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1947独立戦争謀略戦26

 ―――どう考えてもこんな機体を民間航空会社が保有するのは間違っているぞ……

 書類上は払い下げられた純粋な二式貨物輸送機ということになっているらしい機体の副操縦席で、デム曹長は渋面で計器盤を睨みつけていた。エンジン出力に今のところ異常はないが、戦闘行動中に油断はできなかった。

 この機体の操縦に関しては戦闘中は機長のプレー少尉に任せるしかなった。純粋な輸送機であればともかく、この奇妙な構造の機体に関しては機体左舷側に座る機長の役割が極めて大きかったのだ。



 日本陸軍の大型輸送機である二式貨物輸送機の原型となっていたのは、対ソ戦を想定して開発されていたという一式重爆撃機だった。本来であれば輸送機仕様である二式貨物輸送機であっても民間航空会社に払い下げられる対象となるような機体ではなかった。

 先の第二次欧州大戦中に実戦投入された日本軍の重爆撃機は、エンジンの換装などよって飛躍的に性能を向上させながらも、実質的に二系統に分かれていた。

 双発の九七式重爆撃機が実際には軽爆撃機に混じって地上部隊の支援爆撃などを主に行っていたのに対して、四発の一式重爆撃機は夜間爆撃を行う英国空軍の爆撃機と共に欧州本土への戦略爆撃に投入されていたのだ。



 報道で公開された諸元などを見ると、航続距離や速度性能では優れるものの一式重爆撃機の搭載量は同級の機体と比べて見劣りがするものだった。戦時中は改修が相次いでいたようだが、規模の上で同等と言える英空軍のランカスターと比べると爆弾搭載量の差は顕著だった。

 ただし、それは一式重爆撃機の機体性能がランカスターに対して劣っていることを示すものでは無いというのが、戦時中に何度か同機に相対したこともある元ドイツ空軍戦闘機乗りであるデム曹長からみた印象だった。


 むしろ大口径機関砲を多数装備した一式重爆撃機は、迎撃機側からすると厄介な機体だった。爆撃機の自衛機銃は滅多に命中しないというが、それでも長射程を活かして遠距離から惜しげも無く放たれる機関砲の弾幕は、次第に技量が低下していくドイツ空軍の迎撃機隊には脅威だったようだ。

 デム曹長は、戦時中は最前線の航空部隊に配属されて本土防空部隊の経験は無かったからさほど実感はなかったが、一式重爆撃機の防御火力に絡め取られた戦闘機乗りは決して少なくなかったようだ。


 それにエンジンや機体規模が同格ということは、よほど機体自体の設計に関する技術力に差異がない限りは離陸重量も同程度になるのだから、後は空中に持ち上げられる重量の中からどこを重要視して配分していくかの問題に過ぎないのではないか。

 そういう意味ではおそらくは一式重爆撃機は爆弾搭載量よりも航続距離や速度、自衛火力に重量を割り振って設計されていたのだろう。



 日本軍の重爆撃機が軒並み爆弾搭載量を控えめに記載しているのは別の理由もあった。

 元々彼らの基本戦術において重爆撃機は敵航空戦力を狙う航空撃滅戦を重要視していたらしい。さらに言えば、航空撃滅戦への指向は地政学的なものが原因だった。

 単純なことだ。英国本土から発進すれば敵本国を直接攻撃する戦略爆撃の対象となるような大都市が国を問わずにいくつもあるが、日本から狙うには仮想敵であるソ連の大都市は遠すぎるのだ。


 つまり日本軍は意思の有無以前に戦間期に唱えられていたような戦略爆撃を実施できる環境にはなかったのだ。

 更に日本軍の友軍であるシベリアーロシア帝国に対してソ連航空戦力が優勢であった事が、日本軍に開戦初頭の徹底した航空撃滅戦を指向する重爆撃機部隊の整備を行わせていたようだった。

 そして目標が在地航空機であったことが、日本軍重爆撃機の搭載能力に影響を及ぼしていた。


 都市部への爆撃であれば重量のある汎用爆弾を投下したのだろうが、広大な飛行場を一挙に焼き払う為に航空撃滅戦では焼夷子弾を多数収容した集束爆弾などが多用されていた。

 ところが汎用爆弾と比べると軽量の子弾が詰め込まれた集束爆弾は重量の割に嵩張る為に、離陸重量に余裕があったとしても爆弾倉に収容できる数は限られていた。

 デム曹長がいたドイツ軍側からでは見えなかったのだが、それが日本軍の重爆撃機が額面上の搭載量が低くなる理由だったのだ。実際短距離の出撃や滑走路破壊用の重量級爆弾を搭載した際などは性能諸元を越えた重量を搭載すること珍しくなかったらしい。



 結局は防御火力の充実も原因は同じだった。敵戦線後方の飛行場を狙うには、前提として迎撃機が待ち受けているであろう前線を突破しなければならないからだ。

 だが、防御火力の充実だけで生存率を確保するという方針は、熾烈な航空撃滅戦を想定するとまだ不十分であると当時の日本軍では考えられていた。

 4発の大型重爆撃機を差向けなければならないような大規模飛行場は、長射程の高射砲や手数の多い高射機関砲を組み合わせた複合陣地で対空防護されていると考えるべきだったからだ。


 出撃のたびに損害が出るのが当たり前になっていた大戦末期のドイツ空軍の環境で生き延びていたデム曹長からすれば、あれ程防御火力や防弾装備が充実した重爆撃機を投入しながらさらに贅沢な悩みを持つものだとしか思えなかったのだが、日本軍では実際に複合陣地によって守られた航空基地に対する襲撃に際して様々な防護策をとっていた。

 日本軍では防御火力を分散させるために同時に多方向から敵地に進入を図ったり、敵レーダーや無線を阻害する為の電子兵装の投入といった措置を取ることが次第に増えていたが、そうした受動的な対策にとどまらず日本軍は破天荒な兵器を投入していた。



 日本軍で重襲撃機と呼称されていた航空機の原型となったのは当の一式重爆撃機だった。充実した電子兵装に加えて大口径砲を備えた攻撃機が重襲撃機だったのだ。

 それ以前から重武装の航空機に例がなかったわけではなかった。搭載量に余裕のある重爆撃機に火器を増載して護衛戦闘機として運用するという程度なら珍しくなかったのだ。

 実際数が揃わなかった頃の一式重爆撃機は、一回り小型の九七式重爆撃機を援護する機体として投入されていたらしい。

 だが、いくら4発の重爆撃機とはいえ、胴体から長大な高射砲の砲身が突き出された姿は常軌を逸するものでしか無かった。


 一式重襲撃機の開発目的は、重爆撃機本隊が進出する前に敵航空基地の防空陣地を制圧することにあった。使用する砲が同程度のものであっても、高所から撃ち下ろした方が射程上有利であったから、理論上は高射砲を搭載すれば敵対空陣地の射程外から一方的に砲弾を撃ち込むことが可能だった。

 一式重爆撃機以前にも九七式重爆撃機を原型とした重襲撃機が開発されていたらしいが、これは胴体の首尾線に平行に砲を固定装備していた。この主砲では機首方向にしか射撃出来ないから複合化された高射砲陣地を制圧するのは難しかったようだ。


 この九七式重襲撃機の運用実績から、搭載量に余裕のある一式重爆撃機を原型とした重襲撃機では、複数の全周旋回可能な銃塔に加えて本格的な高初速の高射砲を機体側面に配置するという異様な姿で戦場に出現することになったらしい。

 敵対空陣地を制圧する際の一式重襲撃機は、砲が突き出された左舷側を常に敵に向けるように旋回しながら、視界内の対空砲を継続して高射砲で撃ち据えるというのだ。



 戦時中は日本軍から射撃される方にいたデム曹長からすると大火力の一式重襲撃機は厄介極まりない機体だったが、実際には意外な程に本来の開発目的であった敵基地攻撃に投入される機会は少なかったらしい。


 当たり前といえば当たり前だが、複合防空陣地を保有するような大規模な航空基地であれば当然ある程度の迎撃機位は配備していたが、迎撃機に対して重襲撃機は通常の重爆撃機よりも損耗率が高かった。

 航空基地上空の一航過で全ての爆弾を投弾して離脱すれば良い爆撃機と違って、継続的な射撃を行わなければならない重襲撃機は長期間敵戦闘機との交戦を余儀なくされるのがその一因だった。

 しかも攻撃手段が片舷側からの射撃に限られる重襲撃機は照準を固定して飛行しなければならないから、攻撃時に自由な回避行動をとることも出来なかったのだ。



 問題は敵基地襲撃時だけではなかった。大量の機関砲どころか大重量の高射砲を抱えた重襲撃機には致命的な欠陥があった。攻撃を終了しても機体の重量が殆ど減らないのだ。

 通常の爆撃機は、目標地点で大重量の爆弾を投下して空荷になれば、帰路では往路よりも高速で飛行することができた。

 ところが爆弾ではなく銃砲を主兵装とした重襲撃機の場合は、離陸重量の中で兵装自体が占める割合が多かった。特に高射砲は高初速で大重量の砲弾を撃ち出すことが求められるために、大容量の装薬が燃焼した際に発生する高い腔圧に耐えなければならない砲身の重量が自然と増大していた。


 つまり重襲撃機は敵地上空で銃砲弾を消費したとしても兵装重量全体に占める消耗品である砲弾の重量が小さく、砲弾を使い果たした後も重量のある砲を抱えて飛ばなければならないために、重襲撃機型は重爆撃機よりも帰路の速度は相対的に低かった。

 というよりも速度の上昇が見られなかったことが重爆撃機隊との編隊飛行を困難にさせていたのだ。

 敵基地上空で砲弾を使い果たして自衛火力を失った重襲撃機の為に専属の護衛機を随伴させた例もあったようだが、日本軍でもよほど大規模な攻勢作戦でない限りは護衛機を分割して十分な数を配置する事は出来ないはずだった。



 結局は、一式重襲撃機も通常の対地攻撃に駆り出された例が多かった。むしろ対空火力を失って撤退する部隊を駆り立てていく方がデム曹長にも印象に残っていた。

 ―――だが、まさか自分が撃ち込む方に回るとは思わなかったな……


 デム曹長が乗り込んでいた機体は確かに一式重襲撃機ではなかった。同じ一式重爆撃機からの派生型ではあるが、書類上では純然たる輸送機仕様である二式貨物輸送機となっていた。

 ところが、本来であれば戦線後方における貨物輸送を想定していたために武装を持たないはずの二式貨物輸送機は、胴体中央部の貨物扉が取り外されて強引に一式重襲撃機が装備したのと同じ型式の高初速高射砲の砲身が突き出されていたのだ。


 妙な機体だった。全体的な形状は貨物輸送機そのままなのに、側面の砲兵装だけが強引に追加されていた。他にも貨物輸送機には必要ない通信妨害用などの電子兵装も追加されているのだが、無骨な砲身と比べればアンテナを保護する樹脂製のカバーは目立たなかった。

 その砲身は引き込み式になっているのだが、機内の構造は原型機から一変していた。一式重襲撃機も外観は然程重爆撃機と変わらないものの、高初速高射砲の反動を受け止めるために相当に胴体部の構造が強化されていたらしい。

 デム曹長達が新たに乗り込む事になった機体もこれに習って改造を受けていたのだが、後付で改造されたものだから胴体後部は砲身を引き込むと構造材や高射砲の長大な砲弾を収める弾庫などで足の踏み場もない有様だった。

 これで何を輸送すれば良いのか、初めてこの機体に乗り込んだデム曹長は他の乗員と共に首を傾げていた。



 本来は純粋な貨物輸送機であった筈の機体にこんな無茶苦茶が改造されたのは、情勢の変化に加えて輸送機の武装化実験を兼ねたものでもあったらしい。最近は裏稼業を隠そうともしていない気がする会社の方針はそんなものだった。

 デム曹長には到底正気とは思えなかった。自衛用機銃の追加や貨物倉から爆弾を投下することなどとはわけが違うのだ。どう考えてもこんな無茶な改造が正式なものになるとは思えなかったのだが、以前の愛機は既に無かったから胡乱げな機体であっても乗りこなすしか無かった。


 デム曹長達が以前乗り込んでいた一〇〇式式輸送機もそれなり以上に無茶な改造を行った上で高高度飛行を行っていたのだが、会社の方針であっさりと通常仕様に戻されて表向きの仕事である旅客便に流用されていた。

 今やエアアジアで最も収益性の高い花形空路は、イスラム教の聖地メッカとアジアを繋ぐ巡礼用の路線だったのだ。

二式貨物輸送機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/2c.html

一式重爆撃機二型の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/1hbb.html

一式重爆撃機三型の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/1hbba.html

一式重爆撃機四型の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/1hbc.html

九七式重爆撃機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/97hb.html

九七式重襲撃機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/97hba.html

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