表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
519/816

1946重巡洋艦八雲7

 重巡洋艦八雲の艦内で、村松中佐が士官居住区の自室に駅から持ってきた荷物を下ろしていると、駒形中尉が何気ない様子で言った。

「着替えが済みましたらクリューガー少佐と艦内をご案内しますが、荷物を本格的に解かれるのはあとにしたほうが宜しいかと思います」

 行李の底から軍装を抜き出していた村松中佐は怪訝そうな顔で振り返ったが、駒形中尉の方はそんな中佐の顔を訝しげな表情で見つめていた。


「もしかして……副長はまだご存知なかったのですか。本艦は次の出港で呉に移動すると長期の改装工事に入る予定です……大神工廠では大掛かりな改造工事には実績がありませんし、新造艦に集中しているようですから。

 技術調査も兼ねるというので改装工事の工期はかなり長いはずですから、乗員も地上に移動して宿泊する予定のようです」


 まさか着任早々艦を追い出されるとは思っていなかった。予想外の答えに村松中佐は唖然としながらも駒形中尉にたずねていた。

「改装工事、というが本艦をどのような姿にするつもりなのだ」

 実際に村松中佐が考えたのは改造工事の内容というよりも、海軍中央が八雲に何を期待しているのかという事だった。これまでに聞いた話では大型の重巡洋艦としては八雲の戦力価値は大きくなさそうだった。

 大戦終結によって日本海軍に軍縮の動きさえある現在、そんな状態の艦を無理に運用する必要性があるのだろうか、それが疑問だったのだ。


 だが改装工事に関する駒形中尉の説明は要領を得ないものだった。単純に中尉自身も良くわかっていないようだ。村松中佐は視線を背後のクリューガー少佐に向けたが、日本語が不得意なのか少佐は我関せずといった顔をしていた。

 とにかく艦長を探してみるか、半ば諦観する思いで村松中佐はそう考えていた。改造工事の内容は不明だが、艦長は艦内を巡っているらしいから、こちらも探すしか無かった。



 荷解きもそこそこに軍装に着替えた村松中佐は、引き続き駒形中尉の案内で八雲艦内を巡っていた。流石に中佐の階級章をつけた軍装に気がついた乗員たちは慌てた様子で敬礼していた。中には軍規から外れてくたびれた格好のものもいたが、取り敢えず今日のところは中佐も鷹揚に答礼していた。

 八雲艦内におけるドイツ海軍の様式は、やはり日本海軍のそれとは異なる箇所が多かった。艦内の配置も日本海軍艦になれた身には違和感を覚える箇所も多かった。


 矛盾していたが、村松中佐は同時に差異は最初に考えていた程でもないと感じていた。同じ戦闘艦なのだから、日本海軍の運用が不可能な程に違うとまでは言えなかった。確かに所要の改装工事を行えば長期間の運用にも耐えられるのではないか。

 それに大規模な改装工事が行われるのであれば、居室配置位なら見直す事も出来るだろう。


 八雲艦内の案内は駒形中尉が行っていたが、要所要所では元乗員のクリューガー少佐が説明を加えていた。

 よく見ると艦内各部に取り付いている乗員が多かった。単に配置についているというよりも、各部の計測作業などを行っている様子だった。もしかすると改造工事に備えた事前調査だったのかもしれない。

 艦橋に上る途中の高角砲近くで、艦の案内を続けていた駒形中尉が唐突に立ち止まっていた。その背中にぶつかりそうになった村松中佐は、中尉の肩越しに何人かの乗組員が熱心に艤装品を前にして何事かを相談しているのを見つけていた。



 妙な男たちだった。話しかけられているのは第一種軍装を着込んだ将校だった。記章からすると造兵科の大尉らしい。おそらく改装工事に先立って訪れた工事関係者なのだろう。

 舷門が暇そうな様子だったことや技術大尉の汚れが見える軍装を見ると、村松中佐のように昨日今日に訪艦したのではなく長期間便乗しているのかもしれなかった。


 異様なのはもう一人だった。若い水兵を連れているのだが、そちらは記録簿を抱えているから書記仕事をしているのだろう。しかし、水兵を連れている男は薄汚れた煙管服を着ているものだから階級が分からなかった。

 しかも歳がかなりいっているらしく、老人と呼ばれてもおかしくはない気がする。年齢だけなら将官位でないとおかしい程だが、八雲のマストには将官旗は掛かっていなかった。それに高級指揮官が自ら煙管服を着て作業をするのは常識から外れていた。


 煙管服姿は一見すると古参の下士官か特務士官のようだった。軍歴を重ねた下士官の中には自然と周囲を圧する雰囲気を持つものも少なくなかった。

 ただし、煙管服姿の男には剣呑な雰囲気は無かった。と言うよりも物腰が柔らかく軍人らしい堅苦しいところが見えなかったのだ。そのくせに穏和な中に苦労人らしく深く刻み込まれた皺の目立つ顔は、長い間浴び続けた潮風によって削り取られていたような海上生活の長さを物語っていた。

 軍艦に乗り込む海軍軍人というよりも、どこか豪華客船の船長といった雰囲気の老人だった。



 怪訝そうな顔をしていた村松中佐の前にいた駒形中尉とクリューガー少佐が揃って敬礼していた。

「艦長、副長をお連れしました」


 ―――艦長、だったのか……

 村松中佐も慌てて敬礼しながら申告したが、老人は先程乗員たちに中佐が見せたように鷹揚に答礼していた。

「戦術長兼任の村松中佐ですね。艦長の吉野です。よろしく。

 こちらは山岡大尉、電子兵装の専門家です。早速ですが、本艦の中央指揮所はこちらに増設予定となっています。ここが戦術長の配置場所となりますから、山岡大尉とよく相談して室内配置を決定して頂きたい」

 下級者に向けるものとは思えないほど丁寧な口調だったが、不思議と従わざるをえないという気になる声だった。


「予定ということは、本艦の改装工事はまだ未定の箇所がある、ということでしょうか」

 村松中佐がそう言うと、吉野大佐は苦笑しながら山岡大尉に視線を向けていた。



 山岡大尉の説明によれば、八雲の改装工事や艦隊への編入に関しては複雑な経緯を辿っていたようだった。

 ドイツ海軍から賠償艦としてプリンツ・オイゲンを日本海軍が受領した当初は、村松中佐の考えていたとおりに技術調査が終了した時点で廃艦とする予定であったらしい。

 ドイツ海軍の一般的な技術調査はプリンツ・オイゲン受領以前に進んでいたから、重巡洋艦1隻なら日本本土に回航すること無く現地で調査を終了する案もあったようだ。

 終戦で仕事のなくなった造船所は少なくないから、技術調査が開始された欧州でも、日本本土に回航した後でも廃艦後に解体するのは容易だったはずだ。



 この時点では、日本海軍は大戦中に脅威だったドイツ潜水艦の方に技術的な興味をいだいていたと言って良いだろう。

 ドイツ海軍潜水艦隊の主力だった7型や9型などは今更技術的な調査を行う必要もないから英国本土で即解体処分されているようだが、停戦によって実戦投入されなかった新鋭潜水艦などは日英が鹵獲艦を奪い合うような状況らしい。

 それに比べるとやはり水上艦への興味は薄いようだった。


 プリンツ・オイゲンの解体処分に物言いをつけたのは、意外なことにそれまで存在感の薄かった帝国議会だった。実際に代議士達が疑問視したのは日米海軍の戦力比にあったようだ。

 今次大戦で中立を保っていたにも関わらず米海軍は戦時中も戦力増強を図っていた。その象徴として毎年新造戦艦や大型巡洋艦と呼称する巡洋戦艦を就役させていたのだが、戦力比ということであれば最も顕著であったのは巡洋艦の保有数だった。


 米海軍では、軍縮条約の失効後だけでもボルチモア級重巡洋艦、クリーブランド級軽巡洋艦をそれぞれ20隻ずつという膨大な数の建造を計画していた。どちらも既存米巡洋艦の集大成といった有力な艦艇だった。

 実際には大戦終結を受けて建造が中止された艦もあったらしいが、1万トン級の大型巡洋艦が僅かな期間で40隻近く就役したという事実は間違いの無いところだった。



 この巡洋艦の大量建造に関しては、米国発の不況の影響を受けて倒産の危機にあった造船所の救済措置であったという分析もあった。艦隊に必要不可欠な戦力である駆逐艦の建造数が少ないのも、トン辺りの単価が高く官給品の比率が大きい駆逐艦では造船所の利益が少ないからだというのだ。

 この分析が正しいのかどうかは分からないが、米海軍の人員は大戦期間中でもさほど増大していないから、建造された巡洋艦の何隻かは艦隊に編入される事なく予備艦指定されているという噂もあった。


 だが、仮に巡洋艦の大量建造が造船所に仕事を回す経済政策であったとしても、平時における巡洋艦の存在価値は大きかった。

 最近の大型化した戦艦は図体が大き過ぎて港湾施設を選ぶ程だったが、巡洋艦であれば概ね船体の規模は大型貨客船と同程度だから整備された主要港であればどの国でも入港が可能だった。

 巡洋艦は親善航海を名目とした砲艦外交的な任務に用いられることも多いし、航続距離が長いから平時、有事を問わず長期間の哨戒任務にも適していた。洋上での戦闘に特化した戦艦や駆逐艦などよりもよほど使い勝手の良い戦力だと言える。

 帝国議会の懸念はそれだけでは無かった。これから先は戦時中に肥大した海軍の予算を削減する為に特に数の多い駆逐艦の減少が始まっていくはずだが、これは駆逐艦戦力で優越していた日本海軍からすると相対的な日米戦力比の悪化に繋がるのではないか。



 終戦によって優先度は下がっているにしても、日本海軍でも巡洋艦の建造は続けられていたのだが、米海軍の数の前では霞んで見えていた。大戦期間中に優先して建造されていたのは高角砲を満載した防空巡洋艦ばかりだったからだ。


 試作とも言える石狩型に続いて建造された米代型防空巡洋艦は、軍縮条約の規定に従えば軽巡洋艦に類別されるのだが、その備砲は長砲身の10センチ砲12基24門という極端なものだった。高射装置の搭載数も多いから同時対処数も多く対空戦闘能力は高かった。

 その一方で、防空戦闘を最優先にして建造された米代型は排水量で言えば条約型巡洋艦の上限に近い巨艦ではあったが、備砲の口径は駆逐艦と同程度でしかない上に、防御帯の装甲板もその備砲に対応した程度のものでしか無いから同級艦との戦闘は極めて不利だった。

 防空巡洋艦でも駆逐艦相手であれば高角砲の水平射撃による手数の多さで圧倒出来るかもしれないが、雷装も無いから水上戦闘に投入するのは憚れる代物だった。


 日本海軍においてボルチモア級重巡洋艦やクリーブランド級軽巡洋艦に対抗可能な大型巡洋艦は、大戦中に何隻かが戦没した条約型巡洋艦を除けば石鎚型だけだった。

 石鎚型は極めて強力な水上戦闘艦だったが、20.3センチ砲12門と言う強大な火力と、戦艦の様にこれに耐えうる防御を与えられた結果、2万トン近い大艦となってしまっていた。

 結果的な高価なものとなってしまった石鎚型の建造は続けられていたが、米海軍の巡洋艦保有数からするとささやかなものでしか無かった。


 しかも、この時期の日本海軍には軽巡洋艦の更新時期が否応なく訪れていた。5500トン級とも俗称される大正時代に建造された軽巡洋艦群が近代化改装を重ねても艦齢の限界に達していたのだ。

 開戦前に計画されていた新鋭軽巡洋艦である大淀型や阿賀野型も技術革新や戦策の変更によって早くも改装工事が必要とされるほどだったから、他国における嚮導駆逐艦の任務を果たすような小型軽巡洋艦の建造が急務となっていた。



 八雲の艦隊への編入が帝国議会から求められたのはこのような事情からだった。実際には、部品の互換性のなさなどの問題があったものの、艦齢に余裕のある貴重な大型水上戦闘艦をむざむざと廃棄することは無いと考えられていたのだろう。

 ただし、八雲を押し付けられた形となった艦隊と艦政本部には別の思惑が芽生えていた。どうせ議会から押し付けられたのであれば、実験艦として新兵器や新制度を本艦で試す気になったのだろう。


 ―――やはり思ったよりも厄介な艦だった……

 中央指揮所の予定地とされた空間を眺めながら村松中佐はぼんやりとそう考えていた。そこはいずれ中佐の城となるべき予定地だった。

八雲型重巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cayakumo.html

石鎚型重巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/caisiduti.html

石狩型防空巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/clisikari.html

米代型防空巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/clyonesiro.html

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ