1947独立戦争謀略戦14
今回の飛行計画は最初から物騒極まりないものだった。
電波航法装置を頼りにして真夜中にタイ湾やマラッカ海峡の上空を長時間計器飛行で彷徨った時に比べれば、飛行時間そのものはさほど長くはないはずだった。
実質的に大改装後の試験飛行のようなものであることを除けば朝飯前の飛行だった。
別に比喩ではなかった。夜中にマラヤ連邦にあるエアアジアの根拠地を離陸した一〇〇式輸送機は、ほぼ西進してマラッカ海峡を越える頃にはこれまでは殆ど到達していないような高高度に達していた。
海峡を越えた後は、オランダ領東インドを構成するスマトラ島北西部に客を降ろして直ぐに引き返す事になっていた。だからデム曹長達は遅い夜食なのか早い朝食なのかよく分からない食事を済ませてはいたが、本格的な朝食は根拠地に着陸してからのことになるはずだった。
マラッカ海峡上空を通過する頃から雲上を飛行していたから、高度の関係で既に一〇〇式輸送機の機内は明るくなり始めていたが、眼下に見え始めたスマトラ島の地上は未だ曙光も差していないはずだった。
スマトラ島上空はデム曹長達も何度か飛行していた。特にパレンバンなどの都市や資源地帯には商売人なのかそれに偽装しているのかよく分からない客を連れて行ったことも多かった。
だが、今回の目的地であるスマトラ島北西部のアチェ付近を飛行したことはあっても着陸したことはなかった。
エアアジアに再就職するまで東南アジアに全く興味もなかったからデム曹長は詳しくは知らないが、このあたりはオランダの植民地支配に対して最後まで抵抗したイスラム教徒が多い土地であるらしい。
それが直接的な理由なのかどうかもわからないが、オランダ領東インドの一部になってからもスマトラ島北西部の開発は進んでおらず、そこらの草地からでも運用できる軽快な単発戦闘機程度ならともかく、双発輸送機が着陸できる程整備された滑走路が存在しているかどうかすら分からなかった。
しかも、物騒なことに最近になってアチェではオランダ軍に対する独立運動が盛んになっていたらしい。
今回の飛行計画を聞いた瞬間にデム曹長はげんなりとした表情を浮かべたものだったが、幸いなことに客を降ろすのは地上ではなかった。
既に会社は裏仕事を隠すつもりも無くなっていた。夜も更けた頃になって何台かのトラックで空港を訪れた客は、どこのものかもよく分からない陸戦用の服を着ていたからだ。
デム曹長には彼らが着込んでいる軍装は戦時中にドイツの武装親衛隊が着込んでいた迷彩柄に近しいものに見えていた。
ただし、小隊程もいる完全武装の「客」達の顔立ちはドイツ人には到底見えないアジア系民族のものだった。最近はデム曹長も何となくアジア系民族の顔を分かるような気がしていたが、現地のマレー人とも顔立ちが違うような気がする。
正体がわからないのは軍装以外も同様だった。次々とトラックから降ろされる装備は無国籍なものだった。日本製の短機関銃を装備しているものが多かったが、中にはドイツ製のMP40を手にしているものもいた。確かどちらも使用銃弾は9ミリパラベラム弾だから区別などしていないのかもしれない。
短機関銃の他にはやはり日本製の小銃が多いようだったが、九九式という名前の自動小銃は、戦時中に大量生産されて国際連盟軍の中でもアジア人部隊に広く供給されていた。新独立国に輸出されているものもあるらしいというから、戦後の東南アジアで見かける事も多かった。
他には物干し竿のような長物を抱えているものもいたが、迷彩というよりも毛皮のような偽装布に包まれている装備も多いから詳細は分からなかった。
一〇〇式輸送機の前でデム曹長とプレー少尉が顔を見合わせている間に、彼らは早々と装具を整えていた。
何れも恐ろしい程の重装備だった。銃器類はもれなく分厚い布製の偽装に詰め込まれていたが、それ以外にトラックから降ろされた装具で膨れ上がって見えるようになっていた。
彼らの装備は銃器類だけではなかった。背中と胸に加えて脚部などにも弾倉らしいものが差し込まれた雑嚢がごてごてと結えられていた。呆気にとられてその重装備を眺めていたデム曹長は唐突に彼らの背負っているものが単なる雑嚢ではない事に気がついていた。
―――こいつらはスマトラ島に降下して密入国するつもりなのか……
彼らが背負っているのはパラシュートが収まっている袋だった。もしかすると胸の前に回しているのも予備傘であるのかもしれなかった。背中と胸の前のものがどちらもパラシュートだとすれば、その他に全身に分散された雑嚢をすべて合わせても重装備といえるほどのものではないのかもしれなかった。
何にせよ客を降ろすために薄暗い中を鈍重な輸送機で未知の滑走路に着陸する危険は侵さなくとも良いらしい。都合よく領空侵犯の危険性は無視しながら、その時だけはデム曹長はささやかな利点にそう安堵していた。
計器盤を確認していると急にデム曹長に声がかけられていた。何を言っているのかは分からなかったが、慌ててデム曹長が振り返ると客の一人が予備の機内通話装置を取り上げるところだった。
おそらくは警報が止まらない事を察して操縦席まで来たのだろう。彼らがオランダ側かアチェの独立派の方なのかは分からないが、スマトラ島に向かう傭兵らしい集団の中でもその男が指揮官らしいことは何となく雰囲気で察していた。
それにエンジン音で機内が満たされているとはいえ、デム曹長には目の前の男が客席から狭い機内を移動してきた気配を全く捉えることが出来なかった。
―――こいつはきっと噂に聞く日本軍の忍者とか言う奴に違いないぞ……
デム曹長がそう考えてしまったのは、男が醸し出す剣呑な空気だけではなかった。短機関銃に加えて男の腰にはサーベルの様な曲刀が差し込まれていたからだ。
ふとデム曹長は前大戦の頃にシチリア島辺りで聞いた噂を思い出していた。なんでもドイツ国防軍の将官が、後方に浸透していた日本軍の忍者によって首を刎ねられてしまったらしいというのだ。
そんな噂を最初に聞いたときはまさかと思って聞き飛ばしていた。2正面からそれぞれ英日を主力とする国際連盟軍の大部隊に上陸されたシチリア島は、短時間のうちに初期の防衛作戦が破綻して前線が崩壊していた。
そんな状況であったから、右往左往する前線部隊の将兵の間では、後方撹乱を行っていた日本軍などの特殊戦部隊の動きが、実物以上のものに見えていたのではないかと当時のデム曹長は考えていたのだ。
だが、どこか遠くを見ている様な男の鋭い視線を目の前にすると、この男たちなら古の蛮族のように指先一つで敵兵の首を刎ねるくらいのことも出来るのはないかとデム曹長は恐ろしい想像をしてしまっていた。
機内通話装置を耳に当てたその男は、デム曹長の前の計器盤を暫くにらみつけると、後ろを振り返って仲間達に手信号を送ってから再び口を開いていた。
「敵地に侵入するというのに、この輸送機は乗員が少なすぎるぞ。副操縦士は機関士席に移ってエンジンに専念してくれ。
李、遅いぞ。貴様は装具を外して右側の副操縦士席に移れ。申は航法席で周囲を見張れ」
後半の言葉は手信号で呼ばれてきた男たちに向いていた。
申と言われた若い男は、文句を言うこともなく航法席の天測用窓に頭を突っ込むようにして周囲の監視に移ったが、李と呼ばれた男は装具を慌てて外したが、無精髭の浮いた顔を歪ませながら情けなさそうな声で言った。
「先生、俺にはこんなでかい飛行機なんて動かせそうもないですぜ」
先生と呼ばれた刀を持った男はじろりと李の顔を睨みつけながら言った。
「誰が貴様の操縦に命を預けると言った。機長がいいと言うまで操縦装置には絶対に触れるなよ。触れたらお前の首は胴体と亡き別れだ。
それより貴様、乗り込む前にこの機体の電子兵装を自慢げに解説してただろうが。副操縦士席についてその電子兵装を操作しろ。取り敢えず逆探の反応から敵電探の覆域を想定して退避針路を機長に指示しろ。逆探が反応し始めたばかりなら、相手の表示面にはまだ朧気にしか映っておらんはずだ」
―――妙な方に話が転がってきたぞ……
そう考えながらもデム曹長は、仏頂面になってぶつぶつと何ごとかをつぶやいている李に席を譲りながら、自分は機関士席についていた。副操縦席に座るが早いか李は、専門外のデム曹長ではうまく扱えなかった電子兵装を操作しながら、足元にあったチャートになにかの記録を書き込み始めていた。
機能が限定されているはずの逆探を用いて李が敵レーダーの概略位置や方位と言った情報を確認する前に、「先生」はプレー少尉に話しかけていた。
「機長、当機はまだ高度が低いのではないか。電波警戒機の覆域から逃れる為にも高度を上げるべきだ。エンジン出力にはまだ余裕があるのだろう」
デム曹長は慌てて機関士席の計器盤を確認していた。確かに「先生」の言うとおりまだ換装されていたエンジンの出力には余裕があった。酸素瓶の残圧も十分あったから高度を上げること自体は可能だった。
ただし、この空域で上昇をかけるには問題が一つあった。デム曹長が思案顔を向けるよりも早く、プレー少尉も眉間に皺を寄せながら一言一言を考えている様子でいった。
「確かに上昇すればレーダーの探知範囲からは逃れられるかもしれないが、これ以上飛行高度を上げてしまえば目的地でパラシュート降下可能な高度まで降下する時に降下率が危険なまでに高まってしまうことが予想される。
この一〇〇式輸送機は、確かに改造工事によってエンジン出力を高めて高高度性能を強化しているが、その他の機体構造には手を加えられていない。この鈍重な機体で急降下を行えば、最悪の場合空中で機体が分解してしまう可能性もあるし、それ以前に強引な降下によって過速度となってどのみちパラシュート降下は不可能ではないか……」
プレー少尉の理路整然とした反論は途中で止められていた。副操縦席の李が書き込まれたチャートを差し出しながら「先生」に説明を始めていたのだが、プレー少尉とデム曹長には二人の会話が何語かも分からなかった。
憮然とした表情のプレー少尉に「先生」が素早く方位を告げた。明らかな命令口調に僅かに戸惑っていたプレー少尉も、「先生」の迫力に負けたのか諦観した様子で機械的に操縦桿を傾けていた。
レーダーから逃れるように回頭を終えた操縦席で、「先生」がひとり言の様に言った。
「我々の機材と訓練は高高度からの直接降下を可能としている。先程伝えた高度まで上げても降下は可能だ。よく分からんが、機密の漏洩を恐れるあまりに前線部隊にも正確な情報が伝達されていなかったのではないか」
―――自分達に情報を教えなかったのは、単に会社の誰も知らなかっただけでは無いか……
何となく馬鹿馬鹿しく思いながらデム曹長はそう考えていた。それにいつの間にかエアアジアは前線部隊扱いされているらしい。
「それと、高高度からの降下中の移動と特殊な落下傘を使用することである程度は降下中に位置は調整できる。だから当機も電波警戒機覆域からの回避を優先してくれて構わない。我々としても、隠密に降下するには母機が見つからないほうが望ましいのだ。
……李、申、お前達は機内で操縦士を支援しろ。俺達が降下した後は基地に帰投して金の指揮下に入れ」
李は計基盤の監視で忙しそうだったが、残留を命じられた航法士席の申は何事かを抗議していた。しかし、「先生」の反論はどことなくうんざりとしたものだった。
「基地に戻っても仕事はあるぞ。第一、俺達全員で行かなければいけない程の仕事でもあるまい。さっさと降りて、美雨が狙撃したらそれで終わりだ。
お前達は金と一緒に機長たちとよく今後のことをすり合わせておけ」
漏れ聞こえてくる会話から、デム曹長は彼らとの付き合いはまだ始まったばかりであるらしい事を察していた。
―――やはり俺達は面倒事に巻き込まれているみたいだぞ……
無意識のうちにエンジン出力を確認しながらデム曹長はそう考えていた。
一〇〇式輸送機の設定は下記アドレスで公開中です。
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一式短機関銃の設定は下記アドレスで公開中です。
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九九式自動小銃の設定は下記アドレスで公開中です。
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