1950グアム島沖遭遇戦8
指揮下の僚艦に遅れて、前衛艦隊旗艦である陸奥に装備された5インチ対空砲も、接近する米軍機の編隊に向けて発砲を開始していた。
既に輪形陣外周の駆逐艦の中には、外縁部を付き崩して陣形内に侵入しようとする敵機に向けて機関砲まで発射を始めていた艦もあるようだった。大口径の機関砲から放たれた曳光弾が空中を薙ぐ様子が見えていたのだ。
陸奥の航海艦橋も見張り員や伝令の報告で慌ただしくなっていたが、急遽観戦武官という扱いになってしまったポトチニク中尉は、緊張した顔で外の様子を伺うことしか出来なかった。
もともと五月雨式に襲来していた敵機編隊は、散開したことで輪形陣の全周囲から飛び込んでくるようにも見えていた。
前衛艦隊が対空戦闘中は、陸奥の近くを航行する尾張はまるで活火山のような勢いで砲弾を放っていた。
紀伊型戦艦は、高速で接近する急降下爆撃機との交戦経験などから、第二次欧州大戦の戦訓として効果の薄い対空機関砲を廃していた。
だから機関砲を廃した分対空砲を増設したとはいえ、単純に打ち上げられる砲火の数で言えばそれ以前の戦艦よりも少ないはずなのだが、高い発射速度で放たれる長10センチ砲と、思い出したかのようなタイミングで発射される副砲の豪快な砲煙は間近で見ると凄まじい迫力だった。
その尾張と比べれば陸奥の対空砲火は侘しいものだった。
5インチの高射砲4基8門と対空機関砲という対空火力は、改修を受けた時期からすると決して不足するものではなかったらしいが、第二次欧州大戦において急速に拡大した航空攻撃への備えが進んでいった結果、相対的に貧弱になってしまっていたようだ。
しかも、陸奥の対空砲は発砲を開始してから僅かな間で射撃が停止していた。海面に反響して艦橋開口部から聞こえていた発砲音が唐突に失せていたのだ。
にわかに訪れた静寂に、ポトチニク中尉は強張っていた顔を呆けさせていた。茫然としていたものは中尉だけではなかった。陸奥乗員の何名かも顔を見合わせていたものもいたのだが、先任下士官の叱咤で我に返っていた。
前衛艦隊による対空戦闘は唐突に終わっていた。唖然とした顔のポトチニク中尉の目には、這う這うの体で元の方角に飛行していく敵編隊残存機の姿が見えていた。
敵機の飛来から随分と時間が経っていた気がしたが、実際には僅かな間のことでしかなかった。結局最後まで陸奥の対空機関砲などは発砲すらしなかったのではないか。
予想通り艦隊主力の陸奥と尾張に目立った損害は無かった。艦隊司令部は各艦に損害の確認と報告を求めていたが、艦隊全体でみても損害は輪形陣外縁に配置されていた駆逐艦が何隻か爆撃された程度に留まっているようだ。
輪形陣外縁部からは黒煙が上がっている様子も伺えたのだが、致命的な損害を被ったと報告してきた艦はこれまでのところ無かった。
全般的に言って米軍機の空襲は、門外漢のポトチニク中尉の目から見ても途中から腰が引けていた。やはり、あの派手な尾張の初弾で編隊を崩されたことで戦意を低下させていたのではないか。
それに編隊を解いて散開したことで、時間差を持って輪形陣に多方向から襲撃をかけたものだから、防空体制を混乱させる前に打撃力を分散させてしまう結果になっていたのだ。
機種ごとの編成を見ても、米軍機は前衛艦隊の戦力を見誤っていた可能性もあったようだ。
米軍はおそらくはレーダーの反応などから前衛艦隊の存在そのものは早期に発見していたのだろう。だが、米軍の目はグアム島からトラック諸島に向けられていたから、直接哨戒機で確認する余裕はなかった。それが米軍司令官が日本海軍の艦隊規模を誤認識した理由なのではないか。
しかも彼らはトラック諸島の仮想敵艦隊に大打撃を与えていたというから、勝ち戦に酔いしれていた彼らは、最初から前衛艦隊の編成をトラック諸島から取りこぼした単なる哨戒部隊と錯誤して戦闘爆撃機で出鼻を挫こうとしたのだろう。
最初から米海軍が前衛艦隊には戦艦や重巡洋艦のような大物が控えていたと認識していたとすれば、大型爆弾や魚雷を搭載できる本格的な攻撃機を投入していたのではないか。
逆説的にいえば前衛艦隊による一方的な防空戦闘の成功は、米軍の誤認に便乗したものだといえたのだが、これで米軍も前衛艦隊の正確な編成を確認した筈だった。今度は編成を大きく変えて第2次攻撃隊を送りこもうとするのではないか。
前衛艦隊を率いる司令部はこの状況をどう判断するのだろうか。無意識の内にポトチニク中尉は航海艦橋の天井を見上げていた。艦隊司令部のスタッフは艦長と共に艦橋上部にいる筈だった。
陸奥艦橋から戦闘の興奮が抜け落ちていく中で、海図を睨みつけて何かを書き込んでいた八方中佐は、独り言の様に呟いていた。
「さて、此処から先で重要になってくるのは敵艦隊は何処にいるか、だな」
ポトチニク中尉は怪訝そうな顔になっていたが、八方中佐の声が聞こえていなかったのか、他の陸奥乗員は自分たちの持ち場に専念していたままだった。
「常識的にいえば先程の米軍機が帰還した方向なのではないですか。それに戦闘前に上空には直援機がいると聞きましたが、その真下に敵艦隊がいるのではないですか……」
ポトチニク中尉が上げた疑問の声に、八方中佐は僅かに眉をしかめていた。中佐自身が納得する理由を探し出すようにして、今度はゆっくりと口を開いていた。
「用意万端で戦争を吹っかけてきた米海軍が緒戦からそう単純な策をとるかな……
先程の敵機だが、大部分は戦闘機のようだった。おそらくは米海軍の主力艦上戦闘機であるF15Cだろう。あれはペラと噴進機関の混合機で、両方合わせた総馬力は相当なものだと聞いている。完全に噴進機関に切り替えられた我が震風とも互角に渡り合えると言う噂だ。
だが、戦闘機の数からすると、敵艦隊は元々トラック諸島周辺の我が防空力を制圧して、重爆撃機隊が攻撃を行う間に制空権を確保するために特別編成されたものなのかもしれない。それに米海軍空母部隊は元々艦隊防空が主任務で、偵察機を兼ねる艦爆や艦攻の搭載は少数にとどまっているらしい……
そうなると敵艦隊の戦闘機隊には贅沢な使い方が出来るような余裕があるはずだが、それでも戦爆として艦爆の代わりに使い潰すのは彼らの本位ではない気がする。
例えば、もしも陸奥に乗り込んでいる艦隊司令部に米海軍の空母部隊が与えられたとすれば、もっと積極的な防空態勢を構築しようとするのではないか」
ポトチニク中尉は首を傾げていた。
「積極的な防空、ですか。しかし、この艦隊にはそもそも配属された空母が無いんですから、さっきの敵戦闘機が戦うべき相手など無いのではないですか」
「陸奥にはまだ水上機の運用能力は残っているが、搭載機を降ろして久しいからなぁ……尾張や石鎚型のような新しい船に至っては建造当初から下駄履き機は載せていないしな……
だが、それは今あたってみるまで米軍の指揮官にも分からなかったのではないかな。電波情報だけではこちらの艦隊の大まかな規模しかつかめなかっただろう。
もしかすると、さっきの編隊は戦爆だけではなくて、いるかどうかわからないこちらの戦闘機を誘い出す為に爆装を省いた機体もあったかもしれんよ。
それに積極的な指揮官であれば、艦隊の直掩機も素直に艦隊上空で待たせたりせずに、敵機の予想襲来方向に進出させて艦隊前方での阻止を試みるだろう。実際、先の大戦でも我軍では前方に進出した哨戒艦や防空巡洋艦、一部の大型機に防空戦闘の指揮中枢を移管させることは珍しく無かったんだからな」
ポトチニク中尉は、自分が経験した山岳地帯での局地戦と比べると、展開する戦場の広さがあまりに違う複雑な艦隊戦の様相にため息をついていたが、視線を落とした艦橋の床を見つめている間にふと違和感を覚えていた。
「ちょっと待ってくださいよ……予想襲来方向と言いましたが、こちらのレーダー波を探知していたとしても、それまでは米海軍の艦隊はどちらを向いていたのか分からないのではないですか……例えば米海軍が自分達の艦隊からトラック諸島方面に直掩機を前方展開していたとしたら……
この艦隊のすぐそばに敵がいる可能性もあるのでは」
思わずポトチニク中尉は無意味に艦橋の周囲を見回していたが、八方中佐は苦笑いを返していた。
「良いところに気がついたな、中尉。もっとも、敵機の探知から空襲が始まるまでの間にかかった時間を考えれば、陸奥の直近に敵機を送り出してきた空母が存在しているということはありえんよ。
だが、艦隊司令部はこの敵艦隊の捜索を重要視するのではないかな。なにせ加来司令官は……」
八方中佐の声は途中で止まっていた。慌ただしくラッタルを駆け下りて航海艦橋に入っていたものがいたからだ。
参謀飾緒をぶら下げた凛とした制服を着込んだ航海参謀は、一瞬八方中佐の傍らにいたポトチニク中尉に驚いた目を浮かべていたが、伝令のように早口で中佐に話しかけていた。
航海参謀は出世の早いエリートなのだろう。階級はさほど変わらないが、八方中佐よりも大分若いようだった。
だが、八方中佐の航海参謀に対する扱いはぞんざいなものだった。航海参謀の言うことも大半は生返事で聞き流していたが、最後の方になると不思議そうな顔で参謀の顔に向き直っていた。
二人が見つめ合っていたのは僅かな間だった。八方中佐はすぐに海図に視線を戻すと、先程から書き込んでいた手元の用紙の何行かに鉛筆で乱暴に消し込み線を引いてから、手早く付け足して航海参謀に渡していた。
航海参謀は再び驚いたような顔になっていたが、素早く用紙を確認すると首を傾げながらラッタルにとって返していた。慌ただしい航海参謀の動きにポトチニク中尉は唖然とした表情を浮かべていたが、八方中佐は平然とした顔でいった。
「予想通りだったよ。上の艦隊司令部はトラック諸島に向かう前に航空戦力と機動力を有する敵艦隊を叩くつもりだ。仮にここで敵艦隊をすり抜けてトラック諸島に向かったとしても後背を突かれると判断したようだ。
まずは例の直掩機らしい標的が在空する海域に向かうことになる。まぁ警戒陣ではなく輪形陣を保ったまま進撃するとは思わなかったが、それ以外は予想通りだったな……航海参謀は針路と燃料消費量を相談しに来ただけだった。
ああ、何の話だったかな……そう、この艦隊の司令官は前に空母の艦長だった男でな。若い頃から航空畑を歩いてきた人間だから、まず空母を叩こうとする筈だし、そうでなければ航空戦力の欠如を理由に撤退するだろう。
あとは、グアム島に近づきすぎてあの島から航空攻撃を受けなければいいんだが……」
ポトチニク中尉は八方中佐の言葉を聞いて眉をしかめていた。こんな祖国から遠く離れた海で、やたらと自分の腹と他人の首を斬りたがる敢闘精神が溢れ出ている日本人と一緒に死ぬいわれはない筈だったからだ。
尤も米海軍にしてみれば、その目的がトラック諸島攻撃部隊の援護であれば、日本海軍とここで無理に戦うべき理由はないはずだった。
米海軍がグアム島方向に接近して、同島の航空隊で日本海軍を罠に誘いこもうとするか、再度の空襲を受けて不謹慎ではあるがこの艦隊に損害が出れば、もしかすると無事にポトチニク中尉達も撤退出来るのではないか。
だが、ポトチニク中尉の密かな期待は全て裏切られていた。その日の夕闇が迫る時刻になって、僅かに西に残された太陽が赤く照らすグアム島沖で日米艦隊は邂逅していたからだ。
そして、その間航空攻撃は行われなかった。
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