1945中原内戦16
以前行われていた改装工事で艦隊指揮用の施設である大規模な指揮所を設けていた重巡洋艦鳥海は、遣支艦隊の艦隊旗艦に指定されていた。その指揮所に詰める兵員から戦艦大和が斉射を開始したと報告が上がっていた。その声を指揮所最後部にある長官席で聞いた南雲大将は愁眉を開いていた。
バルト海におけるソ連海軍との交戦で損傷を負っていた戦艦大和は、遣欧艦隊主力に先んじて帰国した後に呉工廠で修理工事を行っていたのだが、今回の作戦に編成された遣支艦隊に編入されたために、急遽修理工事を切り上げて緊急出動していたのだ。
海戦で被った損傷の程度は軽いと聞いていたのだが、修理工事を急に短縮した悪影響がどこに出ているかは分からなかった。慌ただしく艦隊編成が行われたものだから、艦隊司令長官であるにも関わらず南雲大将にも急遽編入された戦艦大和に関しては不明な点が多かったのだ。
だが、陸地に向けた艦砲射撃とはいえ斉射を行っているということは、少なくとも主砲射撃に関しては完動状態にあると考えて良いのではないか。
もっともバルト海で損傷を被ったのは大和だけではなかった。南雲大将が乗り込む鳥海も友軍艦の誤射で損害を被っていたし、大和の僚艦であった武蔵も触雷で水面下に損害を被っていた。
急遽遣支艦隊を構成するにあたって、修理中の艦艇でも工期短縮が可能な大型艦まで急遽編入された結果として大和も鳥海に座乗する南雲大将の指揮下に入っていたのだ。
ただし、戦艦大和は司令長官である南雲大将が直卒しているわけではなかった。指揮下の艦艇が大和1隻であるにも関わらず第2戦隊司令部が同艦に座乗していたのだ。
バルト海で武蔵が触雷したのは、ドイツ本土に向けて東プロイセンから脱出する避難民を満載していた客船を庇ったためだった。その結果自力での航行こそ可能だったものの、武蔵水線下の損害は大きなものになっていた。
これが最新鋭の大和型戦艦ではなく旧式化した金剛型戦艦などであれば、戦争終結が目の前に控えている状況において修理費用を惜しんで早期の退役を強いられていた可能性もあったのではないか。
中国で内戦が勃発するまでは、戦況に余裕ができていたと考えられていたことから、武蔵には修理工事に加えてついでのように戦訓を反映した改修工事も帰国直後から行われていたものの、大和と違って遣支艦隊への編入には到底間に合わなかった。
おそらくは、戦時中であれば大和も日本本土に帰還すること無く英国本土に回航された浮き船渠や工作艦を用いた応急修理で済ませられてしまっていたか、あるいは大型艦の造修機能が強化されたインドなど戦場となっている欧州により近い地域での修理を行っていたのではないか。
だが、既に対独戦は終結しており、更になし崩し的に戦端を開いてしまったというソ連海軍に関してもバルト海艦隊主力を撃滅したことから大きな脅威では無くなっていた。
それで戦闘前の触雷によって損害を被っていた武蔵を伴って第2戦隊が揃って本格的な修理工事を行うべく帰国の途に就いていたのだ。
南雲大将の表情が変わったのを察したのか、指揮所に姿を見せていた鳥海艦長が大将に笑みを見せながら言った。
「長官、どうせなら鳥海も海岸に接近して射撃を行いますか」
艦隊の旗艦とはいえ一巡洋艦の艦長が司令長官に向ける態度としては気安過ぎるものだったが、艦長とは遣欧艦隊隷下の第一航空艦隊旗艦に鳥海が指定された頃からの付き合いだった。
付き合いの長い艦長の軽口に南雲大将も厳つい顔をほころばせながら言った。
「何、戦艦が七杯もいるんだから、シチリア島の時の様に鳥海も艦砲射撃をしろとは俺は言わんよ」
「残念ですな、シチリア島上陸戦の時は本艦もドイツ戦車を撃破したものですから、今度はソ連の戦車をやっつけて陸軍さんから感状の一つもせしめようと思っていたのですがねぇ」
艦長の調子に思わず南雲大将も破顔していたが、鳳翔から発進した着弾観測任務の回転翼機からの詳細な報告が上がると再び眉をしかめていた。艦長の方は、半ば傍観者のように言った。
「修理工事直後の大和の方が射撃精度は高そうですな、これは。瀬戸内艦隊にいると練度が下がるんですかねぇ」
南雲大将は短い唸り声を上げただけで何も返さなかった。
山東半島南部の青島近海において海岸と平行して微速で航行する鳥海の更に海岸寄りには、戦艦長門を先頭とする戦艦群が艦砲射撃を行う射撃隊として展開していた。
大規模化した司令部を艦上に収容できなかったことから連合艦隊司令部は地上施設にその将旗を移動させていた。だが、連合艦隊旗艦の地位こそ返上したものの、戦艦長門は第1艦隊と第1戦隊の旗艦を兼ねていたから実質的に日本海軍の顔とも言うべき存在だった。
すでに建造年の若い磐城型や大和型が既に連合艦隊に編入されていたのだが、改正軍縮条約のもとで建造された磐城型は排水量の制限から長門型が四基装備する主砲塔を三基しか装備していないから迫力に欠ける姿であった。
大和型は長門型よりも強力な戦艦であるといわれていたが、戦時中に就役したために欧州派遣が長く日本本土近海で米海軍に備える第一戦隊に編入するわけにはいかなかった。
それに大和型の就役時には防諜体制が強化されていたものだから、日本国民への認知度という意味でも報道規制のかかった大和型は目立たない存在でしか無かった。
ところが、その日本海軍を代表する存在であったはずの戦艦長門を始めとする第1艦隊の戦艦群の射撃精度は振るわないものだった。理由は半ば分かっていたことだった。
少なくない戦力を遣欧艦隊に抽出されてはいたものの、今次大戦においても第1艦隊は日本本土近海から動くことはなかった。本土付近の艦隊は欧州派遣部隊の戦力源とみなされていたからだが、第1艦隊の場合は特に長門以下の旧式戦艦が対米抑止力として期待されていたからでもあった。
ただし、抑止力といっても極論すればその姿さえ見せていれば良いことになるから、実際の戦力は大して期待されていなかった。第1艦隊には本土の海兵団で教育を終えたばかりの新兵が優先して配属されてはいたものの、大半の兵員は短時間で護衛艦隊や欧州に派遣される新造艦に転属していった。
つまり第1艦隊は中核要員を除けば練習艦隊としての機能しか発揮していなかったのだ。
既に山東半島に先行していた陸戦隊と定点の地上観測が容易な回転翼機によって、射撃隊は立体的な弾着と自位置の観測を支援されていた。欧州で幾度も繰り返された艦砲射撃の戦訓が反映された為に、本来は射撃隊に対する支援体制は充実していたのだ。
艦艇から対地砲撃を行う場合、相手が静止目標であったとしても射撃艦が動いている限りは相対的な位置関係は時間と共に変化していた。極論すれば、目標を中心とした円を描いてそれをなぞる様に航行すれば照準を固定する事が可能なのだが、実際にはそのようなことは不可能だった。
開戦前から研究されていた対地射撃法は、陸軍の間接射撃にも似た方法が取られていた。目標の位置に加えて地上に対する射撃艦の位置を正確に把握した上で、針路を保ったまま一定の速度で航行すれば照準に必要な数値が得られるから、変化し続ける諸元を計算する射撃盤を用いて射撃が可能だったのだ。
自位置を把握するには目標の他に仮標を定める必要があるが、多くの場合は既知の2箇所以上の陸地で燈火などの信号を送ってもらうことでその角度から三角測量の要領で位置を確認していた。
ただし、艦砲射撃の場合は照準の修正を行うのに必須である着弾点の観測も困難となっていた。
精度の高い射撃管制用の対水上電探が実用化し始めていたことによって、水上戦闘の場合は視界の効かない夜戦や目視が困難な程の遠距離でも照準が可能となっていた。
電探は原理上目標と自艦との間にある障害物を超えて観測することは出来ないのだが、艦砲射撃の場合は海岸の標的ならばともかく艦上から観測出来ない内陸部の目標を指示されることも少なくなかった。
だから目標が海上から観測出来ない場合は、照準の修正に陸上部隊や航空機による弾着観測が必要不可欠だったのだ。
鳥海も従事していたシチリア島への上陸に際しても潜水艦を用いて密かに本隊に先んじて上陸していた特務陸戦隊の弾着修正があった。
特務陸戦隊は海軍特別陸戦隊の中でも選抜された特殊戦部隊だったが、常設される特別陸戦隊に配属される将兵は陸戦教育も行う砲術学校で教育を受けたのものが多いから、艦砲の弾着修正も手慣れたものだった。
尤も陸戦隊による弾着観測が迅速に行われるようになったのは最近のことだった。陸戦隊に配属された将兵の腕が悪かったわけではない。観測自体は可能でも、修正値を艦上に短時間で転送可能な信頼性のある可搬式の無線機が無かったのだ。
それに陸軍の砲兵、航空機に加えて艦砲射撃まで含む友軍が戦場に投入可能な全ての火力を大規模な砲兵団司令部が統括するようになったのはイタリア戦線の頃からだったから、それ以前は場当たり的に海陸軍別個に火力を叩きつけるだけであったと言っても過言ではなかった。
むしろ陸戦隊による地上からの弾着観測の方が変則的なやり方だと言えた。無線機の運搬を人力に頼らざるを得ない陸戦隊よりも、上空からの弾着観測の方が容易だったからだ。
戦艦級の大型戦闘艦が搭載する弾着観測用の観測機は航空機としては軽量級のものだったが、それでも短距離無線機を積むくらいの余裕はあった。
この観測機にさほど強力な無線機を搭載する必要はなかった。極論すれば戦艦主砲の射程外に観測機を飛ばしても無意味だからだ。それに日本海軍では観測機に機動性を要求していた。敵戦闘機の妨害下で行動しなければならない可能性もあるからだ。
以前は艦隊決戦においては観測機の有無が勝敗を決するとまで言われていたのだが、やはり遠距離を精密に観測することが可能な電探の発達が主砲射撃における観測機の必要性を著しく低下させていた。
それ以上に最近では観測機の形態に多い水上機そのものの評価が著しく下がっていた。今次大戦に前後して艦上機を含む陸上機は航空技術の急成長によって特に速度面で目覚ましい性能向上を見せていたが、巨大な空気抵抗源である浮船を抱える水上機はこれに追随出来なかったのだ。
一部では緊急時の浮船投棄機能などを備えて高性能化を目指したものもあったが、歪な進化に過ぎないから主力として残る事はなさそうだった。
空母航空隊には高性能の偵察専用機が配備されていたが、仮に今艦隊決戦が生起するようなことがあれば、この偵察機が弾着観測を行う事になるのではないか。
水上機が姿を消しつつある一方で、簡易な艦載機として回転翼機が急速に存在感を増していた。
固定翼機とは根本的に性質の異なる回転翼機は、速度や航続距離といった性能面では全く従来機とは勝負にならなかった。搭載されるエンジン出力や原理上の問題もあって搭載量も水上機にすら劣っていたのだ。
その一方で使い勝手という点では回転翼機の利便性は高かった。
飛行甲板が不要とはいえ、水上機の艦上運用には多大な面積を要求する射出機や海面から引き上げる為の機材に加えて運用の手間暇が掛かるのだが、極端なことを言えば回転翼機の場合は平坦な甲板さえあれば離着艦に特別な機材は必要なかった。
搭載量が少ない為に爆弾などを積むことはできないし、防弾装備も無い低速機だから脆弱な存在ではあるが、いずれ性能が向上すれば多用途性も向上することが期待されていた。
それに現有の機体でも航空優勢の環境さえ確保できれば、連絡や弾着観測機としての運用は十分可能だった。日本海軍でも陸軍が砲兵情報連隊や一部の直協機隊で運用していた二式観測直協機を殆どそのままの形で導入していた。
今回の作戦でも、艦砲射撃時の弾着観測を支援するために、これまで瀬戸内海で訓練空母として使用されていた鳳翔が急遽護衛の駆逐隊を伴って航空戦隊を構成して艦隊に随伴していたのだ。
高雄型重巡洋艦鳥海の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cachokai1943.html
大和型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbyamato.html
磐城型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbiwaki.html
二式観測直協機の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/2o.html