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1950グアム島沖遭遇戦2

 ユーゴスラビア連邦王国大使館付武官補佐として着任したポトチニク中尉は、戦時中の経験から日本という極東の国は刀を振り回す時代錯誤な侍という名前の蛮族が未だに跋扈する場所だと考えていたのだが、実際には日本の、特に大使館が存在する首都東京周辺は意外なほど住みやすい所だった。


 ポトチニク中尉は、故郷とはあまりに違う初めて目にする海外の風景に目移りするばかりで、ぼんやりと如何にもお上りさんといった様子で日々を過ごすばかりだった。

 それにポトチニク中尉が勤務する事になった在日ユーゴスラビア連邦王国大使館の規模は、母国の国力を示す様に小さかった。距離がありすぎて両国間の交流など殆どなかったから、おそらくはお互いの国民も相手国の位置を正確に知るものすら少なかっただろう。

 先の大戦で編成された国際連盟軍でも主力をなした軍事大国でもある為に在日大使館付武官には佐官級の人材が充てられていたが、そうでなければ即席士官でしかないポトチニク中尉が武官補佐ではなく正規の武官になっていてもおかしくはなかった。

 再建中のユーゴスラビア連邦王国軍には、政府が信頼できる高級士官が不足していたからだ。


 その大使館の中ではポトチニク中尉は大した仕事を与えられなかった。直属の上司である大使館付武官は旧王国軍の人間だったから、やはり旧共産党系抵抗運動出身の即席士官という中尉の経歴が不信の目で見られていたようだ。

 尤もポトチニク中尉は日本で発行された新聞記事などを雑にまとめるという地味だが楽な仕事で満足していた。首都の軍司令部でなれない書類仕事に追い回されるより、定時を過ぎれば外国人でも安全に呑みに行ける日本国内の生活を楽しんでいたからだ。



 ところが、最近になってにわかにポトチニク中尉も新たな仕事を抱えて忙しくなっていた。日本国内の兵器産業に関する調査が命じられていたのだ。

 最初はポトチニク中尉があまりにも大使館内で暇そうにしていたのを見咎められたのかと思ったのだが、実際には本土で中尉も関わっていた連邦王国軍の大規模再編制にも関わる仕事だった。


 旧ユーゴスラビア王国軍が旧態依然としていたのは組織編制上のことだけではなかった。予算不足もあって、陸軍の装備も第一次欧州大戦時の旧式装備ばかりで近代兵器の数は著しく不足していた。

 先の大戦中には国境を越えて密かに運ばれてきた国際連盟軍からの支援物資も受け取っていたが、外国製の兵器といっても投入されたのは遊撃戦に対応した小火器ばかりだったし、逆に装備の統一性も失われていた。

 近代戦において有機的に活動しうる組織として新生国軍を抜本的に再編制する一方で、ようやく本国も装備刷新に手を付け始めたらしい。要するにポトチニク中尉の仕事は購入予定兵器の調査であり、同時期には兵器生産能力の高い英国内などでも在日大使館と同様の動きがあったようだった。


 こうした専門性の高い仕事は正規士官学校を出たはずの大使館付武官の領分ではないかとも思ったのだが、即席士官のポトチニク中尉程ではないにせよ、上司の駐在武官は階級の割に年齢が高く、近代兵器には疎い様子だった。

 ただし、近代兵器といってもユーゴスラビア連邦王国軍が最新型の兵器を購入する余裕があるとはポトチニク中尉には思えなかった。自国軍が装備する最新兵器の輸出を日本政府が許可するかどうかも不透明だったが、それ以上に高価な新規生産品を財政状態の怪しい本国政府が大量購入するはずがないからだ。

 自然とポトチニク中尉の調査も既存兵器、特に日本軍で昨今退役しているような中古品が対象となっていた。



 本国政府が真っ先に調査を命じていたのは歩兵の主力兵器である小銃だったのだが、ポトチニク中尉の当ては早々に外れる事になっていた。意外なことに日本軍の旧式装備のうち部隊から返納された中古品の在庫は殆ど無くなっていたのだ。

 これは奇妙なことだった。日本軍は第二次欧州大戦に前後して制式採用された九九式自動小銃に歩兵銃を切り替えていたから、相当数の旧式歩兵銃が予備装備となっているはずだったからだ。


 国力や人口からすると日本陸軍の規模は小さかった。主力となる歩兵師団が実体のない4個予備師団を含めても21個しかないとポトチニク中尉は聞いて驚いていたのだ。それでは国民の総人口で十分の一近くしかない旧ユーゴスラビア王国軍よりも小規模ということになるからだ。

 だが、数で勝るソ連に対抗するために日本軍は機械化が進んでいた。というよりも、第一次欧州大戦や、それ以前の日露戦争における戦訓を反映して、多額の予算が必要な戦車や砲兵、航空部隊といった機械化部隊の増強を行うために、歩兵部隊の数を減らした軍制度改革が以前行われていたらしい。

 歩兵師団の中には半数を戦車隊に入れ替えて機甲師団化された師団もあるらしく、そうではない通常の歩兵師団であっても今では戦車1個連隊程度が配属されていたから、部隊の規模は同級であっても旧式装備ばかりの旧ユーゴスラビア王国軍とは実戦闘力では比較にならなかったのではないか。


 先の第二次欧州大戦においても、日本軍は一部予備部隊の動員こそ行ったものの、他の参戦国では当然の様に行われていた師団級部隊の増設は行われていなかった。

 歩兵師団の増設よりも工業化の進んだ日本本土における兵器増産の方が国際連盟軍に寄与する所は大きく、英連邦インド師団や自由フランス極東師団などの二線級部隊を支援するために、日本軍から派遣された独立砲兵連隊や戦車連隊などの重装備部隊だけが配属されることも多かったようだ。



 それでも日本陸軍は機械化された6個師団を中核とする大部隊を欧州に派遣しており、そうした前線部隊どころか本土に残された部隊にまで戦時中に増産が進められた九九式自動小銃への置き換えが進んでいたらしい。

 日本陸軍の基本編制が大型の4単位師団であることを考えると1個歩兵師団が装備する小銃の定数は少なくとも1万丁位はあるだろうから、日本軍全体では20万丁程度の旧式小銃が返納されていたはずだった。


 勿論、返納された歩兵銃が全て日本から海外へ輸出されるとはポトチニク中尉も考えていなかった。日本本土で予備装備として残されたり、民間に払い下げられるものもあるだろうし、単純に部品の摩耗などで廃棄された個体も少なくないのではないか。

 だが、そうしたものを除いたとしても万の単位で良好な状態で残された旧式小銃の在庫があるとポトチニク中尉は予想していたのだが、実際には日本陸軍の旧式小銃は殆ど本土に残されていなかった。



 よく考えてみればおかしなことではなかった。確かに第二次欧州大戦中に日本軍は自らが装備する歩兵銃の切り替えを行っていたのだが、同時に主に東南アジアの新独立国や欧州の植民地から動員された部隊、更には大戦初期に発生した欧州諸国亡命政権軍の一部まで日本軍が補給を担っていたからだ。

 旧式小銃といっても稼働状態は良好なものばかりだったから、部隊単位で九九式自動小銃を新たに配備されたことで戦時中に返納された旧式小銃の多くは、再整備の上で東南アジアで新規編制されていた諸国軍に供与、輸出がされていたらしい。

 それどころか増産体制にあった新型の九九式自動小銃ですら大戦終盤にはその多くが輸出に回されていたようだ。


 だがポトチニク中尉に対応した兵器輸出を行っている商社の人間は気になる話もしていた。戦時中に慌ただしく九九式自動小銃の配備が進められていたものだから、短時間で大量の旧式小銃を返納された兵器廠では、再整備作業が滞って戦時中は倉庫に山積みになっていたはずだというのだ。

 実際に戦後になってから再整備されて新独立国に輸出された旧式小銃も少なくなかったらしい。しかも、その数には矛盾が生じていた。つまり在庫の数と輸出された数を換算すると相当数の小銃が行方不明になっているのではないかというのだ。


 ポトチニク中尉は困惑するしか無かった。おそらく商社の人間も口を滑らせたのだろう。こんな外国人が知るには微妙な話は聞かなかったことにするしかない。担当者もすぐにきまり悪そうに口を閉じていた。

 そもそも、仮に旧式小銃の在庫があったとしても、帳簿から行方不明に出来る程度なら一万丁にも満たない数ではないか。

 それでは新生ユーゴスラビア連邦王国軍に配備するには数が不足しているだろうし、追加で発注するにも旧式だけに再生産は難しいだろう。結局装備の統一が進まずに雑多な装備で互換性のない旧軍の二の舞いとなるだけではないか。それなら現行の九九式自動小銃を発注したほうがましだった。

 そう考えてポトチニク中尉は愛想笑いなどを返していたのだが、商社の担当者はさらに気になることを言った。今は装備の刷新には時期が悪いというのだ。不思議に思って中尉が首を傾げていると、その時の担当者は先程の失言を気にしているのか、ことさらに密々と続けた。



 日本軍の歩兵部隊には、前大戦で大量生産された九九式自動小銃が配備されていたのだが、早くもこの時期には九九式自動小銃の後継となる新型小銃の開発が進められていた。

 九九式というのは日本式の暦の読み方で、西暦で言えば1939年に制式化されたという意味らしいから、僅か10年の配備期間で日本軍は九九式自動小銃の性能に不満を抱いているということになる。

 第一次欧州大戦の旧式装備で第二次欧州大戦に挑んだユーゴスラビア王国軍の状況を見ていた後では、貧乏性のポトチニク中尉には贅沢極まりない話に思えていたのだが、これは大戦中に得られた戦訓が強く影響したものであったらしい。


 第二次欧州大戦時のドイツ軍は突撃銃という名前の奇妙な歩兵銃を一部精鋭部隊で運用していた。

 突撃銃は従来のボルトアクション式のライフル銃ではなく、銃弾の発射から次弾の再装填までを機械的に行う自動小銃の類ではあるのだが、更に引金を引く事に一発づつ発射するのでは無く、切り替えによって機関銃のように射弾が連続する全自動射撃を可能にしたものだった。

 兵士一人で運用する火器だから携行する弾薬数にも限りがあるし、機構上も機関銃のように継続した射撃は難しいらしいが、近距離におけるいざという時の火力は無視できないものがあったようだ。

 複数人で運用する分隊の火力根幹となる軽機関銃から発展したものというよりは、戦闘距離が短くなる傾向のある塹壕戦ではなく純粋な野戦で使用するには威力や射程が心もとない短機関銃を拳銃弾ではなく小銃弾を使う様に改良されたものと言えるのかもしれなかった。


 そのドイツ軍の突撃銃などを参考にして、日本軍や英国などでも全自動射撃可能な新型小銃の開発が開始されていた。実は日本軍では着脱式弾倉と単発、連射の切り替え機能が追加された九九式自動小銃の発展形が既に制式化されていたのだ。

 概ね自国軍への配備が完了した後も主にアジア圏の新独立国などに向けた輸出用として九九式自動小銃の生産は継続されていたから、発展型といっても製造工程の変更は最小限で済むように治具なども工夫されたものらしい。

 実際にポトチニク中尉も商社で九九式自動小銃二型の実物を確認することが出来たのだが、機関部下から無造作に突き出された大きな着脱式弾倉を除けば、従来の型式と見分けがつかなかった。


 だが、商社の担当者によれば、折角制式化された九九式自動小銃二型も限定的な生産にとどまるという見込みだった。制式化されたということは一部部隊への配備も進められるのだろうが、前大戦時におけるドイツ軍の突撃銃のように装備優良な部隊への配備にとどまるということなのだろう。

 制式化以前に、完成した九九式自動小銃二型は日本軍の他に英国などでも射撃試験が行われていたのだが、その結果設計上の問題ではない不具合があったらしいというのだった。

九九式自動小銃の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/99ar.html

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― 新着の感想 ―
[一言] >ちょっと性能があれなM14 30-06版のBM59ですかねえ。 BARは御役御免になりそうです。 戦前の米兵器はガラパゴス化の感があるので、この先どんな面白兵器(戦車とか)が登場するのか…
[気になる点] こうなると米軍の小銃等がどうなっているのか。 話が進んで説明されるのを楽しみに待ちます。 [一言] >本来L85になるはずだった そもそもAR18が誕生してもいないのですから、ジャム…
[一言] >EM-2的な何かではない何か L85:呼んだ?
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