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1945中原内戦22

 四五式戦車2両を詰め込んだ特型大発がフランスの海岸で離礁できないまま時間だけが過ぎていた。業を煮やした池部大尉は、特型大発の操縦室にいた乗員に解決策を提案していた。


 特型大発の離礁がうまくいかない理由は明らかだった。搭載する貨物の重量を三式戦車2両分で計算していたために、より重量のある四五式戦車では対応できなかったのだ。

 つまり重すぎる特型大発の腹が海底に沈み込んで摩擦が大きくなってしまったことから、後進時の推力や予め沖合に垂らされていた錨の把駐力では離礁に必要な力を特型大発に与える事ができなかったのだ。

 このままでは満潮時に離礁することが出来ずに干潮に近づいていくから、条件は厳しくなっていく一方の筈だった。



 だが、三式中戦車と四五式戦車の重量差はそれ程大きなものでは無かった。1両の戦車としてみると45トンと35トンという重量差は無視出来ないが、ドイツの一部重戦車の様に三式中戦車の倍も重量があるわけではないのだ。

 特型大発が三式中戦車2両分の70トンで離礁可能と計算しているのであれば、45トンの四五式戦車1両を下ろせば計算上三式中戦車2両よりも積載量が軽くなるのだから、特型大発にも十分に浮力が生じるのではないか。


 降ろした四五式戦車1両はここに残していくしかないが、要領よくやれば母艦で積荷を下ろす時間を含めても干潮が来る前に特型大発を往復させることは不可能ではなかった。

 それ以前に何隻かの離礁に成功した艇を積荷の四五式戦車を輸送艦に降ろして空荷で戻せば、更に時間を短縮出来る筈だった。



 だが、特型大発の乗員は池部大尉の意見を即座に却下していた。彼らの回答は要領を得なかったが、どうやら特型大発の乗員も深い事情は知らないようだった。ただ特型大発は2両ずつの四五式戦車を搭載することを厳命されていたらしい。

 池部大尉にはそれ以上主張を通すことはできなかった。特型大発の艇長は、陸軍船舶兵の曹長だった。階級は低いが、大学卒の幹部候補生上がりである池部大尉よりも軍隊歴は遥かに長いはずだ。

 ただし、軍歴に比例するように良いように取れば実直、悪く言えば生粋の下士官らしく柔軟性に欠けるところもあるようだった。


 何れにせよ、池部大尉は特型大発の乗員にとって単なる荷物でしかないのだから、最終決定は乗員たちに委ねるしかなかった。ある意味気楽な立場だと言えたが、最初の満潮時の離礁を彼らが諦めてからはそうも言っていられなくなっていた。

 次第に特型大発の喫水線が下がってきていた。満潮が過ぎて海岸線が沖合へと引き始めていたのだ。だが、次の満潮時を捉えても離礁は難しいのではないか。この辺りの満干の詳細は分からないが、一日程度では条件は大きくは変わらないはずだった。



 2回目の満潮はどう行動するのか池部大尉達は傍観者の気持ちになっていたが、艇付の無線機で母艦と連絡を取り合っていた乗員達は、海水が引き始めると戦車中隊の隊員達をも促して四五式戦車から取り外した円匙などの手持ちの道具を総動員して特型大発周囲の砂を掻き出し始めていた。

 特型大発の離礁失敗で周辺の海底は荒らされていた。干潮に近づくとそれが明白になっていたのだ。この地形を造成して円滑にすれば海底との摩擦を抑えられるのではないか、そう考えたらしい。


 艇内にあった僅かな乾パンを水で流し込むだけの簡易な食事の合間に重労働が続いていた。地形の造成と言っても海岸なのだから海底も柔らかな砂地で形成されていた。

 そこを円匙を使って掻き出すのだから、足元を水浸しにして作業しても砂を掻き出した空間には再び波に流された砂が流れ込んで中々作業は進まなかった。

 まるで賽の河原で子供達が無限に石を重ね続けるようなものだった。違いがあるとすれば石塔を突き崩すのが鬼ではなく自然環境ということぐらいだ。



 永遠に続くかのように思われた重労働だが、実際には作業を行っていたのはそれほど長期間ではなかった。干潮の間しか作業はできないからだ。そして作業を始めた頃には足を洗う程度だった水面が膝までに来るようになってようやく作業は中断されていた。

 いつの間にか特型大発の付近には何隻かの支援船が現れていた。流石に二度目の離礁失敗は許容出来ないのだろう。


 最も特型大発の近くまで寄ってきたのは母艦の搭載艇らしい小発だった。二次的な事故を警戒しているのか、船首の挺員が盛んに竿を海底に突き出して慎重に地形を確認しながら接近していた。ただし最低限の乗員しか乗せていないのか少発にしては動きは俊敏だった。

 この小発は単なる連絡艇だった。沖合から伸ばされた曳索を特型大発の所まで引き摺ってきていたのだ。そして特型大発に渡された曳索の先には大型の曳船が待機していた。

 曳船は海軍籍のものとは到底思えなかった。地味なカーキ色や軍艦色で塗装された艦船の中で曳船だけが派手な色に塗装されていたからだ。おそらく近隣の港から駆り出されてきた民間船なのだろう。



 曳索の接続を確認して特型大発から曳船に合図が送られると、すぐに離礁作業が始まっていた。昨日と同じく、全力で後進がかけられた特型大発の船尾付近にプロペラの回転によって生じる波が盛大に発生していた。

 昨日はそこで海底に乗り上げたまま亀になっていたのだが、今日は曳船が力をかけるとあっさりと離礁していた。海底の露頭でも引っ掛けていたのか何度か船底から衝突音が聞こえていたが、水深が深くなるのかすぐに特型大発の針路は安定していた。

 後は同じことの繰り返しだった。曳船と小発が曳索をやり取りするたびに昨日あれだけ苦戦していた特型大発は次々と離礁に成功していた。


 特型大発の乗員たちと顔をほころばせながら池部大尉達は沖合の母艦に向かっていたのだが、そこで大尉は艇長達が四五式戦車の降車に同意しなかった理由を初めて知った。

 間近で見ても特型大発の母艦である大隅型輸送艦は巨大だった、排水量で言えば重巡洋艦にも匹敵するのだからそれも当然だった。

 堂々とした艦橋構造物周辺には高射砲塔や機銃座に加えて電波警戒機などの充実した電子兵装まで装備されていたから、陸軍の特殊船と比べてもより軍艦らしい威容を誇っていた。



 しかし、沖合からだと距離があって分からなかったのだが、艦橋構造物の後部に設けられた広大な甲板には雑多な貨物が満載されている様子だった。

 その箇所は本来は昨今急速に発展している回転翼機の飛行甲板や軽車両、搭載艇の置き場としても使用されているはずだが、防水布や木枠に覆われた貨物が所狭しと占拠している様子からすると、狭い甲板からでも離着艦出来るという回転翼機でも運用は不可能ではないか。


 嫌な予感がしていた。眉をしかめた池部大尉の前で、大隅型輸送艦がゆっくりと動いているように見えていた。実際には大尉が乗り込んでいる特型大発が輸送艦後部の格納庫扉の方に向けて回頭していたのだ。

 輸送艦は舳先を陸に向けて漂泊していた。それで扉が開けられた格納庫の様子を伺うにも大きく旋回する必要があったのだが、薄暗い格納庫の様子は実際に扉から入るまではよく分からなかった。


 奇妙な光景だった。上下左右は明らかに船の中なのに、バラストタンクに注水して船体を下げた状態では、格納庫の床面は海面と変わりなかったのだ。本来は青い海ではなく床面が見えるはずだが、池部大尉の位置からでは格納庫内が薄暗い事もあって底面の様子は分からなかった。

 海岸の日差しから格納庫の薄暗さに目がなれてくる頃になると、次第にうめき声のようなものが聞こえてきていた。池部大尉も声こそあげなかったが眉を盛大にしかめていた。



 大型の特型大発でも10隻は収容できるという話の大隅型輸送艦の格納庫は満杯の状態だった。少なくとも格納庫前部には昨日のうちに収容されていた四五式戦車を詰め込んだ特型大発を含めて隙間がないほどに緻密に搭載艇が入れられていた。

 それに先程から金属がこすれ合う異音がしていた。輸送艦の僅かな揺れが海水が引き入れられた格納庫の中で浮かびだした搭載艇を摺動させていたのだ。輸送艦格納庫の接触面には保護用らしい板材が貼り付けられていたが、搭載艇同士の接触は避けようもなかった。


 格納庫の中に収容されていたのは特型大発だけではなかった。特型大発に混じって通常の大発動艇や水陸両用車輌も収容されていたのだが、それらは大型艇の舳先などに押し込められるようにして隙間を見つけて収容されていた。

 海水で満ちた格納庫の扉を入る前に特型大発は機関を停止して惰性で進んでいた。ここからどうするのかと見ていると、艇の四周にいた艇員が手慣れた様子で格納庫壁面に舫索を放っていた。

 いつの間にか格納庫壁面に設けられた通路で舫索を受け取った作業員達の手で特型大発は他の挺の間に押し込められるように移動していた。


 ―――まるで箱根土産の寄木細工だな……

 隙間なく格納庫に押し込められた搭載艇を呆れたような目で見ながら池部大尉はそう考えていた。ようやく艇長達が池部大尉の案を断った理由が分かっていた。

 これでは先行して四五式戦車を1両だけ乗せた特型大発を輸送艦に送った所で、積んできた戦車を降ろす空間すらないはずだった。どうやっても2両を載せたままでなければ輸送艦の格納庫扉を閉めることも出来ないのではないか。



 大隅型輸送艦の格納庫内に収容された搭載艇に入れ子人形の様に載せられていたのは、日本軍の制式装備だけでは無かった。格納庫内の全容は伺えないから詳細は分からないが、もしかすると池部大尉達の四五式戦車以外は全て日本製ではないのかもしれなかった。


 例えば、池部大尉の特型大発のすぐ横に収容されていた艇内には、巨大なドイツ軍の重戦車が鎮座していた。識別表では虎二型と記載されていたはずのものだった。

 イタリア戦線で確認されたパンター戦車を一回り大きくしたような重戦車には、見たところ損害はなかった。錆止め塗装らしき赤色がまだらな塗装色の下から色濃く見えていたから、下手をすると実戦部隊に配備されることなく工場で生産されたばかりの車輌だったなのかもしれなかった。


 その重戦車は、四五式戦車でも2両は余裕で搭載出来る特型大発の艇内をたった1両で占拠していたが、そのすぐ先の特型大発も同様に1両だけが載せられていた。

 ただし、重量級の車両ではあったが重戦車ではなかった。足回りはよく似ているのだが、砲塔を持たない固定式戦闘室からは恐ろしく巨大な砲が砲口を伸ばしていた。おそらくは長距離の対戦車戦闘に特化した砲戦車なのだろう。


 格納庫に押し込められたのは重量級の車輌だけでは無かった。空中線らしい怪しげな鉄線がいくつも伸ばされたり、投光器のような物が天井に括りつけられた装甲兵車が通常寸法の大発にぽつねんと置かれているかと思えば、丸々とした形の水陸両用車が揚陸艇の隙間を埋めるように頼りなく個縛されていた。

 しかも製造間もない様子のドイツ軍装備に混じって、戦場から抜け出して来たかのように荒々しい気配をまとわせたソ連軍の戦車までが何両か収容されていた。

 まるでこの輸送艦1隻で博物館でも開けそうに種類豊富な車輌群であったが、床の間に飾っておく為だけに苦労してこれだけのものを持ち帰るとは思えなかった。



 ようやく池部大尉は今回の輸送の真実を悟っていた。おそらくはこれらの装備は陸軍技術本部などが研究の為に持ち帰るものであるはずだった。むしろ四五式戦車の方が戦利品のついでに輸送されているのだろう

 格納庫に入り切れない細かな各種装備品が押し込められた居住区画で池部大尉達はそのことを実感していた。

四五式戦車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/45tk.html

大発動艇の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/lvl.html

三式中戦車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/03tkm.html

大隅型輸送艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/lsdoosumi.html

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