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1950グアム島沖遭遇戦3

 ドイツの突撃銃を参考に全自動射撃機能が追加された日本軍の九九式自動小銃二型には致命的な問題が生じている。在日大使館から武器輸入の相談で訪問していた商社で、ポトチニク中尉はそんな奇妙な話を聞かされていた。


 引き金を引くたびに機械式に連続した射撃が行われる自動射撃機能が持たせられた九九式自動小銃は、概ね日本軍内部で高い評価を受けていたが、その基本的な形状は従来のボルトアクションライフルと変わらないものだった。

 進化した部分は言ってみれば引き金と連動する機関部に集中しており、銃身や銃床といった部分は従来のものを踏襲していたのだ。


 ただし、九九式自動小銃は従来のボルトアクション式ライフルである旧式小銃から使用弾薬が一新されていた。予想されうる欧州の戦場で肩を並べて戦う事になるであろう英国と弾薬の共通化が図られていたのだ。

 この措置により九九式自動小銃からは従来日本軍が使用していた6.5ミリ弾より格段に強力な7.7ミリ弾を発射するようになっていた。尤もこの弾薬の薬莢寸法などの基本的な性能は自体は同時期の他国列強が使用する弾薬と大差無いものだったようだ。



 ところが単射ではさほど大きな問題が出なかった大威力の7.7ミリ弾は、連射を行うとその強烈な反動が問題視されるようになっていた。発射速度の高い全自動射撃において一般的な兵士の膂力では反動を抑えきれなかったのだ。

 従来のボルトアクション式ライフルと変わらない九九式自動小銃の基本的な形状が連続射撃には向いていないとの指摘もあったが、本質的な問題となったのはいわばフルサイズの小銃弾である8ミリ級の弾薬が連射時にもたらす反動の大きさだった。

 考えてみればそれも当然だったのかもしれない。小銃と弾薬を共通化された軽機関銃の場合は、放熱に適した銃身周りの構造や地面に固定する2脚に加えて、小銃よりも大きな自重自体で反動を抑え込むことで連続射撃を可能にしていたのだから、それと同じ事を歩兵銃に発揮させるのは無理があったのだろう。


 実は、参考となったドイツ軍の突撃銃の時点で弾薬面でも反動を抑制する手段が取られていた。突撃銃の使用する弾薬はフルサイズの小銃弾よりも薬莢の寸法が短縮された短少銃弾とでも言うべきものに変更されていたのだ。

 短小銃弾は薬莢内に収められた炸薬の容量が減少していることから初速は減少しており、長距離射撃における精度や威力は低下していた。

 それでも歩兵の決戦距離である300メートル程度では従来の小銃弾とさほど変わらない威力を維持しており、機関短銃と小銃の隙間を埋めるには十分とドイツ軍では判断されていたようだ。



 だが、日英などは必ずしも反動を抑制する弾薬としての最適解が短小銃弾であるとは考えていないようだった。英国などは反動を抑制する新弾薬として、従来のフルサイズの小銃弾薬を一回り小さくした新規格のものを考案しているらしい。

 ドイツ軍の突撃銃が短小銃弾を採用したのは、予算不足のドイツにおいて従来の小銃弾の生産ラインを流用することで新規弾薬の製造ライン立ち上げにかかる膨大な費用を削減する事もその狙いの一つであり、いわば妥協の産物でもあったからだ。

 それにフルサイズの小銃弾薬から薬莢を短縮した短少銃弾では弾道特性などが歪になって全体的なバランスが崩れるし、薬莢が短縮されても弾倉の寸法は大きいままだから携行弾数も制限されるというのだ。

 その点小銃弾を全体的に小型化した小口径弾であれば弾倉が薄くなって携行出来る数も増えるはずだし、初速も低下しないから近距離における威力は大きいのではないか。


 その一方で小銃弾を徒に小型化することは出来なかった。小口径化は威力や射程の面で不利になるからだ。つまり機関短銃と従来の小銃の隙間を埋める新弾薬の制定にはバランスが必要だったのだ。

 歩兵の決戦距離において十二分に性能を発揮しつつ、反動を抑制するという相反した目的を達成するには慎重な設計と度重なる実験が必要だった。九九式自動小銃の派生型として全自動射撃が可能な二型が開発されたのは過渡期のつなぎ役でしか無かったのだろう。

 要するに兵器輸出業者の担当者がユーゴスラビア連邦王国軍が小銃装備の刷新を図るには時期が悪いといったのもそれが理由だったのではないか。今小銃装備を新調したところで、日英などで研究が進む国際連盟軍の標準弾を使用する次世代歩兵銃が登場すれば短時間のうちに陳腐化すると考えていたのだろう。



 だが、ポトチニク中尉は商社担当者の説明に違和感を覚えていた。日英などの軍事的な状況をそのままユーゴスラビアに当てはめることは出来ないと考えていたのだ。

 日本軍は、これまで彼らが経験した戦場の様相から得た戦訓で歩兵の決戦距離を求めたのだろうが、山岳地帯での遊撃戦を幾度も経験していたポトチニク中尉は必ずしも小銃の戦闘距離は合理的には求まらないと考えていた。

 平原で正規軍同士が交戦すれば似たような距離で戦闘が起こるのかもしれないが、混沌とした状況で臨機応変な戦闘が求められる遊撃戦では小銃の実用射程最大での交戦も珍しくなかったし、そもそも小銃弾といえども気軽に連射できるほど潤沢な補給体制を維持出来ている状況も稀だった。


 詳細は商社の担当者も知らなかったが、日英軍などでは歩兵銃の小口径化による交戦距離の短縮を補うために、分隊単位に配属される選抜射手が装備する長射程の狙撃銃や歩兵が乗り込む装甲兵車の機関砲や重機関銃で対応するつもりらしい。

 だが、訓練された選抜射手程度ならば兎も角、重装備の機械化歩兵部隊を十分に揃えられるほどユーゴスラビア連邦王国軍の予算は潤沢ではないはずだった。



 ―――もしかすると、ユーゴスラビア軍はまた近代戦の戦場から取り残されているのかもしれない……


 商社からもらってきた資料を纏めながらポトチニク中尉はそう考えていた。勿論中尉が調査したのは小銃だけではなかった。近代戦に不可欠な火砲や戦車に関しても調査が行われていた。

 海外販路の拡大には日本政府も熱心なのか、日本で一番高い富士山の近くにある広大な陸軍演習場で行われた大演習まで見学することが出来た。自国民への報道宣伝を兼ねた演習は、自走砲の支援のもとで戦車や重装備の装甲兵車に乗り込んだ機械化歩兵が仮想敵陣に突入するという大規模なものだった。


 だが、他国の武官などと共に見学していたポトチニク中尉は、その勇壮な光景にどことなく白けた表情になっていた。

 戦前のユーゴスラビア軍は僅か数個の戦車大隊、しかも第一次欧州大戦時の旧式軽戦車を装備するので精一杯だったからだ。

 最新の四五式戦車どころか一世代前の三式中戦車でも30トンを有に越えるという大重量の戦車を師団単位で装備する日本軍のように、重量級の戦車を装備する機械化部隊がユーゴスラビアに導入されるとは思えなかったのだ。


 それに現在のユーゴスラビア連邦王国陸軍には重装備の数だけはある意味で揃っていた。

 バルカン半島を撤退する際に武装解除されたドイツ軍から撤収された機材や終戦間際に展開した国際連盟軍から供与されたものだったが、現在のユーゴスラビア連邦王国軍は国内に残されたそうした雑多な機材を維持するだけで手一杯だったのだ。



 陸軍の装備に関してはポトチニク中尉がせっせと資料を本国に送っても購入計画は梨の礫であったのだが、共産党系抵抗運動と旧王国軍という組織の統合を行った陸軍に対して、ほとんど新規に編成しなければならなかった海軍と空軍の装備は早々に輸入対象が決定していた。

 貧弱極まりない装備をドイツ軍の侵攻で失った空軍は、開戦前に保有していたわずかばかりの旧式機から一挙に進化してジェットエンジンを搭載する日本製の四六式戦闘機震電を購入することが決まっていた。

 当初は英国製のミーティアを導入する計画もあったらしいが、双発機で鈍重なミーティアよりも、単発で機動性に優れる震電の性能が、純粋な戦闘機として見て高く評価されたらしい。


 既に日本軍では次世代機の開発が進められているらしいが、四六式戦闘機は現行の主力戦闘機だった。導入計画があったという英国軍のミーティアにしてもその事情は同様だったはずだ。

 つまり両国とも最新鋭機をユーゴスラビア連邦王国に輸出することを許可していたことになるが、これは先の大戦終結時の経緯からハンガリー、ルーマニアがソ連勢力圏に入ってしまった結果、ユーゴスラビア連邦王国とブルガリア王国が国際連盟の最前線になったと認識されていたからではないか。


 ソ連も大戦によって疲弊が激しかったためか本格的な戦乱が起こる気配は今のところまだないが、示威行動となる領空侵犯まがいは少なくないらしい。それで防空戦闘機部隊の刷新が最優先で求められたのだろう。

 戦闘機部隊の整備が優先されるものの、日本から導入されるのは戦闘機だけではなかった。整備機材や航空機整備工場の建設支援までを含んだ大規模な計画となる予定だった。



 戦力増強が切羽詰まった状況にある空軍と比べると、当初は海軍の艦隊整備に関する優先順位は低かった。

 大戦でもともと貧弱だった艦隊の大半を喪失した海軍上層部自体にはその熱意はあるようだが、現状のユーゴスラビア連邦王国を取り巻く戦略的環境を考慮すると海軍の整備は後回しにせざるを得なかった。


 現在のユーゴスラビアが接する海域は西方のアドリア海しか存在しないが、バルカン半島とイタリア半島に挟まれたアドリア海に浮かぶ艦艇は今や友邦となったイタリア王国海軍のものしか存在していなかったからだ。

 しかも、対ソ連を想定した有事の際には、地中海東部は終戦後も有力な戦力を保持しているイタリア王国海軍が担当するという計画になっており、国際連盟軍の中でユーゴスラビア王国海軍は後詰めの警備戦力としか考えられていなかった。

 その点では黒海で最前線となるブルガリア王国や、黒海の外にソ連海軍が進出した際にはイタリア王国海軍の来援までエーゲ海を単独で守らなければならないギリシャ王国海軍などとは大きく事情が違っていた。


 実際、ユーゴスラビア連邦王国海軍の主力は、大戦中の国土占領に対する賠償としてイタリア王国から引き渡された数隻の駆逐艦であり、それすら持て余しているというのが海軍の現状だった。

 ポトチニク中尉は海軍のことはよく知らないが、おそらく海軍の実働部隊で主力となっているのは、大型の戦闘艦などではなく使い勝手の良い警備艇なのではないか。



 ところが、俄に日本海軍からユーゴスラビア海軍に向けて大型艦売却の商談が持ち上がっていた。想定された売却相手はユーゴスラビア連邦王国だけではなかった。いくつかの友好国に対して日本から打診があったらしい。


 先の大戦中に数多くの艦船を就役させた日本帝国は、余剰艦の整理として軍民を問わず艦船の売却を行っていたが、これまでは戦時中に量産された貨物船や護衛駆逐艦に限られていた。

 欧州諸国の海運業は造船業ごと戦火で消滅したも同然だったから戦時規格の量産船とはいえ貨物船の引き合いは多く、ユーゴスラビア連邦王国でも何隻かの輸送船が購入されたと聞いていた。


 だが、これまで旧式艦でも巡洋艦以上の大型艦は手つかずのままだった。太平洋を挟んで日本と対峙する米海軍の膨大な艦艇に対抗するためだったらしい。

 2度に渡る欧州大戦に中立を保っていた米国だったが、その軍備は日英などに拮抗する様に拡張を続けていたようだった。特に巡洋艦以上の大型艦の建造数は多く、日本海軍は旧式艦といえども戦列から外せなかった。

 それが戦時中に計画されていた新鋭艦の就役で、英国などに遅ればせながら旧式大型艦の整理に手を付け始まったのではないか。


 だが、ポトチニク中尉とは縁も縁もないと考えていた大型艦の整理計画は、意外なことに開戦の日に中尉を戦艦陸奥に乗艦させていた。

九九式自動小銃の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/99ar.html

四五式戦車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/45tk.html

三式中戦車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/03tkm.html

四六式戦闘機震電の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/46f.html

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歩兵銃と 航空機用他が 303で統一されているのは 英軍の分も含めて生産補給の点で良いが また変えるとなると?
[良い点] 毎週楽しみにしております。こまかい設定には感服します。他の戦記と差別化を図ろうとされているのと、長い連載で整合性図ろうと苦労されている?のが忍ばれます。 [気になる点] 個人的に気になるの…
[気になる点] 気になる弾薬(280ブリティッシュ弾⁉︎)の行方 [一言] はじめましてこんばんは。 待ち遠しい土曜日だと思っていた最新話が更新されていて嬉しいサプライズでした。 ポトチニク中尉が…
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