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1948バミューダ諸島沖哨戒線2

 第二次欧州大戦における講和条約締結の仲介人という大役を務めたエレノア・ルーズベルトが夫の跡を継いで大統領に就任したことには複雑な経緯が存在していた。

 最初の切掛となったのは、夫ルーズベルト大統領が3期目途上で新たに任命した、当初彼女の立場とはさほど関わりがないと思われていた副大統領の醜聞が発覚したことだった。



 異例となった大統領職3期目の開始時期こそ順調な数値を示していたルーズベルト政権の支持率は、議会の混乱により米国の参戦が遠のくに連れて低下していた。経済的にも大戦への本格的な参戦によって経済規模そのものが拡大を続ける他国列強と比べると不況からの回復は鈍化していた。

 副大統領の交代があったのはそんな時期だった。腹心とも言えたそれまでの副大統領は、ルーズベルト大統領との政策方針のずれなどから政権内部で軋轢が生じ始めていたが、そうした理由で罷免されたわけではなかったらしい。

 実際には4選目が期待できそうもなくなっていたルーズベルト大統領が、自身の後任として政権から離れた所で次の大統領選に専任させる為に在野に放ったというのが正しいようだった。


 だが、3期目後半の副大統領に当初任命されたのは、政党内の論功行賞で選ばれた有能とは言いかねる人物だった。何期か務めた下院議員としては重鎮であったが、後から見れば指導者としての決断力には欠けていたし、政権に入るには身辺の整理も不十分だった。

 後任の副大統領は詰めが甘かった。就任後しばらくしてから愛人問題が報道されていたのだ。扇情的なイエロージャーナリズムという形で始まった醜聞は、副大統領が開き直った事で本格的に政治問題化していた。



 あるいは、有事であればこの醜聞もさほど大きな問題とはならなかったのかもしれない。当時海軍省に勤務していたルメット大佐は今でもそう考えていた。

 英雄色を好むという言葉は洋の東西を問わずに存在するが、戦時下の強力な指導力を期待された情勢であれば、余程のことがない限り愛人問題が拗れることは無いだろうし、そもそも報道各社も戦地に注目して内地の政治家の不祥事など報道しなかったのではないか。

 当初は党の重鎮でもある副大統領を庇っていたルーズベルト大統領も問題が大きくなってくると庇い切れずに彼を罷免していたが、既に国民の反発は大統領本人にも及んでいた。


 問題が複雑化したのは、著名な女性人権活動家達がこぞって大々的な抗議を行っていたからだった。副大統領の単なる愛人報道が政権による女性蔑視と言う大問題まで巻き起こしていたようにみえたが、実際にはもう少しばかり事情は複雑だった。

 この時期の米国では婦人参政権こそ比較的早期に認められていたものの、女性の社会進出という点では列強諸国よりも遅れていた。過激な女性活動家がこの問題と副大統領の醜聞を結びつけて社会問題化させようとしていたのだ。



 本来、米国において女性の社会進出が進まなかったのは単に米国社会が保守的であったということだけが理由ではなく、総力戦であった2度の欧州大戦に参戦していなかったからという側面も無視できなかった。

 つまり国家のすべての力を戦争に注ぎ込む総力戦においては、徴兵されて前線に向かうか、戦時体制で増強された工場労働者となる男達の代わりに、女性も貴重な労働力として社会に進出せざるを得なかったのだ。


 参戦国における女性の社会進出による影響が大きくなっていたのは、むしろ戦後の事だった。戦地から帰還した復員将兵が旧職に復帰を図ろうとする中で、戦時中に雇用されていた女性が意思に反して解雇される例も多く、戦時生産体制に貢献した女性の権利を求める声が高まっていたのだ。

 今では英国や日本など保守的とされる国でも女性の雇用に関する法整備も進んでいたのだが、そうした国でも戦時中に果たした義務と引き換えに得た権利という意識が強く、相対的に米国では女性の雇用が制限されていたのだろう。



 だが、社会進出が進められていなくとも、参政権のある女性が有する票は無視できる存在ではなかった。ルーズベルト大統領が奇策に出たのはこのときだった。

 政治家一族の名家出身で、女性権利活動家としても知られていた自分の妻であるエレノア・ルーズベルトを副大統領に任命したのだ。


 法的な規制は存在していなかったが、夫婦で大統領と副大統領という絶大な権限を専有することに反発する声は大きかったが、史上初の女性副大統領誕生に少なくともリベラル層や女性からの支持率は党派を問わずに上がっていた。

 もしその時点でルーズベルト大統領が4選目を狙っていたならば、あるいは3期目の初期からエレノア・ルーズベルトを副大統領としていれば反発の声の方が大きかったかもしれないが、すでに2年を切った任期の前では単なるパフォーマンスであると党内保守派もルーズベルト大統領に説得されていたのだろう。



 だが、海軍省に勤務していた際に上官に従って何度かホワイトハウスを訪れたこともあるルメット大佐の目には、エレノア・ルーズベルトが副大統領職に喜んで就いていたようには見えなかった。

 半世紀前の大統領であるセオドア・ルーズベルトの遠縁でもであるエレノア・ルーズベルトは、選挙によって選ばれたことこそ無かったが夫と同じく祖先をたどれば米国建国時代から続く有力な政治家一家に属していた。


 だから彼女は権謀術数が渦巻くホワイトハウスでは自分は単なるお飾りの副大統領であり、独自の動きなど取れないだろうということは分かっていた筈だった。

 むしろ公的な身分である副大統領に任命されてしまったことで、大統領婦人としてルーズベルト大統領に自由に意見することも難しくなっていたのではないか。

 エレノア・ルーズベルトは、米国の外で大戦争が繰り広げられているこの不穏な情勢において国民に結束を訴える演説会をホワイトハウスを離れて何度も行っていたが、発言は副大統領就任前よりも慎重になっており、女性権利運動家が期待していたようなリベラル寄りの政策に着手することもなかった。



 だが、単なるお飾りであった筈の副大統領職は、ルーズベルト大統領の突然の病死によって更に一変していた。憲法の規定によって副大統領からの昇格という形で初の女性大統領であるエレノア・ルーズベルト大統領が誕生していたからだ。

 欧州大戦の終結に前後して政治的な混乱が米国政府と議会を襲っていた。エレノア・ルーズベルトは個人としては優秀な政治家足り得たかもしれないが、前大統領に指名された女性というだけでは党内をまとめる指導力を発揮できなかったのだ。

 むしろエレノア新大統領は、夫の死後に残された3期目の期間が極わずかしか無かった事を最大限に利用していた。混乱する国内政治から距離をおいていたのだ。


 副大統領から昇格した新大統領は規定によって前大統領の任期がそのまま本人の任期になっており、更にエレノア大統領は次の大統領選には自身の出馬も特定の候補の支援もしない事を早々に明言しており、次代の権力争いから身を引く事を宣言していた。

 2大政党が大統領選に躍起になっている間、エレノア大統領は自分に残された僅かな信頼出来るスタッフと共に手詰まりになっていた欧州大戦への介入、つまり講和条約の仲介に名乗り出ていた。

 長い戦乱に疲れ果てていた交戦諸国は、概ね中立を保っていた大国である米国の仲介を受け入れていた。



 世界規模に広がっていた欧州大戦終結の仲介という大任は、混沌とした足の引っ張り合いである国内政治などよりも、ある意味でよほど目立つ功績だった。

 そしてルーズベルト政権末期には国内勢力からは大して期待もされなくなっていたお飾りの副大統領であったエレノア大統領は、和平の仲介人としては極めて有能な人物だった。


 大戦期間中に戦争を指導し続けていた強かな列強諸国の政治家たちも、名家出身で品の良い、しかも連れ合いに先立たれたばかりの老婦人に強硬な態度は取れなかった。

 しかも当初は米ソの蜜月関係からソ連寄りと思われていたエレノア大統領は、夫とは違ってリベラルであっても容共的ではなく、粘り強い交渉の中でチャーチルやスターリンといった怪物的な政治家からもその中立性と交渉力を高く評価されていた。



 実は和平交渉が纏まる前にはエレノア大統領の任期は既に終わっていた。

 講和条約の締結時には彼女は既に元大統領であったのだが、有力な候補が自滅する大荒れになった大統領選を制した共和党のカーチス新大統領は、党派が違うにも関わらずエレノア元大統領を特使に任命して米国の仲介による講和という形式を保っていた。


 もっともカーチス大統領がエレノア特使に大きな期待をかけていたとは思えない。単に講和条約の仲介という米国にしては珍しい外交上の得点を失うことを恐れただけだったのだろう。

 他の有力候補が次々と醜聞報道合戦で倒れていく中で、それまで俳優出身で元アクロバットパイロットという特異な経歴以外に目立たない泡沫候補に過ぎなかったカーチス大統領は、政治家一族の名家出身であるエレノア特使と面識すらなかったのではないか。


 何れにせよ、エレノア大統領は長く続いた大戦の講和条約における仲介人という困難だが名誉ある仕事を終えると、ニューヨークの私邸に戻って晩節を汚すことなく実質的な隠居生活に入っていた。一人の活動家として働くには彼女の影響力は良い方にも悪い方にも強くなりすぎていたのだ。

 それに巡洋艦の大量建造と言う形で海軍に大きな影響を与えていた夫とは異なり、任期が僅かであったこともあってエレノア・ルーズベルトが軍備に対して何らかの意見を出すことはなかった。単に夫の頃からの予算を承認していただけだ。



 だが、エレノア大統領時代は、後任カーチス大統領と共に大統領の政治力不足から米軍に対する議会の影響力が強い時代でもあった。

 そうした傾向は支持率が低下し始めていたルーズベルト大統領時代の末期から存在していたともいえるのだが、カーチス大統領はルーズベルト大統領とは違って海軍軍備に関する確固たる考えも持ち得ていたなかった。

 大西洋の向こう側で繰り広げられていた大戦の終結を受けて、米海軍でも巡洋艦の大量建造は終了していた。それどころかボルチモア級重巡洋艦の後継とも言えるデ・モイン級重巡洋艦の建造も計画途中で凍結されていたが、これも公共投資の中断という大きな流れに沿っただけだったと言える。


 元アクロバットパイロットという異例の経歴を持つカーチス大統領は一時期は欧州に居を構えていた時期もあるらしいのだが、国際的な外交感覚は持ち合わせていなかった。

 それに有力候補の自滅で繰り上がって大統領になったものだから、外交だけではなく内政に関しても大統領を補佐するスタッフが貧弱だった。個人としての指導力だけではホワイトハウスは切り回せなかったから、この時期は議会側の権限が非常に強い傾向があった。


 パイロット出身ということもあってか、カーチス大統領はこれまで等閑に付されていた航空戦力、特に陸軍航空隊の増強には熱心だった。陸軍航空隊の有力な将軍が熱心にホワイトハウス入りしていたという噂もあった。

 これまで旧式機や海軍機の転用でしのいでいた陸軍航空隊の新鋭機の導入も始まっていたが、それよりも陸軍航空隊が地上戦力を置いてけぼりにして独自の戦略を有する独立空軍化を推し進めていた事のほうが重要な方針転換だった。

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― 新着の感想 ―
[一言] カーチス大統領と聞いて、米海軍が水上戦闘機を……とか妄想してしまいました。 一連のキャットフィッシュシリーズ、タイガーとか意外と格好良さそうな……とかまで妄想したのですが、ときにこの世界、グ…
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