1947独立戦争謀略戦21
内心では気が重くなりながらも執務室に通された客人に対してフェルゼン大佐は向き直っていた。日本軍から態々将校が派遣されてきた理由は予想がついていたからだ。
オランダ領東インド諸島の一角であるカリマンタン島は、島内に複数の国家が存在するために国境線が走っているのだが、先日その国境を接するサラワク王国の領土で、逃走した先住民を追跡中だったドイツ人自警団の一部が同国に越境するという事件が発生していた。
本来であれば、単に植民地駐留の国境警備部隊が短時間の越境に及んだ位では大した事件にはならなかったはずだった。カリマンタン島中央の山岳地帯に走る国境線は元々曖昧なところがあったからだ。
古くから開発が進んでいたジャワ島などと比べるとカリマンタン島は未開発地も良いところであり、特に人口密度が低い山岳地帯は土地の利用価値そのものも低く、総督府などでは態々国境線を確定させる労力すら無駄なのではないかとまで言われていた。
ところが、ドイツ人自警団が越境先で日本人を殺傷してしまったことで事態は一変していた。そもそも自警団が乗り込んでいたのは日本人が経営する大規模複合農園であったらしいのだ。
要するに形態だけ見れば国境線のこちら側で運営されている農園と大して変わらないものだったらしい。もしかすると現地の情勢に疎い自警団の隊員達はマレー人が経営する農園同士で原住民を取り合っているとでも考えていたのではないか。
しかも事件はそれで終わらなかった。駐留軍司令部が状況を把握するよりも早く、一度は撤退した現地の自警団が体制を立て直して再度の進攻を試みていたのだ。
カリマンタン島に駐留する自警団の戦力はそれほど大きくはなかった。自警団の主力はアチェに移送されていたから、本来は機動力の欠けた警備部隊でしか無かったのだ。
むしろ戦力に自信がないからこそ一撃で相手に無視できない損害を与えてその後の交渉の主導権を握ろうとしていたのではないか。
ところが、サラワク王国に対する二度目の国境侵犯は無惨な結果に終わっていた。小火器までの装備に限定されていた現地の自警団部隊は、サラワク王国軍の優越した火力の前に相当数の死傷者を出して敗退していたのだ。
撤退した自警団の幹部によれば、サラワク王国軍は大規模農園を要塞化すると共に戦車まで投入していたらしい。
英国の保護国に過ぎないサラワク王国が戦車を保有しているというのは眉唾な情報であったが、陣地を構築してドイツ人自警団を火力で迎え撃ったのは事実のようであり、戦力をすり減らした自警団は国境線を越えて後退していた。
単純な越境事件であったはずの自警団の作戦行動は、部外者であったはずの日本人に死亡者が出たことで一挙に複雑化を招いていた。それを示すように国際情勢における最初の変化は遠く離れた日本本土で起こっていた。
日本国内でも本件が同胞の殺害事件として報道され始めていたが、これに付随する形でそもそもの原因となったカリマンタン島原住民の苛烈な扱いが煽情的な記事にされていたらしい。
友好国であるため現地オランダ大使館の情報収集能力は限定されたものだったから日本国内における世論を正確に読み取るのは難しかったが、日本人の国粋主義者などによる大使館への抗議やこれに対応した日本警察の警備強化など、大使館周辺は物々しい雰囲気になっているらしい。
しかもこの事件に便乗していたのは日本人だけではなかった。最近まで自分達もインドやマレー半島などで似たような事をやっていた癖に、英国の報道機関までもがオランダが統治する東インド諸島で行われている弾圧を糾弾する記事を出し始めていたのだ。
総督府はそのような他国の報道に左右されることはなかったが、次第に植民地統治の不正を糾弾する流れは英国からドーバー海峡を越えてオランダ本土に達しようとしていた。
オランダ本国の復興は東インド諸島など植民地から得られる資金によるものである事を理解しているのであれば、中途半端な人道主義を唱えるものはいないと思うのだが、実際には総督府の行き過ぎた弾圧に加えて戦時中にオランダを占領していたドイツ兵を現地で我が物顔で活動させている事に、次第に批判の声が強くなっているようだった。
現地のドイツ人自警団から悲鳴のように上げられていた重装備の増強という要請も、本国の世論を考慮した総督府によってにべもなく却下されていた。
フェルゼン大佐は決まりきった挨拶を終えると、市川中佐の機先を制する様にいった。
「先日の国境侵犯事件に関して貴国の国民に被害者が出たことは小官としても遺憾に思っている。国境警備隊の担当者には然るべき責任を取らせるべく現在詳細を確認中である。
ただし、本来サラワク政府が不当に連れ出したオランダ領の労働者問題に関して貴国が関与するのは筋違いの内政干渉である。これはサラワク政府と東インド諸島総督府の問題である」
本国よりも植民地の防衛に戦力を割いてもなおこの極東における日本軍の戦力はオランダ軍を圧倒していた。
その証拠にオランダ海軍が苦労しながら戦艦1隻を維持しなければならないのに対して、日本軍は前進根拠地でしかない太平洋のトラック諸島でさえそれに数倍する戦力を展開していた程だった。
東インド諸島を保持するためには、オランダ人からなる駐留軍もドイツ人自警団も共に消耗させる訳にはいかないから日本人に対して下手に出るしかないが、主権を譲る気もなかった。
強大な日本軍にしてみても戦艦デ・ロイテルを有する駐留軍の戦力は決して無視できるほど小さいものではないはずだ。彼らの主敵は共産主義者や太平洋の向こう側にある米国であるはずだからだ。
それに総督府が相手をするのは正確にはサラワク政府などという限定された権限しか持たない保護国ではなかった。これはオランダとイギリスという宗主国間の問題であるとフェルゼン大佐は考えていたのだ。
だが、市川中佐の反応はフェルゼン大佐の予想よりもずっと鈍かった。呆けたような中佐の顔を見ていると、このタイミングで訪れた日本人を過剰に警戒していたのかと大佐は自分の判断を疑いたくなってきていた。
「失礼ですが、大佐は何か誤解なされているようだ。お国ではどうか分かりませんが、我が統合憲兵隊は純粋な軍事警察機構ですから、フランスやイタリアのように行政警察業務を行う国家憲兵ではありませんし、そもそも外地邦人保護に関する個々の案件に関してもまずは外務省や内務省の担当ですな」
今度はフェルゼン大佐の方が唖然としていた。純粋な軍警察というのであれば、市川中佐が彼らにしてみれば外国の軍隊である駐留軍総司令部を訪れた理由が何なのか分からなくなっていたからだ。
市川中佐は気にした様子もなく続けていた。
「実のところ、所属は日本国兵部省統合憲兵隊ですが、小官の現在の任務は日本政府の命によるものではありませんので。本日は国際連盟軍参謀本部指揮下にある戦犯調査室からの依頼で参りました。
先の大戦で戦犯として訴追されながら逃亡した元武装親衛隊の隊員が、貴国の東インド諸島に移住したドイツ人難民の中に紛れて逃げ込んでいるという情報が先日戦犯調査室の方にありまして、その調査を私が依頼されたわけです。
そこで大佐殿には私とその部下による現地調査を許可願いたいわけでして……」
そう言いながら市川中佐は何枚かの書類をフェルゼン大佐の執務机の上に差し出していた。一番上に載せられていたのは国際連盟軍からの正式な依頼に関するもののようだったが、次の書類をめくると大佐のしかめられた眉が怪訝そうなものに変化していった。
市川中佐が率いる憲兵部隊は書類を確認する限りあまりに少人数のものだった。とてもではないが、何万人も東インド諸島に逃れていたドイツ人難民の調査を行うのには十分とはいえなかった。
ドイツ人自警団の中に戦犯指定者が含まれているであろうことなどはとうの昔に分かっていた。というよりも欧州本国で発生していた犯罪に関わっていたものならばともかく、オランダ政府は東部戦線でドイツ軍が起こした蛮行にはさほど興味などなかったのではないか。
それに戦時中にドイツを率いていたナチス党首脳部は、大半が終戦前のクーデター騒ぎでクーデター派と共に抹殺されていた。しかもクーデター派を鎮圧したゲーリング国家元帥も停戦と同時に自決していた。
国防軍は国際連盟軍の命で再編成を行うとともに対ソ連の最前線に立たされ続けていたから戦犯に指定された将官の中で実際に訴追されたものはいなかったらしい。
残されたナチス党員や武装親衛隊などの戦犯訴追に熱心だったのはシベリアーロシア帝国だったが、その背景にはソ連に対するプロパガンダという側面があるのは隠し切れなかった。
「母なる祖国を土足で踏みにじったナチス」を安易に許してしまうとロシア帝国政府の正統性が揺らいでしまうと判断しているのだろう。彼らの法的にはソ連は共産主義者に不当に占拠されたロシア帝国の領土であるからだ。
困惑顔のフェルゼン大佐に畳み掛けるように市川中佐が言った。
「我々も困ってるんですがね。情報源はどうも怪しげなものらしいのですが、何分にも報告書だけはきちんと形式を守りませんと上司の方がうるさいもんでしてね」
東洋人らしい薄気味悪い笑顔に、フェルゼン大佐はゆっくりとうなずいていた。ようやく市川中佐の考えていることが分かった気がしていた。
要するに市川中佐達にしてみればは調査の体裁さえ整えられればそれでよいのだろう。勿論実際には自警団内部でも戦犯指定者は変名を使ったりして匿われている筈だから、膨大なドイツ人の海の中に隠れた戦犯を見つけることは難しく、中佐の調査も具体的な成果は得られないのではないか。
どうせ共産主義勢力との防波堤としてドイツが存在する限りは、本格的な戦犯訴追など国際連盟軍の誰もやる気はなかったのだ。
―――だが、増長しているドイツ人自警団に対する牽制くらいにはなるか……
場合によっては、誰が戦犯を匿って仕事を与えているのかをドイツ人に教えてやっても良いだろう。フェルゼン大佐はそう考えながらも市川中佐が差し出した書類にサインしていた。
「国際連盟理事会からの依頼となれば総督府が断る理由はあるまい。法的にも国際連盟加盟国には協力の義務があるわけだし、我々にやましいところは何もない。
何か支援が必要であれば司令部付きのものに伝えてもらいたい。貴官には連絡将校を一人用意させよう。
……貴官が任務を無事果たせるように大戦でナチス共に占領されたオランダ人の一人として祈っているよ」
白々しくそう言いながらフェルゼン大佐は書類を返していた。市川中佐も笑みを浮かべながら書類を受け取っていたが、ふと大佐の背後にある窓を見て目を見開いていた。
フェルゼン大佐も怪訝に思って振り返ったが、それよりも早く轟音が室内に鳴り響いていた。
総司令部のあるバタヴィア郊外の小高い丘からは港湾部が一望出来たのだが、その一角でどす黒い水柱が上がっていたのだ。しかも、そこは駐留艦隊が停泊している海域だった。
まるで魚雷が命中したかの様な状況にフェルゼン大佐は声も出なかった。いつの間にか市川中佐が退室していたことにも気が付かなかった位だが、すぐにそんなことを気にする余裕は無くなっていた。
バタヴィアに入港したばかりの戦艦デ・ロイテルが爆破されていた。本当に魚雷が命中したかの様に舷側に大穴が開けられていたのだが、詳細な爆破手段は分からなかった。
フェルゼン大佐達は、自力航行出来なくなった戦艦デ・ロイテルが爆破された手段を追求よりも優先すべき事があった。爆破後にインドネシア共産党を名乗る組織から犯行声明が送りつけられて来ていたからだ。
駐留軍総司令部は、威信をかけてこれまでは等閑に付されていた共産主義勢力に対する本格的な討伐にかかっていた。
フェルゼン大佐は最後まで気が付かなかった。
戦艦デ・ロイテルが爆破された直前に荷役を終えた日本船籍の貨物船坂東丸が人目につかずに出港していったのだが、その中には戦時中に停泊中の英戦艦に爆弾を仕掛けたイタリア軍から手解きを受けた将兵が潜んでいた。
奇しくも当時のイタリア軍が爆破した英国海軍の戦艦こそはデ・ロイテルの前身であるクイーン・エリザベスそのものであった。
そして、共産主義勢力討伐に動員されたドイツ人自警団幹部も、事前に調査を終えていた市川中佐達によって次々と拘束されていた。フェルゼン大佐にはそれを止める間もなかった。