1945中原内戦18
山東半島南部に位置する青島近郊で開始された国際連盟軍による上陸作戦は、些か予想に反して敵前での上陸となっていた。詳細は不明だったが、共産主義勢力が半島南部に展開していたからだ。
尤も、敵軍の意図は不明だったが位置や規模は概ね判明していた。山東半島に展開する偵察機が集中して観測していたからだ。
満州共和国軍が構築していた半島北部の陣地正面には共産主義勢力の軍勢が展開していたのだが、再編成された国府軍戦車隊が初陣を飾った直後に飛来した陸軍の偵察機部隊によれば、戦車隊らしい集団が敵主力から抜け出して半島を縦断するように南下していたようだった。
遣支艦隊に慌ただしく派遣されてきた陸軍参謀は、分離した敵部隊は山東半島北部に構築された陣地を迂回して満州共和国軍の背後を遮断しようと機動していたのではないかと推測していた。
陸軍参謀の意見に関しては真偽の程は定かではないが、共産主義勢力も混乱しているのは確かなようだった。敵戦車隊は、国際連盟軍の上陸という事態の発生を受けて青島郊外で足を止めると戦車壕を構築していたからだ。
先行して上陸していた一部の陸戦隊は敵陣地の偵察も行っていたが、地上からの目視で敵戦車隊を確認した隊員によれば、敵戦車は車体隠蔽も不十分な状態であったらしい。
陣地の構築にかけられた時間が必要な土木量と釣り合わなかったのだろう。それでも相手が装備が貧弱な国府軍が相手であれば、急造の彼らの戦車壕であっても堅陣となっていたのではないか。
すでに共産主義勢力が主力とする敵戦車の種別は判明していた。偵察結果を分析するまでもなく中国共産党自身が盛んにソ連製のT-34戦車とそれを装備した部隊を宣伝していたからだ。
彼らにしてみれば、民衆に自分たちの軍隊の強大さを知らしめようとしていたのだろう。
確かに大陸中央の平原地帯で発生するであろう通常の野戦においてはT-34は強力な存在だった。同戦車は欧州戦線初期においてはドイツ軍の戦車砲を寄せ付けないほどの防御力を発揮していたし、逆に彼らの装備する野砲級の大口径火砲は相手がどんな敵戦車や敵陣であっても当時は容易に撃破できた。
開戦初期のドイツ軍よりも重装備に劣る国府軍が相手ならば、野砲弾道の主砲で歩兵部隊が決戦距離に至る前に遠距離から撲滅出来るし、遠距離戦でも国府軍の貧弱な支援火力では長距離砲の榴弾破片で重装甲の戦車に損害を与えられるとも思えなかった。
だが、実際にT-34部隊が相対することになったのは小口径の戦車砲や野砲、迫撃砲の榴弾などではなかった。最低でも36センチという戦艦主砲が彼らに叩きつけられていたのだ。
戦艦多数を持ち込んだ遣支艦隊の意図は本来は地域住民などに対する示威行為に過ぎなかったのだが、もちろん対地攻撃時の手順も予め定められていた。場合によっては半島北方に回り込んで日本軍よりも火力に劣る満州共和国軍を支援することもあり得るからだ。
むしろ、遣支艦隊の派遣を主導した統合参謀部としては、山東半島で日本海軍が派手な艦砲射撃を見せることで積極的に共産主義勢力を威圧していく事を狙っていたはずだ。
ところがその意気込みとは裏腹に射撃隊の精度は振るわなかった。正確に言えば、欧州の最前線から帰還したばかりの大和を除く戦艦各艦の主砲弾着点が描く散布界が開戦前の射撃訓練時の数値よりも広がっており、また照準の補正にも手間取っている様子だったのだ。
戦艦大和は就役からそれほど経ってはいないが、欧州では既に艦砲射撃を含む実戦をこなしていた。バルト海海戦では単艦で旧式とはいえ敵戦艦2隻とその支援戦力と渡り合って勝利した輝かしい戦歴も得ていたほどだった。
対して射撃隊の主力である長門型、伊勢型、扶桑型は就役期間は長いが、いずれも実戦経験は欠けていた。今次大戦では第1艦隊主力として瀬戸内海で待機していたし、先の大戦では就役が間に合わなかったか、やはり日本本土で温存されていたかだったのだ。
先の大戦で遥か欧州に派遣されていた戦艦級の大型艦は使い勝手の良い金剛型巡洋戦艦ばかりだった。改装工事で装甲を強化した代わりに速力の低下した金剛型は巡洋戦艦から戦艦に艦種が変更されていたが、実際には巡洋戦艦に近い概念は存在し続けていた。
正式な艦種ではないが、日本海軍は艦隊決戦以外の航空戦や軽快艦隊による夜襲などあらゆる戦闘に投入する戦艦を高速戦艦としていた。単に速力が高いというだけではなく、身も蓋もないが使い潰しても良い旧式艦が高速戦艦扱いされていた時期が長かったのだ。
ところが、軍縮条約の改定で日本海軍に認められた戦艦の新規建造枠で建造された磐城型戦艦が就役した頃から状況は変わりつつあった。
磐城型戦艦は条約の制限内で16インチ砲とそれに耐えうる装甲の搭載を求められた上に、後期建造艦は廃艦となる金剛型の代艦となる予定だったから、高い速力も求められていた。
矛盾する能力を条約の制限である基準排水量内で満たした結果、磐城型戦艦は長門型と同型の主砲塔を装備しながらも主砲は1基少ない3基計6門に抑えざるを得なかった。
新鋭戦艦でありながら砲力で劣る磐城型は長門の代わりに連合艦隊旗艦に指定されることもなく、高速戦艦扱いをされて金剛型と共に欧州に派遣されていたが、実際にはその後に建造された常陸型、大和型も激戦の続く欧州に相次いで派遣されていた。
以前は旧式艦であるからこそ充てられていた高速戦艦という概念が、状況に合わせて使い勝手の良い能力を有する戦艦とでも言うべきものにすり替えられていったのだろう。
だから最新鋭かつ日本海軍最大の戦艦である大和型戦艦ですら惜しみなく欧州の最前線に投入された一方で、長門型や伊勢型などの「戦艦」が本土で待機していたのではないか。
実戦経験の有無が砲術に関する決定的な差異を生むとは南雲大将にも思えなかった。実戦において将兵が行うべき行動は、平時における訓練で身につけるものに他ならないからだ。
極論すれば実戦ばかりの軍隊は訓練量が不足してしまうはずだった。それに実戦で培った経験が大和の練度が結果的に高い理由にはなり得たとしても、他の第1艦隊所属艦の射撃精度が低い理由にはならなかった。
第1艦隊の戦艦群に乗り込む乗員は、士気も練度も低下していると判断せざるを得なかった。勿論特定の将兵の士気が低いとは南雲大将には思えなかった。
そもそも第1艦隊の本土に残留していた戦隊は半ば練習艦隊と化してしまっていた上に、最近では新兵の配属も減っていたらから定員を大きく割り込んだ艦も少なく無かったのだ。
―――我が海軍は結局今次大戦で欧州に全力をつぎ込んでしまっていた、ということか……
鳥海指揮所の態勢表示板を睨みつけるように見つめてながら考え込んでいた南雲大将は、ふと我にかえっていた。傍らの鳥海艦長が何事かを言っていた。
どうやら考え込んでいた南雲大将は鳥海艦長の言葉を聞き逃してしまっていたらしい。眉をしかめながら大将は振り返っていた。
「すまない、何か言っただろうか……」
発言を無視された形だったが、鳥海艦長の顔には苛立ったような表情は無かった。むしろ南雲大将を気遣うような気配があった。
「変針点が近付いています。そろそろ射撃を切り上げて回頭することになりますが、復路は射撃隊全艦で射撃を行いますか……」
南雲大将は眉をしかめたままだった。鳥海艦長の言葉の意味がよく分からなかったのだ。
陸上目標への照準を行うために艦砲射撃は一定速度で陸地と平行に前進しながら射撃を行うのだが、陸地上の特定の目標を狙う場合は当然のことながらいつまでも前進するわけにはいかないから、継続して射撃を行うには変針点を設定して今度は逆方向に針路を取る必要があった。
今回の射撃では仮に西進を往路、東進を復路と設定していた。射撃隊にはその西側の変針点が近付いていたのだ。
ただし、今回の艦砲射撃では射撃隊に指定された戦艦の全艦が砲撃を行っているわけでは無かった。
第1艦隊各艦では砲術科を含む乗員定数を大きく割り込んだ状態となっていたものだから、長時間の継続した射撃を行なうことが困難であると思われていた。そこで大和を除く各戦隊は所属艦の半数のみで射撃を行って一巡毎に射撃艦を入れ替える計画になっていた。
射撃艦の入れ替えは弾着観測用の回転翼機が不足しているためでもあったが、射撃を中断している間に次の射撃の準備を行わないと艦砲射撃を継続するのも困難だったのだ。
鳥海艦長の進言は、継続的な射撃を行うよりも射撃機会を増やすことで短時間で敵部隊を制圧することを狙っていたのではないか。
だが、南雲大将を困惑させたのは射撃法の変更そのものではなかった。
艦隊の旗艦に指定されているとはいえ、鳥海艦長は艦隊司令部に所属してはいなかった。それどころか鳥海では改装工事で各部署の定数が大きく変わってしまったせいで変則的ではあったが、高雄型重巡洋艦の戦闘時に艦長が居るべき部署も指揮所ではなかった。
元々水雷戦隊では所属する駆逐艦が小艦艇故に人間関係が大雑把になりがちだった。
駆逐艦長や水雷戦隊司令官を歴任していた南雲大将はこういった序列を大して気にすることもなかったが、海軍省や軍令部といった海軍中央や主力艦である戦艦ばかりで勤務していたエリート士官であればどのように考えるかは分からなかった。
無意識のまま南雲大将はやはり急遽かき集められた参謀達を視線で探していたが、彼らは指揮所の片隅に固まっていた。
二人の会話を伺うような参謀達の様子に、唐突に南雲大将は付き合いの長かった鳥海艦長の真意を察していた。
遣支艦隊の司令部は、指揮下の各艦艇と同様に中国国内の紛争勃発を受けて急遽かき集められたものばかりだった。平時の事務仕事も数多く残されているから、南雲大将が留守にした呉鎮守府ばかりから多くの人員を引き抜く事もできなかったのだ。
だが、考えてみれば彼らには最初からどこか遠慮した雰囲気があった。多忙だった南雲大将はこれまでは参謀たちの様子を大して気にもしていなかったのだが、どうやら欧州派遣の初期から艦隊を率いて多大な戦果を上げていた大将に萎縮していたらしい。
南雲大将は視線を戻すと苦笑していた。どうやら海軍のやり方は間違っていたらしい。急増の司令部を作るのであれば、無理をしてでも艦隊司令部の中核は南雲大将と多少は気心の知れた呉鎮守府の司令部要員から引き抜いてしまうべきだったのではないか。
大規模な艦隊司令部は人員を配置したからと言って一昼夜で完成するようなものでは無かった。それ一つで固有の兵器として整備するつもりでいなければ円滑な運用など出来ないのだ。
旗艦艦長としてある意味で傍観者の視線で見ていたからこそ鳥海艦長はそのことにいち早く気がついていたのだろう。南雲大将は威儀を正しながら指揮所によく聞こえるように言った。
「計画に変更はない。復路は射撃艦を切り替える。通信参謀は計画通りを念の為各艦に伝達してくれ。それと……まだ第2砲兵団は上陸しておらんな」
視線を向けられた陸軍参謀は慌てて手元の書類挟みをめくっていた。
「計画では丁度今頃上陸している頃ですな。揚陸指揮船に問い合わせますか」
「その必要はない。何れにせよ火力調整を行なう砲兵団司令部が陸上で展開するまでは艦砲射撃の指揮権限は当司令部にある。
第1、第3戦隊には焦らずにやれと伝えろ。欧州で金剛、磐城が頑張ってくれたおかげで14インチも16インチも新規に製造された砲弾の在庫はまだあるんだ。各艦は弾庫を空にして陸軍さんの仕事を全部奪ってもいいんだぞ」
発破を掛けるように南雲大将が言うと、艦隊司令部の面々も安堵したように仕事にかかっていた。大将もようやく眉をもとに戻して平静になっていたが、鳥海艦長は退屈そうな顔になっていた。
「本当に鳥海も艦砲射撃に加わらないでいいですかね」
唖然として南雲大将は鳥海艦長の顔を見つめていた。もしかして、彼だけは本当に戦闘を望んでいただけかもしれなかった。
高雄型重巡洋艦鳥海の設定は下記アドレスで公開中です。
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大和型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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