査によって最初の爆発は、実際には短時間のうちに複数箇所で発生していたらしいことが判明していた。軽巡洋艦カイミロアの船体に最低限度の開孔を生じさせて自沈という形で浸水させる為のものだったのだろう。
同時にドック底でカイミロアの船体を支えていた盤木がいくつか破壊されていた。しかも、破壊された盤木は片舷側に集中していた。単に爆発物を設置しやすかったからなのか、計算尽くしなのかは分からなかった。
そして2度目に生じた爆発はドック内のカイミロアではなく扉船を破壊していた。
しかも、それまでに扉船は全力で排水を行っていた形跡があった。兵員輸送船でも着岸できるホノルル港の数少ない大型船用桟橋が空くのを港内で待っていた際に、乗組員などがドック付近からの流れがあることを目撃していたのだ。
だが折角事前に排水の兆候を確認していたにも関わらず、上陸部隊と迅速に連絡する手段がなかったものだから詳細は全てが終わってから判明していた。
内部のバラスト水の急速排水によってアンバランスな浮力を得ていた扉船は、2度目の爆破によってドックとの接続を絶たれたことで自壊しながらドック内に押し寄せていた。
扉船をドック内に推し進めていたのは、膨大な海水の圧力だった。通常の注水作業などとは全く異なる爆発的な海水の勢いに押された扉船は、片舷側の盤木を破壊されて半端に支えられていたカイミロアの船体に衝突して同艦を横倒しにして破壊していた。
そしてカイミロアに体あたりした衝撃とドック内を短時間で満たした海水の吹き戻しによって、今度は扉船はドックから排出されようとしていたのだろうが、止めとばかりに3度目の爆発が生じていた。
あるいは単に時限信管の調定に失敗しただけで、本来は2度目の爆破ですべてを爆発させようとしていただけだったのかもしれない。周囲にいた将兵や捕虜からの聞き取り情報をまとめた書類を見ながらバーク少将はそう考えていた。
どう考えても爆薬の設置や信管の調定作業は宮殿での戦闘が始まったことから行われていたものだろうから、ハワイ王国軍のさほど練度が高いとは思えない工兵部隊が満足な精度で行える作業とは思えなかった。
3度目の爆発は扉船の本体に据え付けられていたものだったが、2度目の爆発は至近距離で行われていたのだから調整を間違えばその時点で扉船本体が破壊されてもおかしくなかったのだ。
だが、理由はどうであれ結果的にハワイ王国軍は、自らの意図を完遂させていた。自らの旗艦を爆破してまで同国の補修施設などを徹底して米軍に渡さない為に破壊していたのだ。
状況は最悪だった。ドック内は軽巡洋艦カイミロアが横倒して塞いでおり、ドック内を排水してこれを解体しようにもドックと海面を区切っていた扉船も港内で破壊されて、残骸はドック近くで作業船の侵入を阻むように浅い海底に鎮座していたのだ。
太平洋艦隊司令長官であるラドフォード大将がバーク少将を出張させた理由の一つは、アジアで始まった対日戦を支える後方支援基地としてハワイ王国がどの程度機能するかの調査だった。
だが、バーク少将は機能を把握する以前に、ホノルル港の軍港機能を復旧させるのに必要な曳船や作業船団の手当の多さに目が眩むような思いを感じていた。