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1945中原内戦17

 改造艦ではなく起工時から生粋の空母として建造された艦艇としては世界初の空母となった鳳翔だったが、それだけに今次大戦の時点に置いては旧式化が著しかった。


 艦政本部の見積もりによれば、定期工事による細かな修繕によって鳳翔の艦齢は未だに残されていると言うが、建造時に想定されていた姿とは航空機の性能が大きく向上してしまったものだから艦体規模のほうが進化に取り残されてしまっていた。

 最近では強引な飛行甲板の延長工事なども行われていたが、それでも高速化、重量化が著しい昨今の艦上機を搭載、運用するのは難しくなっていた。

 最新の油圧式射出機を用いれば鳳翔程度の飛行甲板長でも新鋭機の発艦も可能だというが、搭載機数が貨物船の設計を流用した海防空母にも劣るのでは最前線では使い物にならなかった。


 近年では鳳翔は固有の搭載機を置かずに練習用の空母として運用されていた。気象条件の安定した瀬戸内海で着艦前の旋回から飛行甲板に接触するまでを行う擬着艦を行うのだ。


 最近では新規編成の航空隊の数が増えていた上に擬着艦訓練を行うにも鳳翔では過小過ぎるとさえ言われていたほどだが、日本海軍には前線から一線級の空母を練習用に引き抜くような余裕は無かった。

 それでも低速の海防空母では正規空母に搭載する航空隊の訓練には使用できないから、練習空母としては鳳翔の稼働実績はかなりあったようだ。


 あるいは、母艦の数で言えば前線で使用される正規空母よりも船団護衛用の海防空母の方がずっと多かった事が、主に正規空母向けの部隊の訓練に使用されていた鳳翔がただ1隻で練習空母の任務を全う出来た理由なのかもしれなかった。

 船団護衛部隊に配属される航空隊の場合は、実際の海防空母を用いた訓練が行われていたからだ。


 遣支艦隊への編入にあたっては、久々にその鳳翔に固有の艦載機が復活していた。ただし、初期型の零式艦上戦闘機が精一杯の飛行甲板しかない鳳翔に艦上機が載せられたわけでは無かった。

 鳳翔は回転翼機を集中搭載して弾着観測任務を支援していたのだ。



 この時期、既に日本海軍では弾着観測の他に連絡や艦隊周辺の対潜警戒などを行わせる為に回転翼機を搭載機とした母艦が複数存在していたが、格納庫の片隅に回転翼機を押し込んだ空母などを除けば、いずれも水上機から回転翼機に搭載機を転換したものだった。

 ただし、すべての水上機搭載艦が回転翼機を搭載し始めていたわけでは無かった。非力な観測機ばかりを増やしてもしょうがないし、それ以前に航空艤装の位置によっては水上機から回転翼機に機種転換するのは難しい艦も多かったのだ。


 軍縮条約締結以後に建造された多くの日本海軍巡洋艦は、前部、後部構造物の間や後部構造物と後部主砲塔の間に射出機やデリック等の航空艤装を配置していた。

 この配置ではいくら回転翼機に本格的な飛行甲板が不要と言っても、障害物となる砲塔や煙突などを避けて着艦するのは至難の業だったから、回転翼機の搭載は躊躇われていたのだ。

 いまだ海のものとも山のものともしれない艦載機である回転翼機の喪失を恐れたというよりも、貴重な大型艦が観測機の離着艦作業などで戦列から離れるのを恐れたのではないか。


 結果的に言えば、回転翼機を固有の搭載機としたのは、利根型軽巡洋艦を除けば艦後部に広大な作業甲板を有する艦隊型の水上機母艦に限られていた。

 利根型にしても、元々は空母機動部隊の偵察能力を向上させるために後部甲板に搭載機を集約させたいわゆる航空巡洋艦の類だから、艦型は高速水上機母艦に類似した特異なものだった。要するに水上戦闘艦に幅広く回転翼機を搭載するには未だに知見が不足しているといえるのではないか。



 皮肉な事に、回転翼機の艦載機化と同時期に従来の発想に従って開戦前後に計画されていた高性能の水上機が実用化していた。


 当初の想定では、急降下爆撃すら可能な水上機の配備は巡洋艦と高速の艦隊型水上機母艦を組み合わせたものとなる筈だった。

 艦隊主力の一翼を担う巡洋艦群から発艦した水上機は、空母から発艦する攻撃隊に先行する形で敵空母を先制攻撃する計画だった。その後は水上砲戦に突入しているはずの本来の母艦ではなく、一歩引いた位置で待機する高速の艦隊型水上機母艦に回収されるのだ。

 水雷戦隊の旗艦として偵察機を搭載するものや、偵察能力に特化した利根型軽巡洋艦を除いても、水上機を搭載可能な日本海軍の重巡洋艦、大型軽巡洋艦の数からすれば、この水上爆撃隊だけで空母1隻分の航空隊に匹敵する戦力になるはずだった。


 ところが高速水上機母艦が回転翼機の母艦に指定されたことでこのような計画は宙に浮いていた。巡洋艦群も水上機としては高性能だが使い勝手の悪い新鋭機を持て余しているようだった。

 南雲大将が呉鎮守府長官として帰国したあとに、欧州戦線では敵戦艦への水上機による集中攻撃も行われていたが、その時の作戦でも損害も大きかったようだ。



 高性能化を目指して歪な進化を遂げてしまった一部の水上機のようにあれこれと欲張らなければ、現在でも回転翼機の機能は一定の評価を与えられるものだった。少なくとも艦砲射撃の観測機としては十分な能力を発揮していたからだ。

 艦隊から降ろされつつある水上機方式の観測機の代わりに鳳翔に回転翼機の搭載が行われたのも当然の成り行きではあったが、その搭載数は艦隊の規模に対しては過小だった。


 艦砲射撃を行うべく集められた本土付近に在泊していた戦艦の数は以前に欧州で行われた上陸作戦にも劣らないものだったが、鳳翔1隻が運用できる回転翼機の数はそれほど多くは無かった。固定翼機を全機下ろしても十機も積めなかったのだ。

 建造されていた当時の主力機に合わせて配置された鳳翔の格納庫は天井が低く、逆に背の高い回転翼機の収納に制限があったらしい。



 ―――これなら回転翼機の航空隊も地上から展開させて、鳳翔は足の短い回転翼機の輸送に集中させたほうが良かったかもしれない……

 次々と読み上げられる第1艦隊所属艦の射撃結果を聞きながら南雲大将はそう考えていた。

 遣支艦隊に配属された空母は旧式化した鳳翔1隻だけだったが、実際には航空戦力に不安はなかった。大陸で交戦中の両勢力は航空戦力が貧弱であるという点も無視できないが、それ以上に陸上機がすぐに駆けつけられる位置に展開していたからだ。



 山東半島に展開する今回の作戦は、大雑把に言って2つの段階に別れていた。政治的な問題を抱えていたものだから純粋な軍事作戦としては不要な程の複雑化を招いていたのだ。

 既に終了した第1段作戦では、今回の作戦で主力となるはずの日本軍の存在を全面に出すわけには行かなかった。この内戦が中国国内の問題に留まっていると認識されている間は、日本軍の存在が外国勢力の不当な介入と民衆に思わせてしまうからだ。

 この段階で表に出るのは中国国内の勢力である満州共和国軍に限られていた。遼東半島から山東半島に渡海した彼らは、遼東半島からの上陸地点となる山東半島の北岸付け根付近に陣地を構築すると共に、政治的正当性を確保する為に一人でも多くの国府軍将兵を陣内に収容していた。


 ただし、既にこの時点でも密かに日本軍も関与していた。十分な準備期間もなしに大軍を山東半島に送り込めるほど満州共和国軍の機械力は高くは無かったからだ。

 彼らの輸送にあたったのは、満州共和国軍の軍旗を慌てて用意して掲げていた日本海陸軍の輸送艦群だった。本来は欧州に送り込まれるはずだった、いわば在庫状態だった艦艇が惜しみなく投入されていたのだ。

 書類上は満州共和国軍に売却されていた機材はそれだけでは無かった。彼等自身が装備する分はともかく、敗残兵の国府軍に分け与えられるだけの兵器類はやはり満州共和国軍にはないからだ。



 欧州で不足する食料や燃料といった民需品を除いた船団1つ分の物資が、第1段作戦の途上で山東半島に降って湧いたかのように出現していた。それは、本来は欧州で在庫となるばかりの物資だった。


 日本本土で生産された兵器類は、戦火が途絶えた今でも欧州に送られ続けていた。欧州戦線で消耗した分の補充や新たに国際連盟軍に参加した外国軍に供与する分もあったが、欧州に送られる時点では特定の配備先が予定されているわけでは無かった。


 欧州に設けられた野戦兵器廠にまとめて送られた兵器類は、点検整備作業を行う兵器廠で現地に合わせた迷彩色などに再塗装された上で各部隊に配備されるのだが、大量の砲弾など実質的に終戦を迎えた欧州では不要となって在庫を積み重ねていくばかりの資機材も少なくなかった。

 現地の需要増減や欧州までの輸送期間、日本本土の生産体制などの理由から生産計画に時差が生じる上に、現地の兵器廠は物資枯渇を恐れて平均需要よりも多くの物資を要求する傾向もあった。

 それに加えて、長い戦争期間の間に特定の軍事物資生産に特化してしまった国内の工場では、生産を容易に止められないのも一つの理由だった。


 山東半島に出現した物資は、欧州に向かっていた船団が引き返して荷降ろししたものだったが、日本本土で船積みを待っていたものも輸送の手がつき次第山東半島に向かっていた。

 密かに上海で国府軍に引き渡されたものもあるらしいが陸軍や政府筋が主導しているために南雲大将も詳細は知らなかった。



 山東半島に逃げ延びていた国府軍の一部が重装備を与えられて大わらわで再編成される一方で、満州共和国軍に所属する僅かな独立工兵部隊の指導で国府軍将兵や周辺住民まで動員して平坦な地形を選んで滑走路が建設されていた。


 元々日本海軍には、対米戦を予想した際に南方の島嶼部に航空基地を短時間で構築する必要がある為に、機械化された設営隊が編制されていた。それに対ソ戦向けという違いはあれども陸軍にも同様の部隊があった。

 野戦築城に関しては陸軍の方に一日の長がある事は否めないから、規模や装備の面でも陸軍の方が滑走路建設に限らずに工兵部隊は充実していた筈だった。


 しかし、今回の作戦にそれらの高度に機械化された工兵部隊をふんだんに投入する事は出来なかった。政治的な建前はともかく、開戦前から整備されていた古豪の機械化工兵隊の多くは海陸軍を問わず欧州に派遣されてまだ帰国していなかったからだ。

 しかも前線に投入される戦車や火砲といった装備とは違って、敵前で障害物の破砕などを行う陸軍の戦闘工兵部隊でもない限り工兵機材の損耗は低く抑えられていたから、湯水の様に輸送した端から消費される弾薬などと比べると工兵用機材の「在庫」は少なかった。

 結局大半の作業を人力で行わざるを得ない滑走路建設事業だったが、実際に完成する頃に飛来したのは建設に携わっていた満州共和国軍の機体ではなかった。



 滑走路の完成に前後して第2段作戦が発動していたが、作戦の開始の理由となったのは純軍事的なものでは無かった。日本を含む国際連盟に対して、正統なる中華民国政府から、正式に国内に跋扈する反乱勢力鎮圧作戦への参戦を要請することが公表されていたのだ。

 北平を制圧した中国共産党は帝国主義的な外国勢力の介入を非難する声明を発していたが、それよりも早く国際連盟は日本帝国軍を中核とする国際連盟軍を正統政府からの要請を理由として派遣することを決断していた。


 茶番だった。実際には第1段作戦の時点で日本軍の投入は決断されていた。必要だったのは、中華民国政府に国際連盟軍を国内に受け入れさせることを納得させる時間だけだったからだ。

 その証拠に、国際連盟軍は即座に日本軍などからなる中華民国支援軍の上陸を開始していたのだ。しかも上陸部隊の主力は、慌ただしい帰国早々に新型装備を定数一杯まで再支給された第7師団だった。

 日本陸軍の中でも重装備の精鋭部隊である第7師団は、大陸内で騒乱が起こった当初から従来の装備を欧州の野戦兵器廠に返却して英国の高速客船を借り受けてまで日本本土にとって返していたのだ。

 相当の準備期間がなければ国際連盟の決断直後に上陸を開始する事など到底不可能だった筈だ。


 結局の所は国際連盟軍の行動に必要だったのは建前となる正統性だけだった。その証拠に、満州共和国軍が建設していた山東半島の滑走路に降り立ったのは日本軍機が圧倒的に多かった。

浦賀型海防空母の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cvuraga.html

二式観測直協機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/2o.html

零式艦上戦闘機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/a6.html

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