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1949飛島―呉5

 重巡洋艦八雲の士官室で溜まっていた書類仕事を片付けていた村松中佐は、ぞんざいに士官室の扉が開けられた気配に驚いて顔を上げていた。

 思案顔で士官室に入って来たのは八雲で水雷長を勤める駒形中尉だった。


 紺色の略帽を取った手でそのまま乱雑に髪をかきあげていた駒形中尉は、部屋の奥から眉をひそめて入り口を見ている中佐に気がついて慌てて敬礼していた。

「失礼しました……副長は上陸なさらなかったのですか……」


「陸に上がっても別にする事もないが、書類は溜まっているのでな。工廠時代ならばともかく、今はここで機密扱いの書類を持って上陸するわけにもいかんだろう」

 村松中佐は舷窓から外を見ながら言ったが、八雲は修理用の艦艇専用に指定されていた桟橋に係留されていたから、敷地内で隣り合う三陽造船所の艤装用桟橋に係留されている商船の他は呉湾内を行き交う雑多な曳船や内火艇しか見えなかった。


 先の大戦による賠償艦として日本に分配された一隻である旧ドイツ海軍のアドミラル・ヒッパー級重巡洋艦プリンツ・オイゲンが八雲の前身だったが、日本海軍籍に編入された後の相次ぐ改装工事の一つとして、損害極限対策を目的として数多く配置されていた舷窓も大半が塞がれていた。

 士官室の舷窓がいくつか残されていたのは、士官室が防御区画の外かつ上部の艦橋構造物に含まれているために舷窓が破損した所で浸水の恐れもないからだったが、それでも数は減らされていたから視界はさほど良くはなかった。



 村松中佐が無造作に卓上に投げ出していた書類を覗き込んだ駒形中尉は苦笑していた。

「この間の実験報告書ですか。改装工事のたびに装備が変わるのだからまるで本艦は実験艦ですね。しかし、そうした書類は久慈中佐か山岡大尉が作成して艦政本部に持っていくのだと思っていましたが……」


 首を傾げた駒形中尉に村松中佐も苦笑を返していた。

「艦政本部ではなく、山岡大尉の主な報告相手は兵部省管轄の技術研究所らしいが、そっちの技術的な速報は彼らのルートでもう行っているよ。だが、実験の正式な報告は連合艦隊司令部の方にも上げなきゃならんからな。

 何でも今回の空中雷撃と射撃指揮装置の実験は、亀ヶ首射場で行われた静止目標の試験結果と合わせて艦隊司令部や技術研究所で研究検討するそうだ」

 首をすくめながらそう言う村松中佐に駒形中尉は同情的な視線を向けていた。

「副長ではなく、戦術長の仕事ですねそれは……しかし、本艦の定数はいつになったら充足して兼役が無くなるんですかね。自分が本当に水雷長なのか最近は分からなくなってきましたよ」



 重巡洋艦鳥海で通信長を務めた後に遣欧艦隊の各級司令部で参謀を歴任して久々に艦艇固有の乗員となった村松中佐は、八雲の副長兼戦術長に任命されていた。

 副長は艦長に次ぐ次席の指揮官であったが、戦術長は明示されていないものの、砲術や航海などの各分隊に所属しない戦闘幹部である時点で三番手の指揮権があった。

 つまり八雲の指揮系統の中で2,3番の高位にある指揮官を村松中佐が兼任しているわけだが、これは海軍に新設されて間もない戦術長という役職の特異性に原因があった。


 電探や無線などで得られた情報を集約して図示する形で指揮官に提供する中央指揮所は、英国本土防空戦で活躍した指揮所などを参考にして大戦中に考案されたものだったが、最近の艦艇では建造当初から設けられていたし、既存艦も改装工事で多少の無理を押してでも増設するほど海軍内部に広まっていた。

 それほど中央指揮所の概念は実戦でその真価を発揮してみせたと言えるが、その一方で人事面ではこの新しい概念に追いついていないのではないかとも考えられていた。


 電子的な兵装であることから電探の運用は通信科が担当していたのだが、その情報を最終的に管理するのが通信科分隊の分隊長でしかない通信長が行うのは無理があった。

 場合によっては最も正確な情報が集中する中央指揮所から全艦に指揮を下す可能性があるからだ。駆逐艦などでは本来の戦闘部署である艦橋を離れて中央指揮所で戦闘時の指揮を取る艦長もいたのだ。


 そこで科に属さない戦闘幹部であり、艦長、副長に継ぐ指揮権を有する戦術長が新たに中央指揮所に配置されることになったのだが、法体制以上に実際の人事も難しかった。

 戦術的な判断能力に加えて専門性の高い電探技術を高度に把握している高級将校の人材などまだ日本海軍では十分に育ってはいなかったからだ。

 大型艦の通信長と大規模艦隊の通信参謀を務め上げた村松中佐は階級の点からも最適だったのだが、胡乱げな戦利艦である八雲は定数が不足していたから副長兼任となっていたのだ。



 扱いの難しい戦利艦の定数表などあってないようなものだったが、八雲乗組士官の多くは人手不足で兼任ばかりが長く続いていた。

 実は村松中佐が着任する以前から兼任する戦術長については交代の案があったらしい。増設された本艦の中央指揮所が有する機能が確認されて乗員が機材に習熟したあたりで、分隊長である砲術長を戦術長に転任させるという案だった。

 砲術長は生粋の砲術科だったが、最近では射撃用に精密測定を行う電探が方位盤などに追加搭載されて観測値に光学観測によるものと電探情報が併用されることも少なくないから、ある程度は砲術科士官も電探技術に関する教育を受けていた。

 それに砲術科は複数の分隊に分かれていたから、砲術長を戦闘幹部に転任させても分隊長を務める砲術科次席の砲術士を次の砲術長として順繰りに昇任させていけば良いと考えられていたようだ。


 ところが砲術長の転任はすぐに不可能になっていた。改装工事によって八雲に追加された新型射撃指揮装置の試験運用が任されたからだ。砲術科は新型射撃指揮装置で手一杯になってしまったのだ。



 戦利艦として得られた八雲だったが、当初は日本海軍も旧プリンツ・オイゲンを長期間運用する予定などなかった。既存の日本海軍艦とは搭載機材や設計思想に大きな隔たりがあるものだから、艦隊に編入しても運用が難しかったからだ。

 八雲の艦隊編入は、大戦中に大型巡洋艦の大量建造を行っていた米海軍との巡洋艦保有数の格差を懸念する議会からの横槍で強引に決まったものだった。


 戦時中に建造されていた船団護衛艦艇の予備艦入りと引き換えに日本海軍の重巡洋艦として再就役した八雲だったが、それでも連合艦隊は他の巡洋艦とは操舵性などの航行性能が大きく異なり、整備も外国産故に難しい八雲を一線級の戦闘艦として運用するつもりはなかった。

 八雲は他の巡洋艦と戦隊を組まずに連合艦隊直属とされていたが、僚艦がいないのは性能が不揃いであるためだけではなかった。書類上は現役艦扱いながらも頻繁に修理工事を受ける八雲は、実際には実験艦扱いを受けていたのだ。



 製造工場がソ連占領地帯に含まれているためにドイツ製弾薬を補充する当てがなくなった事もあって既存の主砲を撤去した八雲は、石鎚型以前の日本海軍重巡洋艦が装備していたものと同型の主砲に砲塔ごと換装されていたが、再就役直後は射撃管制に関しても既存艦と同様の方位盤と射撃盤で行われていた。

 ドイツ製の射撃管制装置自体は画期的な三軸式の安定装置を組み込んだ高度なものであったのだが、実際には技術的に未熟で容易に故障する代物だったし、これに対応した日本製の20.3センチ砲の射表を作り直さなければならないから、従来主砲で実弾射撃試験を行なった後に早々に取り外されていたのだ。

 ところが、ようやく換装された主砲と射撃指揮用機材のすり合わせが出来た頃には、後部の後部射撃指揮所から方位盤がまるごと撤去されていた。その代わりに実験中という新型の射撃指揮装置が後部艦橋に装備されていたのだ。



 従来方位盤が据えられていた位置に設置された新型射撃指揮装置は、画期的な構造を持つものであるという触れ込みだった。

 ただし、射撃指揮装置に関する実験を担当するために態々八雲に乗り込んできた技術士官である山岡大尉によれば、原型となったのは大型艦の方位盤というよりも対空火器を管制する高射装置の筐体であるらしい。


 高射装置といっても大仰角の対空射撃に用途が限定されているというわけではなかった。防空火力に集中した防空巡洋艦や一部の駆逐艦では高射装置を用いて水平射撃も行っていた。

 つまり射撃指揮の基本的な原理は水平射撃も対空射撃も変わりがないということになるのだろう。



 確かに射撃指揮装置を艦外から見た様子は既存の高射装置とほとんど変わりなかった。実験機材には射撃指揮用の高精度な電探が備え付けられていたが、既存の高射装置でも電探を増載することは珍しくないから、設計段階から電探が配置されていた事を除けば外観に違和感はなかった。

 側面に突き出た光学式の観測機材である測距儀はさほど大型のものではないから、基線長が短く精度はそれほど高くなさそうだった。この射撃指揮装置では電探が故障した際などに使用する補助的なものと位置づけられているらしいが、それでも見た目は従来の高射装置に備えられたものと変化はなかった。


 むしろ、既存の高射装置とほとんど変わらないということ自体が、基準排水量では巡洋艦規定の1万トンを遥かに越えた大型戦闘艦である八雲の主砲管制用方位盤の位置に収まっているということに違和感を抱かせていた。

 艦橋最上部の主砲射撃指揮所程ではないにしても、重厚感のある後部射撃指揮所天蓋に据え付けると高射装置の方位盤がやけに貧弱に見えていたのだ。



 だが、八雲の後部射撃指揮所に設けられた射撃指揮装置は実際には高射装置の方位盤ではなかった。確かに射撃に必要な観測を行う方位盤の機能も有していたが、更に射撃盤の機能を組み合わせて単体で機能させるものだったのだ。

 最初にそれを聞いた砲術科の科員は、士官下士官を問わずに特に古参のものほど眉をしかめて顔を見合わせていた。


 大雑把に言えば敵艦の観測を行う方位盤に対して、そこから得られた情報をもとに最終的に各砲台に与える照準値を計算するのが射撃盤の役割だった。

 単に計算といっても射撃に必要な計算量は膨大なものだった。敵味方ともに水上で複雑に機動する上に、地球の自転や気温、気圧といった膨大な数値を考慮した難解な計算式を短時間で解かなければならないからだ。


 従来の射撃盤では、最終的に砲塔の旋回角度と仰角というたった2つの数値を得る為に多数の操作員を必要としていた。

 射撃盤の中身は、言ってみれば歯車を組み合わせた機械式の計算機であるのだが、各操作員は複雑な計算式を分解した一部を受け持っていた。各計算で得られた数値を組み合わせて最終的な値を得ることで、操作員の作業時間を現実的なものに短縮したとも言えるだろう。

 自然と多くの計算式を処理しなければならない射撃盤は巨大になり、射撃指揮所は他科のものからすれば歯車の王に使役する召使いたちの間であるかのようだった。



 実は以前も高射装置の中には方位盤と射撃盤を一体化させたものもあったのだが、実用射程の延長に従って複雑化する計算式に対応するために専門化した射撃盤を分離したという経緯があった。

 古参の砲術科員が眉をしかめたのは、そうした過去の経緯を知っていたからだろう。射撃盤を内蔵して小型化した射撃指揮装置と聞いて計算を簡易化した近距離砲戦用の限定された使い方しかできないものと考えたのではないか。


 ところが、狭苦しい射撃指揮装置の筐体を覗き込んだ砲術科の将兵は、皆顔を見合わせていた。そこには彼らが想定していた歯車を組み合わせた計算機が存在していなかったからだ。

 怪訝そうな顔で振り返った八雲乗員に向かって生真面目な表情で山岡大尉は説明を始めていた。

 ―――本艦に搭載された新型射撃指揮装置の骨幹は、固体素子を用いた計算機の採用にある。

 そう山岡大尉は言ったが、すんなりとその言葉の意味を理解した将兵はまだいなかった。

八雲型重巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cayakumo.html

石鎚型重巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/caisiduti.html

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[一言] ついにコンピューターが!?
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