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1949ハワイ、開戦前夜1

 哨戒艦ハレクラニの大して高くもない艦橋からの視界はさほど良くはなかった。ハワイ沖には燦々と陽光が降り注いでいたが、波頭は高かった。


 僚艦であるカマアイナとはまださほど離れていないはずだが、ハレクラニと同じく日本海軍の鵜来型海防艦を原型とするカマアイナはさほど乾舷が高くないから、船体の大部分は波間に姿を消していた。

 意外と進出距離が長くなっていたのか、すでにハワイ王国を構成する島影はどこにも見えなくなっていた。



 先任艦長として2隻の哨戒艦を合わせて指揮する立場にあるアイカウ大佐は、眉をしかめながら見え隠れするただ一隻の僚艦であるカマアイナの姿を一瞥していた。

 この様な荒天で外洋に進出するには船型の小さい哨戒艦は不利だった。アイカウ大佐はそれほど船酔いする達ではないが、それでも三半規管がやられたのか時たま喉をぶり返すものを感じていた。

 艦橋周辺からも風向きが変わるたびにすえた匂いが漂ってきているから、どこかに胃の中身をぶちまけている乗組員も少なくないのだろう。


 アイカウ大佐が気にしていたのは経験の少ない乗組員の体力だけではなかった。この波浪の中では艦底に装備されている日本製の聴音機も機能を低下させてしまっているのではないかと考えていたのだ。

 国籍不明の不審潜水艦を追尾している今、それは大きな障害となるはずだった。


 尤もアイカウ大佐にはどの程度聴音機能が低下するのか、知識としては分かっていても実感は無かった。大佐のハワイ王国海軍軍人としての軍歴の大半は艦隊参謀や軍務省勤務で、ハレクラニの艦長に任命されるまで洋上勤務の経験は殆どなかったからだ。


 哨戒艦の艦長という役職は、本来アイカウ大佐の経歴に泊を付けるためのものだった。将来を嘱望される大佐は、近いうちに王国海軍の主力である第1艦隊司令部の参謀長あたりに転属するのではないかと言うのがおおよその予想だった。

 あるいは、正式にハレクラニが配属されている第2艦隊の司令官に補される可能性も捨てきれなかったが、どちらにせよ海軍准将に昇進して規模の小さなハワイ王国軍では数少ない将官となるのではないか。



 だが、立場上口には出せなかったが、アイカウ大佐本人は今の立場でさえ分不相応であると考えていた。

 40前にも関わらずアイカウ大佐が要職を歴任出来たのは、大佐が王族に近い出身であったからだったが、現王になって露骨な先住民優遇政策となってから昇進速度は更に早まっていた。


 現在のハワイ王国は、本来は移民の国であるはずだった。以前は各国列強が王国に影響を及ぼすために政治的な移民を行っていたのだが、半世紀前にあったクーデター騒ぎからその中でも露骨に政治に介入していた米国系移民の新規流入は殆ど途絶えていた。

 クーデター鎮圧後に慌ただしく出された法令の中には、先住民系市民有力者の強い要望で出された二重国籍の禁止がうたわれていた。米国系市民の鎮圧にも協力した英日仏などからは反発もあったが、民族主義を俄に刺激された先住民系の意志は強固だった。



 クーデター騒ぎの後は特に移民の指導者層であった裕福な市民は、米国系に限らずに少なくない数のものが国籍を故郷に戻していた。

 ただし、米国籍以外の会社経営者などは、国籍を戻しても全員が直ちにハワイから帰国したわけではなかった。ハワイ国籍の適当なものに代表を変更する形でハワイ王国内の会社や農園などを存続させたものも多かったのだ。

 クーデターによって米国系市民こそ追放せざるを得なかったものの、ハワイ王国政府は恣意的な法令の運用によって友好的な列強の資本に逃げ道を用意していたのだ。


 クーデターが失敗した後も米国系市民の全員が本国に去ったわけではなかった。白人の中でも行く宛のない貧民層労働者階級はその多くはハワイ国籍を選択していたし、裕福な市民でもハワイ国王に忠誠を誓い直しつつ、本国に帰還する同胞から二束三文で土地を巻き上げていたものもいた。

 それにクーデター直後は新規の移民も途絶えていたが、サトウキビ産業や太平洋の中間という立地を利用した貿易産業などによって生じる労働者の需要が各国貧民層の移民を誘致するようになっていたのだ。



 流石にクーデター騒ぎのように暴力的な事態にはならなかったが、こうした国内情勢の中でハワイ王国は先住民と移民の対立が恒常化していた。

 クーデター直後は先住民系市民が政治的主導権を握っていたものの、ここしばらくは元々生き馬の目を抜くような競争の激しい本国で政治センスを培っていた移民派が首相など政治中枢についていた。

 そして、クーデター後に生まれて先住民としての民族意識を持って育てられていた現王の即位によって最近になって再び先住民派が息を吹き返していたのだが、アイカウ大佐には政治力に乏しい現王周辺の動きは拙速にすぎるのではないかと思えていた。


 既にハワイ王国は移民の国というのがアイカウ大佐の認識だった。世代を重ねる度に開国から流入した移民との混血も進んでいたから、明確に先住民としての民族意識を持ったものがどれだけいるのかも分からなかった。

 現王でさえハワイ各島の首長一族に加えて日本皇室の血が混じっているのだ。



 だが、現王の即位によって高まったハワイ王国の民族主義は、国内では対立関係にある旧移民層をも巻き込んだ一大軍拡も招いていた。

 アイカウ大佐が指揮するハレクラニが所属する第2艦隊も最近になって新設された変則的な部隊だった。元々ハワイ王国海軍は近海警備と救難を兼ねた任務を与えられた単一の艦隊で構成されていたのだが、新鋭艦の配備によって艦隊が分離されていたのだ。


 尤も、新鋭艦といっても何れも建造された国では余剰となった中古の艦艇ばかりだった。

 第1艦隊の主力となる3隻の駆逐艦は日本海軍の松型駆逐艦であったし、艦隊旗艦として大々的に再就役がお披露目されたハワイ王国海軍初の巡洋艦となるカイミロアは、旧英海軍ダイドー級軽巡洋艦スキュラだったのだ。


 巡洋艦であるスキュラを含めて、ハワイ王国に編入された艦艇は本国では多数が建造された型式のものだった。その中でも松型駆逐艦は日本海軍では量産型駆逐艦とまで言われていた程であるらしい。

 未だに乏しいハワイ王国の工業力では思いもよらないことだが、松型駆逐艦は小分けした船体構造の先行建造を多用することで最盛期では半年程度で建造されていたからだ。

 英海軍から移籍してきたダイドー級軽巡洋艦は建造数に関してはそれほどでもないらしいが、本来は防空巡洋艦として第二次欧州大戦開戦に前後して就役したにも関わらず、長距離護衛船団の旗艦や艦隊随伴などあらゆる任務に投入される使い勝手の良い軽巡洋艦として活躍していた。



 ハワイ王国は大戦終戦後に日英両国海軍で余剰となった艦艇を安価で購入したわけだが、1隻しかない旗艦として購入された巡洋艦スキュラはともかく、ハワイに到着した3隻の松型駆逐艦は同型艦とはいっても実際には仕様が一致していなかった

 松型駆逐艦の俗称である量産型駆逐艦というのは伊達ではなく、建造数が多いために建造時期や配属される先によって兵装どころか主機関まで原型艦とは異なるものが据え付けられたものもあるらしい。


 ハワイ王国が購入した松形駆逐艦は、日本海軍でも予備艦指定を飛び越えて売却対象となったものであったから、比較的初期に建造された原型に近い護衛駆逐艦仕様ばかりだった。

 しかし、大戦期間中には対潜戦闘を重視した護衛駆逐艦仕様の他に、雷装の代わりに対空兵装を集中配置して空母部隊の直掩に専従するものや高速輸送艦といった用途が全く異なる派生型も存在していた。

 それに終戦間際に建造されていたような艦の中には、強力な主機関と兵装を装備する艦隊型駆逐艦として水雷戦隊に配備された艦もあったようだ。その様な高性能艦となると原型艦とは全く異なる艦艇だと言えた。


 購入費用を圧縮するために、ハワイ王国海軍は3隻の松型駆逐艦を日本海軍で運用されていた姿のまま捨て値で買い取ったのだが、その結果乗組員は搭載機材の微妙な違いに困惑することとなっていた。

 しかも、ハワイ王国海軍最大の艦艇となった旗艦カイミロアを含めて、第1艦隊はこれまでのハワイ王国海軍艦よりも格段に高度な技術を投入された艦艇を持て余している雰囲気があるようだった。

 あるいは旧所属での最終的な整備が不十分であったせいかもしれないが、第1艦隊所属艦の多くは根拠地での整備に長い時間を取られていた。

 近海で潜水艦らしい不審船舶を発見したというハワイ王国籍商船からの通報に補助戦力でしかない第2艦隊に出動が命じられたのは、それも原因の一つだったのだろう。



 アイカウ大佐は、まだ新品であるのに細かな書き込みが増えたことで揺れる艦内ではひどく見分けが難しくなってきた海図を睨みつけるようにしていた。哨戒艦が姿を見せるなり潜航していた不明艦の予想位置と、ハレクラニとカマアイナの針路を脳裏に描きつつも大佐は眉をしかめていた。

 ―――もしかすると、本当に艦隊本部が持て余しているのは第2艦隊なのかもしれない……


 単一の艦隊しか持たなかった以前のハワイ王国海軍は、全ての任務を部隊全体でこなしていた。だが額面上の戦闘力が低い第2艦隊が誕生したことで艦隊本部は哨戒や救難といった二線級の任務を同艦隊に専念させるつもりなのかもしれなかった。

 平時のそうした雑多な任務から解放された第1艦隊は戦闘、つまり敵艦隊の侵攻に備えて待機するのだ。


 それに第1艦隊が以前と変わらずにオアフ島の首都ホノルルを母港としているのに対して、第2艦隊は第1艦隊に場所を譲る形で旧都であるマウイ島のラハイナに泊地を移動していた。

 ただし、第2艦隊の中でもハレクラニとカマアイナの2隻の哨戒艦だけはカウアイ島に根拠地を移していた。艦隊としての有機的な連携を困難にする処置だったが、おそらく艦隊本部では第2艦隊の中では新鋭艦であるこの2隻を前進配置させる意図があったのだろう。

 カウアイ島はホノルルのあるオアフ島から見るとマウイ島とは逆方向にあったが、この3島を結ぶ線を西北西に伸ばした先には最近になってハワイ王国陸軍が哨所を置いたニホア島があり、更に先には米領ミッドウェー島が存在していた。



 結果的に雑多な任務と艦艇で構成されることになった第2艦隊だったが、実際にはこの艦隊こそ本来のハワイ王国海軍の姿であるはずだった。

 旗艦カイミロアと3隻の旧松型駆逐艦が購入された経緯と同様に、第2艦隊に所属する旧式艦は第一次欧州大戦後に放出された中古艦だったが、この旧式艦が購入された当時の状況は、現在よりもハワイ王国の国防体制は逼迫していた。

 米国系市民によるクーデター騒ぎの後も強大な隣国である米国の中にはハワイ併合を狙う勢力が存在していたし、他の列強が先住民の国であるハワイ王国の独立を認めていたのは、各勢力圏の緩衝地帯が必要であったことに加えて日英の後ろ盾があったからだ。

 ところが欧州で始まった第一次欧州大戦の戦況は、遠く離れたハワイ王国にも大きな影響を及ぼしていた。


 ハワイ王国周辺のドイツ植民地を日本帝国が占領下に置くというハワイ王国から見れば安堵しうる状況もあったのだが、独立の後ろ盾となっていた日英が太平洋に与える影響力は著しく低下していた。

 英国は勿論だが、日本帝国も新鋭戦艦からなる有力な艦隊や、大規模な陸上戦力まで欧州に派遣していたから、太平洋が戦力の空白地帯となっていたのだ。


 しかも、ハワイ王国最大の仮想敵である米国は都合の良いモンロー主義を掲げて最後まで欧州大戦に介入せずに国力を温存させていたから、火事場泥棒的にハワイを襲う可能性は否定できなかった。

 おそらくは、クーデター騒ぎの後もどこか享楽的であったハワイ王国の指導者層が自主防衛という言葉を真剣に意識し始めたのは、太平洋から友好的な戦力が消滅していたこのときのことだったのだろう。

鵜来型海防艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/esukuru.html

松型駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ddmatu.html

橘型駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ddtachibana.html

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[良い点] ハワイ王国が遂に本格的に登場!そして対米戦も間近!楽しみです!
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