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1947独立戦争謀略戦10

 アジア諸国の現状に関する一通りの説明を終えた水野大尉は、出席者の顔を見渡して反応を確認していた。手元の資料を卓上に置くと、水野大尉はさらに続けていた。


「現在における帝国国防上の最大の懸念事項は、オランダ領東インドに浸透する共産主義勢力と言うことになりましょう」

 淡々とした水野大尉の言葉に対する反応は鈍かった。統合参謀部第2部では以前からこの問題が提起されていたのだが、他省庁からの出席者の中には東南アジア諸国にさほど詳しくないものも少なくなかったからだろう。



 そんな弛緩した空気を払拭するように、水野大尉の直属上司であるアジア担当の課長が眉をしかめながらいった。

「部員の言うとおりに他のアジア諸国から共産主義勢力が東インドに流入したとして、我が国に与える影響は本当に大きいのかね。極端なことを言えば、他のアジア諸国で共産主義が一掃できたのであれば、辺境の東インドなど彼らの好きにさせておけば良いのではないか。

 アジア中の毒をかき集めた蠱毒の中に手を入れるのと引き換えにするほど我が国に必要な資源で、東インドでしか取れないものがあったかな……」


 些か課長の口ぶりはわざとらしいものだった。あえて反論をするようにして水野大尉が他の出席者に説明しやすくしたのだろう。大尉は頭を一つ下げるとまた落ち着いた口調でいった。


「オランダ領東インドから輸入される物品に関しては別途資料を用意しておりますが、最大の懸念は東インド諸島が国家戦略的に重要な位置に存在することにあります。

 言うまでもなく帝国はアジアから欧州までの長大な航路を貿易に利用しておりますが、太平洋からインド洋に至るには狭隘なマラッカ海峡を通過せざるを得ません。

 マラッカ海峡の入口に当たる要衝シンガポールは友邦英国が抑えており、海峡東岸のマラヤ連邦は英国から独立した後も良好な関係を築くべく外務省諸氏が尽力しておりますが、西岸のアチェ地方は最後までオランダに抵抗した地ということもあり、現在でも散発的に武力を伴う独立運動が行われております。

 オランダ領東インドの騒乱に更に共産主義勢力が介入した場合、最悪を想定すると東インド全域が共産化して帝国、いえ国際連盟諸国の主要通商路が敵対勢力によって安全な航行が脅かされる可能性は否定出来ません。

 また、共産主義勢力が東インド諸島で独立国家として生き残った場合、今度はその国土を聖域として利用することで一度は各国から逃げ出した共産主義勢力も戦力を回復して再上陸を図るかもしれません。

 我々の選択肢は2つです。オランダ政府が派遣した現地軍が共産主義勢力を制圧して不安定な植民地政策を破綻させることなく続く事を期待して傍観するか、逆に他の東南アジア諸国同様に共産主義者との決別を条件として独立派を支援するか……」



 そこで口を閉じた水野大尉に外務省から派遣されてきた官僚が険しい表情で言った。

「軍人さんは簡単に言いますが、それは完全に内政干渉ではないですか。既に独立が既定路線だった他のアジア諸国と違って、オランダ領東インドの独立を宗主国であるオランダは認めていないのですよ。

 個人的にはオランダ政府による前時代的な植民地搾取は認めがたいし、これに対して帝国はアジア同胞として粘り強く抗議を行うべきと本省も方針を立てていますが、帝国に直接的な被害が及んでいない段階で欧州植民地の独立派を支援していることが発覚すれば、重大な外交問題となる可能性が高いでしょう。

 先の大戦では結果的にドイツに占領された欧州諸国を解放したことで帝国の威信を示すことになりましたが、逆に帝国の影響力が大きくなりすぎたと考えている国も少なくないようです。

 外務省としては、今の微妙な腹の探り合い状態が続く欧州諸国に余計な波風を立てて、ソ連に付け入るすきを与えたくないというのが本音ですね」



 外務官僚は原理原則を言ったのだろうが、反論は意外なところから帰ってきていた。国際連盟から委託統治された南洋諸島の行政を担当する南洋庁の職員が険しい表情を浮かべていたのだ。

「失礼だが、本省の方は欧州ではなくアジア諸国の状況をよく理解しておられないようだ。既にサラワク王国では、国境を接するボルネオ島オランダ領から圧政に耐えかねて国営農園から逃亡したという難民がひっきりなしに発生している。

 サラワク王国からの要請で南洋諸島でも難民のいくらかを引き取っているが、オランダ領との国境を構成する山脈を越えねばならない険しい山道を通って難民が到達しているということは、オランダ領では脱出するにできない貧民が相当数いるのではないか。

 マラヤ連邦でも対岸のスマトラ島から手漕ぎ船でマラッカ海峡の踏破を試みる難民が発生していると聞いている」


 外務官僚は呆気にとられていた。委託統治を担当する南洋庁は、現地においては行政の大半を管轄する省庁だったが、紆余曲折の上に将来的な独立を視野に入れて外務省が監督官庁となっていた。つまり外務官僚とすれば身内である出先機関からの反論を受けたということになるのだ。

 だが、外務官僚が何かを返す前に現地から一時帰国したばかりのサラワク王国大使館付武官を勤める情報将校が口を挟んでいた。



「南洋庁の情報は確かです。サラワク王国軍関係者に依頼して難民群の指導者……村長といいますか、部族の長にあたる立場の人間から直接聞き取りを行ないましたが、オランダ領での生活はかなり厳しいらしいですな。

 まるで江戸時代の八公二民ですが、オランダ政府は手っ取り早く稼ぐために輸出しやすいコーヒーや茶、煙草など現地民が喰えんものばかり作らせる前世紀の強制栽培制度を実質的に復活させとるようです。

 サラワク王国に逃げ出してきた難民の多くは、そもそも山育ちで狩りや焼き畑で生計を立てていた民族だそうですから、労働源として無理やり農園に連れてこられて、喰えもしない草だの木だのを育てさせられるという農場生活が性に合わなかったらしいですな」


 東南アジア諸国の情報収集を担当する特務機関員を兼任する為にサラワク王国大使館に新規に派遣されたばかりの武官は、何食わぬ顔をして東インド諸島から輸入されたコーヒーを一口啜りながら更に続けた。


「付け加えますと、難民からの聞き取りによれば彼らにも共産党の関係者を名乗るものが接触していたようです。オランダ人達の農園にもかなりの共産主義者が浸透しているようですな。

 幸いなことに、サラワク王国に脱出してきた山育ちの現地民難民たちは、都会の労働者と違って共産主義の素晴らしさとやらはさっぱり分からなかったらしいですがね」



 のんびりとした口調の大使館付武官の発言を聞いているうちに段々と不快そうな顔になった外務官僚が何事かを言いかけたが、ふと我に返ったかのような顔になっていた。

「ちょっとまってください……大使館付は先程農園労働者として難民が連れてこられたと言いましたね……そもそもオランダ領東インドに駐留するオランダ人は極少数だったはずではないですか。

 確か戦時中にバタヴィアに駐留していたオランダ軍も主力は本国に帰還しているはずですが、原住民を強制労働させるのは一体誰が行っているのですか。とても強圧的な統治を行える程のオランダ人が現地に駐留しているとは思えないのだが……」



 外務官僚は怪訝そうな顔をしていたが、何人かの参謀や官僚達は訳知り顔でお互いに顔を見合わせていたが、彼らを代表するように大使館付武官が口を開いていた。

「東インド諸島にはバタヴィア領事館しか無いですから情報収集の手段は限られていましてね……これまでは我々もその点が不可思議でした。現地民ざっと五千万をどうやって統治するだけの人員を確保しているのか……

 しかし、種を明かしてしまえば簡単なことだったんですよ。戦後オランダは隣接するドイツ国内の政治的安定性を図る為として国際連盟を通じてドイツ人難民の受け入れを表明していたではないですか。

 しかし、国内復興工事の労働者でもない限り、ドイツ系住民をオランダ本土に受け入れられる筈はありませんからな。彼らの大半は東インド諸島にそのまま送られていた事自体は確かに公表されていましたな」

「それではオランダ領東インドで実際に統治にあたっている要員というのは……」

「オランダ領東インドで受け入れたドイツ難民の数は家族を含めて万の単位です。その大半はオランダ人の尖兵となって植民地統治に従事しているのでしょうな」


 主に国際連盟関係の職務について欧州に常勤している外務官僚が苦々しい表情を浮かべていたのに対して、大使館付武官の様にアジア諸国の専門家は意外といった表情を浮かべるものは少なかった。

 植民地やオーストラリア、南アフリカの様に白人が移民した国がドイツ人難民を受け入れた所では大なり小なり同じような現象が起こっていたからだ。

 祖国が敗北したドイツ系住民にとって、現地の白人層と同化する事で惨めな「2等市民」化を避けようとしているのではないか、そういう分析もあるらしい。



「しかし、一部ドイツ系の元軍人に関してはその職務態度はオランダ政府からの強制とは言い難い面もあるようです」

 水野大尉が外務官僚に向かって言った。怪訝そうな顔になったのは外務官僚だけではなかった。

「確かな筋からの情報がありました。オランダ領東インドでは入植したドイツ人を編入した治安維持部隊が再編成されていますが、その規模は既に師団規模という情報です」


 予想外に大きな部隊規模に会議室内はどよめいていたが、首を傾げていたものもいた。

「単体としてみれば大規模に見えるが、一個師団では要所を抑えることは可能でも東インド諸島全域を統治するには十分とは言えないのではないか」

「これは最低限で部隊を編成したと言って良いでしょう。追って部隊規模は拡大していく可能性は高いと思われます」


 間髪を入れずに答えた水野大尉に別の方面から質問が飛んでいた。

「だが、オランダ人はなぜドイツ人部隊をそんな短期間で編成出来たのだ……」

「こちらで確認した情報によれば、東インド諸島に入植したドイツ人は、元々が行くあてのない武装親衛隊隊員とその家族であったようです。再編成されている新生ドイツ軍は国防軍関係者で占められていますからね。

 おそらく、東インド諸島で再編成されている部隊の多くは旧武装親衛隊の組織を流用しているのでしょう。オランダ人は自分達だけでは不可能な統治をドイツ人という中間層を利用する事で利益の上澄みだけでも得ようとしているのでしょう」

「つまり、東インド諸島に入植したドイツ人難民は、自活する為に現地人から搾取しているということか……」



 腕を組みながら複雑そうな表情を浮かべて外務官僚は押し黙っていたが、水野大尉は更に続けていた。

「先程も申し上げたとおり、一部ドイツ系住民に関しては意識の上では現在でも戦時中の延長線上である可能性があります。

 実は、その情報筋からのものなのですが、オランダ領東インドに入植したドイツ系住民の中にはフランスやソ連領内における住民虐殺などの罪状で戦犯指定を受けた武装親衛隊隊員が含まれているようです」


 水野大尉は平然としていったが、会議室内のどよめきは先程よりも大きかった。

「その情報筋というのは確かなのか……」

 誰かがそう言ったが、水野大尉は即座に頷いていた。

「詳細は申し上げられませんが、証拠につながる書類は得ております」


 水野大尉の脇に座っていた内務官僚がそっと書類を押し出していた。

「情報源はドイツ本国からとだけ申し上げておきます。彼らにしてみても、ドイツ系の戦犯指定者が入植先で大手を振って戦時中の様な振る舞いをされては、国家の印象を悪くすると考えているわけです。

 可能であれば、自分達の手を汚さずにアジアのことはアジアで解決してほしいということでしょう。国際連盟軍としても旧ドイツ国防軍は潔癖であってくれた方が新生ドイツ軍を友軍として迎い入れる際の心理的な障害が減りますから、戦時中の戦争犯罪は武装親衛隊に責任がある方が望ましいですね。

 いずれにせよ、東インド諸島に潜伏する戦犯指定者の捜索、逮捕となれば内政干渉とはならない大義名分かと思われますが……」



 出席者の視線は次第に座長である情報部長に集まっていた。端坐して瞑目していた部長はゆっくりと目を開けて言った。

「結論は出たようだな。統合参謀部総長には私から報告する。我々は戦犯追求を大義名分として表からオランダ領東インドに接触すると共に、密かに民族主義独立運動を支援して共産主義を挟撃する。

 現地勢力への浸透に関してはこれにあたる特務機関を別途設けることとする」


 部長はそう言ったが、この会議自体が各部署を納得させるためだけの茶番だった。水野大尉は既に活動中の特務機関からの報告書を思い出しながらそう考えていた。

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