1947独立戦争謀略戦3
三菱などと肩を並べる大規模財閥である鈴木商店は、傘下に数多くの企業を抱えていた。南洋進出の過程で出来た日沙商会もその一つだったが、その中には造船会社や海運業も含まれていた。
穀物輸送の画期的な手法はこの造船と海運会社の共同研究で行われていたのだが、そこにはもう一つの全く別業種の会社が絡んでいた。
穀物輸送の研究に参画していたのは満州共和国を中核に大連、シベリアーロシア帝国まで接続する満州鉄道だった。
かつての戦役によって日本帝国の権益となっていた満州鉄道は、鉄道業のみならず周辺地域の開発まで行う巨大な企業複合体となっていた。既に経営陣は満州共和国寄りとはなっていたが、満州鉄道も穀物輸送の効率化は興味を引かれるものだったらしい。
鉄道会社が研究に参画していたのは、収穫地から輸出先まで一貫した輸送形態が必要だったからだ。
誰が示唆したのかは分からないが、この時の研究結果は逆転の発送とも言えるものだった。穀物を布袋に入れた固体として扱うのではなく、半ば液体の様に取り扱うというものだったからだ。
湯船のように底部が密閉されたトラックの荷台に詰め込まれた穀物は、駅では液体を運ぶタンク車に類似した形状の特殊なホッパ車に詰め替えられることになるが、この時もトラックからダンプされて詰め込まれるだけだった。
港でも同様に貨車やトラックの荷台から直接船内に送られていた。貨物船も従来のものではなかった。当初導入されたのは戦時標準規格船の一形態として考えられていた600総トン級の使い勝手の良い内航用の貨物船だった。
改造された貨物船の船倉はプールの様に水密製の箱構造となっており、そこに水を注ぎ込む様に穀物を収容して満杯となれば蓋を被せればそれで荷役は終了だった。
ばら積み貨物船と呼ばれたこの形態は、船舶用のボイラー燃料を人力で積み込んでいた石炭から、燃料管のバルブを操作するだけでいい燃料油に切り替えた時のように荷役作業の圧倒的な省力化に貢献していた。
液体のように扱うというのは必ずしも比喩だけではなかった。専用設備の整った港湾であれば送風機を用いた圧縮空気による圧送管を使用する事も出来るからだ。
大連港の近くの漁港を拡張して設けられたばら積み用の港湾では、トラックの荷台に象が鼻先を突っ込む様に伸ばされたホースから吸い込まれた穀物が、極短時間の内に船倉を満杯にさせていたらしい。
だが、ばら積み貨物船の構想は画期的ではあったものの、考案された時点ではその運用は実験的なものにとどまっていた。
シベリアーロシア帝国への鉄道輸送や日本、中華民国向けに小規模な輸出が行われた程度で、専用の圧送設備も引込線の無い大連近くのものを除けば、日本国内に小規模な実験施設があっただけだった。
ばら積み貨物船を投入したとしても、多くの場合は桟橋に乗り付けたトラックに巨大なバケツ状のバケットを取り付けた起重機で下ろす作業が行われていた。
考案直後にばら積み貨物船が大して普及しなかったのは、沖仲仕達が組織する港湾労働組合からの根強い抵抗があったからだった。
鉄道網での効率化は荷役作業が農場や鉄道会社自身の作業であったから概ね歓迎される傾向にあったのだが、船舶輸送、というよりも港湾の荷役作業では船主や荷主達には効率化となっても沖仲仕達は単純に仕事を奪われるだけだったのだ。
平時においては穀物輸送に限らずに港湾部に必要不可欠な荷役作業を牛耳っている港湾労働組合の政治力を無視できなかったから、新手法と在来方式が混在していたのだ。
それに、海運業で成功した鈴木商店は、第一次欧州大戦直後の工業化による農業生産が悪化していた時期に、米の買い占めで暴利を貪っているとの捏造報道によって世論から叩かれた時期があった。
工業化の進捗によって海運業を重視した政府の支援によって捏造報道を行った新聞社は訴訟を受けて逆に叩き潰されていたが、その後の鈴木商店は些か世論に阿る傾向が出て来ていた。だから労働組合と正面から衝突するのは避けていたのだろう。
ばら積み貨物船が急増したのは、大戦勃発によってアジアと欧州を往復する大規模船団が編成されるようになって何よりも荷役効率が重視されるようになっていたからだ。
戦時標準規格船の中でも大型の二型や三型の中にもばら積み貨物船仕様が建造されてる様になっていたし、日本や満州、大規模な輸入を行うようになったサラワク王国などのアジア諸国の他に貴重な船団の船腹を占めてまで英国にも穀物荷役用の圧送設備が設置されていた。
大連港など引き込み線と直結する主要港にも専用設備が設置されて生産地と消費地が最短で接続される体制が整っていた。
この時期には穀物の荷役効率に関して港湾労働組合が動く事はなかった。戦時中に悠長に組合活動を行う余裕は無かったし、仕事を奪われると強引な抗議を行ったものがいても利敵行為として摘発されていた。
それ以前に、多ければ百隻を超える大型の貨物船からなる長距離船団が次々と編成されていったものだから、沖仲仕達は穀物の袋が無くなった程度で荷役作業を行うものが減る筈も無かった。逆に戦時中は日本や関東州では港湾労働者の数が最多を記録していたのだ。
戦時中のサラワク王国を支えたのも大量に輸入されて港湾部に新設されたサイロに貯えられた穀物だったのだが、大戦終結に前後して穀物輸入量は減少していた。
ゴム需要の低下で食用植物の生産に労働力が移動するよりも早く、満州から輸出される穀物がアジア諸国ではなく欧州に行き先を変えていた。欧州中央で食糧不足が深刻化していたからだ。
ドイツ軍の進攻と敗退、ソ連軍占領地帯からの大規模疎開、長期に渡った戦役による通商路の破綻など様々な原因によって欧州では大量の難民が発生しているらしい。彼らに供給する食料として満州からの穀物が急遽転用されていったのだ。
幸いなことに戦時中の輸入と物資統制計画によって穀物備蓄はある程度確保されていたが、食料自給率を安定して向上させる必要があるのは確かだった。サラワク王国は平時体制への移行を行うとともに、頓挫していた稲作の拡大事業を再開することを決断していた。
その頃にはサラワク王国政府や日沙商会の重役陣も問題の本質を理解していた。あるいはこれまでは無意識のうちに現実を無視していたのかもしれない。単純なことだった。労働者達は経済的な原則に従っただけのことだったのだ。
サラワク王国のあるボルネオ島の高温多湿な環境では稲作は難しかったが、現在では肥料や農法の改良により大規模な田畑を構築すること自体は不可能ではない。
だが、労苦を厭わずに稲作を行うよりも、外国資本のゴム園で働くほうが収入は大きかった。労働者がゴム園に流れるのも当然のことだった。
問題を解決するためにサラワク王国の有力な輸出産業であるゴム園を閉鎖することは当然出来なかったが、現状を放置するわけにもいかなかった。既にゴム資源の輸出価格低下が始まっていたからだ。
近代的な工業社会にとってゴム資源は必要不可欠な存在だったが、需要の増減は当然生じていた。戦時中は主に工業化の進んだ日本帝国本土で欧州の最前線で消耗される兵器類を生産するために大量のゴム資源が消費されていたのだが、平時体制になれば需要は減少していた。
食料自給率の向上は国家的な戦略となっていたが、賃金が低下しつつあるゴム園から流れ出すであろう労働力の受け皿となる農場の設営は急務だった。
サラワク王国から再度の要請を受けた日沙商会は、サマラハン農園に併設された試験農場の拡張工事を計画していた。今度は失敗する訳には行かなかったから入念な研究と計画が行われていた。
前回の植民が失敗に終わったのは、初期段階における開墾作業が不十分であった事と、自然環境の大きく異なる沖縄で行われていた農法を愚直に繰り返してしまっていたからだ。
サマラハン農園の稲作事業はサラワク王国だけではなく、農商務省や南洋庁も興味を示していた。
以前より農商務省でも熱帯における稲作事業が研究開発されていたが、南洋庁がサマラハン農園に関心があるのは近い将来に独立が期待される南洋の委任統治領に農法が転用できることを期待しているのではないか。
農法の研究が外部で行われている間に、サマラハン農園では大規模な開墾作業が行われる予定だった。作業量は大きかった。単に伐採や抜根を行うだけではなかった。
開墾作業によって良質な耕作地が構成出来たとしても、降水量の多いボルネオ島ではせっかく構築した良質な土壌も短時間のうちに流出してしまうはずだった。現に以前の開拓事業でも田植えした稲ごとスコールで流出した事例が報告されていたからだ。
開墾作業の前に容易には土壌が流出しないように開墾予定地周辺の地形を造成する必要があった。高低差や排水路を整備することで土地全体の水はけを改善するのだ。
日本本土からサマラハン農園に派遣された農業土木の専門家の指導の元で必要な人工や作業機械の見積もりが行われていた。
幸いなことに手隙になっているゴム産業から単純労働者を確保する事は出来そうだったが、農業機械は通訳の合間に谷技師達が整備し続けていた旧式の耕運機だけでは全く不足していた。
現地の状況を専門家が研究したところ、使い勝手の良い1トン級トラクターを複数投入するのが一番効率がいいらしい。開拓事業後の補修作業にも一定数は必要だったが、収穫地と輸送拠点となる河川桟橋をつなぐ道路の建設と開墾作業を並行して進める必要があったからだ。
日本や満州では大規模な開拓工事は一段落しているはずだから、余剰となった農業機械を日沙商会が入手するのは難しくないはずだった。実際にサマラハン農園からの要求に対してクチンの本社も前向きな回答を返していた。
谷技師を中心とした選抜されたトラクター運転手にクチンへの出張命令が出たのはしばらくしてからだった。かなり前に運送用にサマラハン農園に配備された払い下げの大発に乗り込むと、彼らは期待に胸を膨らませながらサラワク川を下っていった。
ところがクチンの保税倉庫で引き取り班が目にしたのは1トン級トラクターの群れではなく、ずっと巨大な二式力作車だった。
本来であれば引き取り班が到着した時点でクチンの日沙商会本社に自走しているはずだったのだが、あからさまに軍用である二式力作車にサワラク王国の税関職員が不審を抱いて差し止めていたらしい。
困惑していたのは谷技師達も同様だった。しかもクチン本社の社員達も事情をよく把握していなかった。どうやら農業機械の購入自体を日沙商会ではなく親会社の鈴木商店に一任していたらしい。
奇妙なことに税関で足踏みしていたのは僅かな期間だった。どうやら日沙商会がサマラハン農園で手掛ける事業がサワラク王国政府肝いりの農業実験であることが、政府の高級官僚から審査の停滞に横槍を入れることになったらしい。
サワラク王国に持ち込まれた時点で二式力作車に施された改造点は大きかった。
一応は農業機械としての体裁を整えたのか各種農機具に合わせた接合部などが設けられていたのだが、無骨で巨大な力作車に本来もっと小型のトラクターが牽引する農機具用の接続金物を取り付けたものだから竹に木を継ぎ足したような違和感は拭い去れなかった。
―――本当にこの機械で農場を作り上げるようなことが出来るのか……
谷技師達は揃ってそう考えざるを得なかった。
戦時標準規格船一型の設定は下記アドレスで公開中です。
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