1947独立戦争謀略戦16
三陽造船の正門を越えた先にある急坂を降りた先には巨大な屋根が設置されていた。呆れたような顔で坂西中将は車から乗り出して何十メートルもある屋根を見上げていた。
その屋根は、本来は戦艦をも建造できる寸法の船渠を陸側の視線から覆い隠すために作られたばかりのものだった。
「全く大したものだな。この屋根を作ったのは、確か大和型戦艦の為だったか……海軍さんは戦艦を隠すためだけにこんなものを作ってしまうとはなぁ……しかし、肝心の戦艦が大きくなりすぎて、次からは大神に移ったのだろう」
「私も詳しくは知りませんが、このドック自体が大和型戦艦を建造する前に拡張していたそうですよ。尤もこの大屋根のお陰で我々の船も改造工事中は細かい所を隠すことが出来たのですがね」
そう言うと尚中佐は船渠の脇に車を止めていた。
荷物を車に乗せたまま坂西中将も車を降りていた。よく見ると屋根を構成している構造材の一部は船渠内を走るクレーンの軌条を成しているようだったが、軌条自体は大屋根を飛び出して海側に突き出していた。
むしろ長大な船渠の後ろ半分にのみ屋根が被さっていると言うべきだったのかもしれなかった。目的が陸地からの視線を遮るだけならばそれで十分だったのだろう。
だが、今船渠に収まっている船の寸法であれば、船渠の後ろ半分で十分だった。全長300メートル近い巨大な戦艦を建造する為の船渠に入れるにしてはその船は小さすぎたからだ。
船渠に横たわっているのは、ありふれた三島型配置の1万トン級貨物船の様に見えていた。実際に原型となっているのは戦時標準規格船の中でも建造数の多い二型だった。全長は150メートルにも満たないから船渠の半分程度でしかないし、全幅も船渠内にあと1隻を収められるほどでしかなかった。
ただし、二型というくくりは戦時標準規格のなかではあまりに大雑把なものだった。極論すれば主機や主要寸法といった規格を合わせたものを二型と呼称しているに過ぎないとも言えた。
先の欧州大戦における船団護衛時の戦訓を反映した戦時標準規格船として最初に計画された一型は、艦政本部や逓信省管船局だけではなく造船所にとってもいわば習作のようなものだった。
戦時標準規格船一型は600トン級のありふれた内航用貨物船だったから、これを建造可能な造船所は中小でも数多くあった。
名称に反して平時から規格化されていた一型は、これまで技術革新とは無縁であった中小造船所に、戦時標準規格船の建造で得られる助成金という梃入れを行うことで、電気溶接やブロック構造と言った新時代の建造方法を広めるためにあったと言うべきだった。
本来の戦時標準規格船の主力はその後に計画された二型だったが、そこで重要視されたのは建造数の確保と基本的な航行性能の統一にあった。
アジアから欧州までの長大な航路を考慮すると、可能な限り船団を大きくしたほうが、船団あたりの護衛戦力を節約する事ができた。船団が10隻でも100隻でも船団が航行する際に占める海域は大して広がらないから、周囲を警戒する護衛艦艇の数もまた劇的に増えるわけでは無かったからだ。
だが、開戦初期に護送船団を巨大化させるには限度があった。船団を構成する為に集められた各船会社が保有する船舶は、航行速度や旋回半径などの航行性能にばらつきが大きく、護送船団に必要な対潜警戒用の頻繁な変針などといった編隊行動を行う際に不利であったのだ。
基本的に同様の航行性能を持つ戦時標準規格船二型が続々と建造されていくと、次第に同船のみで効率よく船団を構築する例も増えていたが、外観や寸法こそ同一であったものの、戦時標準規格船二型は様々な派生型を有していた。
当初計画されていた原型となる一般貨物船型から、船倉を兵舎に置き換えたような兵員輸送型や、食料品の輸送用に船倉に冷蔵機能を追加した給兵船など様々な派生型が建造されていたが、飛行甲板を設けた海防空母といった特殊なものを除けば外観から型式を推定するのは難しかった。
大船団を構築するために大量建造された戦時標準規格船二型であったが、終戦時に残存していた一般貨物型の多くは、戦時中に運用に当たっていた船会社から返納されていた。
輸送中の損耗を考慮して大量建造されていた戦時標準規格船は、平時に日本が必要とする船腹量に対して明らかに過剰な数になっていたし、既に終戦前には一般貨物型貨物船の主力は、荷役や船倉体積の効率化を図って居住区と機関部を一体化して船尾に集中させた戦時標準規格船三型に移行していたからだ。
終戦による統制の解除を受けて、今後は各船会社も自社に合わせた船舶の取得が可能になるが、それも三型に類似する船型の効率化を図った貨物船となっていくのではないか。
不要となった戦時標準規格船二型は、予備船として保管されたり、洋上倉庫として無為に係留されているものもあったが、国内外に売却されたものも少なくなかった。
戦乱の中で国内産業界が軍需中心に再編成されていた欧州諸国は、壊滅した船腹量を早急に回復させるために個々の性能には劣っていても戦時標準規格船の大量購入を行っていたが、これによって自国の造船業界は操業回復が遅れてしまっているという悪影響も出ているらしい。
国内でも、これまでは内航船のみしか保有していなかった中小船会社が、安価に払い下げられる戦時標準規格船を用いて輸出入事業に参入を図ろうとしていた。特に新独立国となった東南アジア諸国向けの航路に就役する貨物船の船は増大していた。
こうした余剰となった戦時標準規格船の売却は国内造船所にとっても無関係な話ではなかった。三陽造船所では新造船の発注こそまだ動きは鈍かったものの、国内外に払い下げられる戦時標準規格船の再整備作業によって仕事量を確保していた。
元々が戦時中の輸送を前提に耐用年数を最低限に抑えて設計されていたから、長期間の運用を行うには各種機材を整備して対応する船級の承認を受ける必要があったのだ。
だから、ありふれた戦時標準規格船が入渠している事自体は特に目を引く動きではないはずだった。
実際には、三陽造船に入渠しているのは一般貨物型ではなかった。特徴的な重デリックなどが取り外されているために外観から見分けるのは難しいが、戦車などの重量物を輸送するために船倉内の構造が補強された型式となっていた。改造後のこの船の用途には強度が必要だったからだ。
原型となった戦時標準規格船二型から改造された箇所は少なくなかったが、早期に船腹量を確保したい国外はともかく、国内の船会社の中には多少時間をかけても自社の運行状況に合わせて改装を施すことは珍しくなかった。
船渠内の貨物船は、原型よりも船首楼と船尾楼が拡張されていた。元々機関部を後部に集約した戦時標準規格船二型は、煙突が配置された船尾はともかく船倉を拡大するために船首楼の寸法は抑えられていたから、むしろ原型よりも常識的な形に落ち着いたとも言えた。
目立たない形で中央の船橋構造物も拡大されていたが、こちらも珍しいとまでは言えなかった。中小船会社の中には安定した大口貨物の需要が期待できる航路を確保できないものだから、離島向けなどに多少の客室を設けて純粋な貨物船から貨客船に用途を変更することも少なくなかったからだ。
桟橋を伝って進水前の残工事で慌ただしい入居中の船の上甲板に移動しながら、坂西中将は船尾の煙突に描かれた船会社の印を見上げていた。銀河海運という船会社と坂東丸という船名が小さく書かれた部分だった。
公式には坂西中将は貴族院議員の名士であり、戦後設立された新興船会社である銀河海運の顧問という立場で進水に立ち会う為に呉を訪れていた。
坂東丸と言う新たな船名も公式には進水式で発表されることになっていたが、中小船会社の改造船などありふれているためか、報道関係者などの目を引くものではなかった。
だが、そうしたありふれた船型の中でもよく見ると異様な構造物もあった。予め改造内容を知らされている坂西中将は興味深くその箇所を確認していた。
例えば、船尾楼の周りには目立たないが重量物移動用の軌条が敷かれていた。軌条を追っていくと、船尾楼の扉に行き着いていた。船尾楼の倉庫から何かを引き出す為のもののようだった。
「これは戊式用のものかね……」
首を傾げた坂西中将に尚中佐は頷いていた。
「機関砲の偽装は倉庫内に引き込み式にしました。船首楼、船尾楼に据えた大砲の方は移動は難しいですから射撃時に偽装式の壁を畳むようにしていますが、機関砲は移動が容易なので軌条に据えて射撃時に持って来て固定します。機関砲の砲座はまだ空ですが、目立たないように外地で搭載する予定です。
最初は海軍さんの方からは余った25ミリ機銃を使ってはどうかという話もあったのですが、やはり対地射撃を考えると射程と威力の高い40ミリ機関砲の方が便利ですからね。
それに……この船の仕事を考えると、イギリスから各国に流れている40ミリ弾の方が良いと思います。25ミリ弾は性能はともかく、フランス由来のせいで今はアジアではさほど流通していないそうですから……」
「余っている位なら、25ミリ機銃も輸出してしまえば君らも大手を振って使えるんだろうがな」
そう言うと坂西中将は、船渠越しに僅かに見え隠れしているた隣の修理用船渠に入渠している改装工事中の重巡洋艦に視線を向けていた。
「海軍さんは新型艦では対空機関砲を8センチ砲にすげ替えようとしているらしいな。もう機銃では一発二発が当たった程度では防弾性能が充実した新鋭機を撃墜するのは難しいとかいっておったが……プロペラがない噴進機が世に出回る時代に特設巡洋艦とはもしかすると時代錯誤かな」
「特設巡洋艦というより、この外観では仮装巡洋艦ですね。将来的には小型の噴進砲を搭載することもありえますし、そもそもこの船の本質は母船であって砲火力は支援用ですから」
そう言うと尚中佐は船首に向けて歩き出していた。
「この船も偽装のために普段は貨物船のように振る舞わなければなりませんから、後部の船倉はそのまま残してあります。どこかの商港で実際に荷物を積み降ろして見せてもいいし、物置には大きすぎますが兵隊用の装備を入れておいてもいいでしょう。
船橋も殆ど変えていませんが、終戦後に取り外した機関砲は砲座金物は残してありますから、いつでも倉庫から取り出して再装備可能です。普段は偽装のためにも天幕でも張っておけば良いんじゃないかと思ってるんですがね……
ああ、それとうちの主計が強く言うものだから、居住区の厨房は仕立て直してもらいました。少数精鋭の特殊戦部隊の母船であろうとも原型より収容人数が増えるということもありますが、大陸の料理人は火力を求めるものですから……」
尚中佐は雑談のように坂東丸の装備を説明していた。坂西中将もあえて聞き直したりはしなかった。
三陽造船が海軍将校の水交社の持ち物だとすれば、坂東丸の持ち主である銀河海運は陸軍将校の偕行社が出資に関わっていた。坂東丸はただの商船ではなかった。日本が満州共和国、英国などと共に東南アジアで密かに進めている謀略に使用するための偽装船だったのだ。
二人は船橋の脇に来ていた。内部に砲や機銃を隠した船首楼と船橋の間には広大な前部船倉の扉があった。船倉扉は原型と形は似せているが、その機能は大きく異なっていた。
「中央のデリックは撤去させました。前方のものも半分は偽装用で起倒式にしてあります。後ろ側は海軍さんの空母に倣って甲板ごと昇降機にしています。前側は昇降機とつながる格納庫です。
一応回転翼機の離着船を前提にしていますが、場合によっては舷側にデリックを追加して大発や駆逐艇を載せても良いかと考えています。
……こういった用途の船はまだ誰も持っていませんから、運用は一緒に使う予定の日本軍の機動連隊などとも諮って追々改善していくということになりそうですな……」
「坂東丸の初陣はまずは東インド諸島ということになるかね。あちらならば英国の支援があれば偽装商船も活動しやすかろう。
そういえばアチェでは君の妹さんもずいぶん派手に暴れていると聞いているよ。なんでも回教徒の国で共産主義者を次々と撃ち殺しているそうじゃないか。君も馬占山将軍も誇らしかろう」
尚中佐は苦笑していた。
「あの娘の本当の兄から幼子を託されたときにはまさかここまで跳ねっ返りになるとは思いませんでしたが、狐の子は面白ということですかね。まぁあの娘は狐というよりも虎ですが……」
坂西中将も同じ様な表情を浮かべていた。
「それではあの顧問殿は猛獣使いか、若いものに無理を押し付けてしまったかな……」
二人共苦笑いは浮かべているものの、アチェに降り立った馬賊達のことは全く心配していなかった。
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