1949ハワイ、開戦前夜4
この時期、ハワイ王国の沖合に潜水艦を侵入させる可能性のある勢力は実質的に米国のみと考えてよかった。
保有する艦の性能だけを見れば、日本海軍の大型潜水艦である伊号潜水艦なら彼らの根拠地からハワイ王国沖合まで長駆進出する能力はあるだろうが、2隻の哨戒艦に探知されたこの状況で友好関係にある彼らが浮上してこないとは思えない。
ただし、大国との衝突を恐れるハワイ王国政府は米国の名を口にすることはなかった。まるで米国の名を口にすればそれが現実のものになると考えていたかのようだったが、ウラサワ少佐はあっさりとその禁句を発していたのだ。
現在米海軍が保有する潜水艦は、バラクーダ級、カシャロット級、タンバー級の3種類にほぼ限られていたが、そのなかでもアイカウ大佐は世界最大の潜水艦であるバラクーダ級がハワイ王国沖合に出現する可能性は最初から想定していなかった。
バラクーダ級潜水艦は、先の大戦勃発によって無効化された海軍軍縮条約の制限下で建造されていたのだが、同級は条約規定の潜水艦における個艦排水量制限を遥かに越える1万トン級大型巡洋艦並の巨体を誇る怪物だった。
米国が強硬に主張した軍縮条約制限の特例枠を用いて3隻が建造されたバラクーダ級は、手探りで実用化の域に達したばかりの新兵器である潜水艦の最適解を探していた列強海軍の中でも特異な艦だったのだ。
通商破壊戦に投入されることを前提に安価に建造されるドイツ海軍潜水艦などとは全く異なり、バラクーダ級は戦艦群で構成された主力艦隊の前哨となる偵察艦として運用されており、純粋な潜水艦というよりも潜水可能な偵察巡洋艦と考えるべき代物だった。
だが、戦間期に威容を誇っていたバラクーダ級潜水艦は、軍縮条約による制限保有枠のなかではその排水量の大きさが災いしてそもそも建造数が少なかったし、既に老朽化も進んでいた。
それ以上に旧式でも潜水艦としては破格である重巡洋艦並の8インチ砲4門という大火力とそれに見合った重装甲を有するバラクーダ級であれば、この状況でこそこそと潜航などしなくとも小口径の高角砲しか持ち得ない哨戒艦を威圧しながら悠々と水上を離脱出来るのではないか。
火力という点ではバラクーダ級に劣るものの、条約無効化後に建造されたタンバー級も水上での戦闘力は無視できなかった。条約制限という枷を外された事で排水量に余裕をもたせた同級は、充実した雷装と軽巡洋艦並の6インチ砲を備えていたからだ。
形状は大きく異なるが、タンバー級は肥大化していたバラクーダ級を艦隊の必要数を建造可能になる適切な寸法まで軽量化したようなものではないか。
ただしタンバー級の備砲の数はバラクーダ級よりも少ないから艦橋構造物に遮られて射界には大きな死角があった。その点を2隻の哨戒艦がうまく機動して突くことが出来れば水上戦闘でも一方的に不利になるとは限らないが、それでも主砲威力では格段に不利だった。
そうした大火力を有する米国海軍潜水艦の中では、特例枠で建造されたバラクーダ級と、条約無効化後に建造されたタンバー級に挟まれたカシャロット級の能力が些か見劣りして見える点は否めなかった。
軍縮条約制限下で建造が続けられていたカシャロット級は、巨大なバラクーダ級の分で大部分を消費してしまった米国海軍の潜水艦保有枠の中で、艦隊が要求する所要数を確保する為に建造された小型潜水艦であったからだ。
数を要求されたという点ではタンバー級と同様なのかもしれないが、カシャロット級の建造時期には軍縮条約制限という大きな枷があったせいで米海軍としては歪な性能になってしまったようだ。
公開情報から読み取れる範囲のカシャロット級の形態や性能はむしろ他国海軍の中型潜水艦に類似したものだった。バラクーダ級は勿論、最新鋭のタンバー級でも水上火力を重視している米海軍潜水艦の方が異様なのだ。
だが、米海軍の内部ではカシャロット級の評判は芳しくないものであるらしい。そもそもがバラクーダ級の就役によって米国の潜水艦保有枠が同艦分で半分以上が費やされていた為に、その煽りを食らってカシャロット級は無理に小型化されたものだというのが大半の米国海軍軍人の認識であるようだ。
つまり他国の様に最初から千トン級の中型潜水艦を建造したのではなく、タンバー級やバラクーダ級のような大型潜水艦を望んでいたものの、排水量や建造費を抑えるために機能を削ぎ落としていったのがカシャロット級ということなのだろう。
タンバー級の建造によって自らが望む性能の潜水艦を入手出来るようになった米海軍は、本来は艦隊型潜水艦として建造されていたカシャロット級を沿岸防衛などの2線級の任務に転用しているという情報もあった。
米海軍はそのカシャロット級をハワイ王国への隠密潜入に投入しているとのウラサワ少佐の見解は何故出てきたのか、海中にいるのがより大型で余裕のあるタンバー級であると考えていたアイカウ大佐は首を傾げながら少佐に根拠を質していた。
両級の性能の開きは大きい、というよりもそもそもの建造目的からして大差が生じているようなものだったから、ハレクラニが浮上させるために何らかの威嚇攻撃を行うにしてもその手段や程度は大きく変わってくるはずだった。
尤もアイカウ大佐はウラサワ少佐の判断そのものを疑っていたわけではなかった。アイカウ大佐よりも階級は低いが、ウラサワ少佐は長い海上勤務の経験で鍛え上げられたハワイ王国海軍全軍の中でも老練な船乗りだった。
50近いという年齢の割に階級が低いのは、高級将校のポストが少ないハワイ王国海軍の中で、日系移民の二世であるウラサワ少佐にはこれ以上の階級や役職に引き上げてくれるような派閥の有力者に知己がなかったせいだ。
本来であればハレクラニの艦長はウラサワ少佐が勤めていたのではないか。第2艦隊に配属されてからずっとアイカウ大佐はそう考えていた。
主力である第1艦隊の駆逐艦艦長などに就任しているのは有力者の縁戚にあるものばかりだったが、ウラサワ少佐の階級や職歴からすれば哨戒艦の艦長ぐらいを務めるならば不自然はなかった。
ところが本来はウラサワ少佐が念願の艦長を務めるはずだったハレクラニは、第2艦隊司令部の直卒を離れてカマアイナと2隻で半ば独立部隊としてカウアイ島に駐留することになったものだから、政治的な信頼性を求める王朝や政府が絡む人事でアイカウ大佐が押し込まれたというのが真相なのではないか。
ハワイ王国に移住した日本人の移民には2つの流れがあった。
半世紀程前に当時の王女に日本から皇族が婿入りしたのだが、その時には皇族に付き従って移民してきた日本人が多くいた。しかも当時の皇族婿入りには既に日本政府に相当の影響力を得ていた英国の影もちらついていた。
むしろ当時の日本の最高権力者であるはずの天皇は発展途上の日本帝国が本格的な皇室外交を行うには時期尚早と考えていたらしい。
何れにせよこの時にハワイ王国国民となった彼らは単なる皇族の付き人というだけではなく、官僚団から選抜されたメンバーも含まれていた。日本帝国もまだ近代化の途上にあったはずだが、当時から既に英日はハワイ王国内の米国勢力に対抗することを考えていたのではないか。
あるいは、開国から間もない日本帝国内の勢力争いで敗北した旧政府系の人材が中央政府から排除されたのかもしれなかったが、当時の事情を知るものは既に少なくなっていた。
そうした英日政府などの思惑はどうであれ、皇族に付き従っていた当時の移民者は日本の武士と呼ばれる戦士階級であった士族出身者などの教養と実務能力を備えたものが多かった。そのせいか現在でもハワイ王国政府の実務官僚として勤務する日系人は少なくなかった。
そうした皇族の婿入りとは関わりなく、日本が開国化してからは経済的な理由で移民するものもいた。大規模な騒乱が途絶えていたせいか開国後の日本本土は過剰な人口増加によって雇用や耕作地が不足する状況であり、日本は積極的な移民政策を取っていたからだ。
経済的な理由でハワイ王国に渡ってきた移民は、英米人などが運営するサトウキビ農園などに雇用されて労働者となっていた。
日本からの移民の流れはハワイ王国だけではなく、更に太平洋を渡った南米方面にも伸びていた。北米は少数のカナダへの移民を除けば米国政府が排他的であった為に避けられていたようだが、この時期に南米に渡った移住者は少なくないようだ。
ところが南北米大陸に渡った日本人移民はその大半が1世代分の数十年も経つと日本本土へ帰国する流れが出来ていた。第1次欧州大戦に前後して起こった日本の急速な工業化が際限なく労働者を飲み込んでいたからだ。
これまでは耕作地面積が労働者の数に比例していた日本の労働体系そのものが変化した事で、海外移民の流れが途絶えるどころか逆流を招いていたのだ。
それに期待を抱いて南米に移民した日本人は、大半が安価な労働源として慣れない環境で酷使されていた。現地指導者層からすれば海外からの移民はこの時期はどの国も法律で禁止されていた奴隷の代わりとなる労働源でしかなかったからだ。
異国の地でこき使われるくらいなら本土の親族を頼って帰国したほうがまし、それが逆移民の流れを作っていたのだろう。日本本土の工業界からしても近隣諸国からの出稼ぎ労働者よりも、日本語を解する移民2世の方が望ましい労働者だったのではないか。
ところがその逆移民の流れの中でもハワイ王国からは日本に帰国するものは少なかった。皇族に従って来たものは勿論だが、一般的な移民からも帰国者は少なかった。
日本本土に近いハワイ王国には早くから移民したものが多く、その分だけ世代を重ねて現地民と一体化していたのが理由の1つだったのだろうが、皇族が婿入りしたハワイ王国への義理立てや、南米の大国と違ってちっぽけな島国のハワイ王国では移民者といえども貴重な国民の1人であったなどことが国籍の変更に伴う数々の制限となって表れていたのではないか。
ハワイ先住民の中でも名家に生まれたアイカウ大佐と比べれば、ウラサワ少佐は後者の貧しい経済移民の2世だったというからハワイ王国海軍への入隊から労苦を重ねて今の地位についたはずだった。
だが、無意識のうちに後ろめたさからウラサワ少佐に身構えていたアイカウ大佐が困惑するほどに、あっさりと少佐はハレクラニが追尾する目標をカシャロット級と判断した根拠を飄々とした口調でいった。
「米国はミッドウェー島を根拠地として整備していますが、島嶼規模の限界からその能力は制限されています。一言で言ってしまえばミッドウェー島は太平洋を押し渡る艦隊の中間補給拠点でしかない。
整備能力の制限から、恒常的な艦艇の配備は限定的なものにとどまっているはずです。というよりも、太平洋の半分を渡って運ばれてきた貴重な資源をミッドウェー島で消費するようでは米国にとって意味がないことになる。
大西洋でも欧州諸国、特に英国と対峙する米国の立場で考えると、太平洋の主要拠点は広大で中国市場への足がかりともなるフィリピンであり、フィリピンと本土を結ぶ航路確保に必要なグアム、ミッドウェーという中間結節点になる。
そこから考えると米国の太平洋における仮想敵はその航路を脅かす可能性のある日本となるでしょうし、最初に戦力を集結させて戦場となるのはグアムを日本の委任統治領やそこから独立した島嶼国家が連続するマリアナ諸島周辺になるのではないですかね。
ここ最近、我が国の領海に侵入を図っていた潜水艦が1隻だとすれば恒常的にミッドウェー島を根拠地として使用しているということになりますが、そうなるとタンバー級ではなく、より小型で整備に手間のかからないカシャロット級である可能性が高いと思われます」
アイカウ大佐はため息を付いていた。ウラサワ少佐の見解は納得出来るものだったが、裏を返せばその結論はハワイ王国はそもそも対等の敵とは考えられていないという当然の結論にも達するからだった。
油断なく視線を艦橋窓に向けながらも首をすくめたウラサワ少佐にアイカウ大佐はなにか言葉をかけようとしたが、それよりも早く艦底近くの聴音室からの報告が艦橋に入っていた。
―――不明潜水艦を失探した、か……
だが、その報告を聞いてもアイカウ大佐とウラサワ少佐の顔には焦りの色は浮かんでいなかった。
鵜来型海防艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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