1949飛島―呉8
三陽造船で行われている既存の戦時標準規格船を対象としたコンテナ化工事を見学した水雷長の駒形中尉は、八雲乗員を代表する形で造船所の技師から改造工事に関する説明も受けていた。
コンテナを確実に固定するための金物は、海軍工廠時代から勤務しているベテラン技師の目から見ても洗練された構造のものという話だった。
部品数が少なく、可動部も最小限に抑えられているにも関わらず、高速で行うコンテナの積み下ろしの邪魔にならずに最小限の労力で強固に固定出来る代物であるらしい。
ただし固定用金物は規格化されたコンテナ底部の寸法に合わせて配置されていた。だから既存の艦船に追加するには、厳密に間隔を保って取り付けなければならないようだった。
八雲の改造工事にあたっては、実際に金物を取り付ける前に甲板に取り付けられていた他の金物や軌条を撤去するだけではなく、鋼板の反りや水平まで確認して修正を受けていた。
お陰で作業中は艦尾の舫取り作業にも苦労するほどだったのだが、工事に関しても金物を直接撤去、取り付ける工事よりも、甲板修正作業の方が余計に時間が掛かっていたかもしれなかった。
コンテナ化改造工事を受けている商船に関しては、流石に八雲で行われたように大掛かりな歪みの矯正までは行われていないらしい。
改造工事の対象となっているのは戦時標準規格船三型とより小型の一型だった。この内1万トン級貨物船である三型の多くが就役していたのは、ある程度輸送量に余裕の出来ていた大戦終盤頃だったから、損傷を負ったり、無理な急速建造で品質を下げられていたものは少なかったのだろう。
海上トラックの俗称で多用される一型の場合は戦時中に内航、近海航路で酷使されたものも多かったが、こちらは元々の船型が小さく就役数も多いから、改造対象は厳選されていたようだった。
逆に八雲の原型となったプリンツ・オイゲンは大戦中は傷だらけで帰還して幾度も修復工事を行っていた。戦時中はドイツ海軍も余裕のない日程で修復工事を行っていたのだろうから、見てくれよりも工期を重視した結果として多少の歪み程度は無視されていたのかもしれなかった。
コンテナ化改造を受けた貨物船の中で最も簡易な構造であったのは小型の一型に施されたものだった。大雑把に言えば船体中央部を占める船倉の底に固定金物を取り付けただけだったからだ。
金物と取り合うのはコンテナ底面だったが、コンテナの上面には固定金物と同形状の爪が付いていた。これによりコンテナは段積みが可能だったが、多段積みを行った場合に問題がないわけではないらしい。
理論的にはいくらでもコンテナを縦に重ね続けることもできるが、実際には船橋からの視界を塞がないようにすると一型改造船では3段程度が限界らしい。しかも、その場合でもコンテナ同士の結合だけでは荒天時の航行などを想定した場合、船倉内で動揺してしまう可能性も否定できなかった。
おそらくは多段積みを行った場合は上部のコンテナは船倉壁面の汎用金物からワイヤを用いて結束する必要があるのだろう。言い換えれば船倉内部には作業用の空間を開けておく必要があるし、コンテナを固定する時間もかかってしまうことになる。
あまり三陽造船の関係者も分かっていなかったようだが、技師の説明によればコンテナ化の利点は桟橋での荷役作業を短縮することにあるらしい。だが、重量があって巨大なコンテナ自体の固定に気を使うようではその思想は本末転倒とも言えた。
ただし、コンテナ化工事を行った一型船は、工事完了後もコンテナしか運べない専用船とはならないらしい。
高価値貨物の破損を防止するために、一部の一型は船倉内部に板材を張り込む事が少なくなかった。
その一方で船倉底部を構成する鋼材の上に直接溶接された固定金具の寸法はさほど大きくないから、コンテナを搭載しない場合は周囲に分厚い板材を敷いて金物を隠せば汎用貨物船として運用する事ができたのだ。
どうやら戦時標準規格船一型の改装はコンテナ計画の中では補助的なものであるらしく、主力と考えられていたのは当初からより巨大な三型の方であるようだった。
実際にコンテナ化された貨物船を運用する場合は、コンテナ専用船となった三型が大規模港間を繋ぐ主要航路に就役する一方で、一型がそこから小規模港への小分け輸送に従事するという形になるのだろう。
1万トン級の大型貨物船の構造としては珍しく、コンテナ化改造工事の主力となるはずの戦時標準規格船三型は船尾に機関室と船橋を集中配置していた。兵員輸送仕様など汎用的な使われ方をした二型と違って原型から貨物専用と想定されていたためだ。
コンテナ化改造工事の対象は前方に集中した船倉区画に集中していたが、一型と違って三型の改造はいくつかの種類があった。設計案が固まっていないというよりも工期やコンテナ化の程度によって工事内容が分かれていたのだ。
工事期間を短期に圧縮する案の場合、船倉内の工事は一型同様に船倉底部に金物を追加するだけだった。その場合は船倉内に段積みしたコンテナを搭載することになるのだが、実際には固定金物だけでは1型同様に固定は不十分だった。
しかも、六百トン級の一型よりも格段に船倉内部の寸法は大きくなるから一型のように壁面から中途半端に固縛することは出来なかった。だから底部の固定金物だけではなく、コンテナを包み込む形で四方にガイドとなる鋼材を縦に取り付けることになるらしい。
また、船倉天蓋を構成する扉にも固定金物が追加されていた。
元々重量貨物の搭載を前提としていた三型の船倉開口は大きく取られていた。そのままでは航行時に強度が不足することになるから、船倉扉は単に開口に被せられるのではなく、頑丈に船倉壁面と連結されて応力を負担する用に頑丈に設計されていた。
そこにコンテナ固定金物を追加されて上下2列程度のコンテナを上甲板に搭載出来るようにしたらしい。
だが、そのように簡易な改造が主力となることはなさそうだった。規格化されたコンテナと船倉の内部寸法が釣り合わないものだから船倉内で余剰となる空間が発生してしまうからだ。
商船では費用対効果が何よりも重要視されるというから、本来は徹底して余剰空間は排除される傾向にあるらしい。その様な基本方針に真っ向から反しているのだから簡易改造案が大々的に採用させることはなく、精々過渡期に代替船として使用される程度になるというが三陽造船技師の見解だった。
むしろコンテナ搭載を船倉扉に限定して船倉内部は従来貨物に使用するという案もあるらしいが、よほど貨物の動きが都合が良い物にならない限りそのように不規則な形態での輸送が定期航路化出来るとは思えなかった。
場合によっては通常貨物の搭載に手間取って荷役の高速化というコンテナ化の利点を殺してしまうことにもなるのではないか。
そうなるとやはりコンテナ改造工事の主力となるのはより大規模な改造案ということになるのだろうが、この案には費用や工期の増大という問題があった。本格的な改造の場合は、船体の大部分を占める船倉区画を作り変えるようなものだったからだ。
戦時標準規格船三型では船倉区画は大きく四分割されていたのだが、一つ一つの船倉区画はコンテナの寸法に対して大きすぎるために余剰区画の存在を招いていた。
だから本格的なコンテナ化改造案では一度船倉区画を分断する隔壁は撤去されて、巨大化した船倉区画の底部にコンテナが敷き詰められる予定だった。
小規模改造案では船体前後に搭載可能なコンテナは船倉の数と同じ四列にしかならないが、大規模に改造を行った場合は5列程度になるし、船倉天蓋開口も撤去されるから積み下ろしも容易になるのだという話だった。
勿論そのままでは船体中央部の強度が著しく低下するから、コンテナ一列ごとに積み下ろし時のガイドを兼ねた隔壁状の構造物が追加される事になっていた。
つまり船倉の作り直しとは余剰区画を廃してコンテナの寸法に合わせた各区画の最適化ということになるのだろう。
―――しかし、このコンテナ化計画は整然と進められすぎているのではないか、それほど貿易の需要が存在しているのだろうか……
造船所の技師が行ったという説明を駒形中尉から又聞きした村松中佐は首を傾げながらそう考えていた。計画を主導しているのは国策調査機関である企画院であるらしいが、コンテナ化計画は一機関で実行できるような小規模なものではなかった。
それは既存船のコンテナ化改造計画一つとっても明らかだった。
当初から完全規格の本格的改造船と過渡期に代用する簡易改造船、そして大規模港からの小口輸送を担当する一型改造船と理路整然とした役割分担があったのだ。
しかも、話によれば国鉄ではコンテナ搭載用の貨物車両まで準備されており、三陽造船のある呉からも程近い広島市の宇品港に搬入されているらしい。つまり海路と陸路を繋ぐ手法すら既に用意されているのだ。
尤も村松中佐にも意図が理解できないものもあった。半ば実験艦扱いされているとは言え、純然たる大型戦闘艦である重巡洋艦八雲にコンテナを搭載するのは何の意味があるのか。
コンテナを搭載出来るように改造されたのは八雲だけではなかった。完全規格の12メートル級コンテナではなく、その約半分の容積となる6メートルコンテナも同時に規格化されていたのだが、要港部配置の大型曳船ではその6メートルコンテナを搭載する改造がされていたらしい。
一応実験理由はあった。将来的には弾薬や糧食などの各種消耗品もコンテナ輸送の対象としたいというのだ。遣欧艦隊など遠隔地に長期間派遣されている部隊も少なくないから、軍需品に関しても効率の良い輸送が求められているらしい。
そうして運ばれてきた物資の一時保管場所や仮倉庫としてコンテナを甲板に固定するというが実験の主旨ということなのだが、その程度の目的で複数のコンテナを固定する金物を取り付けるのは大仰過ぎるのではないか。
かといって企画院が1万トンもある大巡を輸送船代わりに使うとは思えなかった。いくらなんでも効率が悪すぎるし、曳船であっても1個や2個のコンテナを運んだところで専用船に比べればその輸送量は比較にならないのだ。
村松中佐が考え込んでいると、視界の隅で駒形中尉の口が動いていた。慌てて中佐は顔を上げていた。
「すまんが、なにか言ったかな……」
駒形中尉は、眉をしかめて村松中佐の手元にあった工事関係資料を覗き込みながら慎重な様子で言った。
「工事の監督をしている間に気がついたんですが、この金物の配置だと例のコンテナを船尾に載せたら、取り外した爆雷投下軌条の位置に重なりませんか……」
村松中佐は首を傾げながら工事図面をなぞる駒形中尉の指先を見つめていた。
「偶然、ではないか。元々爆雷投下軌条は弾庫直上にあって即応弾の収容器具を兼ねているのだから、重量物を搭載できる様に構造上配置を検討していたはずだ。
コンテナを載せるにあたってもその配置を参考にしたのではないかな……」
そう言いながらも村松中佐も内心で疑問を抱きつつあった。確かにコンテナの搭載位置は艦首尾線に角度を設けて配置されていた。
工事後の八雲はフル規格の12メートル級コンテナが前後2列固定出るようになるはずだが、妙な角度をつけなければその間にもう一本分のスペースぐらいは確保出来る気がする。
―――もしかすると企画院や海軍上層部は、コンテナの使い方に関してもっと積極的に考えているのかもしれない……
根拠はないが、村松中佐は工事図面から目を離すことなくそう考えていた。
戦時標準規格船一型コンテナ船改造
戦時標準規格船三型セミコンテナ船改造
戦時標準規格船三型フルコンテナ船改造
八雲型重巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cayakumo.html
戦時標準規格船一型の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/senji.html
戦時標準規格船三型の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/senji3.html
戦時標準規格船二型の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/senji2.html