1949ハワイ、開戦前夜8
米国全体に停滞感が漂い始めたのは前世紀末の頃だったといわれていた。それまでに明白なる使命を帯びてひたすら米大陸を西進していた米国の勢力圏は、既に太平洋に達して狭義のフロンティアが大陸から消滅していた。
それにもかかわらず米国の勢力圏拡大への意欲は大陸内部では留まらなかった。世紀末に老いた帝国であるスペインを打破した米国は、カリブ海を我が物とした他にフィリピンやグアムといった太平洋の反対側にある領土を手にしていたからだ。
だが、米西戦争に勝利を収める一方で、米国内の拡大主義勢力が次の目標と密かに定めていたハワイ王国の併合は頓挫していた。
ハワイ王国はそもそも建国期から白人達の影響下にあった。ハワイ諸島の地方勢力でしかなかったカメハメハ大王は、ハワイを訪れた白人達から購入した兵器や戦術を駆使して全島を統一していったからだ。
建国後も欧米勢力の影響力は大きかった。むしろハワイ王国の文化や経済は優れた技術や資本を有していた欧米からの移民層に握られていたといっても過言ではなかったが、半世紀程前に米英仏などが縄張り争いをしていたハワイに新たな勢力が参入していた。極東で勢力を拡大していた日本だった。
清とロシアに相次いで勝利を収めた新興の日本帝国だったが、その勝利は際どいものだった。旧態依然とした清はともかく、ロシア帝国は本領ともいえる欧州側の首都近郊で発生した革命騒ぎに加えて、極東の僻地に至る長大な補給線の維持が難しかったというだけの話だったのだろう。
そんな薄氷を踏むような状態で近代化を進めなければならなかった日本がハワイに手を出した背後には英国の影がちらついていた。
英国政府からすれば自国の王族を絶海の孤島に送り込む事は恐れ多いが、極東の蛮族とハワイ先住民の王族の婚姻関係に関与することで三国間の外交関係を強固とする狙いだったのではないか。
公正を重んじる米国市民からすれば、縁戚関係で結びついた特権階級によって行われる王室外交などは前近代的で唾棄すべき習慣としか思えなかったが、それゆえに彼らの関係の深さにも気が付かなかった。
ハワイの米系市民過激派が起こしたクーデター事件は、英日派などの勢力によって制圧されていた。クーデター発生時にハワイ王国に寄港していた米海軍艦も英日海軍派遣艦隊に威圧されて事件に介入できなかったらしい。
当時の米政府自体も対スペイン関係に注視してハワイは等閑に付されていたのだが、その間にハワイから併合派は叩き出されて米国に編入する手段は失われていた。
米国に漂う閉塞感が決定的なものとなったのは、当初は些細な事件と認識されていたハワイ併合の失敗が原因だったのではないかと今になっては考えるものは多かった。北米を埋め尽くし、更に大洋に拡大していた米国の価値観が始めて否定されていたからだ。
米国が本当の意味でモンロー主義に浸り始めたのはこの時期だったのかもしれない。若い帝国である米国は拡張によって外部に発散される筈だったエネルギーをマグマのように溜め込み始めていたのだ。
米国が編入したフィリピンやカリブ海の島々にかける情熱は単なる損得だけでは説明がつかなかった。そこはハワイを失った米国にとって残された最後のフロンティアという意識だったのではないか。
獲得した海外領地を保持する一方で米国内部においては開拓時代に結ばれた条約を忘れたようにインディアンに対する圧政が行われていた。むしろ多くの米国市民にとっては圧政という感覚すら無かっただろう。
彼らの中にはインディアンという存在そのものが過去のものになっていた。固有の文化をもった集団ではなく、インディアンを出自とする米国市民が存在するとしか考えておらず、彼らが貧しいのは自己の努力が足りないせいだと決めつけられていたのだ。
そこには砂金が見つかるたびに土地を奪われ、鉄道を通す度に居留地の境界線を勝手に書き換えられてきたインディアン達への憐憫の情は見られなかった。
そんな矛盾を抱えた米国の中でも特に中部の寂れた農村の暮らしは、ドラゴ二等兵を疲弊させていた。空は暗く、土を含んで重くなった風に怯えた子供時代には母親はよく気高いインディアンの父親の話をしたが、現実はインディアン達はドラゴ二等兵が生まれてからも迫害され続けていた。
伯父達は、内心では野蛮なインディアンと交わった母親が一族の中にいることを疎んでいた。ドラゴ二等兵も子供心にそれを感じていたから、母親が死んで客も満足に来ない店の手伝いをするようになってからは、軍の志願年齢制限に達する日を指折り数える日々が続いていた。
あの暗い故郷に未練は無かった。
ドラゴ二等兵が感慨深げに青い空を見上げていると、背後から無遠慮な声が聞こえていた。
「なんでこの船に白人の旦那が乗ってるんだ」
この連隊に配属されてから何度も聞いてきた声の内容に、ドラゴ二等兵は眉をしかめながら振り返っていた。
ドラゴ二等兵の予想とは裏腹に、背後にいた兵士の顔に浮かんだ表情に剣呑なものはなかった。人懐っこそうな顔をした兵士はドラゴ二等兵と同年配に見えたし、階級も同じ二等兵だった。
純粋に怪訝そうな顔に戸惑いながらもドラゴ二等兵は言った。
「俺は白人じゃない。親父の血がもう少し濃ければ立派なカラードだ」
デッキに直に座っていたドラゴ二等兵の許しも得ずに、その兵士は隣に腰を下ろしていた。
「なんだ、親父が黒いかったのかい。でも、あんたそれにしても白すぎるぜ」
「黒でも白でもない。俺はインディアンの息子だ」
ぶすりとした顔でドラゴ二等兵はいったが、相手は赤子の様に純真な目で笑っていた。
「なんだい、じゃ赤だったのかい。しかし、あんたもぶきっちょじゃないか。黙って白人のような顔をしていればこの連隊に送られることもなかったのに。
ああ、俺はテリー・ジャクソン、あんたとおなじ二等兵だ。生まれはニューオリンズ」
そういう性格なのか、親しげに話しかけてくるジャクソン二等兵に戸惑いながらもドラゴ二等兵も訥々と返していた。もしかするとこの男も戦地に向かう船の中でただ不安なだけなのかもしれない、そう考えていたのだ。
ジャクソン二等兵の言う事は間違いではなかった。この船に押し込まれた第24歩兵連隊の将兵は黒人ばかりだった。連隊長は適当な黒人士官がいなかったのか今は白人だったが、下級将校の各級指揮官となると黒人が多かった。
第24歩兵連隊は南北戦争において誕生した黒人解放奴隷によって構成された有色人種連隊の最後の生き残りというべき存在だった。
現在の米国は人口比率で言えば欧州にルーツを持つ白人ばかりだった。黒人は人口比率的には1個連隊を満たす分しかいないと考えてよいのだろう。それ以外の人種となると比率的には殆どいないといってよいのではないか。
中国系の移民は太平洋岸にある程度いるらしいが、職を求めて戦乱の続く中国大陸から逃れてきた彼らが陸軍に志願してくるとは思えないし、軍内の人種差別も激しいものだった。
そして殆どのものが知らないが、正確には純粋なインディアン部族は米国市民とさえ言い難いのだから、インディアンの兵士も存在するはずがなかった。むしろ栄光ある軍務は白人の仕事という意識も強かったのではないか。
紆余曲折の末に有色人連隊として再編成されていた第24連隊は、南北戦争後から長く続く軍縮体制にあった米国陸軍で久方ぶりに再編制された第24歩兵師団に編入されていた。
3個歩兵連隊を基幹戦力とする第24歩兵師団だったが、砲兵や兵站などの支援部隊は紙上の編制に過ぎないという幽霊のような部隊も少なくなかった。高度な訓練や特別な機材が必要な部隊を後回しにして、第24歩兵連隊を含む歩兵ばかりがかき集められたというべきなのだろう。
最近になって第24歩兵師団が慌ただしく再編制されていたのは、騒乱の続くフィリピンに増援の治安維持部隊として送り込まれる為だった。頭数が必要な治安維持部隊であれば軽装備の歩兵部隊だけで充分ということなのかもしれなかった。
フィリピンでは英国や日本の支援を受けた独立派が武装闘争を繰り返していた。日本は不法な武器輸出を行っていた業者の取り締まりを行っていると言っていたが、実際にはフィリピン南方のボルネオ島などからスールー海経由で流入してくる武装勢力は日本製の兵器で武装していた。
それに最近になって日本は先の大戦で中止が続いていた海軍の大規模な演習を公表していた。友好国まで招いて行われる演習は、太平洋米領の目と鼻の先にあるトラック諸島をメインの舞台として行われるというから、米国内では日本軍による威嚇であると報道されていた。
相次ぐ扇情的とも言える報道に米国市民は激昂していた。世論を受けて国交断絶を含めるあらゆる手段で日本に懲罰を求める強硬派の議員も出てきていた。米国の正規軍である第24歩兵師団のフィリピン派遣はそうした国内世論に与したものだったのだろう。
フィリピン派遣軍の一翼を担うことになった第24歩兵師団隷下の3個歩兵連隊の中で最後に米本土を発ったのが第24歩兵連隊だった。連隊を輸送する兵員輸送船の手当が滞っていたのだ。
先発する2個連隊は余裕を持って何隻かの輸送船に分乗していたらしいが、師団内部で唯一の有色人部隊である第24歩兵連隊はたった1隻の輸送船に押し込まれていた。
第24歩兵連隊を乗船させた輸送船は、元は大西洋を渡る英国籍の豪華客船だったらしいが、旧式化が進んで廃船となるところを米国の企業に買い叩かれていたらしい。
その後も転売を繰り返してから海軍籍になった後に客船時代に施されていた凝った装飾品を徹底して剥がされた輸送船は、船内各所に所狭しと兵員居住区画となる多段ベットを無秩序に連ねていた。
尤も建造されてからこれまで所有者が次々と入れ替わっていったものだから、繰り返された改造がどの段階で行われていたかを特定するのは難しかった。
兵員輸送船の原型は2万トンを越える大型客船だったが、今は大西洋を横断していた頃の華やかさは残されていなかった。定数で3千名近い連隊の全将兵に加えて、先発する船団が積みそこねていた機材まで所狭しと詰め込まれていたからだ。
それに艤装品が剥ぎ取られた跡からすると、どうも以前からこの船は輸送船として使用されていたらしい。米国籍になる前の先の第2次欧州大戦で英国か英連邦のどこかで兵員輸送船として使用されていたのではないか。
更に船体には米国海軍仕様に合わせた塗装の厚化粧がほどされてたのだが、船内は塗装も勿体ないとばかりに錆びついているに任せたままのところも少なくなかった。
兵員居住区画以外の船倉も、元は客室だった所に強引に隔壁を開孔して空間を広げていたらしい。強引な施工は誰が行っていたのか分からないが、強度計算がきちんとされているかは不明だった。それ以前に原型となった客船の設計資料などとうに散逸していてもおかしくはなかった。
どのみち米国海軍としても長期間の運用は想定していないのだろう。
この急造された兵員輸送船に積み込まれた第24歩兵連隊の存在自体が泥沼的に行われる兵員輸送計画を象徴しているようだったが、実際には第24歩兵連隊がフィリピンに駐留する極東軍最後の部隊ではなかった。第24歩兵師団に続いて海兵隊と陸軍1個師団の移動が決まっていたのだ。
陸軍で新たに再編制される第25歩兵師団は、連邦軍ではなく州兵から抽出される3個歩兵連隊を中核としていた。部隊規模は第24歩兵師団と変わりないだろう。
海兵隊も3個海兵連隊からなるらしいから、全部隊の輸送が完了すれば極東軍には一挙に軍団級の増援が追加されることになるのだ。州兵歩兵連隊からなる第25歩兵師団はともかく、中米への介入で実戦経験を有する海兵師団の存在は軍司令部も心強いのではないか。
それにこれまで海兵隊は少部隊での政治介入ばかりに投入されていたから、師団級の大部隊を編成することになって海兵隊上層部も張り切っているという噂もあった。
だが、ドラゴ二等兵には小火器がせいぜいの原住民の蜂起に備えるフィリピンの治安維持任務に対しては軍団級の戦力は過剰であるように思えていた。
―――もしかしてこれから先フィリピンで戦争になると軍は考えているのだろうか……
のべつ幕なしに喋り続けるジャクソン二等兵の言葉を半ば聞き流しながら、ドラゴ二等兵は米国が半世紀もの間逃れ続けていた奇妙なほど現実感のない戦争の事を考えていた。