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1947独立戦争謀略戦6

 店名についていたカフェーという文字を目にしたときから嫌な予感がしていた。店の扉にくくりつけられたドアベルの音色は澄んだ心地よいものだったが、振り向いた店員の愛想の良い顔に思わず後藤は顔が引きつっていた。

 店の奥の方はわからないが、表に出ている店員は和装の上から純白のエプロンを着用した見目麗しい女給ばかりだったからだ。

 普段はむさ苦しい軍人に囲まれている身としては艶やかな若い女給達の姿は眩いばかりだったが、内務省から統合参謀部に出向している後藤からするとこうした様式の店に入るのは些か憚れるところがあった。



 コーヒーという飲み物は、江戸時代には西洋人が飲む際物といった扱いしかされていなかった。そのコーヒーを日本でも本格的に出す店が出来たのは明治末期のことらしい。

 その頃出来た店は、安価に南米産の高品位のコーヒーを提供することが出来ていたが、短期間の内に経営が破綻した店も多かった。南米産の珈琲豆の価格が急上昇していたからだ。


 そもそも日本で遥か彼方の南米産の珈琲豆を安価に輸入することが可能だったのは、明治期に人手不足であった南米に行われていた農業移民事業に対する見返りという側面があった。

 19世紀を通じて生産量の拡大を続けていた当時の南米産の珈琲豆は過剰生産となるほどであったから、移民を受け入れた南米側では消費量の大きい欧州に続いてアジア圏でも市場を拡大したいという意図もあったのではないか。



 ところが、日本が南米産の珈琲豆を安価に輸入することが可能だった時代は僅かな期間に過ぎなかった。第一次欧州大戦前後には工業化が急速に進んだ日本国内で労働力が不足していたものだから、移民事業自体が完全に下火になっていたからだ。

 それどころか、奴隷に代わる安価な労働者に過ぎない過酷な南米の農業生活の実態を知った移民の中からは、親戚の伝手を辿って人手不足の日本に帰国を図るものも居たほどだったから、南米の業者としては安価に日本に珈琲豆を輸出する義理はなくなっていたのだ。


 それに加えて第一次欧州大戦勃発からしばらくした後に南米産の珈琲豆の多くは米国に一括して購入されるようになってしまっていた。

 欧州大戦から南北両米大陸の中立を保つという理由だったが、大戦勃発当初は米国も英仏側で参戦する可能性があったから、ドイツ側に戦略物資を渡さないという思惑もあったのかもしれない。



 いずれにせよ安価な珈琲豆が入手できなくなった第1世代とも言える店に代わって大正期に台頭してきたのが、カフェーなどと呼ばれる女給を置く様式の店だった。

 化粧をして着飾ったカフェーの女給は、主に容姿で選ばれたものだった。しかも、彼女らには店から支給される給与はなく、客が落とすチップ頼みの賃金体系となっていた。

 表向きは単なる女給であっても如何わしいサービスを提供するものもあったようだし、次第に増えていくカフェー方式の店では他店を出し抜こうと次第に女給の格好や提供される饗応も競うように過激になっていった。


 尤も後藤は些か信じがたい気もするのだが、婦人の社会進出という点でそうしたカフェーで働く女性を評価する論調も女性誌などであったらしい。

 賃金が客が落とすチップ頼みとはいえ、女給達にはある種の自由があった。実際には店側から強要される例も多かったのだろうが、客にどのような饗応を行うか、その身を売るも売らないも女給達が決めることだというのだ。



 だが、裏で何をしているのか分からないそんな如何わしい営業形態は、公衆良俗に反するものと言われても仕方がないものだった。

 20年ほど前から女給を置くカフェーは、大正の行き過ぎた民主化に対する反動が顕著化すると共に風俗営業扱いとなり、過激なものは警察の取締の対象となってその数を減らしていった。


 また、その頃になるとカフェーに変わって純粋にコーヒーを出す店も増えていた。工業化が進んだ事によって、ある程度は金銭的な余裕を持つ労働者が増加していた。そうした中産階級を客層とする小洒落た飲食店が出現していたのだ。

 カフェーとの差別化を図るために、第3世代ともいえるコーヒー店は純喫茶や喫茶店と名乗っていた。そうした店では軽食を除けば純粋にコーヒーのみをを客に提供するとともに、女給を置くことも少なかった。



 日本におけるコーヒー文化はいわば健全化していたのだが、風俗営業に関わる事案として過激なカフェーの取締を主導したのは内務省だった。

 内務省から統合参謀部に出向している後藤がカフェーへの入店を躊躇うのはそうした理由があったのだ。繁華街でもない所では流石にあからさまにそうした公衆良俗に反する店があるとも思えないが、高級官僚が入り浸るのには相応しくないだろう。


 愛想よく接客する女給に困惑しながらも待ち合わせする人間がいることを伝えると、後藤の待ち合わせ相手を察したのか女給は思わせぶりな態度で店の奥に視線を向けていた。

 客席の一番奥の席には既に二人が座っていた。男女一人づつのうち、女の方が内務省職員としては後藤の先輩に当たり、同時に企画院で同僚だった長谷だった。

 今日は長谷に呼び出されてこんな店まで来るはめになっていたのだ。


 悠然とした様子でコーヒーを飲んでいる長谷の向かいには一人の男が座っていた。席に案内された後藤は眉をしかめていた。男が明らかに日本人ではない欧州系の顔立ちをしていたからだ。

 長谷と後藤は官僚らしい背広姿なのだが、男は気楽そうな私服姿だった。高級そうな仕立てを着込んだ男は人好きのするにこやかな笑みを浮かべていたが、いつものように長谷の漂白されたような顔からは表情を見いだせなかった。



 異様な組み合わせだった。

 統合参謀部に出向する前は企画院に勤務していた後藤が会議などで長谷に同道することは少なくなかったが、得体のしれない外国人が加わると何かの策謀を思わせる組み合わせに見えなくも無かった。

 その一方で密謀を巡らすにはこのカフェーは明るすぎるし、華やかな女給達を見ながらする話とも思えなかった。


 一礼して座る後藤に僅かに挨拶すると、長谷は慣れた様子で女給に合図していた。常連客であることを伺わせる仕草に後藤は意外な思いを抱いていたが、コーヒーが運ばれてくる前に長谷は空いた手で外国人の男を示しながら言った。


「お久しぶりですね、後藤さん。こちらは……何とか機関のシェレンベルク氏です」

 おそらく後藤の顔はしばらく呆然としたものになっていたはずだった。しばらく合わない間に長谷が冗句の一つも覚えたのかと思ったのだが、彼女の顔は以前と変わらない無表情なものだった。



 すでに四十は越えているはずだが、長谷の顔には加齢の痕は見えなかった。整った顔立ちではあったが、笑み一つ見せない人形のような顔立ちを評価されることは仕事柄無かった。

 感情もそうだが、年齢も彼女の顔から読み取るのは難しかった。二十代のように見えなくもないし、老成した雰囲気を漂わせることもある。あるいは若い頃からずっと同じ顔をしているだけなのかもしれない。


 全く異なる理由で押し黙っている二人を見かねたのかシェレンベルクが口を開きかけたが、長谷が僅かな手の動きで止めていた。

 奇妙な会合を目にしながらも笑みを浮かべた女給が3杯のコーヒーを盆に載せていた。長谷達が飲み干していたコーヒーの代わりに湯気を上げる杯を置くと深々と頭をたれて女給はすぐに下がっていた。



 間が持たずに無意識のうちにコーヒーを口にした後藤は、意外な思いを抱いていた。味に拘る純喫茶とは異なり、いわゆるカフェーはコーヒーの味になど無頓着なものだとばかり思っていたのだが、口にしたコーヒーには深いコクと香ばしさが同居していた。

 後藤の驚いた顔に気がついたのか、長谷は店の奥に視線を向けながらいった。

「この店では新しい国産のガラス製抽出器を使っています。評判も上々のようで何よりです」

「ガラス製……ですか」


 後藤は首を傾げていたが、長谷は何でも無いように続けた。

「戦時中は耐熱、耐薬品性の高価なガラス容器を軍需品として大量生産していた工場でしたが、平時は特殊な科学用途に需要が限られてしまうので民需品の生産に切り替える必要があったのです。

 それでまだ国産品が少ない食品産業への転換を提案していたのですが、この様子であれば海外への本格的な販路開拓も視野にいれていいかもしれません」



 ―――そういうことか……

 ようやく後藤は合点がいっていた。二人が勤務していた企画院は第二次欧州大戦においては国家総動員体制の構築に従事していたが、終戦後は国内の不況を避けるために軍需から民需への転換を行う必要があった。

 総合的な政策に関わる企画院では有事に軍需品の生産に寄与できる企業の育成も職務であったからだ。


 だが、二人の会話を理解しているのかいないのか、笑みを浮かべたままのシェレンベルクがひどく訛りはあるものの日本語で口を挟んでいた。

「日本でこんなカッフェーが飲めるとは思っていませんでしたが、この味を引き出したのが日本製品だったとしても、まずは良い豆があったからではありませんか」

 後藤が怪訝そうな顔を向けると、シェレンベルクはしてやったりと言わんばかりの顔で続けた。

「このカッフェーの豆はオランダ領東インドにある島で収穫されたものだそうですよ」


 シェレンベルクが浮かべる笑みは屈託のないものだったが、後藤は咄嗟に眉をしかめていた。唐突に出てきた地名はここ最近散々悩まされてきたものだったからだ。

 ―――この男は何か知っているのか……



 疑心にとりつかれた様子の後藤に苦笑した様子のシェレンベルクが続けた。

「私が所属する組織は、名前も無ければ正式なものでもありません。公式には存在していてはいけないものではありますが、貴国の一部からは認知された存在でもあります。とりあえずは組織の長からカナリス機関などと呼ばれていますが……」


 後藤は眉をしかめていた。カナリス大将の名前は知っていた。旧ドイツ海軍の将官だったが、それ以上にナチス・ドイツ時代のドイツ軍情報部を率いていた事で知られていた。つまりシェレンベルクというこの男も旧国防軍の情報将校だったのだろう。

 尤もドイツの情報関係者が来日している理由はよく分からなかった。


 大戦終結後に国際連盟軍の情報機関に協力することを条件にナチス・ドイツの情報関係者の多くが戦犯指定を免れて密かに組織を維持していたことは、統合参謀部でも暗黙の了解となっていた。

 ただし、旧敵国の情報機関が残存することを無条件を許されたわけではなかった。彼らの活動範囲は、ソ連軍に対する諜報活動に限られていたのだ。



 無言のままシェレンベルクを見つめている後藤に長谷が淡々とした様子でいった。

「後藤さん達は今オランダ領の取り扱いに苦労していると聞いています」

 ゆっくりと後藤は長谷に顔を向けていた。情報が開示されているのは情報関係者に限られているはずだったが、やはり彼女は全てを知っているようだった。それでも立場上元同僚であっても後藤は何もしゃべることは出来なかった。


 不自然に押し黙った後藤の様子を気にする様子もなく、長谷は独り言のように続けていた。

「もしかするとシェレンベルク氏の持ち合わせている情報は、我が国のオランダ領への介入を正当化させるかもしれません」



 ここしばらく自分たちを悩ませていた問題をあっさりと言い当てていた長谷に対して、後藤はゆっくりと口を開いていた。

「貴方は……長谷さんは今でも企画院に所属しておられるのですか」

 同じ内務省職員といっても、出向先が変われば後藤のような立場では所属を知る術は無かったが、長谷は無言のまま後藤の顔を見つめているだけだった。

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