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1950グアム島沖遭遇戦13

 ―――ここは随分と蒸し暑い土地だな……

 いかにも南国といった様子の島国に連絡機として運用されている飛行艇から降り立ったアーレイ・バーク少将は、小国らしい貧弱な港湾設備を睨みつけるように見回していた。


 バーク少将は太平洋艦隊司令部の参謀長に就任して間もなかった。海軍部内で大規模な人事が行われる時期からは外れていたから、奇妙な人事だとは思ったが、後から考えてみるとこれも密かに行われていた開戦に備えた準備だったのかもしれなかった。

 だが、残務を終えてサンディエゴからミッドウェー島に移動したばかりの太平洋艦隊司令部に合流したバーク少将は、同島到着直後に先発していた艦隊司令長官のラドフォード大将から直々に再度の出張命令を受けていたのだ。



 合衆国海軍の歴史上異例ではあったが、開戦に伴って太平洋艦隊司令部は米国本土からミッドウェー島まで六千キロの距離を越えて前進配置されていた。

 元々太平洋航路の中継点となるミッドウェー島には大規模な根拠地隊が置かれており、能力の拡大がここ半世紀の間に段階的に行われていた。長距離通信施設などの司令部機能も充実していたから、宿舎などの手配さえ付けば太平洋艦隊司令部の要員を受け入れる能力は十分に有していた。


 尤もバーク少将が配属された太平洋艦隊自体の歴史は浅かった。米西戦争後に戦時動員が解除されて平時体制に戻された米海軍は、基本的に全部隊を単一の合衆国艦隊に集約させていたからだ。

 それから半世紀近く大規模な戦争とは無縁だった米海軍は、平時の管理には便利なこの単一艦隊制度を維持しており、小規模な紛争が発生した場合は都度哨戒艦隊を臨時に編成して派遣していたのだ。


 この合衆国艦隊が実質的に解体されていたのは最近のことだった。パナマ運河を境に管理海域を分割した太平洋艦隊と大西洋艦隊という2つの司令部が新設されていたのだ。

 西海岸のサンディエゴと東海岸のノーフォークにそれぞれの司令部を構えた両艦隊が設立されたのは、先の第二次欧州大戦以後も混沌とする国際情勢に柔軟に対応するものと海軍内外に説明されていた。

 例えば、数年前にはカリブ海で演習中だった米海軍の小艦隊が英日海軍混成の艦隊と遭遇するなど米本土近海においても領海が複雑に絡み合う係争地で領海侵犯などに繋がりかねない事態が頻発していた。

 偶発的な戦闘や、そこまでは行かなくとも列強国相手に武力を誇示するような事態になれば、中央で一括して大規模な艦隊を指揮するよりも現地状況を周知した地域司令部に実戦部隊指揮の権限を移譲した方が適切に対応出来るはずだと考えられていたのだ。



 だが、大西洋艦隊が直接カリブ海や大西洋などに展開する全部隊の指揮をとっているのに対して、太平洋艦隊には彼らよりも歴史の長いアジア艦隊がより前方にあたるアジアに展開していた。

 アジア艦隊はフィリピン諸島からグアム島に至る海域を管轄していた。大半の艦艇が本土に駐留する太平洋、大西洋両艦隊に比べると遥かに規模は小さかったが、海軍大将が艦隊司令長官となるアジア艦隊は両艦隊が分離する前の合衆国艦隊からも独立した存在だった。


 元々アジア艦隊が編制された理由は、米西戦争に勝利した結果として米国が獲得したフィリピンやグアムを防衛することだったが、実際には更に先にある中国大陸において米国がより多くの利権を獲得することも狙っていた。

 つまり、アジア艦隊は実戦的な戦力というよりも、アジア地域において米国の軍事力の象徴として存在感を示すことを目的とした極めて政治的な部隊だったのだ。

 そのささやかな艦隊規模に比べると似つかわしくない海軍大将の配置も、アジア諸国を植民地とする欧州列強や地域大国である日本帝国に対抗するためのものと考えてよかった。



 政治的な権限の強さに反比例して、マニラに司令部を置くアジア艦隊の戦力は開戦前まで貧弱なものでしか無かった。というよりもマニラ周辺を含むフィリピン諸島には大規模な艦隊を収容可能な港湾部や本格的な修理工事を行う修繕施設が存在しなかったのだ。

 大恐慌と呼ばれた歴史的な不況の中にあったルーズベルト政権下で米国海軍は大拡張を遂げていたものの、拡大した艦隊規模に対して支援機能の強化は限定的なものに留まっていたからだ。


 元々海軍予算の増大は公共投資という側面も強かった。つまり海軍予算の増大分は、商船の荷動きが途絶えて仕事が無くなった造船所に対する支援策として、民間でも建造可能な巡洋艦などの大量発注という形で割り振られていたのだ。

 米国本土のサンディエゴやノーフォークといった主要海軍基地は艦隊規模が拡大した分だけ増強が図られていたが、米国本土の労働者に職が増えるわけではない海外領土に存在する基地の拡張は等閑に付されていたというのが現状だった。


 陸軍はフィリピン諸島の中核であるマニラ周辺の要塞化工事を細々とした規模ながらも継続して行っていたが、巨大な海軍施設を年毎に割り振られる乏しい予算で拡張し続けるのは難しかった。

 グアム島に関しては、ミッドウェー島と同じく太平洋航路の中継点としても機能していたからある程度の基地化も進んでいたのだが、マニラ周辺のスービック基地に平時から駐留しているのは潜水艦と巡洋艦がそれぞれ数隻程度といった小規模なものでしか無かった。

 しかも、アジア艦隊に所属する艦が本格的な整備を行う為には、定期的に本土を母港とする艦との入れ替えを行わなければならなかったから、アジア艦隊は、米本土からすると平時においては恒久的に維持される補給線の先端と考えるべきだったのだろう。



 ところが、開戦に先立ってアジア艦隊には続々と有力な艦艇が編入されていた。開戦直後に実施される予定の作戦に投入されるためだったが、表向きは陸軍と同じく騒乱の続くフィリピン防衛や日本海軍の大規模演習に警戒するためとされていた。

 アジア艦隊に追加派遣された部隊は、大半が太平洋艦隊から抽出されたものだった。サンディエゴなどの母港から遥々派遣された部隊は、ミッドウェー島周辺海域を越えた時点で太平洋艦隊からアジア艦隊に指揮権を移行されていた。


 ただし、指揮権がアジア艦隊に移行したとしても、派遣部隊と太平洋艦隊の関係が途切れたわけではなかった。

 派遣部隊は整備の関係から長期間のアジア駐留は難しかったし、マニラやグアムに備蓄された燃料や食料などの消耗品は限られているから、太平洋艦隊の後方支援部隊には膨大な負荷が掛かっていた。

 太平洋艦隊司令長官となるラドフォード大将の立場からすれば、こうしたアジア艦隊の存在は些か苛立たしいものだったのではないか。太平洋艦隊は対日戦における最前線となるアジア艦隊を支援すると共に、開戦初期に艦隊固有の戦力でハワイ王国の占領まで果たさなければならなかったからだ。



 度重なる米国系市民に対する弾圧を理由として、米国政府は日本帝国と同時にハワイ王国に宣戦を布告していたのだが、実のところハワイ占領は開戦の遥か以前から米軍の中で練られていた戦争計画の中に織り込まれていたものだった。

 戦争計画で想定された状況は幾通りもあったが、日本帝国相手との戦争になった場合は多くの想定条件において米国の勝利条件を達成するのに早期のハワイ占領が効果的であると結論付けられていた。

 広大な太平洋の東西に分かれた米日が対峙する場合、米国がフィリピン諸島を防衛するなり長駆太平洋を進出して日本帝国本土に攻め込むなりする為には、能力の限られるミッドウェー島を補うためにハワイ諸島を占領して本土と最前線を繋ぐ補給線の中継点として転用する必要があったのだ。


 だが、過去幾度も練り直されていたそうした戦争計画において対日戦の主力となっていたのは、本来は太平洋艦隊のはずだった。というよりも寡兵のアジア艦隊は開戦早々に無力化されるものという認識があったのだ。

 アジア圏に本拠地がある日本帝国は、当然だが同地域に平時から大兵力を展開していた。膨大な工業力と先端技術力を誇る米国が国家として敗北するとは思えないが、予想される戦争の初期においては有力な根拠地を持たないアジア艦隊が戦力比で著しく不利であるのは間違いなかった。


 当時の戦争計画では、フィリピンやグアムといった西太平洋に点在する米国領は一旦放棄するか時間稼ぎの遅滞戦に徹する予定だった。勿論米軍の後退は緒戦で生じる一時的なものに過ぎなかった。日本軍にくれてやるのは一時の勝利だけなのだ。

 日本軍には手の届かない大西洋から回航された艦隊や本土で増産された戦力を補充された太平洋艦隊は、最終的には小手先の戦術に頼るしか無い日本軍をその膨大な物量でもって圧倒する、というのが戦前想定されていた戦争計画の大筋だった。

 だから、戦前に想定されていた戦争計画では、緒戦における太平洋艦隊はミッドウェー島を根拠地として周辺海域で日本軍を食い止めつつ撤退するアジア艦隊や極東陸軍を収容するのが任務となるはずだった。



 ただし、極東から撤退してくる戦力と、本土から送られてくる増援部隊を同時に収容するのは太平洋に浮かぶ孤島でしかないミッドウェー島だけでは不可能だった。

 ミッドウェー島は実際にはサンド島とイースタン島の2島からなるのだがどちらも僅かな面積しかなく、しかもその大半は長大な滑走路で占められていた。

 膨大な予算が投じられた長年の基地化工事によって兵舎や司令部施設、燃料タンクなどは地下化が進められていたが、実際には滑走路や駐機所を除いた島の面積が少なすぎるからこそ地下化が進められたのではないか考えている将兵は少なくなかった。

 この地下化工事どころかサンド島、イースタン島間の水道を維持するための浚渫工事で発生した土砂でさえ回収して埋め立て工事を行っていたが、ミッドウェー環礁そのものに他から土砂を運んでくるわけにはいかないのだから、埋め立てで増大した面積も雀の涙でしかなかった。


 おそらくどんなに頑張ってもミッドウェー島に収容できる兵力は一個師団程度だろう。それも兵員輸送船による洋上待機などを駆使しての計算だったし、1万名を越える将兵の駐留はミッドウェー島の乏しい備蓄をあっという間に使い果たしてしまうはずだった。

 従来の戦争計画において太平洋艦隊がハワイ王国の占領を行う計画になっていたのはこうした理由があったからだった。結局のところはハワイ王国が中立を宣言しようがどうだろうが、ハワイ諸島の陸地そのものを使用できない限り、米国が太平洋を戦場として長期戦を維持することは出来なかったのだ。



 現実に発生した戦争においても、事前の計画通りに太平洋艦隊はミッドウェー島に駐留していた艦隊を投入して、陸軍のハワイ攻略を支援していた。

 事前に潜水艦まで投入して行われていた調査などから、ハワイ王国が保有する海軍戦力の概要は把握されていたから、ミッドウェーから投入された戦力はこれを圧倒するものだった。


 太平洋艦隊によるハワイ進攻は一方的な戦闘で終わっていた。ハワイ王国が有する戦力は米軍と比べるとあまりに非力だったからだ。

 ハワイ王国海軍と称する戦力は大半が旧式化していた。警戒すべきは最近になって英日から購入された第二次欧州大戦中に建造された艦艇だけだったが、ミッドウェー島から出動した2隻のボルチモア級重巡洋艦を主力とした艦隊の前に、ハワイ王国海軍主力はあっさりと蹴散らされていた。

 それどころか太平洋艦隊が最も警戒していた英国製の軽巡洋艦は、身動きが取れないドック入り状態だったのだ。

 何隻かの警備艦艇は領海近辺でも確認できていないようだったが、全体的に見ればその程度の取るに足らない戦力なら無視しても構わないのではないか。



 だが、ハワイ占領作戦は圧倒的な勝利であったにも関わらず、その中身は太平洋艦隊の期待を裏切るものだった。

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[一言] お?31ノットバークさんですかね?
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