1948バミューダ諸島沖哨戒線9
レーダー室から新たに艦橋にもたらされた報告は奇妙なものだった。先程探知された目標は未だ不明瞭な表示をしていたが、それが分裂して見えてきたらしい。
レーダー表示面に反応が確認されてから観測された時間はさほど長くはなかったが、レーダーが発見した対象はほとんどまっすぐ軽巡洋艦タラハシーを含む3隻の艦隊に向かってきていたらしく、表示面の反応はどんどんと強くなっていたのだが、それがある時から分離して見えてきたというのだ。
無表情で考え込んでいるルメット大佐に対して、航海士のビール中尉がふと何かを閃いたのか、目を見開きながら言った。
「もしかすると接近してくるライミーの哨戒機は事故を起こしたんじゃないでしょうか。この海域は以前から遭難事例が多発すると聞いています。よせばいいのに飛行科に進んだ自分の兵学校の同期も何年か前にこの近くの訓練空域で消息を断ったんです」
恐怖体験を語っているかのようなビール中尉の声をルメット大佐は無視していたが、フェル中佐の方は懸念顔になっていた。
「太平洋でジャップに出くわしたならともかく、いくら英国人でも事故であれば放っておくわけにも行かんでしょう。救難行動をバッファローの先任に具申すべきでは……」
海図を見ながらまだ考え事をしていたルメット大佐は、冷ややかな目で二人を一瞥してから言った。
「事故と決めつけるのはまだ早い。伝令、レーダー室に探知目標の動きを継続して報告させろ。目標が分裂後どう飛行しているか確認させるんだ。
できれば自分の目で確認できればよかったのだが、やはりレーダーのリピーターぐらいは艦橋にも置かせるんだったな……議会は建造費は認めても近代化改装の費用は出し惜しみするからな……」
フェル中佐とビール中尉は怪訝そうな顔で愚痴を言うルメット大佐を見ていたが、レーダー室からの報告を電話員が告げると更に首を傾げていた。
「レーダーの表示は分離した後も移動している……これはどういう事ですかね。事故であればレーダーから表示が消えてしまうのではないですか」
「前提が誤っていただけだ。最初からレーダーで探知されていたのは大型の……哨戒飛行艇などではなく小型機の編隊だったというだけの事だ。
レーダーの原理からすると、少数の大型機と多数の小型機がいた場合、遠距離では同様にしか表示されないのではないかな。それが接近した事で個別の識別が可能となったか、あるいは編隊の間隔を開けたといったところだろう」
ビール中尉は関心した様子で頷いていたが、フェル中佐は海図に視線を向けて眉をひそめていた。
「しかし艦長、まだ英国人の基地があるバミューダ諸島まで距離がありますぜ。長距離哨戒用の爆撃機などならばともかく、編隊を組む小型機が我々を偶然発見して接近したと仮定するのは無理があるのではないですか」
ルメット大佐は感情のこもっていない声でいった。
「探知目標がこちらに向かって来るなら、すぐに正体が分かるだろう。対空見張りを厳にせよ。特にレーダーで探知した方位を重点的に確認させるんだ」
当直士官と見張り員の復唱を聞きながら、まだ思案顔のフェル中佐は赤ら顔から出たとは思えないほどの小声でいった。
「戦闘配置をかけますか……もし探知された目標が攻撃機だったとしたら……」
一瞬考え込む姿勢になったが、すぐにルメット大佐は頭を振っていた。
「まだ早い。バッファローからの命令があれば別だが……今は通常の航海直のままでいいだろう」
「多分、今頃は手すきのものは全員寝蔵から外に出ていると思いますがね……」
今度はルメット大佐が怪訝そうな顔をしたが、どことなく呆れたような顔でフェル中佐は首をすくめながら続けた。
「今回の航海では、出港から本艦は訓練中のカンザスに付き合っていただけですからね。退屈な哨戒直で刺激に飢えた水兵が顔を出してますよ」
「レーダー室からの報告はまだ全艦に伝わっていないはずだが……」
フェル中佐は苦笑していた。
「確か今のレーダー室の当直は先任の下士官ですからね。もう下士官のネットワークで各科に伝わってますよ」
海軍省勤務の長いルメット大佐は、逆に海上生活ばかりで海軍人生を送ってきたフェル中佐が自信満々で言うのをそういうものなのだろうかと曖昧な顔で頷いていたが、見張り員からの声にすぐに些細な事は忘れていた。
タラハシー上空に飛来した機体は3機の単発機だった。ただし機種は同一ではなかった。先頭を行くのは単発複座の攻撃機らしいが、後方に控える2機は軽快そうな戦闘機らしい。
接近するまでは米艦隊に真っ直ぐに針路を向けていたはずの編隊は、対空砲の射程に踏み込むことなくゆっくりと旋回を開始してこちらを監視する態勢を取り始めていた。
艦橋からまた見張り所に出て双眼鏡を構えてみたが、ルメット大佐は中々専門の見張員の様には高速で飛行する機体を見つけられなかった。そのせいで上甲板の騒ぎには気が付かなかったが、フェル中佐が言った通り、タラハシーの上甲板には物珍しそうに空を見上げる乗員が増えていた。
―――先頭は英海軍のスピアフィッシュ、後方は護衛の戦闘機、フューリーだったか……
ようやく自分の目で見つけられた機体を確認しながらルメット大佐は、機体そのものよりも鈍重そうな英国海軍の艦上雷撃機が腹に抱えているものに注目していた。
見張員から報告を聞いていたフェル中佐は、苦々しい表情で言った。
「あの攻撃機が抱えているのは魚雷ですかな……あちらさんも訓練をしていた途中に出くわしたのでしょうが、攻撃隊にしては戦闘機が多い奇妙な編成ですな。偵察爆撃隊なんですかね。まぁ私にゃ空のことはよく分かりませんが……」
ルメット大佐は双眼鏡を抱えたまま、上の空でいった。
「副長、航海直から哨戒直に切り替えよう。それとバッファローに意見具申を……」
先ほどとは一転した命令を伝えたルメット大佐にフェル中佐は目を白黒させていたが、反論しようとする前にバッファローからの通信が入っていた。
「隊列を単縦陣に切り替える。カンザスはバッファロー、タラハシーの間に入れ……か。それと艦隊は北上すると、これは最初に探知された方角に向かうということなんでしょうが、バッファローの先任は何を考えているのでしょうか?……」
通信文を読み上げたフェル中佐は首をかしげていたが、ルメット大佐は驚いた様子は見せなかった。
「何だ、バッファローの方でも気が付いていたのか……よし、航海長、少し速度を落としてカンザスがタラハシーの前に入りやすいようにしてやろう……それで、何だったかな副長」
毒気を抜かれたような顔になっていたフェル中佐に向かって、ルメット大佐は淡々とした様子で言った。
「俺も航空関係は専門外だがね、あの英国の艦上攻撃機が抱えているのはおそらく魚雷や爆弾ではないだろう。ごてごてとアンテナが外に出ているからレーダー搭載の機材なんじゃないか。
それにあの英国の新型攻撃機……スピアフィッシュとか言う名前だったと思うが、あれは確か爆弾倉を装備しているから大半の兵装は本来はそこに収納されているはずだろう。
後方の艦上戦闘機はその護衛といったところだろう。確かに副長の言う通りに我が海軍では偵察爆撃隊が運用されているが、英国海軍は攻勢よりも防御を重視しているのではないか。あるいは、爆弾を落として終わりではなく、今のように敵艦隊周辺で長時間行動することを前提としているのかもしれないな」
「長時間……ですかそれはどの程度なんですかね……」
「それほど長い時間ではないだろう。あれはおそらく艦隊の前衛だよ」
ルメット大佐の言葉が予想外だったのか、フェル中佐は呆気にとられたような顔をしていた。
「何だ、まだ気がついていなかったのか。副長がさっき自分で言ったんじゃないか。この辺りで英国軍機の基地になりそうなバミューダ諸島とはまだ距離があると……
しかも連中は翼下に増槽もつけていない身軽な機体で飛んできたんだ。いや、あの攻撃機の場合は余計なアンテナまで外に付けてるんだから身軽とはもう言えないな。行動可能な距離は予想以上に狭いはずだ。
おそらくはあのアンテナは対水上レーダーのものなのだろう。これで彼らが真っ直ぐにこちらに向かってきた理由がわかっただろう。レーダーを用いた艦隊周辺の哨戒任務に出てきたのであれば、こちらを確認しに来るのは当然だろう」
「つまり……あれは艦載機ということですか」
「機種からしても間違いあるまい。しかも、あんなデカブツの攻撃機を運用できるということは、我軍の空母よりももっと大型の空母が出動しているのではないかな」
フェル中佐は呆れたような顔で聞いていたが、異変が起こったのはタラハシーが哨戒直に切り替えてから一時間ほどしてからだった。タラハシーの対水上レーダーにも反応があったらしい。
それと同時に3隻の周囲を飛び回っていた英国空軍機が姿を消していた。
艦橋に戻っていたルメット大佐はレーダー室からの報告にうなずいただけだった。むしろ周囲の慌ただしい雰囲気に苦々しい視線を向けながら言った。
「皆、誇りある米海軍軍人としての礼節を保てよ。これから英国海軍の虎の子が出てくるんだからな。哨戒機が去ったということは、奴らの母艦はもうすぐそこまで来ているんだぞ」
フェル中佐は怪訝そうな顔でルメット大佐に向き直っていた。
「艦長は相手が何かもう分かってるんですか……」
ルメット大佐は首をすくめていた。
「多分だがね。さっきも言ったがあんなデカブツを運用できる艦は限られているはずだ。というよりも、大型のスピアフィッシュは今のところヒューバード級空母の専用機だったのではないかな」
フェル中佐は手元の識別表を手早くめくっていた。
「英国海軍のヒューバード級航空母艦……なるほど、たしかにこいつは戦艦並みのデカブツですな」
「本当は先の大戦中に建造が始まって今頃は戦力化していたはずだが、大戦中は優先順位が下げられて建造も中止されていたらしい。海軍省内部でも以前は存在しないのではないかと疑われていたんだがね。
終戦後は流石に英国人も防諜体制を緩めたから分かったんだが、結局ジブラルタル級からヒューバード級と名前を変えて建造されていたようだ。
だが、そのごたごたで就役したのはごく最近だというから、おそらくは訓練を兼ねてこのあたりまで哨戒行動を行っているんだろう」
そう言いながらルメット大佐は海図を指さして続けていた。
「最初に哨戒機が見つかった方位からして、バミューダ諸島を出港してカリブ海のバージン諸島にでも向かうのではないか」
「何のことはない、連中もカンザスと同じく訓練中だったということですか……しかし、何で連中はこっちに近づいてくるんですかね」
ルメット大佐は苦笑していた。
「今は平時だからな。我々に表敬訪問しにくるのか、それともカリブ海は英国のものだと威圧するつもりなのか……もしかすると副長の言ったとおりにあちらさんも長い哨戒航行で暇を持て余しているだけかもしれんぞ。
さて、気に食わんがこちらの最先任がバッファローの艦長どまりなら、あっちのほうが上官だな。こちらが先に礼をしなくちゃならんだろうな……」
ルメット大佐とフェル中佐は顔を見合わせて苦笑していたのだが、バッファローを先頭とする3隻の米艦隊の前に姿を表したのは予想外のものだった。
戦艦信濃、空母ヒューバードの2隻を主力とする英日混成艦隊は、米艦隊に対して完全に礼を尽くしながらも悠然とカリブ諸島に向けて南下していった。
コネチカット級戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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