1949ハワイ、開戦前夜6
2隻のハワイ王国海軍哨戒艦に向かって不明艦群が接近していた。
ハレクラニ艦橋後方の見張り所に身を乗り出すようにしてアイカウ大佐は自らの目で接近する艦艇群を確認しようとしていたが、潜水艦を追尾するために速度を落としているハレクラニは大波に揺られていたから、船体の横揺れが大きくて視界が定まらない為に詳細は分からなかった。
それにこちらに接近してくるものだから見えるのは相手の艦首部分だけだった。
ハレクラニに装備されたレーダーが当初目標を分離して確認できなかったのも当然だった。針路が殆どこちらに向いているものだから、分解能の低い旧式レーダーによる観測では、後続艦の姿は先導艦に隠されて分離して表示することが出来ていなかったのではないか。
アイカウ大佐が双眼鏡の視野で確認出来たのは、接近する艦には重厚な艦橋構造物と三連装らしい巨大な砲塔が艦橋前に備えられていることだけだった。
相変わらず荒れる海面で視界が揺れるせいか、あるいは見え隠れする後続艦のせいか、双眼鏡の狭い視野で二重に見えるものだからアイカウ大佐は疲労を感じて双眼鏡を思わず下ろしていた。
アイカウ大佐のそんな様子をあざ笑うように、2隻の艦艇は緩やかに回頭しているのか次第に視野内で角度がついてきていた。艦橋前の砲塔が背負式で2基装備されているのが見えてきていたのだ。これまでは顕著な艦首のフレアとシアによって第1砲塔が隠されていたのだろう。
だが、艦橋に戻って海図に視線を戻したアイカウ大佐は、侵入してきた2隻が真っ直ぐにハレクラニに舳先を向けているわけではないことに気がついていた。
先程確認された針路を延長すると、ハレクラニとカマアイナの艦首を結んだ線、つまり不明潜水艦が潜んでいる辺りに向かっているようだった。
唖然としながらアイカウ大佐は忙しなく見張り所に引き返してきていた。不明艦は転舵などしていなかった。単にハレクラニに接近したことで見た目上の角度がついてきていただけの事だったのだ。
アイカウ大佐は、斜めに接近してくる艦艇を見つめていた。三連装の砲塔は艦橋構造物後方にも存在していた。艦橋前方に背負式に2基と後方に1基だった。
よく見ると、艦橋と巨大な三連装砲塔の間には、対空砲らしき小さな砲塔が存在していた。相対的に小さく見える対空砲ではあったがそれでも5インチ口径程度はあるようだった。
それに対空砲や対空機銃は艦橋構造物側面にも重層的に配置されているから船幅にはいくらか余裕があるのだろう。
鵜来型海防艦の主砲も高角砲だったが、装備数で完全に圧倒されていた。相手が主砲を使うまでもなく接近する艦艇と交戦すれば一蹴されてしまうのではないか。
船速を落としているのもあるのだろうが、2隻の哨戒艦が上甲板を大波に洗われているのに対して、それなりの速力が出ているのか相手は微動だにせずに接近していた。
接近する相手には戦艦と見間違える程の重厚感があったが、実際には米国海軍のボルチモア級重巡洋艦のようだった。
軍縮条約時代に建造された旧式艦もまだ何隻か在籍しているようだが、米海軍の巡洋艦は殆どがここ10年の間に大量建造されたクリーブランド級軽巡洋艦とボルチモア級重巡洋艦であったから、識別はある意味で容易だった。
米海軍の巡洋艦は重装備かつ重装甲であるらしい。偵察艦や主力艦護衛と言った任務に投入される為に対大型艦向けの雷装は有していないようだが、大火力とそれに見合った装甲を有する戦艦的な設計思想で設計されているという噂だった。
アイカウ大佐はボルチモア級の迫力を実感していた。周辺海域に対抗手段の存在しないハワイ沖に出現した2隻のボルチモア級重巡洋艦は、戦艦並の絶対的な存在であったのだ。
ボルチモア級重巡洋艦の先導艦艦橋周辺で明滅する光があった。既に直接通信が可能な距離であるはずだが、米重巡洋艦は発光信号を送ってきたのだ。
信号所からの報告が届く前に、ウラサワ少佐が訥々とした口調で機械的に信号を読み上げていた。
「我は、合衆国海軍軍艦、ノーフォーク。本海域は、ハワイ領海に、あらず。命令に、従う、義務なし。本艦は、自由に、航行する、権利有り……言っている事は米国の以前からの主張を繰り返しているだけですな。しかし、このタイミングで連中が現れたということは……」
アイカウ大佐は本来の端正な顔を怒りで歪めていた。
ハワイ王国を構成する諸島のうちニホア島はオアフ島やハワイ島など人口の多い主要諸島からやや距離があった。しかも自然環境が厳しいことから守備隊やその傭人以外の住民はいなかった。
ただし、ニホア島は歴史上完全な無人島であったというわけでなかった。島内には長期的な居住の形跡がいくつか発見されていたのだ。
文字文化の薄いハワイ先住民の歴史には20世紀も半ばになっても未だに神話と区別出来ない曖昧で判然としない部分が残されていたが、おそらくはニホア島の先住民達は自然環境の変化などによって島を離れて他のハワイ諸島に移住していたのではないか。
確かにニホア島と他のハワイ諸島の間には距離はあるが、計画的に物資を収集貯蔵して行動すれば原始的な舟でも集団で移住を図ることは不可能ではなかったからだ。
ハワイ王国はこうした歴史的な居住者の存在と守備隊の常駐を根拠としてニホア島の領有を宣言していたのだが、米国はハワイ王国の主張を全く認めていなかった。
古代にニホア島に恒久的な居住者がいた証拠は希薄であるし、そもそも原居住者が現在のハワイ人と関係があるとは限らない。それが米国国務省の見解だった。
生産能力に乏しい孤島に居住地が限定されている場合、自然環境の急変などによって脆弱な居住環境を維持出来ずに島民が全滅していた可能性も否定出来ないからだ。
それに米国が認めていないのは歴史的なものだけではなかった。生活拠点を持たない守備隊は、ニホア島の居住者とは認められないために同島はいずれの国にも属していないと主張していた。
クーデター未遂事件後に著しく悪化したハワイ王国と米国との外交関係を考えれば、それ以前に米国は先住民系による立憲君主制国家であるハワイ王国自体を国際法上の独立国家と考えてもいないのではないか。
その一方でニホア島と同様に軍関係者以外の居住実績がないにも関わらず、米国はミッドウェー島などを領有していた。しかも米国はリン資源を確保するために制定された彼らの国内法であるグアノ島法をミッドウェー島専有の根拠としていた。
ハワイ王国からすれば米国の傲慢で一方的な主張としか思えないのだが、現実には米国の主張を覆すことはできなかった。結局のところ国際社会で法と秩序を維持するために必要なのは、外交力よりも権威の裏付けとなる軍事力であったからだ。
傍若無人な回答を送って来た米国海軍重巡洋艦をアイカウ大佐が睨みつけている間に、艦橋窓にへばりつくようにして双眼鏡を向けていたウラサワ少佐は、艦橋に置かれていた識別帳を手早く捲って確認していた。
「船首の艦番号を確認しました。1番艦がノーフォーク、2番艦はケンブリッジ……いずれもボルチモア級重巡洋艦ですな。その他装備に差異は無し。今のうちに写真に取らせておきましょう。
それと米艦に航行目的を問い合わせてみますか、時間稼ぎくらいにはなるかもしれませんが……」
アイカウ大佐も苦々しい表情のままだったが、ウラサワ少佐の冷静な声に落ち着きを取り戻していた。
「目的も何も、こんなタイミングでしゃしゃり出てきた米艦が海中に潜んでいる不明潜水艦と無関係とは思えんだろう」
ウラサワ少佐はボルチモア級級重巡洋艦に視線を向けたまま首を傾げていた。
「はて、艦長のそのご意見に異を唱えるつもりはありませんが、彼らも堂々と自軍の潜水艦を援護しに来たとは言わないでしょう。彼らがニホア島を我が国の領土として認めていないとしても、不明潜水艦はカウアイ島やオアフ島にまで接近していたのですから、潜水艦を自軍のものとは認め難いでしょう。
そうなるとあの巡洋艦の任務は、表向きは単なる哨戒任務となりますが、更に連中が言うようにニホア島を我が領土とは認めないという意味で哨戒範囲にこの海域を含めている、といったところですかな」
苦々しい顔でアイカウ大佐は首を振っていた。
「連中の表向きの建前を確認したところで益があるとは思えないが、黙って米国の言うことを聞いてしまえばそれを認めたと宣伝されかねんな……いいだろう、通信室にニホア島が我が領土であることとこの海域から退去するように再度通信を送るように伝えろ。細かな文面は通信長に任せる」
そう言うとアイカウ大佐も速度を落としているようにみえるボルチモア級の姿に艦橋窓越しに視線を向けていた。
「だがあの2隻が潜水艦を回収しに来たのは確かだと思うが、連中はどうやって海中の潜水艦の状況を知ったんだ……ハレクラニとカマアイナに挟まれた潜水艦はこれまでのところ何も発していないし、そもそも連絡を取れるような状況ではないはずだな」
「ボルチモア級がこのタイミングで出現したのは、もしかすると単なる偶然なのかもしれません……」
ウラサワ少佐の声は淡々としたものだったから、アイカウ大佐がその意味を理解するのに時間がかかっていた。
間の抜けた顔でアイカウ大佐はウラサワ少佐の背中を見ながら言った。
「ちょっと待ってくれ。副長はあの巡洋艦と潜水艦が無関係だと言いたいのか……」
振り返ったウラサワ少佐の顔はどことなく困ったような顔になっていた。
「いえ、小官も我々が追尾していた潜水艦と、いきなり現れたように見える米国の巡洋艦が無関係だとは考えておりません。ただ、巡洋艦群は潜水艦を支援するためにこの海域で待機していたか、元々潜水艦が帰還する時間に合わせて航行していた可能性もあるのではないでしょうか。
航海士に少し操艦を代わってもらってもよろしいですか」
興味深げ、というよりもどこか他人事の様に二人に話を聞いていた航海士は、アイカウ大佐がうなずくのを見て慌てて操艦を引き継ぐ旨を引きつった声でいった。
ウラサワ少佐は航海士を無視するように海図台に近づいたが、小さな海図にはほとんど目をやらなかった。
熟練の船乗りであるウラサワ少佐は、ハレクラニが出動してからこれまでの針路をほとんど記憶していたのだろう。ためらうことなくウラサワ少佐はニホア島から東南東に向かうように指でなぞってみせた。
「不明潜水艦にしてみても補給船に探知されたことは予想外であったはずです。仮に水上速度が補給船と同等だとして、発見からこれまでの時間でニホア島から往復でもオアフ島付近に達するのは不可能ではありません。
実際にはハワイ諸島近辺では秘匿の為に潜水行動を余儀なくされるかもしれませんが、それでもカウアイ島周辺なら偵察は可能でしょう。
ただし、潜水艦自体が小型だから長期的な偵察はおぼつかない、それで支援の為にミッドウェー島を根拠地とする巡洋艦群を用意していたのではないかと思われます」
アイカウ大佐は押し黙ったまま聞いていた。ウラサワ少佐の説に矛盾はなかった。だが、そのような補助的な任務にさえ大型戦闘艦艦を投入する米海軍の余裕に気が遠くなりそうだった。
ふと視線をボルチモア級重巡洋艦に向けてみると、よく見ればその船体は薄汚れていた。ウラサワ少佐が読み取った艦番号も何処かくすんでいたのだが、アイカウ大佐にはハワイ王国海軍の全戦力を投入しても敵わない2隻の重巡洋艦の実戦力が持つ凄みに見えてしまっていた。
鵜来型海防艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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