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1948バミューダ諸島沖哨戒線3

 1940年代半ばまで米陸軍隷下の航空隊は不遇をかこっていた。伝統的な陸上部隊や海軍とは異なり、航空戦力の整備は米国が最後まで参戦していなかった第一次欧州大戦の戦訓によって行われていたからだ。

 他国列強諸国の軍備を参考に装備の開発取得が始まってはいたものの、独自の戦訓を持たない事が航空隊整備の足枷となっていた。航空戦力が重要であることに異論を唱えるものはいなかったものの、実感として持っている軍人は米国にはいなかったのだ。



 当然のように海陸軍問わずに航空戦力で真っ先にまとまって整備されたものは偵察機だった。丘の上や戦艦のマストトップよりも遥か上空からの視点から行う三次元的な敵情把握は分かりやすい成果だったからだ。

 そして敵偵察機を妨害する為には高速性能と火力を併せ持った迎撃機が必要だった。

 海軍省に勤務していたルメット大佐にも陸軍の事はよく分からなかったが、米海軍のコロラド級空母やワスプ級空母は偵察爆撃機による索敵範囲の拡大と迎撃機による防空を随伴する艦隊に提供するために建造されていた。


 偵察機や戦闘機と比べると、攻撃機、特に大型で高価な重爆撃機の取得は比較的低調だった。

 以前の実験的な演習時に陸軍航空隊は重爆撃機の水平爆撃によって廃棄戦艦を撃沈していたが、海軍からするとそれは不動でダメージ・コントロール要員すら乗り込んいない据物斬りであったからこその結果にしか見えなかった。

 実際にはそうした行為は国内向けの宣伝に過ぎなかった。重爆撃機は、長距離哨戒と接近する敵艦隊から北米大陸を守る航空の要塞であるという宣伝文句は、陸軍航空隊だけではなく航空機製造業者の宣伝でもあった。


 既に大型軍用機の受注が絞られていたことから米国の航空産業は国内移動以外の航路を持たない民間航空業者への受注を奪い合う状態であり、1930年代後半には大型機を得意とするボーイング社の倒産なども発生していた。

 同時期に海軍の巡洋艦が大量建造されていたのと比べると、航空関係者の宣伝虚しく当時の主力重爆撃機であるB-18、B-23、B-24と言った機種の生産数は乏しいものだった。



 陸軍航空隊が抱える不満点は機材だけでは無かった。他国と比べると米陸軍では航空隊が陸上部隊に隷属する傾向が強かったのだ。

 列強諸国の事情を陸軍航空隊が詳細に把握できているとはおもえないが、独自の長距離偵察機を装備する日本陸軍航空隊や、大戦中にドイツ本土への戦略爆撃を行っていた英空軍と比べると米陸軍航空隊が発揮できる独自性は低かった。

 あるいは、航空要塞などという大言壮語な宣伝文句を国内に広めようとしていたのは、重爆撃機すら前線の航空支援に投入したがる陸上部隊への対抗心があったのではないか。


 元パイロットが率いるカーチス政権の誕生は、独自性の確保を求める陸軍航空隊にとって格好の機会だった。ただし、カーチス大統領の個人的な思い入れだけで陸軍航空隊、というよりもこれまで等閑に付されていた重爆撃機隊の増強が決まったはずはなかった。

 陸軍航空隊が本格的な独立軍種を目指そうとしたのは、誘導爆弾という新たな攻撃手段を手中にしていたからではないか。



 第二次欧州大戦中盤にイタリア王国が陣営を鞍替えした際に発生したローマ沖の戦闘において、ドイツ軍によって初めて実戦に投入されたのが誘導爆弾だった。

 戦闘の詳細は不明だったが、投入されたドイツ軍の重爆撃機の数が少なかったのに対して、英海軍は複数の空母、重巡洋艦からなる有力な艦艇を撃沈されていたのは間違いなかった。


 投弾された誘導爆弾の性能は恐るべきものだった。単なる憶測だけではなかった。ドイツ領土の過半を占領したソ連が、大戦中に米国から行われた大量の支援物資への対価として鹵獲品の実物を渡してきたのだ。

 母機から誘導可能な一トン級爆弾の存在に重爆撃機隊は飛びついていた。米国の技術力を持ってすれば同等の対艦誘導爆弾を運用するのは不可能ではなかったからだ。

 それに高高度から投下される一トン爆弾であれば戦艦の水平装甲を貫いて重要区画を破壊することも可能のはずだった。世界中の既存戦艦が装備する主砲の中でも最大口径である16インチ砲の弾頭重量が約一トンといったところだったからだ。

 つまり重爆撃機から投下された誘導爆弾は戦艦の砲撃と同程度の打撃力をより高精度に再現することが出来るというのだ。



 確かに航空の要塞という宣伝文句が広げられた際には、重爆撃機による水平爆撃で廃棄戦艦を沈めたことはあったが、実際に海上で回避行動をとり対空砲火を放つ戦艦に高高度から爆弾を命中させるのは至難の業であることは陸軍航空隊も理解していたはずだった。

 実戦において水平爆撃を行う際は編隊を組んで一斉に当弾し、着弾点が作り上げる散布界で敵艦を挟み込むように行うのが常道と考えられていたが、自在に機動する敵艦を高高度から狙い続けるだけでも難しいし、それ以前に敵迎撃機の存在も無視できなかった。

 重爆撃機が編隊を組んで攻撃しなければならないような大型艦が単艦でのこのこと重爆撃機隊の攻撃圏内に侵入してくるとは思えないから、対艦水平爆撃を行う場合は敵主力に随伴する空母から上がってくる戦闘機の迎撃網を突破しなければならないのだ。


 こうした状況の中でも単機で確実に高高度から命中を狙える誘導爆弾の存在は、重爆撃機にとって福音となり得た。複製された誘導爆弾と新鋭機であるB-32の組み合わせは、単なる宣伝文句ではなく合衆国を守る航空要塞という言葉を真実に変える力があるはずだったのだ。

 同時に陸軍航空隊は母体となった陸上部隊からの独立性を強めていった。カーチス政権発足当時の陸軍航空隊の勢いは強かった。むしろ誘導爆弾と重爆撃機の組み合わせよりも政治的な活動家の方が議会に訴える力は強かったのかもしれない。

 合衆国の技術力の粋を集めて実用化された大型誘導爆弾と重爆撃機の組み合わせは広く喧伝され、これを援護する長距離戦闘機と共に出撃する重爆撃機の報道写真は一般大衆に新時代の軍隊の姿を印象付けさせていたのだ。


 カーチス政権では重爆撃機を中核とする戦略航空軍の増強が続けられていた。誘導爆弾という新たな兵器体系を運用するせいか実験機と変わらないような雑多な機体も多かったが、最近になって制式化されたB-35に続いてB-32の正統な後継となる機体も実用化目前という話だった。

 だが、その一方で重爆撃機と比べると目立たない短距離偵察機や地上攻撃機の発注は控えられていた。すでに陸軍航空隊は地上部隊を置き去りにしつつあったのだ。


 理由はどうであれ陸軍航空隊の増強、あるいは戦略方針の転換が政権主体で進められていたのに対して、議会も戦備に関して独自の方針を立てていた。合衆国防衛のために戦艦群の増強を図っていたのだ。



 1935年に軍縮条約が改定されるまでは、米海軍が保有する最新鋭戦艦は重武装のテネシー級戦艦だったが、実際にはテネシー級よりも強力な備砲とより大重量の排水量を有する艦艇が艦隊に配備されていた。

 日本海軍の長門型戦艦2隻の保有、英海軍のネルソン級戦艦の新造と引き換えに就役が認められたレキシントン級巡洋戦艦は、英国海軍の巡洋戦艦フッドと共に軍縮条約が規定する戦艦排水量の制限である3万5千トンを越えることが認められた世界最強の巡洋戦艦だった。

 軍縮条約締結時に建造中の大型艦は米英日の駆け引きによって就役か廃艦か、あるいは空母への改造という選択肢を与えられていた。英日両国はこれに対して戦艦を活かして巡洋戦艦を空母に改造する道を選んだのだが、米国だけは巡洋戦艦の建造を優先していたのだ。


 第二次欧州大戦という大規模な戦争を経た1940年代後半の視点から見ると、レキシントン級巡洋戦艦はひどくバランスの悪い艦艇だった。

 結果的にレキシントン級の防御方式は火力は高くとも弱装甲という英国海軍のそれに似たものになっていた。装備する主砲が16インチ砲であるのに対して主要部の装甲は精々が重巡洋艦主砲の8インチ砲に耐えられる程度でしかなかったのだ。


 当時の戦艦から10ノット以上も優速である33ノットという最大速力を持ってしてもレキシントン級の弱装甲という欠点は補えなかった。

 むしろ、当時の技術力でそれだけの高速力を発揮するために、数多く搭載せざるを得なかったボイラーの一部が防御甲板の外部に露出しているのは、速力に割り振りすぎた設計だと就役当時でさえ言われていた程だった。



 1920年代の米海軍がバランスの取れた設計であったコロラド級戦艦を鈍足の空母に改造する一方でレキシントン級巡洋戦艦を無理にでも就役させようとしたのは、大西洋の反対側で行われていた艦隊決戦の戦訓を受けての事だった。

 第一次欧州大戦時にユトランド半島沖で発生した一大海戦は、巡洋戦艦部隊同士の戦闘から始まっていた。この戦闘で英国海軍巡洋戦艦部隊は一時ドイツ海軍に押されていたものの、優速を利して敵艦隊の反対側に回って半包囲した日本艦隊によって態勢を立て直していた。

 その後も、合流した日本艦隊を従えた英海軍巡洋戦艦部隊は、ドイツ艦隊主力の誘引や残敵掃討などに縦横無尽に活躍していた。


 米海軍が最も注目したのは、この戦闘に日本海軍が4隻揃って投入した金剛型巡洋戦艦だった。性能が揃えられた4隻は就役したばかりというのに練度が恐ろしく高く、ドイツ艦隊を翻弄して見せたらしい。

 練度などは英国新聞社の記事であるから話半分に引くとしても、戦艦並みの火力を備えた巡洋戦艦戦隊の存在は日本海軍を仮想敵としていた米海軍にとって無視出来ない存在だった。

 仮に金剛型が艦隊主力を無視して後方に回って暴れ回っても鈍足の戦艦では捕捉出来ないが、これを捕捉可能な巡洋艦では戦艦並みの火力に一掃されてしまうかもしれなかったからだ。



 米海軍がこれまで軽視していた巡洋戦艦の整備に取り組み始めたのは、日本海軍の金剛型4隻に対応するという明確な目的があったからだが、軍縮条約によってレキシントン級巡洋戦艦の整備が2隻で終了してしまった事実は、後に大きな影響を及ぼしていた。

 16インチ砲を搭載した上で同程度の速力を発揮するレキシントン級巡洋戦艦は14インチ砲搭載の金剛型よりも単艦での戦闘力は高かったが、2対4という数の差を覆すのは難しかった。

 14インチ砲と16インチ砲の間にはそこまで絶対的な差は生じないから、金剛型4隻をレキシントン級で捕捉できたとしても、短時間で相対する敵艦を撃破できなければ残る2隻の行動を自由にしてしまうのだ。

 米海軍では自然と条約明けに建造される戦艦にも高い高速性能が要求されることになったが、この方針がノースカロライナ級戦艦の設計を混乱させる原因となっていた。


 1935年に延長されたワシントン軍縮条約に関しては、米海軍では自国で締結された条約であるにも関わらず破棄を迫る声が大きかった。仮想敵である日本海軍の保有枠を拡大するという改正内容であったからだ。

 軍縮条約の延長に関して容認する姿勢であったのは政府側だった。日本の保有枠拡大を進めることで条約の延長を図ろうとした英国がソ連の未加盟を問題視しようとしていたからだ。


 既にこの時期には米国との蜜月関係が始まっていたソ連は、技術供与の相手をイタリアから米国に代えて革命によって停滞していた海軍の近代化を進めようとしていた。

 戦艦のような主力艦こそ未だに整備に着手していなかったが、米国海軍のペンサコラ級重巡洋艦に倣ったキーロフ級軽巡洋艦などは条約に縛られないだけにバランスの取れた設計だった。

 逆に言えばソ連海軍が条約に引き込まれた場合は条約規定からすると中途半端な性能になるか、あるいは規定違反で解体を迫る圧力を受けるかもしれなかった。


 ソ連と協議した当時のルーズベルト政権は、ソ連との関係を強化しつつある状況を鑑みてやむなく日本海軍の保有枠増大を受け入れていたらしい。米国が強硬姿勢を崩さなかった場合、日英が揃って軍縮条約を脱退して対ソ戦備を名目に海軍の拡張に踏み込む可能性があったからだ。

 結局米国海軍は政治的な事情に振り回されていたのだ。

コロラド級空母の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cvcolorado.html

ワスプ級空母の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cvwasp.html

レキシントン級巡洋戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ccrexington.html

ノースカロライナ級戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbnorthcarolina.html

キーロフ級軽巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/clkirov.html

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