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1947独立戦争謀略戦5

 サマラハン農園を後にしてから然程時間は経っていない筈だが、谷技師はサラワク川上流に現れた見覚えのある地形をひどく久しぶりに見る気がしていた。



 サラワク川の遡行は、普段よりもずっと気の抜けない航行となっていた。ただでさえ大発の航続距離としてはクチンからサマラハン農園までは長過ぎる程なのだが、今回は二式力作車と同車の大重量を支える為に強引に取り付けられた浮力材を抱えているものだから大発の燃料消費量は格段に大きかったのだ。

 それでいて浮力材を追加してもなお喫水が沈み込んでいたものだから途中の街に補給に立ち寄ることも出来なかった。


 サラワク王国では河川は重要な交通手段だったが、浚渫工事などを行って喫水の深い船でも係留できる程十分に整備された桟橋は首都クチン周辺に限られていた。浚渫工事は外航船を直接河川港に入港させるために整備されていただけだったからだ。

 それで大発の航続距離を確保するために追加の燃料をドラム缶に積み込んでいたのだが、本船用の燃料を全く消費していない下流では重量が大きすぎてこのまま沈没するのではないかと思う程だった。

 しかも浮力材のせいで増大した寸法が川の波長と適合してしまったのか、大発は僅かな波でもひどく揺れていた。便乗した兵士達の中には、船酔いが激しく舷側から身を乗り出して胃の中身を空にしているものもいた。



 だが、谷技師としては苛立たしさを覚える程に、ダヤット曹長の様に船酔いしていない兵士は皆平然として船旅を楽しんでさえいる様子だった。大発に便乗した経験が無いのであれば、この異常な状態が平常的な状態だと勘違いしているのかもしれない。

 谷技師は大発が揺られるたびに二式力作車の巨体の隙間に潜り込むように便乗していた兵士達の様子を確認していた。固縛が不十分でこの国の兵士達が怪我でもすれば国際問題ともなりかねないと考えていたからだ。


 平然とした兵士達の様子に谷技師が馬鹿馬鹿しさを覚えていた頃に、ようやく大発はサマラハン農園に到着していた。

 最初に降り立ったのはダヤット曹長達だった。ただし、大発から直接陸地に降り立った訳ではなかった。二式力作車のせいで沈み込んだ喫水のせいで大発は普段よりも川岸から距離があるところで座礁する筈だから、人員だけは水深のある河川中央付近で小船に乗り換えるしかなかったのだ。



 ダヤット曹長たちを乗せてサマラハン農園付属の桟橋に先行する小船を追いかけるように、大発の主機が唸りを上げていた。既に離礁用の錨は降ろし始めていたが、二式力作車が移動すれば錨で沖に引き寄せなくとも自然と浮揚する可能性は高かった。

 やがて船体が河床とこ擦れ合う嫌な音がし始めていた。サマラハン農園が位置するのはサラワク川の上流付近だったが、大雨の度に近隣の山岳部から流されてくる腐葉土で河床は覆われている筈だった。

 これまでの運用では大発の喫水が浅くて気が付かなかったのだが、このあたりにも河床から露頭をのぞかせた大岩があるのかもしれない。


 大発は、船首に陣取って河床の様子を確認する艇員の仕草を読み取った艇長が巧みに操船していたが、それも限界に達していた。これまでよりも格段に大きな衝撃とともに座礁した地点は、やはり普段よりもずっと川岸から遠かった。

 川岸までの距離を慎重に見積もりながら谷技師は二式力作車に乗り込んでいた。



 谷技師の役割は重要なものだった。現在の大発の座礁位置からして二式力作車は大きく川面から沈み込む筈だった。これを見越して予め車体前部の操縦席扉は簡易な水密がとられていたが、そのせいで操縦士から視界がなくなっていた。

 滑りやすい河床に足を取られないように操縦士を誘導するのは、銃塔があった開孔部から身を乗り出した谷技師の役割だった。


 二式力作車の五百馬力もあるエンジンが始動すると、大発の艇内はたちまち排気で満たされていた。給排気も念の為ありあわせの材料で上部に延長されていたからうまく排気が回らないのかもしれない。

 何れにせよ長時間この状態でエンジンを回し続けるのは危険だった。船首の道板を下ろし終えたことを確認した艇員に合図すると、谷技師はゆっくりと二式力作車を前進させていた。


 何事もなく前進できたのは大発の道板を踏みしめていたときだけだった。河床に向かって下げられていた道板から降りると二式力作車の車体は急激に水平になっていたが、川岸を見る限りまだ傾斜がかかっていた。

 谷技師が振り返ると、大発は早くも河床に下ろしていた錨を巻き上げて離礁していた。予想通り大重量の二式力作車を下ろしたことで大発は自然と浮揚していた。



 急ぐ必要があった。機関部への負荷は承知の上で最大出力を出すべきかもしれない。予想以上に二式力作車は柔らかい河床にに沈み込んでいた。車体上部は辛うじて川面よりも上にあったが、大波が来れば容易に浸水しそうだった。

 日本軍の戦車も足回りは多少水に使っても動くはずだが、谷技師が上半身を突き出している銃塔用の開孔部もあるから油断すると車内に水が入り込むかもしれない。


 相反するようだが一方で焦りは禁物だった。適切なギア比を保たなければ、履帯であっても泥濘のような状態の河床を捉えられずに空転してしまうかもしれないのだ。とりあえず前方に顕著な露岩が無いのを薄茶色の川面越しに確認しながら谷技師は前進を続けさせていた。

 一度ならず車体下部から空転する気配を感じたときは、冗談ではなく生きた心地がしなかった。ようやくのことで川岸に登り終えたときは、思わずにこれまで意識もしていなかった神仏に感謝の祈りを述べてしまったほどだった。

 周囲が見えずに谷技師の言うとおりに操作していた操縦士よりも、河床の様子や次第に妙な音を立て始めたエンジンに気を張り続けていた谷技師の方が緊張していたのではないか。



 ふと気がつくと歓声が上がっていた。二式力作車を誘導していた谷技師はひどく集中して気が付かなかったのだが、川岸にはいつの間にかサマラハン農園の職員達が集まっていたのだ。

 谷技師は苦笑しながら車体上部に上がると、疲労した様子で操縦席から這い出てきた操縦手を銃塔開孔部から引き上げていた。


 雨期までまだ間があるから、短時間でサラワク川の水面が急上昇する可能性は低かった。取り敢えず二式力作車はここに停車して泥と無理に取り付けた給排気管の撤去を行うべきだろう。

 本格的な整備は建屋の中で行うべきなのだろうが、この巨体を収める倉庫を用意するのは苦労しそうだった。河川を利用した出荷までに収穫物を保管しておく倉庫は幾つかあったが、二式力作車を収容可能なものは限られていた。場合によっては収穫物を移動させなければならないだろう。


 いずれにせよ、二式力作車を本格的に運用させるのは後続する機材や人員が大発で運ばれてくるまでは不可能だった。

 クチンに到着してからずっと目まぐるしい日々が続いていたのだが、しばらくは谷技師の仕事も二式力作車の簡易整備位しかないはずだから束の間の休息をとれる筈だった。



 だが、谷技師の思惑はすぐに外れていた。二式力作車から谷技師と操縦士の二人が降りるが早いか、職員の一人が慌てた様子で寄ってきていたからだ。どうやら先発していたダヤット曹長が谷技師を呼んでいるらしい。


 現地語が分かる職員は少なくないが、マレー語を使うのは職員の中でも幼少期からマレー人社会の中で育った谷技師が一番流暢だった。

 どうやらダヤット曹長は完全にマレー語を理解する人間に対して複雑で繊細な説明をする必要があると判断したらしい。片言の職員ではもどかしく感じるような事態が発生しているのではないか。

 面倒事に巻き込まれそうな気がしてため息をつきながらも、谷技師は職員の案内で農園中枢部の事務建屋に向かっていた。難民はそちらで収容しているようだった。



 実際には谷技師は建屋の前の広場でダヤット曹長達を見つけていた。所在無げに小銃を下げた彼らの前には、みすぼらしい格好で現地人らしい顔つきをした集団がいた。

 温暖多湿の環境からか、この辺りの現地人は普段から腰蓑一つを身にまとった半裸のものも多かったが、彼らの衣類はそれ以前に擦り切れたようなものばかりだった。

 谷技師もサラワク王国に来てから色鮮やかな腰蓑一つで堂々とした立ち振舞をする精悍な先住民族の姿を何度も見ていたが、目の前にいる集団はいずれも打ちひしがれている様子だった。


 難民の集団に含まれる人間の数は多かった。

 ボルネオ島の先住民の中には長大で高床式の長屋の様な家を建てて集団でそこに住む風習があった。大きなものだと一つの村に匹敵するものもあるらしいから、彼らもロングハウスに住まう集落一つ分の集団なのではないか。

 その集団には老若男女が含まれていたが、子供はともかく老人は少なかった。彼らの事情はよく分からないが、長距離を移動してきた際に弱者を切り捨てざるを得なかった可能性もあった。



 ふと谷技師は違和感を覚えていた。疲れ切った様子のその集団に農園の職員達が粥などを与えていたが、難民達は足元までひどく汚れきっていた。

 着の身着のままの衣類はともかく、無線連絡の時点でサマラハン農園に収容されていたなら、もう少しばかりこの見た目も哀れな集団に手をかけてやっても良かったのではないか。


 谷技師は不機嫌そうな顔で案内の職員に声をかけたが、職員も眉をひそめながら言った。

「彼らが到着したのは今日の朝方だ。この調子で次々とこの農園を目指して難民に来られたら、農場で米を作るどころか、高粱でも何でもクチンから送ってもらわにゃ俺達まで食うものが無くなっちまうぞ」


 谷技師は絶句していた。クチンで想像していたよりもずっと難民の数は多いらしい。

 気配に気がついたのか難民に話を聞いていたダヤット曹長がふりかえっていた。クチンからの船便では陽気な様子だったダヤット曹長も眉間に皺を寄せていた。

「あの船……大発はいつクチンに出発できますか」


 つい先程まで二式力作車の引き上げ作業を行っていたものだから、谷技師も大発の状況は分からなかった。だが、常識的に考えれば通常業務とも言える点検と燃料の補給の他に余計な浮力材の撤去などもあるから多少時間はかかるのではないか。

 谷技師がそう説明するとダヤット曹長はしばらく真剣な表情で考え込んでからいった。

「分かりました。それでは用意が出来たら教えて下さい。私達も便乗させてもらいます」



 谷技師は首を傾げていた。もう戻りつもりなのか、そう尋ねるとダヤット曹長は苦々しい表情になっていた。

「谷さんは状況を理解していないようです。彼らは私のようなイバン族……海ダヤク族ではありません。厳密には言語が異なるから意思の疎通が難しいのですが、山ダヤク族と呼ばれる一族の一つのようです。

 ただし、ここにいるのは事前に収容されていた一団とは別の集団のようです。示し合わせていたのかどうかはわからないが、少なくとも2つの集団がサマラハン農園に難民として到着したことになる。

 おそらく彼らはあの山を越えてきたのです。事態は私のような一下士官の判断を越えていると言わざるを得ないようです……とりあえず状況説明の為にも隊を二分して報告を行わければなりません」

 そう言うと、ダヤット曹長は彼方に見える険しい山を指差していた。



 複雑な形状を描く稜線は同時に国境線を形成していた。確かにあの山脈から見下ろせば、サラワク川にしがみつくようにして農地を広げていくサマラハン農園が容易に見つけられるはずだった。

 そこが難民たちが目にする初めての人の営みの痕跡だとすれば、サマラハン農園を目印に訪れるのはおかしなことではないのかもしれない。


 谷技師は、サマラハン農園に始めてきた頃からずっと見上げていた山脈をずっと見つめていた。これまではなんとも思わなかった国境線の存在が初めて生々しく感じられていた。

二式力作車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/02arv.html

大発動艇の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/lvl.html

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