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1945中原内戦24

 前線は膠着していたが、これまでに中国工農紅軍が被った損害は大きかった。幕舎の隅から山東半島の地図を覗き見ていた陳はそのことを痛感していた。



 司令部幕舎の中では、軍司令官の賀竜将軍を上座に据えて喧々諤々たる様子の議論が繰り返されていたが、実りのある結論は出なかった。


 これまでの偵察で得られた情報を総合的に判断すると、山東半島付け根部に構成された戦線には、北平から脱出した国府軍を含めて約10個師相当の敵軍が展開しているようだった。

 本来であれば戦線の長さからするとこれは防御に徹するとしても最低限の数値というべきものだった。賀竜将軍が陳に読ませている数々の兵法書、戦術理論書によれば、防御時に1個師が展開すべきと定められた距離はもっと短かったのだ。

 1個師の展開範囲が広がるということは兵力の密度が低下するということになるから防御陣地が弱体化してしまうのだ。逆に部隊間の密度を上げて防御を固めれば、今度は師同士の間隔があいて防衛線に敵部隊が付け入る隙となる間隙が生じるはずだった。



 元々学問には縁のなかった陳が苦労して読み進めている戦術理論は、ソ連軍で使用されているロシア語の資料を訳したものだった。

 翻訳の際に削り落とされた部分があるのかもしれないが、理論を説くというよりも各場面における具体的な数字を前面に押し立てた前線指揮官向けの解説書といった様子のものだった。

 だからこれを読めば誰でも部隊の指揮をとれるといったものだったのだが、日本軍などでは別の戦術理論があるのかもしれなかった。

 それにソ連軍や国府軍は1個師の兵力が他国よりも控えめだった。それを初めて知った陳は自軍の戦力に少しばかり気落ちしたものだが、賀竜将軍によれば戦略単位である師を小型化することは、部隊単位あたりの戦力の低下と引き換えに戦略的な機動性の向上や迅速な再編成を望めるという効果もあるらしい。


 だが、日本軍や満州軍閥の師編制がソ連軍のそれよりも大規模なのであれば、ソ連軍の戦術書における防御陣形時の最適部隊数とは当然異なってくるはずだった。

 さらに言えばソ連軍から供与された物資に頼っていた工農紅軍には火力が不足していた。軽易な迫撃砲などはある程度保有しているが、戦術書にも記載されている複数の師を支援する軍団砲兵が装備するような大口径の重砲などは著しく乏しかった。

 戦術書を見る限りでは工農紅軍の母体となったともいえるソ連軍は野戦における火力を重視している筈なのだが、彼らが中国人達に供与した火砲は少なかった。

 更に半島南岸に展開する日本軍には複数の戦艦による艦砲射撃まで与えられていることを考えれば、部隊の頭数で勝ってはいても砲撃戦では勝ち目は無かった。



 これまでの工農紅軍が火力の不足をさほど意識していなかったのは、内戦勃発当初に敵対した国府軍の重装備も同様に乏しかったことに加えて、野砲級の主砲を有するT-34戦車を部隊の火力発揮における根幹として運用することが出来ていたからだ。

 仮に堅陣に籠もった敵部隊が存在していたとしても、遠距離からの砲撃戦ではなく接近して直接大威力の榴弾を撃ち込めば済む話だったのだ。


 だが、高い火力と防護力を兼ね備えていたT-34の神通力は既に失われていた。旧式化した日本製の戦車や欧州ではとうに姿を消していた小口径の対戦車砲を細々と装備していたに過ぎない国府軍が相手であった頃はT-34は無敵の存在であったのだが、山東半島では格上の相手が出現していた。

 山東半島の敵戦線は最初に上陸した北岸の部隊が国府軍を取り込んだ満州の軍閥であり、南岸に新たに上陸した部隊が日本軍であったが、日本軍は勿論だが北岸の満州軍閥までもがT-34を易易と撃破可能な新鋭戦車を投入していた。


 部隊の火力発揮源であったT-34を無力化された工農紅軍は決め手を失っていた。戦車を前面に押し立てて突撃を行って敵陣を突破することが出来たとしても、いずれは駆け付けてきた敵戦車隊の逆襲にあうのは確実だった。

 敵戦車と我のT-34にそれほど大きな性能差は無いと主張する参謀もいたが、それが正しかったとしても工農紅軍の戦車隊が有効に戦えるかどうかは別の問題だった。



 確かに彼我の主砲威力には無視できない程度の差があるようだったが、弱体な側面を突けば強力な敵戦車も撃破は不可能ではないらしい。実際に撃破された敵戦車も確認されていたのだ

 だが、その数はこちらの損害と比べるとあまりに少なかった。


 そもそも、工農紅軍の主力に据えられていたとはいえ、戦車隊の戦法はあまりに歩兵支援に特化していた。

 主敵である国府軍には有力な機甲戦力など存在しないのだから、ある程度は仕方のないことだったのだろうが、工農紅軍の戦車には歩兵の盾となり、敵機関銃巣を撲滅するという古典的な歩兵戦車の訓練しか行われていなかった。


 正確にいえば、モンゴルに逃れてその戦力を一から立て直していた工農紅軍には貴重な古参兵を戦車兵に転用したところで歩兵支援の訓練を施すのが限界であったのだろう。

 むしろ陳のように内戦勃発後に強制徴募された新兵ばかりの工農紅軍が一端の軍隊として動くことができたのは、対国府軍としてそのような戦法に割り切って人員、資機材を集中させていたからではないか。



 尤も、陳はこの山東半島の戦闘に限って言えば勝敗を決したのは偏った機材や戦法だけでは無いと考えていた。傍観者の目で半島の地図を見つめていた陳には、一本の道が見えていたからだ。


 決して小さなものではない山東半島は、南北から2つの軍が上陸していたが、数の上では北岸の満州軍閥の方が多かった。

 最初に工農紅軍と接触したのも北岸の部隊だった。国府軍残党を取り込んだ上に、対岸の大連から次々と戦力を補充されて増強される満州軍閥に対して、工農紅軍は南岸方面に大きく迂回して包囲する機動を開始していた。



 だが、有力な戦車隊を抽出して行われた機動戦は頓挫していた。まるで工農紅軍の動きを見計らったかのように南岸に日本軍が上陸していたからだ。

 抽出された戦車隊には統一した指揮官がいなかった。工農紅軍の戦車隊は歩兵部隊に随伴するのが前提だったから、大規模な部隊を組むことが少なかったからだ。

 賀竜将軍率いる軍司令部の中から若手のロシア帰りの参謀が作戦指導の名目で実質的には戦車隊の指揮をとっていたが、参謀は南岸に陣取って日本軍の上陸部隊を迎撃することを選択していた。


 結果的に見て戦死したと思われる参謀の判断は誤っていたと言わざるを得なかった。その場に制圧されるどころか、一発も撃たないうちから長時間の艦砲射撃によって戦車隊は少なくない損害を被っていたからだ。

 海岸近くに急遽構築された野戦陣地は容易に突き崩されて敗残部隊は惨めに内陸へと撤退していたのだ。



 支援火砲による防御射撃が乏しいことに加えて、工農紅軍の野戦築城能力の低さが戦車隊の損害増大に影響を及ぼしていた。

 欧州での戦訓によれば、塹壕に籠もって砲塔だけを突き出した状態では、戦車でも永久構造物のトーチカ並みの厄介な障害物になると戦術書には記載されていたが、下部の車体のみであっても巨大なT-34の完全に覆える程の壕が簡単に掘れるとは思えなかった。

 陳の小作農としての経験からも、参謀が連れて行った戦車隊中心で歩兵の頭数に乏しい部隊では掘削作業に十分な時間が取れない状況では地形を利用して遮蔽を得る程度しか出来なかっただろう。

 欧州の戦場では機械化された工兵部隊は野戦築城に欠かせないというが、トラクターの一台ですら無い工農紅軍には本格的な工兵部隊など到底望めない戦力だった。



 ―――それ以前に、そもそもあんな所で足を止めるべきではなかったのだ。

 陳は地図上から消えつつある道を見つめながらそう考えていた。


 陳が見つけていた道は、山東半島南北岸の中間点に存在していた。簡単なことだった。北岸と南岸からそれぞれ上陸した敵部隊の間には巨大な間隙が存在していたのだ。

 南岸の日本軍が北進を開始したことで戦線に生じた物理的な間隙は縮まりつつあったが、現実には限界がある筈だった。


 満州軍閥の中には欧州に派遣された部隊もあるらしいが、状況からして南北岸にそれぞれ上陸した両軍は初顔合わせになるのではないか。

 普段から日本軍と満州軍閥が共同で訓練を行っているとは思えないし、満州軍閥は国府軍まで取り込んでいるものだから同士撃ちを避けるために師団戦区の境界線には相応の間隔が取られている可能性があった。


 それが「道」だった。師団戦区間に生じた間隙を高速の機械化部隊で突くことが出来れば戦線を突破する事は不可能ではないはずだ。上陸直後の日本軍など無視して北岸の部隊だけを包囲出来る筈だったのだ。

 しかも半島中心部であれば南北両岸から距離が取れるから恐るべき威力を発揮する艦砲射撃も無力化する事もできた。

 政治的なことはよく知らないが、国府軍残党を殲滅出来れば大陸に出兵した日本軍の大義名分は失われるらしい。そうなれば大衆を煽動して大規模な抗日運動につなげる事もできるのではないか。



 もちろん陳の考えは既に成り立たなかった。機動力の高い機械化部隊は緒戦で激しく消耗していたし、艦砲射撃の支援のもとで日本軍は上陸を終えて自前の支援火力を展開しつつあったからだ。

 仮に北岸に上陸した部隊の配置を早期に徹底した偵察で把握することが出来ていれば、南岸まで南下することもなく敵部隊の展開範囲をすり抜けて日本軍の上陸前に国府軍を包囲することも可能だったのだろうが、現実は過酷だった。



 一心に地図上の線を見つめている陳を賀竜将軍が興味深げな視線で何度か見ていたのだが、当番兵の仕事も忘れている様子の陳がそれに気がつく事はなかった。

 会議は終わらなかったが、結論も出なかった。既に彼らの軍だけでは決断できる状態ではなかった。日本軍まで上陸した山東半島を攻略するには大規模な増援は不可欠だったからだ。

 実は気になる噂も聞こえてきていた。賀竜将軍率いる軍だけではなく、大陸中央をようやく南下を始めていた主力部隊でも、T-34が正面から撃破された例が出てきたというのだ。

 それが事実とすれば、山東半島に上陸した以外の日本軍が中原にも出現したのか、あるいは国府軍にも日本軍と同様の新鋭戦車が供与され始めたということではないか。


 既にT-34の神通力が失われたのであれば、戦術だけではなく戦略の見直しすら必要な時期が訪れているのかもしれなかった。中国工農紅軍は有力な敵部隊が不在の間に勢いで軍を進めていたが、この辺りで鉾を収めて占領地帯の内政に力を入れるべきなのだ。

 国力を増強し、ソ連軍に倣った重厚な支援体制を有する正規軍を編制しなければ、諸外国の干渉によって態勢を立て直した国府軍との本格的な対峙は不可能だろうからだ。



 だが、会議が何らかの結論に達する前に慌ただしく司令部幕舎に駆け込んできたものがあった。従兵らしく陳が対処しようとしたが、それよりも早く工農紅軍では貴重な通信隊に所属する兵が叫ぶように言った。

「党中央執行部の名前で先程全軍に連絡が入りました。すべての工農紅軍将兵は戦闘を中止、現在位置において守備体制に入れと……それから自衛戦闘に限るとの言葉もあります」


 唖然とする参謀たちを尻目に落ち着いた様子で賀竜将軍が言った。

「それは暗号で送られたのか」

 息を切らせながらも通信兵は首を振っていた。

「平文でそんなことを送ってくるということは、停戦ということは間違いないな……他にはあるか」


 ようやく陳は通信兵から電文用紙を受け取ると賀竜将軍に渡していた。しばらく用紙を見つめていた賀竜将軍はしばらくしてから顔を上げると、無表情でいった。

「美国の……エレノア・ルーズベルト大統領がこの大戦の講和仲介を表明した。諸君、戦争は終わりだ」


 陳は呆然としながら賀竜将軍の顔を見つめていた。

 ―――こんな中途半端な所で終わってしまうのか……

 何故か陳の脳裏に色あせた故郷の村の風景と焼かれていった友の顔が浮かんでいた。

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