1950グアム島沖遭遇戦7
既に日米は戦争状態に突入していた。グアム島の沖合で俄に観測された編隊が米軍による空襲ではないと考えていたものは、前衛艦隊の中に一人もいなかったのではないか。
状況からすると、敵編隊を発進させたのは空母を含む艦隊と見るべきだった。グアム島から前衛艦隊が航行している海域まで往復するには、航続距離の長い大型機でないとまだ難しい距離であるらしいが、レーダーが探知した反応は小型機によるものという話だった。
情報が錯綜しているのか、詳細は不明ながらも開戦に前後したトラック諸島への初撃は大型の重爆撃機によるものだった。どうやら艦隊司令部は、敵空母部隊はこの重爆撃機部隊を援護する為に出撃した部隊ではないかと考えているようだ。
輪形陣が構築されて空襲が間近に迫った時点で、艦隊の指揮権は実質的に陸奥から尾張に移っていた。対空捜索能力が最も高く、艦隊の全艦を把握して効率的な対空戦闘を指揮する能力があるからだ。
ポトチニク中尉には指揮権の限定的な移譲という行為に違和感があったが、柔軟に指揮系統を組み替えられる分艦隊制度を取り入れた後の日本海軍では珍しくないらしい。
大戦中も空母部隊などでは、随伴する防空巡洋艦の戦隊司令官が防空火力を適切に分配する為に対空戦闘の指揮をとった実績があるようだ。
日本海軍が大戦中に就役させた米代型巡洋艦は、1万トン級という条約型重巡洋艦並の巨体を活かして贅沢に対空砲とその指揮装置を備えていた防空巡洋艦だったが、早い時期から指揮所を増設して高速化する一方の対空戦闘の指揮に対応を図っていたのだ。
今の前衛艦隊にはそうした対空戦闘に特化した防空巡洋艦は配属されていなかったが、紀伊型戦艦は6万トン級とも言われる大型艦であったから対空火力も相応に強力だった。主砲や装甲に大部分の排水量を割り振っても、対空火力は専用の防空巡洋艦に匹敵するかそれを越える程の規模であったのだ。
艦隊に所属する他の各艦も装備する対空砲は尾張が装備するものと同型の高初速砲を砲塔形式で備えているらしいが、皮肉なことに旗艦である陸奥だけは限定的な防盾しかもたない旧式砲が対空火力の主力だった。
敵編隊が接近するにつれて艦橋内の緊張も高まっていった。部外者のポトチニク中尉も陸奥乗員の雰囲気に呑まれて顔を強張らせていたのだが、唐突に視界の隅に閃光が走っていた。
唖然としてポトチニク中尉は彼方に見える1隻の駆逐艦を見つめていたが、その艦が何事もなく航行しているのを確認している間に、些か頼りなく聞こえる発砲音が耳に届いていた。
妙だった。ポトチニク中尉が強張った顔を向けていた駆逐艦は、輪形陣を構成する外周艦の中で敵機の襲来方向に配置されていた艦だったからだ。
状況からして艦隊で最初に敵機に発砲するのはその艦だと思ったのだが、実際には閃光と発砲音の到達時間からして輪形陣中央に配置された陸奥の近距離を航行していた艦が初弾を放っていたのだ。
―――尾張が主砲を発砲したのか……
一瞬ポトチニク中尉はそう考えたのだが、見張り員の声は中尉の予想をを否定していた。見張り員が上げた声の単語を脳内で探していた中尉は、しばらくしてから尾張が発砲したのは副砲である事に気がついていた。
大和型以降の日本海軍の新鋭戦艦は、大口径の副砲を備えていた。しかも単装砲を砲廓に備えていた旧式戦艦の舷側配置に代わって巡洋艦並の重厚な砲塔に備えていたのだ。
兵装に割り振られる重量を主砲に集中したことが革命的だったというドレットノート級戦艦によって否定された中間口径砲が復活したようにも思えるのだが、こうして対空射撃を行っているのを見ると、日本海軍では汎用的に使える使い勝手の良い砲として戦艦副砲を評価しているのではないか。
唖然としているポトチニク中尉に、手持ち無沙汰になっっていたのか航海長の八方中佐は訳知り顔で言った。
「紀伊型の副砲は巡洋艦並だからな。こういう時に敵機の鼻面をかき回してやるには適していると尾張艦長は考えたのだろう。尤も最近では新しい戦艦となると重爆撃機位には平気で主砲も使うらしいがね」
ポトチニク中尉は八方中佐の声を半ば聞き流しながら。この距離では微動だにしていないようにみえる敵編隊の様子を見守っていた。
尾張から放たれた副砲弾が空中で炸裂するまで思いがけない程に時間がかかっていた。4インチや5インチ程度の高射砲と比べると、大口径砲だけに射程も長いのだろう。
それだけ長時間飛翔した割には測距も測高も照準は正しかったらしい。もしかするとまだ出番のない主砲用の射撃管制機能を割り振っていたのではないか。少なくともポトチニク中尉の視点では、敵機らしい機影の目前で砲弾が炸裂したように見えていた。
赤黒い閃光が空中で発生すると、その空域に黒煙が発生していた。おそらくその辺りでは大口径砲弾の弾辺が撒き散らされているのだろう。尾張が装備する副砲の口径は分からないが、彼方の爆炎からすると陸戦で使用される重砲くらいはありそうだった。
一方で、炸裂で生じた爆散円の数は少なかった。紀伊型戦艦の副砲は、艦橋構造物と前後の主砲塔に挟まれるように艦首尾線に沿って配置される前後2基しかなかったから、概ね敵機に向けて艦首を向けている今の状況では前部の3門しか発砲出来なかったのだろう。
炸裂した砲弾は少なかったが、その効果は大きかった。
爆散円の大きさの割には撃墜できた敵機そのものは少なかった。煙を吐いて真っ逆さまに海面に落下していく敵機は1機か2機といったところだろう。
だが、それまで尾張の発砲にも動揺することなく前進していたように見えた敵編隊は、榴弾が炸裂した直後に蜘蛛の子を散らすような勢いで散開していたのだ。
あるいは、初撃で緻密な編隊を崩すことが長距離射撃の目的だったのかと思ったが、尾張の発砲は続いていた。
距離があるために2射目以降の照準には時間がかかっていたようだが、確かに尾張は副砲の発砲を続けていた。しかも発砲している艦は尾張だけではなかった。
見張員が輪形陣を構成する重巡洋艦の名前を告げていた。どうやら尾張に続いて重巡洋艦も主砲の発砲を開始したらしい。
前方の1基しか発砲できなかった尾張に対して、同程度の備砲であったとしても石鎚型重巡洋艦は4基の砲塔を前後に振り分けていたから、角度が悪くとも最低2基6門の砲が使えるはずだった。
射撃艦が増えた割にはやはり敵機編隊に与えた損害は少ないようだった。次々と空中に榴弾が炸裂した黒煙が発生しているにも関わらず、明瞭に撃墜された敵機の姿はポトチニク中尉には見えなかった。
ただし、敵機の脅威も感じられなかった。尾張と2隻の重巡洋艦による対空射撃が成果が挙げられなかったのは、単に敵編隊が散開して空中の目標が分散したからではないか。
尾張の副砲や重巡洋艦の主砲が長距離対空砲としても運用可能ではあっても、軽快な単発機に追随できるだけの機動性は期待出来かった。それが皮肉なことに散開した編隊への射撃効果を削いでいたのだが、一度散開して集団としての勢いを無くしていた敵編隊も前衛艦隊を攻めあぐねていた。
もしかすると艦隊に航空戦力が確認されなかったので敵編隊は当初から油断していたのかもしれない。前衛艦隊をトラック諸島に駐留していた艦隊から分派された小勢と侮っていた可能性があったのだ。
三々五々と分かれた小編隊は、まだ輪形陣の中に潜り込もうと陣形の弱点となる隙間がないか探りを入れていたようだったが、接近してきた彼らの鼻先に再び爆炎が発生していた。
艦隊各艦から発射された榴弾が空中で炸裂する頻度が急速に高まっていた。敵編隊を射程に収めた駆逐艦や軽巡洋艦までもが軽快艦艇の主砲である高射砲を次々と撃ち出していたのだ。
距離があるから機種までは見分けがつかないが、編隊を構成している米軍機はいずれも単発機であるようだった。しかも散開前から緻密な編隊を組んでいたわけではないようだ。
翼を軽々と翻して散開した様子からすると敵機は高い運動能力を持っているようだが、逆に考えれば機動性に悪影響を与える大重量の魚雷や対艦用の大型爆弾を搭載している様子は伺えなかった。
もしかすると、先の大戦末期にドイツ空軍がFw190などで多用していたように、あの編隊も専用の攻撃機などではなく戦闘機が爆装しているだけなのかもしれなかった。
昨今の戦闘機がいくら大出力化しているとは言っても、爆装時に搭載できる重量はたかが知れていた。威力も低いから、外縁を構成する駆逐艦を集中攻撃して輪形陣を付き崩す事は可能でも、陣形中心部の戦艦に打撃を与える事はできないのではないか。
あるいは反復攻撃によって艦隊への打撃を狙っているのか、後続の攻撃隊主力があるのかもしれないが、目の前の編隊が陸奥や尾張の直接的な脅威となる可能性は低そうだった。
陸奥に随伴する水雷戦隊は、戦隊旗艦である軽巡洋艦を含めて全て4インチ級の10センチ砲を主砲としていた。
軍縮条約の駆逐艦規定があったとはいえ、駆逐艦の備砲は徐々に大口径化しつつ5インチ級砲が広く使用されていた。軍縮条約に縛られない一部の海軍で就役した大型駆逐艦とも小型巡洋艦と言いかねるクラスの艦艇も同級の砲を装備していたから、実質国際標準的なものだったのではないか。
ところが日本海軍が第二次欧州大戦の開戦に前後して就役させ始めた新鋭軽快艦艇や大型艦の対空砲は、一回り小型化を図った10センチ砲に移行していたのだ。
大戦中は日本海軍の真意は分からなかったが、ユーゴスラビア連邦王国海軍が同砲を装備する艦艇を購入する可能性があったためか、大使館付武官補としてポトチニク中尉は日本海軍の関係者からこの10センチ砲の概要を聞いていた。
意外にも、小口径化したにも関わらず陸奥などの旧式艦が未だに搭載している5インチ砲と10センチ砲では砲塔単位で見ればシステムとしての重量はさほど変わらないらしい。
日本海軍では長10センチ砲と言う俗称で呼ばれているように、新型の10センチ砲の方が格段に長砲身化された高初速砲であったからだ。
発射される砲弾は口径なりに炸薬量などが減少しているのだが、砲弾が軽い分発射速度が高く、弾薬庫の寸法が同じであれば単位時間あたりの投射弾重量では互角に渡り合えるらしい。
相手が巡洋艦以上の相応の装甲を持つ相手であればともかく、装甲のない駆逐艦程度であれば1発あたりの砲弾重量の低下は大して問題にはならなかった。砲弾重量の差を速射に継ぐ速射を行って投射数で跳ね除けるというのだ。
ただし、日本海軍が長砲身化によって砲身寿命が短くなることといったデメリットを許容してまで長10センチ砲を開発した目的は発射速度の向上ではなかった。
むしろ砲弾の軽量化による諸々の利点は、実際には副次的な効果に過ぎなかった。開発時の目的は、本来高初速化による命中精度の向上にあったからだ。
陸上戦闘においても高初速化による弾道の低伸は、山なりの弾道で一点を狙うよりも近距離での戦闘で砲弾が命中する確率が向上するのだが、日本海軍が長10センチ砲で狙ったのは、正確には照準を行った点と砲の間を砲弾が飛翔する時間の短縮であるらしい。
高速化する一方の航空機に対しては、いくら正確に照準を行っても砲弾が低速であれば、照準点に到達する頃には敵機が移動して照準が無効化してしまうというのだ。
つまり日本海軍の長10センチ砲は、高精度の対空射撃管制用レーダーや、それと連動した複雑な信管自動調整装置があって初めて真価を発揮するという事なのだろう。
今、ポトチニク中尉の目の前では、前衛艦隊各艦によるその長10センチ砲による対空射撃が本格化しようとしていたが、中尉が乗り込む陸奥だけがその例外となっていた。
紀伊型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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