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1950グアム島沖遭遇戦5

 乗員に新兵が多いのと関係があるのかどうかは分からないが、トラック諸島に向けて出港した戦艦陸奥に乗艦してしばらくしてから、ポトチニク中尉は艦内の乗員達から奇妙な雰囲気を感じ取っていた。意外なことに兵卒よりも下士官の間にどことなく無気力、というか投げやりな様子があったのだ。

 士官相手なら多少の英語も通じたが、ポトチニク中尉が来日前に促成教育で覚えた片言の日本語とお互いにちゃらんぽらんな英語では下士官兵と深い会話をするのは難しかったのだが、彼らの動作の端々にそのような雰囲気が感じられたのだ。


 だが、不器用ながらも何とかコミュニケーションを取る間に、どことなくポトチニク中尉にも理由を察することが出来た、気がしていた。彼らの態度には臨時編成されたこの艦隊の任務が関わっているのではないか。

 今回の演習においては、前衛艦隊に与えられた役割は言ってしまえば切られ役だった。つまり退役艦に花道を飾らせるために、前衛艦隊は敢えて衆寡敵せずという状況を強いられて旧式艦に敗退する役割だったのだ。

 このどのみち敗北する役割を与えられたことが、陸奥乗員たちの無気力を招いているとポトチニク中尉は考えていた。


 ポトチニク中尉がこの微妙な雰囲気にしばらく気が付かなかったのは、乗員の多くを占める新兵達の場合は、まず艦や海軍そのものに慣れるために精一杯でそんな感傷を抱く暇もなかったからだ。

 だから皮肉な事に新兵達を監督する下士官の方が、彼ら自身の情報網や長年海軍の飯を食ってきた経験がもたらした勘で艦隊の役割を把握して事情を察していたのだろう。

 あるいは、先の大戦にも出動しなかったことから戦歴に恵まれない陸奥に愛着を抱いている古参下士官ほど活躍させたかったのかもしれない。



 ある意味で浮ついた彼らの感傷は日米戦開戦という非常事態の発生によって瞬時に砕かれていたのだが、実際にはポトチニク中尉が陸奥艦橋で迎えたその瞬間の意味を正確に理解したのはしばらくしてからだった。


 最初に陸奥艦内の各所に設けられたスピーカーから大声が聞こえていた。普段の艦内放送は聞き取りやすさを重視して意図的な抑揚がつけられていたのだが、今回のそれは訓練で身についた普段の様子をかなぐり捨てた悲鳴の様な声だった。

 複雑な日本語の長文である上に聞き取りにくい艦内放送だったから、内容がわからずにポトチニク中尉はただ首を傾げて聞いていただけだったのだが、周囲の陸奥固有の乗員達もしばらくは呆気に取られたような顔でスピーカーを見つめていた。


 だが、陸奥乗員達がポトチニク中尉と一緒に呆けていたのは短時間の事だった。叫ぶような艦内放送は最後にようやくポトチニク中尉が聞き取れた単語を喋っていた。

 ―――もう当直が交代するのか……

 安直にポトチニク中尉はそう考えたのだが、放送が終わるなり乗員達はばね仕掛けの人形の様に慌ただしく駆け始めていた。


 単なる当直交代などではあり得なかった。殺気立って移動する乗員達の波に、ポトチニク中尉は慌てて艦橋の隅にしがみつくようにして逃げていた。しかも、いつの間にか案内の士官も中尉の存在そのものを忘れていたのか行方をくらましていた。

 僅かな間に戦艦陸奥艦内の状況は一変していた。艦橋も艦内放送の前までは航海用の機器に疎らに配置されていただけだった乗員達の数が増して、俄にごった返していた。ポトチニク中尉には言葉は理解できなかったのだが、変わったのは当直順などではなかった。当直体制自体が変わっていたのだ。



 陸奥を先頭とする前衛艦隊は、この時は既に狭義の日本領と言える海域を出ていた。最後まで視界には入らなかったが、いつの間にか日本領の島々を結んだ線を越えていたらしい。

 現在の艦隊は、国際連盟委任統治領であるサイパン島、テニアン島の周辺海域に達していた。艦隊はこの後は更に南方にある米領グアム島周辺を通過して、仮想敵艦隊が待ち受けるトラック諸島にひたすらに南下する予定だった。

 トラック諸島に駐留する仮想敵艦隊との模擬的な戦闘行動の予定まではまだ間があるから、この時は通常の航海用の当直体制のままだった。同島には日本海軍の哨戒機も何機か展開しているらしく、これら哨戒機による接触があるまでは戦闘配置は行われないという想定だったのだ。

 それに今は日が中天にあり天候も良いから、陸奥の上甲板には体操か何かをしている新兵達の姿も見えていたのだが、当直に付いている乗員は航行に必要な最低限の乗員だけだった。


 ところが、放送直後に当直体制が変わったことで、多くの乗員が持ち場についていた。逆に上甲板からは人影が消えていたし、周囲の艦影にも変化があった。艦橋にも何度か陸奥が旋回することで生じる動揺があったから、艦隊の陣形が変化しているのだろう。

 実は、これまでもポトチニク中尉が乗り込んだ横須賀からの出航時から何度か当直体制の変更があった。詳しくは聞かなかったが、周囲を航行する艦船が多い出入港などは事故を防ぐために見張り員などが増やされて即応態勢が強化されるらしい。

 東京湾を抜け出して洋上で僚艦と合流して艦隊を組むまではその当直体制は解かれなかったし、南下を開始してからも何度か艦隊の陣形を変更したり、模擬対空戦闘を行う際に配置がかけられることもあったのだ。


 だが、訓練状況のその時と今では乗員の態度が違っていた。訓練で手を抜いていたとは思えないが、今は多くの乗員が殺気立っていたのだ。

 状況が分からずに困惑していたポトチニク中尉の耳に、殺気立った乗員たちと比べるとのんびりと聞こえる声が入ったのは配置が変わってからしばらくしてからだった。

「流石に実戦経験者は落ち着いたものだ」

 ポトチニク中尉は慌てて振り返っていた。海図台の奥からずんぐりとした初老の中佐が、中尉に場違いな笑みを見せていた。


 以前に案内の士官から紹介されたことのあった男だったが、ポトチニク中尉は曖昧な記憶の中から、かろうじて男が陸奥の航海長である八方中佐だった事を思い出していた。


 人のことをポトチニク中尉が言えた義理ではないが、八方中佐も階級と年齢が釣り合っていなかった。士官学校を卒業している正規の士官ならば、中佐の年頃からすると本来は大型艦の艦長か将官でもおかしくないだろう。

 抵抗運動から促成の士官教育を受けたポトチニク中尉などと違って、航海長の八方中佐は士官学校出の歴とした海軍士官だったらしいが、大病か何かで一度予備役に編入されていたところ、先の大戦時に召集を受けたのだと聞いていた。

 一度予備役に入れられていたくらいだから、何事もなければ艦隊の再編成でしばらくすれば海上に配属される士官の口が減ることになるから、八方中佐自身で自分も再度予備役に編入されるだろうと以前に笑って言っていたのを思い出していた。



 その八方中佐は先程まで艦内電話の受話器を自ら取ってどこかと話していたようだが、今は艦橋の機材が配置されていない壁にへばりつくようにしていたポトチニク中尉を差し招いていた。

 ポトチニク中尉も愛想笑いを返していた。先程の八方中佐の声は英語だったからだ。わざわざ中尉に分かるように言ったのだろう。ただし、下士官兵はともかく日本軍も士官ならばある程度の英語は理解するだろうから、最初から他の乗員に聞かせる意図もあったのではないか。


 思想も無しに抵抗運動司令部に引っ付いて、士気の怪しげな部隊とユーゴスラビア全土を彷徨っていた時の司令官達の言動を見てきた大戦中の経験からポトチニク中尉はそう考えていた。下士官兵は微妙な指揮官の行動次第で士気が激変するものだからだ。それだけに下手なことは中尉も言えなかった。

「俺の実戦経験などは山中で彷徨っていただけの事ですが……まぁ間近にドイツ軍の銃弾が通過したことなら何度かありますがね」

 それを利いて八方中佐も破顔していた。

「結構、結構、何であろうと実戦慣れした士官は貴重なものだ。

 ……すまんがこの艦隊は全艦トラック諸島に向かう事になった。それにこんな何もない海域で中尉一人を下艦させるわけにもいかん。すまないが最後まで付き合って貰うぞ」


 後の方は海図近くに寄ってきたポトチニク中尉にだけ聞こえるように、八方中佐の声は小さくなっていた。

 船速を上げたのか、艦橋内にはこれまでにない風切り音が聞こえ始めていたが、ポトチニク中尉は八方中佐の声が聞き取れなかったのではなくその内容が分からずに首を傾げていた。

 前衛艦隊が全艦でトラック諸島に向かうのは当初の予定だったし、陸奥が再び横須賀に辿り着く迄ポトチニク中尉はトラック諸島などで降りずに乗艦し続ける筈だったからだ。

 八方中佐が言ったことは、今更予定の計画をなぞったことにしかならなかった。



 だが、ポトチニク中尉は同時に何か嫌な予感を得ていた。大戦中にドイツ軍治安部隊の奇襲を受けた時に感じたそれを思い起こさせるものだった。

 肝心の八方中佐は、ポトチニク中尉の不審な表情に気がついた様子もなく続けていた。

「我々としても中尉に降りてもらうわけにはいかんが、法的には中尉の置かれた現在の立場は微妙なものになるだろう。現状の国際法体系では開戦初日に外国軍の士官が軍艦に乗艦していることなど想定していないからな。

 当然だが貴国は少なくともこの瞬間は中立国にあたるはずだ。おそらくは後日我が政府から働きかけもあるだろうが、追認という形で観戦武官という形式を整える必要があるだろう。

 本艦の艦長は防空指揮所に上がってしまっているようだから、中尉もとりあえずは艦橋にいてもらっても構わないが……それとも士官次室に下がるかね」



 そこまで言って八方中佐はようやく呆けたような顔を浮かべているポトチニク中尉の様子に気がついていた。

 しばらく二人で要領を得ないといった顔を見合わせていたが、唐突に八方中佐が納得顔になっていた。

「そうか、あの放送は日本語だったからな。中尉はまだ事情を知らなかったのか……」


 意味が分からずにポトチニク中尉が黙っていると、八方中佐は威儀を正しながら覚悟を決めたように言った。

「先程の放送の内容だが、米国が我が日本帝国に宣戦を布告したのだ。つまり今日が開戦日となる。おそらく在日大使から東京でも外交文章が政府に渡されている筈だが、世界各地からラジオ放送も行われており、本艦もグアム島からの放送を傍受した。

 米国は自国領であるフィリピンに対する我が国の領土的野心からなる陰謀が明らかとなったと主張しているらしい。よく分からんが、米国議会の承認があるというから米国内では相当根深い議論があったのだろう。

 だが、問題はそこでは無い。この宣戦布告直前であったようだが、我が艦隊が向かっていたトラック諸島においても大規模な空襲があったらしい。

 米国は、宣戦布告後の宣伝放送で在トラック諸島の日本軍を殲滅したと喧伝しているが、詳細は不明だ。ただし、トラック諸島からの連絡が途絶えたのは事実だ。

 そこで、本土の連合艦隊司令部は、我が艦隊にトラック諸島の救援と状況の確認を命じてきた」


 八方中佐自身が状況を確認する思いでもあったのか説明は流暢であったが、ポトチニク中尉は唐突な情報の流入に押し流されそうになって脳内で整理していた。

 表情が消えたポトチニク中尉を気にした様子もなく、八方中佐は海図上に卓上にあった鉛筆などを並べながら言った。

「問題は我々の行く手に米軍が待ち構えているらしいということだ……尾張の長距離対空電探が大遠距離で目標を捉えた。紀伊型の電探は本艦が装備しているものよりも性能に優れた最新型を装備しているからだろうが、探知されたのはこのあたりだ」

 そう言って八方中佐は海図の上に陸奥と探知目標の位置を示していた。

「ただし、旋回しているのか探知された目標は動いていないらしい……中尉ならばこの状況をどう見るか」


 ポトチニク中尉は慌てて先日空軍向けの資料をまとめる際に大使館で目にしていた日本軍機の諸元や海図の状況を当てはめながら考え込んでいた。

「米軍はグアムに駐留しているのでしたか……島からは距離があるように思えます。まさか……洋上に空母がいると……」


 それを聞くと八方中佐は凄みのある笑みを浮かべていた。

「艦隊司令部と同意見だな。我々はこれから道を塞ぐ米海軍の機動部隊と交戦するんだよ」

 野性的な笑みを浮かべた八方中佐の顔を見つめたまま、ポトチニク中尉は絶句していた。

紀伊型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbkii.html

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― 新着の感想 ―
[気になる点] >米国が我が日本帝国に宣戦を布告したのだ。 この場合英国や欧州諸国等はどうなるのでしょう? 英国が自動参戦したりすると米国が避けたがっていた二正面戦争になってしまいます。(いくらブリ…
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